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なぜ神を勘違いしたままでいるのか?

 A なぜ非経験なる神を 経験存在に求めるのか?  A-1 なぜ人間である教祖を 神とするのか?  B なぜ非思考なる神を 経験思考やその思考力としての精神に求めるのか?  B-1 なぜ思考や想像の産物である教義を 神とするのか?  B-2 なぜ《宗教を信じる》という表現を使いつづけるのか?  B-3 なぜ自分の観念の内に 神を想い描くのか?  C なぜ表象しえぬ神を 表象しようとするのか?    C-1 なぜ教団が 神はこれこれだと決めるのか?  D あるいは逆に 《観念の神》はその観念化をおこなった時点で死んでいる(つまり ただの思考の産物である)というのに わざわざ《神は死んだ》と言い この文句をなぜ人びとは繰り返すのか?  D-1 それを顕揚するためにせよ批判するためにせよ 神を表象し得た(あるいは認識し得た)と言わんばかりに なぜ神を論じるのか?   特に批判する側に対して言えば 表象し得たのなら その神は人間がつくったものであるのだから わざわざ排除するまでもなく死んでいる。  E なぜ神は――非経験にして非思考であるというのに―― 人間が表象しつくったニセの神しかないと断定するのか?     *    ○ (神を哲学する) ~~~~~    §1 考えても 分かるか・分からないかが 分からないこと  世の中には およそ 二つの事柄がある。考えて分かること(Y)と考えても分からないこと(X)と。    Y=考えれば分かること。      (いまは分からなくとも いづれ経験合理性に基づく科学行      為によって分かるようになると考えられること)。         (科学が真実と判定したあと 真実ではなかったと判明する      場合にも その誤謬について 〔有限ながら〕合理的に説明      しうることがら。)      X=考えても分からないこと。     (いやむしろ分かるか・分からないかが 分からないこと)。     (人間の知性を超えていて もはや経験合理性によっては そ     のことの有無・可否・是非などを 判定しがたいことがら)。       (もしくはつまり むしろこのように想定してしまっておくこ     とがら。 )  ひょっとすると 世の中は Yの経験領域のことがらだけであるかも知れない。X は 経験を超えた領域のことであって それが有るとも無いとも 決められないことがらである。  経験領域(Y)を規定するならば 《経験領域(Y)でない領域》は 規定済みとなる。もはや超経験領域(X)は その定義の中に――あるいは その外に――織り込まれているとも言える。だが それとして重ねて触れたほうが 説明のしやすい場合が多い。それゆえ 用語に加えたい。つまり あらためて    超経験の領域= X       超自然・非経験・絶対・無限・永遠・       〔そしてこのような意味での〕神・       〔人によっては次のごとく言う〕無・無神・空  人間の精神は X ではない。人間じたいも 経験存在 Y であり その精神も有限であり Y に属す。《精神は 永遠なり》というのは 想定上 《 Y は X である》と言っており――冗談でない限り―― 間違いである。(→§3)  さらには 《無意識》はどうか。これも 経験領域 Y に属すのであって 非経験 X ではない。神でもなければ 絶対法則でもないだろう。    §2 《考える》と《信じる》  考えるのは そして考えたことを表現するのは そしてまた表現をとおして意思疎通をおこなうのは さらにそして大きくこの意思疎通の歴史を記録し伝えあっていくのは 人間である。特にこの人間を 経験領域 Y の中より取り出して その位置を捉えよう。    人間存在 = Z   とすれば 経験領域 Y に対して人間 Z が取る態度としての関係が いまの議論では 《考える( Y-Z )》である。だとすれば 取りも直さず 非経験の領域 X に対するわれわれ Z の関係は 《考える》ではない。ありえない。考えてもよいが それが意味をなすかどうかは 分からない。  《考えても 分かるか・分からないかが 分からないもの(= X)》に対するわたし Zi の関係は 一般にも 《信じる( X-Zi )》と称される。  これは 《考える( Y-Z )ではない》という意味で 《信じない・もしくは無を信じる( nonX-Zi )》と名づけても 同じことである。そもそも X が 経験世界で言う有であるか無であるか 分からないゆえ X=nonX であり どう表現しようと 《わたし Zi 》の勝手なのである。(信教・良心の自由という公理)。  したがって わたし Zi は 信じる(つまり 信じないの場合も同じ)の対象(したがって すでに非対象)を 《空(欠如) 》 X-Za と言おうが 《阿弥陀仏(無量寿・無量光)》 X-Zb と言おうが 自由であろうし 《神》 X-Zcとも 《ヤハヱー》 X-Zd とも 《アッラーフ》 X-Ze 等々とも 言い得る。  逆に 気をつけるべきは 信仰において 信じる対象は わたし Zi がわたしの精神によって思考し想像して抱く神の像ではないということである。すなわち《神》といったことば・概念・想像は 《考える Y-Zi 》の問題である。  人間 Z が信じるのは 道徳規律でもなければ 倫理の信念でもなく 神という言葉じたいでもない。神という文字でもなければ 聖典なる書物じたいでもなく むろん k-a-m-i という発音でもない。X( X-Z )は Y( Y-Z )ではない。後者( Y-Z )には特に 精神とその産物を含むゆえ この想像物としての神( Y-Z )と 想定上の神( X-Z )とは峻別しなければならない。   §3 超自然 X が 経験世界 Y ないし人間 Z の    歴史( ΣY-Zn )に介在しうるか。  これに対する答えは むしろ簡単である。  絶対者 X を想定したときから すでにわたし Zi は その X による介入を受けて来ている。もしくは 介入などありえないという形(=無神論 nonXーZi )において 関係が想定されている。  介入という表現が 適当でないとすれば わたしとその世界( ΣY-Zi )は 思議すべからざる絶対者 X (= non‐X )に対して 開かれている。閉じられていないということが 重要である。考えても分からないことなのだから 締めたり閉じたりするわけには行かない。  しかも ややこしいことには わたし Zi たる人それぞれによって その介入のあり方( X-Y-Zi )は 決して一様でないことである。同一人のわたしにしても その人生のなかで さまざまに変化するかも知れない。(宗旨替えなどと言われることが起こる)。  議論を端折るかたちになるが 問題は いまの介在のあり方について その基本の形態を 一人ひとりが 明確に判断し 仮りに変化を受けたとしても・変化を経ながらも その《信仰》形態を自分のもとで つねに 確認し得ていることではないだろうか。  信じる( X-Y-Zi )か 信じない( nonX-Y-Zi ) か これが いま確認すべき基本の形態である。しかも この〔無信仰を含めての〕信仰の基本形態は変更しうるけれど その時々の現在において明確に保持していることが 重要ではないだろうか。  いま一歩進めるならば  このおのおのの《信じる》の基本形態について 自身が最小限度 言葉で説明しうるということが 望ましい。その点を一度明らかにしておくならば そののちの話し合いにおいて 余計な誤解や不必要な対立を 防ぐことができるからである。互いにみづから交通整理しつつ 社会におけるコミュニケーションを円滑に進めることが望ましい。  信仰の基本形態からあとさらに具体的に展開されるという歴史(人生)の過程 つまり言いかえると たとえば神 Xi が人間の歴史( ΣY-Z )に このように・かのように介入したなどという過程 この問題は そもそも話し合い(《考える》)では 埒が開かないものである。  もっとも これを逆に言えば やはりたとえば そんな介入などには 一切 目もくれないのだという見解の提示(無神論)をも含めて わたし Zi の《神( X )体験》ないし神学ないしいわば《 神 X 史観》については 自由に話し合えばよいと言える。そして そのとき コミュニケーションが成り立つかどうかは はじめの大前提としての信仰の基本形態に合致しているかどうかによって判断されるものと思われる。  もし問題があるとすれば その大前提についてあらためて 想定の仕方や規定の内容を 議論しなおせばよい。  以上の定義だけの理論は 次が その心である。    吾人はすべからく互いの差異を 自由に批評し合い コミュニケーシ   ョンを進めながら つねにその差異を認め合わざるべからず。   ~~~~~~~~~~~~

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noname#143207
noname#143207
回答No.5

 こんばんは、ひどっち でございます。  かってながら、(臨時的にではございますが)こちら側に移ってまいりました。 > A-1 なぜ人間である教祖を 神とするのか?  当初はそうでなくとも、知らず知らずの間に、偶像化・崇拝化してしまうものと考えております。下記に示しておりますアリストテレス等もその一例かもしれません。 > B-1 なぜ思考や想像の産物である教義を 神とするのか? [自然科学とキリスト教] ・宇宙とそのなかのすべてのものは、神によって創造され神によって支配されているという根本的な考え方があった。 ・宇宙や自然を研究すれば、その根底にある原理・秩序を見出すことは、そのまま神の創造の御業の素晴らしさを見出すことができる。 ・さらにそれを人々に知らせれば神の栄光に帰することになる。  近代科学を作り出した人々のなかには、多かれ少なかれ上述のような動機が働いたとされています(定説)。  例えば、ガリレオ(敬虔なキリスト教徒)は宇宙と聖書を同一視し、宇宙を“聖書”とのアナロジーで、いわば第二の聖書のように考えていました。  また、ニュートン(プロテスタント)は、“ダニエル書”や“ヨハネの黙示録”を解釈した独自の終末論を展開していました。ただ、目的論には重きを置いていなかったとされています。つまり、万有引力の法則も、なぜ引力が発生するか、もしくは何のために引力が存在するのかということではなく、どのような法則によって引力が機能するのかということに興味を持ったとされています。その背景には、「神の行い・御業について、人間の持つ理性では理解不能であるという思想を背景としていた」とも言われています。  ではそれ以前はと申しますと、スコラ哲学が主流を占めていました。極論を申しますと、アリストテレスがこうだ、と言えば、それが絶対であるとされていたわけです。  長々と綴ってきましたが、”教義”=”聖書の記述内容”、と致しますと、自然科学の流れを引き継いでいるように推察されます。 > B-2 なぜ《宗教を信じる》という表現を使いつづけるのか?  宗教=教義(集団)と解しますと、おかしいと考えられます。残念ながら、愚生にはわかりません。 > B-3 なぜ自分の観念の内に 神を想い描くのか?  理性万能主義の所産かと存じます。  もはや、率直に“信じる”ということができなくなったのかもしれません。 > C-1 なぜ教団が 神はこれこれだと決めるのか?  教団にとりましては、それが都合がよいから、また一方では、人は自由なるものを恐れているからと思われます。 > D あるいは逆に 《観念の神》はその観念化をおこなった時点で死んでいる(つまり ただの思考の産物である)というのに わざわざ《神は死んだ》と言い この文句をなぜ人びとは繰り返すのか?  D-1 それを顕揚するためにせよ批判するためにせよ 神を表象し得た(あるいは認識し得た)と言わんばかりに なぜ神を論じるのか?     おそらく、これは無心論者に多く見られる傾向かと察せられます。特に、“宗教組織”の失敗(魔女狩り等でございます)に対しまして、少なくとも日本人は嫌悪感を抱いてしまうのかもしれません。もちろん、神=宗教組織、ではないのですが・・・ > E なぜ神は――非経験にして非思考であるというのに―― 人間が表象しつくったニセの神しかないと断定するのか?  “信じる”という行為が、現代では“愚かなこと”という風潮が、その根底にあるのかもしれません。ヴィトゲンシュタインではありませんが、「神はこの世界にはいない」のですが・・・  何かご参考になるところがございましたら、幸いでございます。

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは ひどっちさん。ご回答をありがとうございます。(そう言えば あいさつをしないでお礼欄に返答をしたためている場合もあります。機械的にていねいであるよりは ましだと考えてのことと答えても お叱りを受けねばならないかも知れません)。  ★( a ) “信じる”という行為が、現代では“愚かなこと”という風潮が、その根底にあるのかもしれません。  ☆ たしかに《神の弱さは人間の強さよりも強く 神の愚かさは人間の賢さよりも賢い》と言ったところで 人びとは何のハタラキをも受けないほどになっているのかも知れません。  《たましいの復旧と復興を!》と言っても 《暑苦しい。やめとけ》と返されるのが関の山でしょうか。  ( b )★ ヴィトゲンシュタインではありませんが、「神はこの世界にはいない」のですが・・・  ( c )★ ・宇宙とそのなかのすべてのものは、神によって創造され神によって支配されているという根本的な考え方があった。  ☆ ふたつをまとめるならば   ( d ) この世界のものごとは 神の足跡であるかも知れず 神の姿をおぼろに映し出す鏡であるかも知れない。  ☆ といった命題が導けると思われます。  したがって  ( d-1 ) 魔女や悪魔は 神の心を――どういう中身としてかはまだ別として――おぼろげにこの世界のものごととして映し出しているのかも知れないとまでは 見てみることが出来るかも知れない。  ☆ と思いや考えを推し進めるひとがいても それほどおどろくことではない。  つまりは そこから《魔女狩り》には発展し得ない。と言わねばならない。神の心が知りたいという心つもりだったはずだ。あるいは すでに初めにすべてを神の みこころにゆだねていたはずだ。――にもかかわらず むしろ聖職者たちのほうが先導しかつ扇動して 《魔女》を決めつけこれを狩り根絶やすというマチガイを犯すまでに到った。よほど《偉かった》のでしょうか。  ( d-2 ) 《偉くなかった》と言いたい人びとは この魔女狩りのあやまちを まるで神の罪だと言わんばかりに取り出し取り上げる。  ☆☆(趣旨説明) D-1 それを批判するために 神を表象し得た(あるいは認識し得た)と言わんばかりに 神を論じる。  ☆ に到ります。  ★ ~~~~  おそらく、これは無神論者に多く見られる傾向かと察せられます。特に、“宗教組織”の失敗(魔女狩り等でございます)に対しまして、少なくとも日本人は嫌悪感を抱いてしまうのかもしれません。もちろん、神=宗教組織、ではないのですが・・・  ~~~~~~  ☆ すなわち 無神論であれば 宗教組織の犯したアヤマチあるいは要するに人間がこの世界で侵すアヤマチを含めもろもろのおこないとしての物事を超えたところにその《無神》を想定しているのであるから そうであるのだから そこのところに持たれているその見方において自重しなければならないはずです。  もし《神=宗教組織》と見てしまったなら 自分の《無神=すなわち 人間の思考と想像の産物》とすでに見てしまっていることになります。ヰトゲンシュタインの( b )の命題を忘れてしまっています。  ( a )の命題を変形して 次のように言わねばならないように考えます。  ( a-1 ) ~~~  “信じる”という行為が、  かくして“〔人間が〕考える”という行為の暴走としてのように犯すあやまちを 静かに強くしっかりと思いとどまらせる力を持つというのに   だからこの“〔人間が〕考える”という行為よりも格段に気高くとうとい人間の自由であり 人間の存在を証しする力を湛えているほどだというのに   そうであるにもかかわらず  現代では“愚かなこと”という風潮が、その根底にあって  理性万能主義が蔓延っているのかもしれません。  ~~~~~~~~~~  もし  ★ ~~~~   > A-1 なぜ人間である教祖を 神とするのか?  当初はそうでなくとも、知らず知らずの間に、偶像化・崇拝化してしまうものと考えております。下記に示しておりますアリストテレス等もその一例かもしれません。  ~~~~~~~  ☆ という事態がそこここに見られる世間一般の情況であるとしたならば けっきょく人びとはそれぞれ《信じる》という行為を じつは欲している。のではないか。  ならば 神を見きわめよ。神を見きわめよう。  となるはずなのですが。  ガリレイやニュートンらは それぞれおのれの信仰が 《考える》理性の暴走をゆるさず じゅうぶんふつうにその理性を使いこなそうとした。と言えましょうか?  《信じる》は《考える》に先行する。――さらにみなさんからも この主題を問い求めて行って ご見解をおおしえください。この《神についての勘違いを見きわめること》が どうも哲学のさまざまな あるいは すべての主題についての解明に先立って重要であると考えられて来ます。だとすれば それだけに衆知をあつめる必要があります。お待ちします。

その他の回答 (61)

回答No.62

御無沙汰を致しておりましたが、再度の投稿を御許し下さい。 一般的な解釈が誤っていたり、完全性を備えていなかったりしている故に、現実にそぐわないからこそ、それを受け入れる為に、多くの方々が象徴を信じずにいられないのではないでしょうか?

参考URL:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111023-00000068-san-soci.view-000
bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 一般的な解釈が誤っていたり、  ☆ それで 趣旨説明に 質問者のつくったたたき台としての神とは何かをかかげています。  ★ 完全性を備えていなかったりしている  ☆ 質問者のたたき台も《完全》ではありませんが 間違いはないと考えています。その吟味をお願いし ご自分の見解をお示しくださいという問いです。  ★ 故に、現実にそぐわないからこそ、  ☆ これは 一概に決められません。そもそも《神ないし 絶対 X 》は 《事実 Y 》とは違いますし その事実認識としての《主観真実 Y-Zi 》とも明らかに違います。  それでも 人間にとっての《現実》とは 《真理 X についての主観真実 X-Zi 》と《事実についての主観真実 Y-Zi 》とを合わせたものつまり《わたしの世界観 X-Y-Zi 》だと見ますが けっきょくそのうちの前者すなわち《真理観ないし神論 X-Zi 》は 実際のところ 事実――歴史事実――とどう合っているかは 人間に分からない。こう思われます。  そして いわゆる神義論(テオデセー)という分野もあって 神学 X-Z と歴史学 Y-Z とのあいだのマ(間・間合い)の違いについて 説明しようとしています。  けっきょくのところですが 《現実 X-Y-Zi 》としては 神は信仰 X-Zi として捉えられていますから 現実にそぐわないというのとは ちょっと違うはずです。経験合理性を超えているもの X について どう事実 Y と折り合いをつけるのかは 《そぐう・そぐわない》という捉え方とは違うからです。  ★ それを受け入れる為に、多くの方々が象徴を信じずにいられないのではないでしょうか?  ☆ ひとつに もし《事実にそぐわない神を受け入れられない》とすれば それは経験合理性においてその思考によって 《神を信じる》を捉えることが出来るという間違いをおかしています。  ひとつに 《象徴》は 経験事物ないし人間存在のことを言うのでしょうから それは《信じる》の対象にはなりません。思い込む・信用するといった概念で捉えて表わすべきことでしょう。  概念の間合い(捉え方)が まったく間違っています。

  • jzk04455
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.61

アメリカの凋落やユーロの問題が起きている現在、彼ら欧米国家のキリスト教への疑問、ひいては国家として神を掲げていることに疑問を感じています。 欧米には敬虔なクリスチャンはいるのでしょうが、歴史的に見て大衆はキリスト教の名の元に管理されてきたのではないか。 逆にいえば、誰しも考えるであろう宗教的な課題、生や死、愛、罪(煩悩)についてキリスト教は神という絶対的なものを示して、あたかもそれが人類にしめしているような教義を構築してきたのではないか。つまり、神は社会秩序、とりわけ為政者のために都合のよいように神というものを祭り上げてきたのではないか。 神は宇宙の起源がまだ完全にはわかっていないと同じように、わかっていないという立場で研究し続けるという態度でいくのが正しいと思います。禅的なアプローチをキリスト教が取り入れたら、キリスト教自体が崩壊するだろうと思います。それでも神は存在するかしないかであって人間の思考範囲を超えている存在だと思った方が正解です。

bragelonne
質問者

お礼

 ぢぇいずぃーけいさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ★ 神は宇宙の起源がまだ完全にはわかっていないと同じように、わかっていないという立場で研究し続けるという態度でいくのが正しいと思います。  ★ それでも神は存在するかしないかであって人間の思考範囲を超えている存在だと思った方が正解です。  ☆ この命題が 質問者の立てている仮説です。    質問者は 野生児であり異端児でして たとえばこのような考え方をしております。  1. 信仰は 考えるとは別物である。経験思考にあらずという意味で 非思考だと見る。  2. ただしこの個人個人の信仰において 或る種のヒラメキや観想が得られる。わが心の非思考の庭に われとわが心があそぶとき われはむさぼらない・ぬすまない・ひとの連れ合いを欲しがらない・ひとをもおのれをもころさない。  3. ここから命題を得てさらに 《なんぢ むさぼるなかれ・ころすなかれ・姦淫するなかれ》というように規範的命令にまで人は すすめた。  4. すなわちこれらをわざわざ人に人がおしえるという教義として集団を組む宗教にまでつくり上げた。  5. その宗教組織は 国家権力によって迫害され抵抗していたのですが やがて国教になってからは おおむね  ★ 彼ら欧米国家のキリスト教への疑問、ひいては国家として神を掲げていることに疑問を感じています。  ☆ というような情況が現われて来ました。  6. ★ 欧米には敬虔なクリスチャンはいるのでしょうが、歴史的に見て大衆はキリスト教の名の元に管理されてきたのではないか。    7. ★ 逆にいえば、誰しも考えるであろう宗教的な課題、生や死、愛、罪(煩悩)についてキリスト教は神という絶対的なものを示して、あたかもそれが人類にしめしているような教義を構築してきたのではないか。  8. ★ つまり、神は社会秩序、とりわけ為政者のために都合のよいように神というものを祭り上げてきたのではないか。  ☆ 《神が》そうしたのではないでしょうけれど。《神》の名とその権威のもとに人が そうして来たのでしょうけれど。  9. 権威と権力に対しては 一般に人びとは弱いですからね。  10. ★ 禅的なアプローチをキリスト教が取り入れたら、キリスト教自体が崩壊するだろうと思います。  ☆ 是非 そうなって欲しいものです。個人の信仰は大事ですが たとえば組織宗教としてのローマ教会は 非思考という次元で人びとを人為的にたばねているとしたら その組織は ただちに自己解体して欲しいと思いますし そう言って来ております。  こんなところでしょうか。久しぶりにご回答を寄せていただきました。

noname#143207
noname#143207
回答No.60

 こんばんは、ご返答賜りまして、厚くお礼申し上げます。ひどっち でございます。 > ひとつの到達点に到ったと思います。互いに問い求めて来た結果だと思います。  ご参考の一助となりえましたならば、光栄に存じます。 > ★ 〔蓮如について〕さらなる調査が必要かと、〔そう反省した次第でございました〕。  そうでございますね。もう少し知りたいというのが、率直な感想でございます。 > ★ 日本は元来、大乗仏教を発展させてきた国でもございます。従いまして、この即得往生説をもっと訴えていって欲しいとそう願っております。  はい。むしろなぜ、主張しないのかが不明でございます。 > ☆ 即身成仏の説もそうですね。  あるいは 《世間虚仮》という考え方は 彼岸へのあこがれを言おうとするのみだと考えられます。  【Q:世間虚仮 唯仏是真とは 世迷いごとではないか?】  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6791123.html  愚生の田舎が、真言宗でしたので、あえて記述を避けてきたのですが(変な荒しが入るのを避けたかったからでございます)、即身成仏ももちろん、そうでございます。梵我一如そのものであることが特徴的でございますが。  もし、言うのでしたら、「世間虚仮 唯仏是真」ではなく、「世間是空 唯仏是信」ぐらいでしょうか。 > それにしましても このところ ブディズム関係の質問が多く目につきます。  はい。仰る通りかと存じます。理由は定かではないのですが、一時的なものかもしれません。 > ★ ですが、今回のベテルギウスはその比ではないと考えております(地球からの距離:約600光年、直径:太陽系の木星軌道にほぼ相当)。  ☆ 藤原定家が 22日間明るかったと書いているのですね。その規模がやっとわかりました。ありがとうございます。  いえいえ、こちらこそ、ありがとうございます。 > そうですね。まだ少し もう少し 開いていようと思います。特にあたらしい設問も思い浮かばず この質問をさらに広く問いたいという気持ちはあります。さらなる論点や主題がいま見えているというわけでもないですが。  どうもお疲れさまでございました。 > ひとまづ おつかれさまでした。あたらしい観点などを模索したいとも思います。  また、よろしくお願い申し上げます。  最後まで、お読みいただきまして、厚くお礼申し上げます。

bragelonne
質問者

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  思いつかないと言っていながら ひとつあたらしい質問をしました。すでに問うたものですが なお問うにあたいすると思いました。  ★ もし、言うのでしたら、「世間虚仮 唯仏是真」ではなく、「世間是空 唯仏是信」ぐらいでしょうか。  ☆ 世間を空と見るのが仏陀の境地だと思いますので 信の位置がわかりにくいと揚げ足取りをしようかと思いましたが いい案が思い浮かばないので 受け容れたいと思います。  世間虚仮 唯仏是真と言っただけで言い放ってしまうと ただただあらぬところへと舞い上がって行くかのように思ってしまいます。  ★ ・・・即身成仏ももちろん、そうでございます。梵我一如そのものであることが特徴的でございますが。  ☆ あぁ そうですね。大日如来というのは 厄介かも知れません。それにつまり 密教となると何が出て来るか。と言うと悪口になりますが。  様子を見て 閉めたり あるいはさらにこの質問を開けておいたりすることとします。

noname#143207
noname#143207
回答No.59

 こんばんは、ご返答賜りまして、厚くお礼申し上げます。ひどっち でございます。 > 蓮如については ほんとうに質問者としての不勉強を告白した上で言うべきでした。うたがいを持っていますと。
 でもその線で問い求めてまいりますので その点をお含みおきいただければと思います。
  いえいえ。これは愚生もそう考えておりました。従いまして、これは愚生にも落ち度があったものと思っており、さらなる調査が必要かと、そう反省した次第でございました。 
> ★ ですが、どうなのでしょうか。「ここがすでに彼岸です」となりますと、”彼岸”という言葉は不要にも思えてくるのですが・・・
  ☆ これは その命題じたいとしては おっしゃるとおりです。娑婆即浄土だと宣言せねばならないのは――つまり 彼岸は此岸を離れてあるのではなく 究極においては此岸こそが彼岸であるとわざわざ言わなければならないのは―― まったく明確にひとつの理由からです。一般に来世往生の説がとなえられていて それが通念となっている部分があるから。これです。
  つまり、従来から”来世往生”説が根強く残っており、この此岸におきましても、彼岸たりえる、さらに申しますと、ブッダなりえる、ということでございますね。納得致しました。  日本は元来、大乗仏教を発展させてきた国でもございます。従いまして、この即得往生説をもっと訴えていって欲しいとそう願っております。 > つまり言いかえるなら この来世往生の説から見ると 即得往生(即身成仏)によって現世(此岸)が浄土(彼岸)であるという説は むしろ《超越傾向》を帯びているのではないかと見えるのだと思います。自分たちが来世において捉えようとしている彼岸を現世ないし此岸において見ているなどということは 過激すぎて超越的にすっ飛んでいると思うのだと思われます。
   仰られますことは、愚生にも十分理解できます。 > その傾向ないし通念について それは違うのだ(つまり すっ飛んでいるという見方は まちがいだ)と明らかにするために わざわざ 信仰を得た者にはその彼岸は 此岸にある(色即是空だけではなくそこから 空即是色に相変移する)のだと説明することになるのだと思います。 

 仰られますような解釈は確かに成立可能と思われます。まず、”空観”思想は、そもそも歴史的経緯から致しますと、(来世往生のみを認める)説一切有部に対しまして、その反論としてナーガルジュナにより、発展させられてきたこと。また、般若心経に見られますこの転換、色は空(実質的、本質的なものがなく、縁起に依るもの)であるが、それのみならず、空もまた色(目に現象として表象されうるもの)であるとの驚愕すべきこの発展は、ご質問者様のご見解を主張したかったのかもしれません(愚見ではございますが)。

> ☆ なるほど。つまり この場合の人間原理は 非思考の信仰と経験思考とのあいだに位置づけられようとしているかに見えます。それゆえ超越傾向を 此岸なる生活世界においても用いるとおっしゃるのかも知れないですね。
  まさしく、仰る通りでございます。ご理解賜り、厚くお礼申し上げます。 >  ☆ やはり アマテラス支配層およびそれの追随者層から見れば 非思考というものは 《超越的なことを考えているその行為》だと見えるのだと考えます。《超越的なこと》を《考えている》と見なすのだと思います。まさしく矛盾した捉え方です。
 わたしの物言いは このことのみを取り上げ批判しています。誤解していると言いますか 非思考のことが理解できないと言いますか そのことを批判しています。
  そうでございましたか。納得致しました。 
> 人間原理としての超越傾向は いまこの例のような信仰の錯視から出て来る《超越的》という言葉の取り扱いとは別だと見ます。人間原理のほうでは 考え尽くせないナゾをそのままナゾとして捉えつづけているわけですから。
   これはどうも失礼致しました。ついつい、言葉尻を選んでしまっておりました。深くお詫び申し上げます。 

> えっ?
  ★ オリオン座自体もなくなってしまうのですね
  ☆ ということは どういうことなのでしょう? 何か大きな影響はありましょうか?  北斗七星に次いで馴染みがありますのは、おそらくオリオン座かと思われます。その中で最も光り輝いていますベテルギウスが無くなってしまいますので、必然的にオリオン座も成立しなくなり(下記サイトをご参照くださいませ)、冬の夜空もさびしくなってしまうのかな? と思ったわけでございます。別段、深い意味は全くございません。  蛇足ではございますが、今から約千年前に日本人が超新星爆発を記録した日記が残っております(下記サイトをご参照くださいませ)。  ですが、今回のベテルギウスはその比ではないと考えております(地球からの距離:約600光年、直径:太陽系の木星軌道にほぼ相当)。 ・オリオン座 http://yumis.net/space/star/ori.htm  ・藤原定家の明月記 M1かに星雲の超新星爆発の古記録 http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/ktjpm1.htm   最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ひとつの到達点に到ったと思います。互いに問い求めて来た結果だと思います。  さらに展開がのぞまれるところは ふたつほどでしょうか。  ★ 〔蓮如について〕さらなる調査が必要かと、〔そう反省した次第でございました〕。  ★ 日本は元来、大乗仏教を発展させてきた国でもございます。従いまして、この即得往生説をもっと訴えていって欲しいとそう願っております。  ☆ 即身成仏の説もそうですね。  あるいは 《世間虚仮》という考え方は 彼岸へのあこがれを言おうとするのみだと考えられます。  【Q:世間虚仮 唯仏是真とは 世迷いごとではないか?】  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6791123.html  それにしましても このところ ブディズム関係の質問が多く目につきます。  ★ ですが、今回のベテルギウスはその比ではないと考えております(地球からの距離:約600光年、直径:太陽系の木星軌道にほぼ相当)。  ☆ 藤原定家が 22日間明るかったと書いているのですね。その規模がやっとわかりました。ありがとうございます。  そうですね。まだ少し もう少し 開いていようと思います。特にあたらしい設問も思い浮かばず この質問をさらに広く問いたいという気持ちはあります。さらなる論点や主題がいま見えているというわけでもないですが。  ひとまづ おつかれさまでした。あたらしい観点などを模索したいとも思います。

noname#143207
noname#143207
回答No.58

 こんばんは、ご返答賜りまして、厚くお礼申し上げます。ひどっち でございます。 > ☆ 詳しいデータをありがとうございます。  ご参考としていただきまして、光栄に存じます。  なお前回、出典を記載するのを忘れておりましたので、以下に列記させていただいております。誠に失礼致しました。   ・恐慌時の労働組合 「この法律(ワグナー法)には、実質賃金を引き上げて消費を活性化する狙いがあった。しかし結果は、失業率が高止まりしたままで購買力は低い水準にとどまり、失敗に終わった。」 Wikipedia 全国労働関係法 ・ドルの流通量 世界で流通するドル資金はリーマンショック前の2倍 みずほ総合研究所(オリジナル) http://ameblo.jp/kireirich/entry-10699966956.html  ----------------------------------------------------------------- 
 > ○ 「住正定聚」・「即得往生 住不退転」 
 ☆ を掲げるのでしたら 親鸞と同じですね。現世往生などという悠長なものでさえなく 《即得往生》すなわち《即身成仏》と同じになります。
 すでに彼岸に到ったというところから出発するのだと見ます。そうすると 彼岸にいるのではなく 此岸に戻って来ています。あるいは ここがすでに彼岸です。色即是空から空即是色に転換しており 娑婆即浄土です。
 つまりは 超越傾向は むろんありますが すでに動態としての信仰においてその非思考の庭におさまっています。あとはすべてと言ってよいほど この現実に向かい合うはずです。その意味で《内在傾向》のみです。
  上座部との決定的違いの一つが、この現世において”ブッダ”になりうる可能性の有無であったかと記憶しております(このことが要因で、各派に分裂を来したかと思われます)。もちろん(既存の浄土教をさらに押し進めていますが)親鸞も、そしてその継承者でもある蓮如も当然大乗に属します。蓮如は単なるカリスマ的独裁者と思っていましたが(思われているかもしれませんが)、当然と言えば当然なのかもしれませんが、実際は少々異なるように見受けられます。もし、仮にわがままな一独裁者ですと、信長に処刑されていたかと推察されます。  ですが、どうなのでしょうか。「ここがすでに彼岸です」となりますと、”彼岸”という言葉は不要にも思えてくるのですが・・・ > 従いまして 次の図式においても それが実際の情況であったとしても 理論上は――つまり言いかえると 経験思考に先行する非思考なる信仰はすでに生活日常においては 経験思考に席をゆづり後ろにしりぞいているという理論形態に立てば―― いささか違った絵図になると見ます。
  ★ ~~~~
 つまり、対立事項は、以下のようになろうかと考えました。
  ・浄土宗、浄土真宗、日蓮宗など:民衆の生活に密着
  ・臨済宗等の禅宗:幕府と結んで富強を誇り、この時代の文化を主導
  そして、
  ・前者:民衆を組織化した(宗教的)超越傾向が見られる
  ・後者:幕府、戦国大名に支持された(宗教的)内在的傾向が見られる 
 ~~~~~~~
 ☆ すなわち違った絵図が描かれるであろうといった疑問点は 次のようです。
  1.禅宗とて ブディズムならば無神論であっても 非思考の信仰を身に帯びると思われます。その上で――つまり信仰を隠れた基軸とした上で―― 内在傾向を持つというに過ぎない。
  もちろん、禅宗も仏性の存在も肯定しておりますし、またご本尊は、確か釈迦如来だったかと記憶しております。ただ、他の宗派よりも”内在傾向”が強く感ぜられます。 
> 2.ほかの宗派も信仰としてみれば その超越傾向はあくまで 内面主観におさめられた信仰の問題であって そのほかの側面はすべて現実的な内在傾向であるはずだ。実際にどうかを別として そう考えられます。
  ”超越”かどうかを決めるのも、内面主観に存在しますため、「現実的な内在傾向である」ことは事実かと考えられます。 
> 3.とすれば 共同自治といった社会の側面において 《衝突》が起こるとすれば それはあくまで 共生における利害関係などなどから来ていると見るべきではないか。信仰や宗教を問題にするのは ほとんどはその利害関係の調整を図るときに区別すると分かりやすいといった便宜上の手段でしかないと思われます。
  仰られますように、史実はそうかと考えております。例えば、これは西欧の話となりますが、ユグノー戦争(スペイン王フェリペ2世とイングランド女王エリザベス1世の代理戦争)、30年戦争(ハプスブルク家とそれを阻止しようとする勢力との代理戦争)もそれらの一例かと考えられます。 
> 6.しかもその基礎には むしろ単純に支配層と被支配層とのアマテラス‐スサノヲなる逆立連関関係が横たわっており そのような生活利害をめぐる対立がある。
  もちろん、存在するかと考えられます。逆に利益・利害がなければ、集団(組織)としては、むしろ動かないと考えております。 
> 7.もしこの線で捉えてよいとすれば けっきょくは社会の各分野・各層それぞれの《内在傾向》どうしの対立なのであって アマテラス圏支配層からは スサノヲ圏被支配層の内在傾向のことを その信仰ないし宗教にかこつけて《超越傾向》として決めつけている。だけである。と考えられまいか?

  その一面はあろうかと思われます。ただ、これは単なる愚生の感覚に過ぎませんが、” 超越”という言葉にはあまり否定的な意味合いは感じ取れないのです。  もし、これを全否定してしまいますと、物理学の領域において存在すると思われている(信じられている)物理法則(万有引力の法則、ニュートンの運動の法則、エネルギー保存則等でございます)すらも存立が危ぶまれてくるからでございます。もし仮に、明日、 万有引力の法則や慣性の法則が破綻してしまい、人類が宇宙空間に放り出されることが絶対にないとは、誰もがそれを保証・証明できないからでございます。従いまして、物理法則がなぜ成立し続けてきたのか、さらには今後も成立し続けるのかは全くのナゾであり、人智を超えていると考えられます。これを説明するのは、”人間原理(仮説ではございますが)”を持ってくるか、他の理論を引っ張ってくるしか他に方法はないと考えております。 参考:松原隆彦「人間原理について」 http://www.a.phys.nagoya-u.ac.jp/~taka/think/ningen.html  
> 8.スサノヲ圏が超越傾向を帯びるというのは みづからの生活を守るためには過激にたたかうこともあり得るというだけであって――特に戦国時代あるいは戦争状態にあっては 生きるか死ぬかの情況に追いやられているゆえに 過激さが現われるのであって―― それは その側面だけを取り上げるのは アマテラス圏からのレッテル貼りである作為がありはしまいか? アマテラス圏が 過激さで負けているとは思えないゆえ。
  もちろん、ラベリングはあったかと考えております。そして、このラベリング(レッテル貼)を狡猾にこなしてこれたため、その地位を保持できたのかもしれません。 
> 10.この思想――ないしアマテラス予備軍症候群とも言うべき生活態度――から見れば 被支配層のスサノヲ市民よ きみたちは 被支配者の分際で何を過激に戦うというのかといった疑問と蔑みをみづからの心に覚える。というただそれだけのことではないか?
   このような思いが、あの時代にもあったことは事実かと思っております。ただ、スサノヲ市民を甘く見積もっていたため、自害に追い込まれるお殿様がいたのかもしれません。 
> 11.そのような見方から 信仰ないし宗教にかこつけて《超越傾向と内在傾向との衝突》といった捉え方が出て来るのではあるまいか?

 かような傾向は今日でも見られると思われます。  あくまでこれは愚生の印象なのですが、超越傾向と内在傾向の峻別、さらには日常用語とアマテラス学術用語との差異には、”優劣”といったものがそもそも存在しない、と考えておりますので、あまり気にしていないというのが実情でございます(あくまで愚見でございます)。 

> たわごとに長くおつき合いいただき 申し訳ありません。ご批判をたまわればさいわいです。  いえいえ。こちらこそ、愚生の屁理屈にお付き合い賜りまして、申し訳ない限りでございます。  これは、余談になりますが、ベテルギウス(オリオン座の左上にある一等星)の超新星爆発が起こりますと、オリオン座自体もなくなってしまうのですね。  最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  蓮如については ほんとうに質問者としての不勉強を告白した上で言うべきでした。うたがいを持っていますと。  でもその線で問い求めてまいりますので その点をお含みおきいただければと思います。  蓮如については  ★ もし、仮にわがままな一独裁者ですと、信長に処刑されていたかと推察されます。  ☆ といった一筋縄で捉えきれないほどの政治人間であり 社会力学上の行動を得意とするものと思って来ました。  ★ ですが、どうなのでしょうか。「ここがすでに彼岸です」となりますと、”彼岸”という言葉は不要にも思えてくるのですが・・・  ☆ これは その命題じたいとしては おっしゃるとおりです。娑婆即浄土だと宣言せねばならないのは――つまり 彼岸は此岸を離れてあるのではなく 究極においては此岸こそが彼岸であるとわざわざ言わなければならないのは―― まったく明確にひとつの理由からです。一般に来世往生の説がとなえられていて それが通念となっている部分があるから。これです。  つまり言いかえるなら この来世往生の説から見ると 即得往生(即身成仏)によって現世(此岸)が浄土(彼岸)であるという説は むしろ《超越傾向》を帯びているのではないかと見えるのだと思います。自分たちが来世において捉えようとしている彼岸を現世ないし此岸において見ているなどということは 過激すぎて超越的にすっ飛んでいると思うのだと思われます。  その傾向ないし通念について それは違うのだ(つまり すっ飛んでいるという見方は まちがいだ)と明らかにするために わざわざ 信仰を得た者にはその彼岸は 此岸にある(色即是空だけではなくそこから 空即是色に相変移する)のだと説明することになるのだと思います。  ▼ ~~~  証明できない命題には正しい、間違っているということはない。ただそこに証明できない命題が「ある」だけである。そう思ってみれば、人間原理は科学を進める上での指針のようなものと受け止めるのが自然であろう。  ~~~~~  ☆ なるほど。つまり この場合の人間原理は 非思考の信仰と経験思考とのあいだに位置づけられようとしているかに見えます。それゆえ超越傾向を 此岸なる生活世界においても用いるとおっしゃるのかも知れないですね。  ★ ~~~~  ただ、これは単なる愚生の感覚に過ぎませんが、” 超越”という言葉にはあまり否定的な意味合いは感じ取れないのです。  もし、これを全否定してしまいますと、物理学の領域において存在すると思われている(信じられている)物理法則(万有引力の法則、ニュートンの運動の法則、エネルギー保存則等でございます)すらも存立が危ぶまれてくるからでございます。  ~~~~~~  ☆ やはり アマテラス支配層およびそれの追随者層から見れば 非思考というものは 《超越的なことを考えているその行為》だと見えるのだと考えます。《超越的なこと》を《考えている》と見なすのだと思います。まさしく矛盾した捉え方です。  わたしの物言いは このことのみを取り上げ批判しています。誤解していると言いますか 非思考のことが理解できないと言いますか そのことを批判しています。  人間原理としての超越傾向は いまこの例のような信仰の錯視から出て来る《超越的》という言葉の取り扱いとは別だと見ます。人間原理のほうでは 考え尽くせないナゾをそのままナゾとして捉えつづけているわけですから。    えっ?  ★ オリオン座自体もなくなってしまうのですね  ☆ ということは どういうことなのでしょう? 何か大きな影響はありましょうか?

回答No.57

続きの投稿が酷く遅くなりまして申し訳が御座いませんでしたが、 此処で再開をさせて頂きます。 誤った具体的な対象を想定しませんと、煩悩の充足による救済が実感されにくいからこそ、其の誤りへの自覚を隠蔽する為に、『信じて仰ぐ(無駄な)崇拝』の価値が共有されていたのではないでしょうか? 実際に、民族の独立の為には『言語・宗教・経済』の個性化が必要になっているそうでして、それの獲得を訴えて、過去にバルト3国が独立を果たしています。 因みに、ベテルギウスの超新星爆発による悪影響から人類を救済するべく、一部の世界的な宗教団体が自分達の御本尊へ執拗に祈りを捧げ続けている様でして、今後にはそういう面目で布教活動を活発化させるのでしょう。 http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%99%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%B9+%E8%B6%85%E6%96%B0%E6%98%9F%E7%88%86%E7%99%BA&aq=2&oq=%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%82%8B&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt

bragelonne
質問者

お礼

 ばっふぁろうさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ★ ベテルギウスの超新星爆発  ☆ これは 自然科学の知見にまかせたいと思います。必要あらば 政治的な対策も採られることでしょう。  ★ 誤った具体的な対象を想定しませんと、煩悩の充足による救済が実感されにくい  ☆ まづ  ★ 煩悩の充足による救済  ☆ とは何か?  煩悩のおもむくところが満たされるということは いわゆる救いにはならない。ということでしょうか?  しばしば人びとは ただ煩悩が満たされるとき そこに救いがあると思ってしまう。こういうことでしょうか?  ――でしたら それも煩悩だと見なされるということでしょうね。    ですから  ○ 煩悩について自覚していようがいまいが それが満たされようが満たされまいが その満たされたときにしろ満たされないときにしろ それぞれの場合に救いがあると どれだけ間違って思ってしまおうと 煩悩が煩悩としてはたらくかぎり 救いはもたらされていない。  ☆ と見るのでしょうね 一般に。  というのも 煩悩とは 無明とも言われるようですが いちばん根本としては 生存欲だと見られています。生きようとするなら 生きようとするとき すでにそこに涅槃はない。これは とうぜんですね。煩悩が断ち切れた状態を涅槃と言うのですから。  あるいはつまり無明であるということは ブッダの明知がない。  つまり すくわれていない。  よって   ★ 誤った具体的な対象を想定しませんと  ☆ という条件は どれだけこの場合 有効で有益であるのか けっきょくのところ分からない。というように思われます。そのような対象が想定されていなくても あるいは仮りにその想定された対象が誤っていなくとも 煩悩がはたらくなら すくいはありません。すくいの無いところには ただしい救いの自覚もあやまった救いの自覚も それらがそれぞれあってもなくても けっきょく同じことだと思われます。すくわれていないという実態があるのみだからです。  そのようにあやまった救いの実感がなければ すくわれていないでしょうし 実感があっても まづそのときに救われていないというのは 実態です。  けれども 実感があって ただしい救いに対しても実感ないし自覚があるとすれば どうか?  同じことだと考えます。  はからいによって 煩悩が克服されるとは考えられませんから。  克服されたという場合は 一時的また部分的な状態として起こるだけだと考えます。  なぜなら 生きようとしているし 生きているからです。涅槃の状態ではないからです。  こうなると その場合には ひとつの突破口として主観における救いつまり涅槃の成就といった主題が持たれると思います。  そしてその場合には  ★ 『信じて仰ぐ崇拝』  ☆ については すべて つまりは主観にゆだねられるということになります。言いかえると その  ○ 『信じて仰ぐ崇拝』の価値如何やそれが 無駄か有駄かなどなど  ☆ については 一般的に決めることがむつかしい。となります。  他者は おのれの真実として ほかの人の《信じ方》について批判をしてもよろしいし おのれの信じ方をほかの人に説いても自由です。すべて自己表現は自由ですが 他者の主観ないし心に 手を突っ込んでどうにかしようとしても無駄であり 自由違反だとなります。  ★ 其の誤りへの自覚を隠蔽する  ☆ 誤りがどうであるか 誤りを自覚しているかどうか その自覚を隠ぺいするかどうか こういったことは すべて まづ第一に煩悩のしからしむるわざであるということであり 第二には 主観的な内面世界でいちおう完結したかたちを取るということだと考えます。  もっとも単純に言えば   ○ 信仰は 非思考の世界であり それゆえにもひとりの人間の主観世界にゆだねられておりそれが完結している。ゆえに 誰も――自分の信仰に対するかたちにおいて自分も――この信仰を どうにかして左右するということはあり得ない。  ☆ となるはずです。  ★ 実際に、民族の独立の為には『言語・宗教・経済』の個性化が必要になっているそうでして、それの獲得を訴えて、過去にバルト3国が独立を果たしています。  ☆ 《民族の独立》という主題については・つまりあるいは――個人という次元ではなく 集団としての――《民族》という次元をめぐっては もう非思考の信仰は その背後にしりぞきます。ひとりの人間を介して 信仰と民族の自由実現というふたつの主題はつながっていますが 直接に論じたり行動したりすることはないと見ます。  個人の信仰から得られた或る種の思惟形式および広く行為形式――つまり倫理規範のようなもの――をさらに《おしえ》として 集団的にあたかも実践するというかたちを取る組織宗教 これは 信仰とは別物ですから  ★ 『言語・宗教・経済』  ☆ も信仰とは次元がちがう。こうなります。  宗教は 信仰が他者の主観内面に対して手を突っ込むことは出来ないことだというのに それにもかかわらず 集団においてその権威や権限の階層組織をつうじて 平気でおこなう。ゆえに 宗教は 信仰の自殺行為によって現われた人間とその社会にとっての負の現象であると考えます。要りません。  宗教は 信仰の鬼っ子であると。  個人の次元を離れたところの組織としての規範や行為関係は すでにすべてが主観内面をないがしろにしてよいというかたちでの生きようとする動きですから――あたかも社会の秩序がもたらされなければならないといった命令をいだくかのように 組織としても秩序立って行動しなければならないと勝手に規則をつくってしまった上で 他者に対して信仰内面にまで 外的な〔のみですが〕押しつけや強制を加えますから――  それは もろに煩悩行為だと見られます。組織があるかぎり 煩悩行為あるいは自由に対する違反行為はなくならない。こう考えます。

noname#143207
noname#143207
回答No.56

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。 
 
> ☆ ええ。つまり そのように成功する場合が もちろんあります。そのことを忘れて述べていました。
  つまりは そうではなく現在において潜在需要は(これは 有効需要はと言ったほうがよいのでしょうか)先進国においては その高い段階にまで来てその高止まりの状態で推移しており いま さらに超長期国債を発行しても よい効果を得られないのではないか。こういう思わくのもとに 成功例・つまり経済成長の余地が大いにある場合のことを忘れて述べていました。
   了解致しました。 
> アメリカがあらたに需要喚起の政策を打ち出しましたが もしそれによって金融が緩和されマネーがあふれるようでしたら 新興国の不動産か株式か債券かに投資されることになったり あるいは金や商品への投資にまわされるという結果を得るだけなのではないか。こういうおそれを持っていました。います。
  はい。仰られますように、多くのマネーが、特にコモディティー投資・投機のために回されております。後述しておりますが、これが新興国にダメージを与えております。  実際、世界で流通するドル資金は、以外にもリーマンショック前の約2倍だとされています。 > リーマンショックあるいはサブプライムローンによるバブルがはじける前には 膨大な上げ底(バブル)を成すような資金が世界中にあふれていたということではないでしょうか?
  世界を動くマネーは、120兆円以上だったとされています。ただ、レバレッジをかけた投機をしていたために、おそらく”京円”レベルのマネーがまわっていたとされています。”溢れていた”ことは事実と考えてよろしいかと存じます。 ソース:http://janjan.voicejapan.org/world/0802/0802281652/1.php  > だとしたら その当時の経済水準に景気が回復するということは ふたたびバブル状態になるということを意味しないでしょうか? 製造業の見込み生産の水準が そもそも高すぎたのではなかったでしょうか?
  製造業の生産水準におきましては、どの指標でもって判断していいのかは難しいのですが、とりあえず、米ISM製造業指数(PMI)を例に考えてまいりたいと思います。  以下のサイトにデータを示しております。4ページ以降に、1990年からの年度別の数値が載せられておりますが、著しい生産水準にあったとは、少なくともこの指数からは、見て取れないというのが率直な感想でございます。 出典:http://www.mizuho-msrc.com/dynmc/gcnt.php/DL0000006622/01/02/110902_us_ISM.pdf   ただ、アメリカ自体は、人口増加社会(特にヒスパニック系です)ですので、愚生は、あまり懸念はしてございません。 
> ということは BRICs などの新興国における潜在成長率が基礎に成ってその高い水準の見込み生産高を吸収してくれれば 景気回復の余地があるとも考えられます。
 つまりはその場合 新興国における輸出による有効需要は 先進国向けとしては 差し引いたそのあとの需要であり成長のぶんに限られるというものですが。つまり新興国の内需〔のみ〕が 世界にとっての経済成長ないし景気回復のための発電所になるということではないでしょうか?
  その可能性は高いと考えております。ですが、新興国におけますインフレ状況は凄まじい状況となっております。  以下に、愚生の回答をご紹介させていただきます。実を申しますと、ANo.2の回答者様の方が詳しく述べられております。換言致しますと、アメリカの金融緩和が新興国に大きなダメージを与えている(足を引っ張っている)というのが実情でございます。 http://okwave.jp/qa/q6959890.html  
> あぁ これも例の浜矩子が言っていたことですが ひとつの採り得る対策としては 分配の問題だと言います。  
 日本を例にとって 我が国は世界一の債権国であり 金持ちである。そのゆたかな国が 財政が立ちゆかなくなったままであるというのは どこかおかしい。ほかの国とくらべるなら 格差もそれほどではなく平均所得も極端に低いわけではない。けれども 所得分配をさらに再配分して低所得層が いま少し多くうるおうなら その場合には有効需要が増え そこからの租税収入も得られるようになろう。と。
  このご意見にも、一理あろうかと思われます。日本におけるデフレからの脱却には、この方法が最も功を奏すると考えております。  前の金融大恐慌の際には、アメリカの労働組合の力が根強く、正社員とその他の人達との(賃金)格差が非常に大きかったがために(組合員の既得権益が大きかったために)、労働問題に大きな影を落としたとされております(戦争が始まるまでは、失業率は10%を下回ったことは一度もなかった記憶しております)。日本では、いっそのこと、正規・非正規の区別をなくした方がいいのではとも考えております。 
> おそらく全般的にみれば 世界における賃金の格差が大きくあるかぎり 高いところは低いところとの競争に耐えられるように所得(賃金)を決めねばならない。とすれば それほど所得再配分の余地も大きくはない。限られてくるであろうけれども。
  もちろん、限界はございます。ですが、もう少し格差の是正はしてもよいのでは?というのが愚見でございます。 
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 > ☆ 現世往生と言いますか――空海の言葉では 即身成仏になりますが―― 決して来世に向けて心の伸びを持っているのではない。このことを確認していただければと思うのですが。その上で 実際上は 個々の民衆の状態はおっしゃるような来世往生といった通念のもとにあり 一般的な情況も 現代・現在においてもそうであるという見方をしたいと思うのですが? 
 ▼ (ヰキぺ:現生正定聚) ~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E7%94%9F%E6%AD%A3%E5%AE%9A%E8%81%9A
  まず、参考資料をご提供いただきまして、厚くお礼申し上げます。 「信心を賜わったのちの「南無阿弥陀仏」と口で称える念仏、つまり称名念仏は、すでに浄土へ行くことが定まっていることへの報恩謝徳の念仏であるとする。念仏の功徳により浄土へ往生しようとする方法・手段(行)ではない。」
  さらに、 「蓮如は、『御文』一帖目第四通「自問自答」において、曇鸞の『浄土論註』「住正定聚」・「即得往生住不退転」や、覚如『改邪鈔』などの「平生業成」の語を引用し、親鸞の教えを述べている。」  ということになりますと、一揆にて戦った人達も、決して「来世往生」のみではない、と考えられます。もしかしますと、(繰り返しとなりますが)あの特殊な状況下におきましては、地域の村々の人達自信も、自分たちの都合のよい方向に敵味方を選び、強かに生きていたのかもしれません。
  
> ◆(親鸞:有念無念の事) ~~~~
  まずは、訳文をもご提供いただきまして、厚くお礼申し上げます。 
> いやいや 一向宗ゆえに超越傾向を帯びその一揆を戦ったのだと見るとしますと それは確かにそういう側面が大いにあると思います。思いますが もしそのことを事実としてみとめるなら こういうことにもなります。
 すなわち ほかの仏教宗派の民衆は おおよそみな―― 一向衆とは違って――けっきょく言ってみれば来世往生という思想に立っていた。つまりは 来世が超越傾向であり現世が現実主義としての内在傾向であるという二重の心的構造に成っていた。ゆえに 二つの傾向の衝突はあまり起こらなかった。つまり ただそれだけのいわゆる信心であった。
  もしかしますと、愚生の読解力不足だったかもしれません。もう一度、引用させていただきます。  つまり、対立事項は、以下のようになろうかと考えました。 ・浄土宗、浄土真宗、日蓮宗など:民衆の生活に密着 ・臨済宗等の禅宗:幕府と結んで富強を誇り、この時代の文化を主導  そして、 ・前者:民衆を組織化した(宗教的)超越傾向が見られる ・後者:幕府、戦国大名に支持された(宗教的)内在的傾向が見られる  従いまして、「各宗派(内)の民衆は二重の心的構造に成っていた」とは、考えておりませんでした。  もし、愚生に錯誤がみられましたなら、深くお詫び申し上げます。 「宗教的な視点から見るならば、超越傾向と内在傾向との衝突であったということができる。  室町時代に入ると、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などが民衆の生活のなかに根を下ろして躍進を遂げ、他方、臨済宗をはじめとする禅宗勢力は幕府と結んで富強を誇り、この時代の文化を主導した。すなわち、農民層を中心に広範に民衆を組織化した超越傾向と、幕府ならびに戦国大名に支持された内在的傾向との対立はすでに潜在していたわけで、それが石山戦争において象徴的に顕在化したということができる。」 http://www.worldtimes.co.jp/special/mida/md000528.htm  
  最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~  製造業の生産水準におきましては、・・・とりあえず、米 ISM 製造業指数(PMI)を例に考えてまいりたいと思います。  ・・・1990年からの年度別の数値が載せられておりますが、著しい生産水準にあったとは、少なくともこの指数からは、見て取れないというのが率直な感想でございます。  ~~~~~~  ☆ 詳しいデータをありがとうございます。  そしてきわめて無造作にわたくしの感触としましては この程度の水準にあること自体が すでに先進国では――人口の変化を考えないとすれば―― 飽和状態にあるのではないか。長期停滞――高止まりなのでしょうが――の状態にあるのではないか。という見方です。  宇宙旅行で消費を高めるくらいではないか 停滞を超えるには。といった単純な見方です。  あるいは 次の政策にも触れていただきました。  ★ ~~~~~  前の金融大恐慌の際には、アメリカの労働組合の力が根強く、正社員とその他の人達との(賃金)格差が非常に大きかったがために(組合員の既得権益が大きかったために)、労働問題に大きな影を落としたとされております(戦争が始まるまでは、失業率は10%を下回ったことは一度もなかった記憶しております)。  日本では、いっそのこと、正規・非正規の区別をなくした方がいいのではとも考えております。  ★ ~~~~  ただ、アメリカ自体は、人口増加社会(特にヒスパニック系です)ですので、愚生は、あまり懸念はしてございません。  ~~~~~~      *  ★ ~~~~~  「蓮如は、『御文』一帖目第四通「自問自答」において、曇鸞の『浄土論註』「住正定聚」・「即得往生住不退転」や、覚如『改邪鈔』などの「平生業成」の語を引用し、親鸞の教えを述べている。」  ということになりますと、一揆にて戦った人達も、決して「来世往生」のみではない、と考えられます。  ~~~~~~~~  ☆ そうでしたか。どうも蓮如については わたしは疑い深くなっています。  たしか カラスは白いと言えば 白いとなるのだといった社会力学〔だけ〕の問題を論じていたかと思います。  ○ 「住正定聚」・「即得往生 住不退転」  ☆ を掲げるのでしたら 親鸞と同じですね。現世往生などという悠長なものでさえなく 《即得往生》すなわち《即身成仏》と同じになります。  すでに彼岸に到ったというところから出発するのだと見ます。そうすると 彼岸にいるのではなく 此岸に戻って来ています。あるいは ここがすでに彼岸です。色即是空から空即是色に転換しており 娑婆即浄土です。  つまりは 超越傾向は むろんありますが すでに動態としての信仰においてその非思考の庭におさまっています。あとはすべてと言ってよいほど この現実に向かい合うはずです。その意味で《内在傾向》のみです。  従いまして 次の図式においても それが実際の情況であったとしても 理論上は――つまり言いかえると 経験思考に先行する非思考なる信仰はすでに生活日常においては 経験思考に席をゆづり後ろにしりぞいているという理論形態に立てば―― いささか違った絵図になると見ます。  ★ ~~~~  つまり、対立事項は、以下のようになろうかと考えました。  ・浄土宗、浄土真宗、日蓮宗など:民衆の生活に密着  ・臨済宗等の禅宗:幕府と結んで富強を誇り、この時代の文化を主導  そして、  ・前者:民衆を組織化した(宗教的)超越傾向が見られる  ・後者:幕府、戦国大名に支持された(宗教的)内在的傾向が見られる  ~~~~~~~  ☆ すなわち違った絵図が描かれるであろうといった疑問点は 次のようです。  1. 禅宗とて ブディズムならば無神論であっても 非思考の信仰を身に帯びると思われます。その上で――つまり信仰を隠れた基軸とした上で―― 内在傾向を持つというに過ぎない。  2. ほかの宗派も信仰としてみれば その超越傾向はあくまで 内面主観におさめられた信仰の問題であって そのほかの側面はすべて現実的な内在傾向であるはずだ。実際にどうかを別として そう考えられます。  3. とすれば 共同自治といった社会の側面において 《衝突》が起こるとすれば それはあくまで 共生における利害関係などなどから来ていると見るべきではないか。信仰や宗教を問題にするのは ほとんどはその利害関係の調整を図るときに区別すると分かりやすいといった便宜上の手段でしかないと思われます。  4. 信仰そのものの弾圧――信仰者への迫害――もありましょうが 問題は宗教つまり宗教組織との対立そしてさらにそれらへの弾圧といった性格および中身が 実際のことではないでしょうか?  5. もしそうだとしたら それは 宗教がすでに政治団体となっているというところから出発していると言わねばならないのではないか?   6. しかもその基礎には むしろ単純に支配層と被支配層とのアマテラス‐スサノヲなる逆立連関関係が横たわっており そのような生活利害をめぐる対立がある。  7. もしこの線で捉えてよいとすれば けっきょくは社会の各分野・各層それぞれの《内在傾向》どうしの対立なのであって アマテラス圏支配層からは スサノヲ圏被支配層の内在傾向のことを その信仰ないし宗教にかこつけて《超越傾向》として決めつけている。だけである。と考えられまいか?  8. スサノヲ圏が超越傾向を帯びるというのは みづからの生活を守るためには過激にたたかうこともあり得るというだけであって――特に戦国時代あるいは戦争状態にあっては 生きるか死ぬかの情況に追いやられているゆえに 過激さが現われるのであって―― それは その側面だけを取り上げるのは アマテラス圏からのレッテル貼りである作為がありはしまいか? アマテラス圏が 過激さで負けているとは思えないゆえ。  9. いわゆる来世往生の説に立つ場合には 来世が超越傾向であって現世が内在傾向であるという心的な二重構造を 《秩序立てて》持っているのではないか?  その結果は 往々にして既存のアマテラス‐スサノヲ逆立連関構造にそのまま従うものと思われる。きわめて おとなしい生活態度だ。  10. この思想――ないしアマテラス予備軍症候群とも言うべき生活態度――から見れば 被支配層のスサノヲ市民よ きみたちは 被支配者の分際で何を過激に戦うというのかといった疑問と蔑みをみづからの心に覚える。というただそれだけのことではないか?    11. そのような見方から 信仰ないし宗教にかこつけて《超越傾向と内在傾向との衝突》といった捉え方が出て来るのではあるまいか?    たわごとに長くおつき合いいただき 申し訳ありません。ご批判をたまわればさいわいです。

noname#143207
noname#143207
回答No.55

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。 
> ☆ けっきょく国債はそれを減らす意志を持って減らして行かないかぎり 超長期債券であるのではないでしょうか? 国を移るのでないかぎり。
  はい。残念ながら、結論としましてはそうなると考えられます。  ですが、責任者であった調所広郷は、意外な活躍を見せます。以下引用でございます。 「薩摩藩の財政は500万両にも及ぶ膨大な借金を抱えて破綻寸前となっており、これに対して広郷は行政改革、農政改革を始め、商人を脅迫して借金を無利子で250年の分割払い(つまり2085年までに及ぶ分割払い。だが、実際には明治5年(1872年)の廃藩置県後に明治政府によって債務の無効が宣言されてしまった)にし、さらに琉球を通じて清と密貿易を行なった。一部商人資本に対しては交換条件としてこの密貿易品を優先的に扱わせ、踏み倒すどころかむしろ利益を上げさせている。そして大島・徳之島などから取れる砂糖を専売制を行って大坂の砂糖問屋の関与の排除を行ったり、商品作物の開発などを行うなど財政改革を行い、天保11年(1840年)には薩摩藩の金蔵に250万両の蓄えが出来る程にまで財政が回復した。」 ソース:Wikipedia 調所広郷
 
> 宗教的な視点から見るならば、  「超越傾向と内在傾向との衝突であった」  ということができる。 ☆ どうなんでしょう。《内在傾向》というのが 分かりにくいのですが 世界内存在として禅宗をいだく・そしてそのときには 世の中の秩序を重んじ或る程度の支配には従うといった傾向を言うのでしょうか?  たぶん仮りに超越的な――と言っても信仰はつねに超越的な要素を持つはずですが――志向性をもし生活日常においても表現しようとし始めたとしたら それは けっきょくただただ自分たちの生活を守るために ひとつの表現のかたちとして採っているだけであって ふだんは内在傾向であるのだと思われます。  武士達が禅宗を好んだ理由があったのかと思います。以下に、信長の信仰観を見ることができますが、現実派の当時の武士たちもほぼ同様であったかと思われます。 「彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、尊崇、並びにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。形だけは当初法華宗に属しているような態度を示したが、顕位に就いて後は尊大に全ての偶像を見下げ、若干の点、禅宗の見解に従い、霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした。」 ソース: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7  「人物」の「人柄」 からの引用でございます。  一方、一般民衆、特に狩猟やその皮等を扱う元来穢れとみなされていた人たちには、受け入れられやすかったかと推測されます。そして、来世での阿弥陀仏とのコネクトを信じていたものと考えております。  そう鑑みますと、宗教的な視点から、「超越傾向と内在傾向との衝突であった」と解することもできようかと考えております。 > あとは すべて社会力学の問題であって 信仰とは関係ないように思われます。  愚生も、おそらく関係があったとしましても、極めて薄いもの、と考えております。 > あとは すべて社会力学の問題であって 信仰とは関係ないように思われます。
  つまり蓮如が
  ◆ そのため蓮如は、信心を個々人の心の問題とし、外には「王法為本」「仁義為先」を説いて、過激に走りがちな門徒を牽制した。
 ☆ それにしても おっしゃるように 戦国時代という特殊な情況のことを考慮に入れなければならないのかも分かりません。  はい。愚生もそのような社会情勢(誰と敵・味方になるかは明日になってみないと、わからないという状況です)を鑑みますと、極めて特殊な事情であり、またかような時期であったからこそ、様々な同盟関係も築くことが可能となり(例えば、毛利と組んだ例等でございます)、一揆なるものが、巨大な勢力となったとも考えております。  最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ★ ですが、責任者であった調所広郷は、意外な活躍を見せます。  ▲ (ヰキぺ:調所広郷)~~~  薩摩藩の財政は500万両にも及ぶ膨大な借金を抱えて破綻寸前となっており、これに対して広郷は行政改革、農政改革を始め、・・・財政改革を行い、天保11年(1840年)には薩摩藩の金蔵に250万両の蓄えが出来る程にまで財政が回復した。」  ~~~~~  ☆ ええ。つまり そのように成功する場合が もちろんあります。そのことを忘れて述べていました。  つまりは そうではなく現在において潜在需要は(これは 有効需要はと言ったほうがよいのでしょうか)先進国においては その高い段階にまで来てその高止まりの状態で推移しており いま さらに超長期国債を発行しても よい効果を得られないのではないか。こういう思わくのもとに 成功例・つまり経済成長の余地が大いにある場合のことを忘れて述べていました。  アメリカがあらたに需要喚起の政策を打ち出しましたが もしそれによって金融が緩和されマネーがあふれるようでしたら 新興国の不動産か株式か債券かに投資されることになったり あるいは金や商品への投資にまわされるという結果を得るだけなのではないか。こういうおそれを持っていました。います。  リーマンショックあるいはサブプライムローンによるバブルがはじける前には 膨大な上げ底(バブル)を成すような資金が世界中にあふれていたということではないでしょうか?  だとしたら その当時の経済水準に景気が回復するということは ふたたびバブル状態になるということを意味しないでしょうか? 製造業の見込み生産の水準が そもそも高すぎたのではなかったでしょうか?  ということは BRICs などの新興国における潜在成長率が基礎に成ってその高い水準の見込み生産高を吸収してくれれば 景気回復の余地があるとも考えられます。  つまりはその場合 新興国における輸出による有効需要は 先進国向けとしては 差し引いたそのあとの需要であり成長のぶんに限られるというものですが。つまり新興国の内需〔のみ〕が 世界にとっての経済成長ないし景気回復のための発電所になるということではないでしょうか?  あぁ これも例の浜矩子が言っていたことですが ひとつの採り得る対策としては 分配の問題だと言います。   日本を例にとって 我が国は世界一の債権国であり 金持ちである。そのゆたかな国が 財政が立ちゆかなくなったままであるというのは どこかおかしい。ほかの国とくらべるなら 格差もそれほどではなく平均所得も極端に低いわけではない。けれども 所得分配をさらに再配分して低所得層が いま少し多くうるおうなら その場合には有効需要が増え そこからの租税収入も得られるようになろう。と。  おそらく全般的にみれば 世界における賃金の格差が大きくあるかぎり 高いところは低いところとの競争に耐えられるように所得(賃金)を決めねばならない。とすれば それほど所得再配分の余地も大きくはない。限られてくるであろうけれども。    *  一向一揆の民衆は その信仰の実際のあり方がどうであったか これはいまわたしに資料がなく判断つきかねますが いま親鸞の信仰として言うとすれば その理論じょうは 次のご見解に異を唱えたいと思います。  ★  一方、一般民衆、特に狩猟やその皮等を扱う元来穢れとみなされていた人たちには、受け入れられやすかったかと推測されます。そして、来世での阿弥陀仏とのコネクトを信じていたものと考えております。  ☆ 現世往生と言いますか――空海の言葉では 即身成仏になりますが―― 決して来世に向けて心の伸びを持っているのではない。このことを確認していただければと思うのですが。その上で 実際上は 個々の民衆の状態はおっしゃるような来世往生といった通念のもとにあり 一般的な情況も 現代・現在においてもそうであるという見方をしたいと思うのですが?  ▼ (ヰキぺ:現生正定聚) ~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E7%94%9F%E6%AD%A3%E5%AE%9A%E8%81%9A  (げんしょうしょうじょうじゅ)とは、現生不退(げんしょうふたい)とも言い、阿弥陀如来より回向された信心を受容すれば、浄土に往生することが定まった身となり、悟り(覚り)を開いて仏に成ることが定まること、もしくは仏の覚りと等しい位に定まることをいう。  浄土真宗の教義の根幹を指す用語であり、親鸞の信仰思想の特徴をあらわす語の一つである。  親鸞は「浄土三部経」や七高僧の論釈章疏により、信心は阿弥陀如来の本願力により賜わるものであり、その信心を受容することで、浄土に往生することが定まった身となり、現在・現時点で悟り(覚り)を開き仏と成ることが定まる(仏の覚りと等しい位に定まる)とする。  そのため、信心を賜わったのちの「南無阿弥陀仏」と口で称える念仏、つまり称名念仏は、すでに浄土へ行くことが定まっていることへの報恩謝徳の念仏であるとする。念仏の功徳により浄土へ往生しようとする方法・手段(行)ではない。    ◆(親鸞:有念無念の事) ~~~~  1. 来迎は諸行往生にあり 自力の行者なるがゆゑに。  2. 臨終といふことは 諸行往生のひとにいふべし いまだ真実の信心を得ざるがゆゑなり。  3. また十悪五逆の罪人 はじめて善知識にあふて すすめらるるときにいふことなり。  4. 真実信心の行人は 摂取不捨のゆゑに 正定聚のくらゐに住す。  5. このゆゑに臨終まつことなし 来迎たのむことなし。  6. 信心のさだまるとき往生またさだまるなり。来迎の儀則をまたず。   (末燈抄・一 伊藤博之校註)  ☆ (現代語訳)~~~~~~~  1. 臨終のときに阿弥陀仏が極楽へと引き取るためにやってくるという来迎は 修行や善行を積むことによって往生する場合のことである。自力をたのむ行者であるゆえ。  2. 臨終に来迎を期待するということは 修行を積んで成仏する人に言うことである。いまだ阿弥陀仏からの他力なる真実の信心を得ていないゆえ。  3. あるいはまた重い罪を犯した人が 臨終の折りに導師に会って念仏をすすめられるときに言うことである。  4. 如来回向の信心にあずかる人は 如来の大慈悲にもれなく摂取されたゆえに まさしく往生することが定まっている人すなわち正定聚(しやうぢゃうじゅ)のくらいに住している。  5. このゆえに臨終正念というような往生のかたちを俟つ必要がない。来迎をたのむこともない。  6. 信心の定まるとき 往生が同じく定まるのだ。来迎の儀式を俟たない。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ ですから 少々くどいですが 次のご見解にも 理論上は 異を唱えざるを得ないと考えます。  ★  そう鑑みますと、宗教的な視点から、「超越傾向と内在傾向との衝突であった」と解することもできようかと考えております。  ☆ 信仰の理論においては その信仰者は ふつうに生活日常が《内在傾向》である。つまりふつうの意味で現実主義である。《超越傾向》は もともと信仰の成り立ちが 超越論的・先験的なことを受け容れるところにあるからには 内面においてそのとおりである。となると思います。  つまりは 親鸞と同朋だと名乗る人間は 《超越傾向と内在傾向との衝突》を持つとは考えられません。その衝突が起こったとすれば それはあくまで生活上の最後の抵抗としてであるでしょうし 政治の場で起こっている。ないし広く社会力学としての力関係から起こっている。と思われます。    いやいや 一向宗ゆえに超越傾向を帯びその一揆を戦ったのだと見るとしますと それは確かにそういう側面が大いにあると思います。思いますが もしそのことを事実としてみとめるなら こういうことにもなります。  すなわち ほかの仏教宗派の民衆は おおよそみな―― 一向衆とは違って――けっきょく言ってみれば来世往生という思想に立っていた。つまりは 来世が超越傾向であり現世が現実主義としての内在傾向であるという二重の心的構造に成っていた。ゆえに 二つの傾向の衝突はあまり起こらなかった。つまり ただそれだけのいわゆる信心であった。  もっと言いますと 親鸞の信仰理論のほかの宗派では 心の内面においてもそして一般に政治の側面においても 葛藤もなければ衝突も起こらない。二重構造としての秩序を持っていた。つまりは 魂が骨抜きにされていた。このように考えられます。  親鸞以外は 信仰を持つでもなければ 共同自治をおこなうでもない。幽霊として生き長らえている。こう結論づけられます。  ドクターひどっちに解きほぐしていただけるとさいわいです。

noname#143207
noname#143207
回答No.54

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。 > ☆ そうでしたか。色合いが変わって行くのですね。バビロン捕囚や祖国の消滅にまで到れば どうも律法による雁字搦めの生活のあり方はまづいと かえって神が考え直したでしょうか。というような半ば冗談での応答になってしまいますが。 

 はい。”恐怖・怒りの神”から主イエスの”愛の神”に、いきなり突如として移行してしまうのは、人間側にも、不都合かと考えられます。おそらく、準備期間という側面もあったものと考えております。 
> ▼ 第十五話「関ヶ原から明治維新へ-薩摩藩と幕府の関係(1)-」
 そうですね。薩摩藩が 徳川幕府に対して敵対心を持ったのではないかとわたしが思ったのは その親疎の関係による親藩・譜代・外様といった区別によるのではありませんでした。つまり関ヶ原史観は念頭になかったのです。
  そうでございましたか。どうも失礼致しました。 
> 各藩はあたらしい都に江戸屋敷を持ち 人質としてのように家族を置き そして参勤交代でやって来る。これによって各藩は 財政の余裕を蓄積し得ないようにされたかと思われます。
 その上に 薩摩藩は よその藩の治水事業に手弁当で駆り出された。これは大きいと感じた。そして推測した。これだけでした。
  了解致しました。 
> ▲ (ヰキぺ:宝暦治水事件)  ~~~
   § 事件概要
  ☆ すなわちこのとき《〈一戦交えるべき〉との強硬論が出た》ということをもとにして考えたものです。その後 幕末までは まだ百年ありますが。
  仰られますように、この文言からは、そのように解釈できるかと思われます。 
> 大きく重いと思ったのは 財政逼迫の上に借金をせねばならなかったという事情です。
 すなわち 士農工商の農民に対しては 年貢を取って生かさず殺さずの方針だったとしたら 武士ないし各藩に対してもけっきょく同じような態度で幕府は臨んでいたのではないかと 推測したものです。
  ですから
  ☆☆ (No.52お礼欄)したがってかどうなのでしょうか 幕府を倒すときには理屈抜きで先頭に立ったということでしょうか。
   ☆ この部分を 印象批評でしかありませんから そのように事割るか削除したいと思います。
  以下の引用にもございますように、将軍家とは親密な関係を求めていたようでもあります。 「また江戸幕府との結びつきを強めるため、三女の茂姫を第11代将軍・徳川家斉に嫁がせた(ちなみに外様大名から将軍正室を輩出したのは薩摩藩だけである)。これら重豪の豪奢な事業により薩摩藩の政治的影響力は格段に上がったものの、藩財政は更に困窮の度を増した。」 ソース:Wikipedia 薩摩藩  ですが、その後の情勢変化により、明治維新の原動力となったようでございます。 「薩英戦争を経て、西郷隆盛ら倒幕派の下級武士へ藩の主導権が移る。幕末には公武合体論や尊王攘夷を主張、その後長州藩と薩長同盟を結んで明治維新の原動力となり、明治以降長く日本の政治を支配する薩摩閥を形成することとなる。」 ソース:ibid.  話が異なりますが、薩摩藩は、財政が逼迫し過ぎたために、いわゆる”永久債”を発行したかと記憶しております。 ソース:http://www.gemki-fujii.com/blog/2009/000238.html  
> 微妙ですが 恨みを晴らすために・昔の仇を討つために戦争を起こすというのではなく 戦争が起こったならその先頭に立って事をかまえてもおかしくないと感じました。 

 納得致しました。 
> それとは別に この論文氏の次の推論には 疑問を感じました。 
 ☆ 《家康の指示通り》に動けない事態になったとき なぜ家康にそのことを知らせて指示を受けようとしなかったのか?

  まず、共通認識と致しまして、以下のものを列記致しました。 ・薩摩本国の反豊臣的な兄・義久と、親豊臣あるいは中立に立つ義弘の間で、家臣団の分裂ないし分離の形がみられていた。 ・義弘に本国の島津軍を動かす決定権がそもそもなかった。関ヶ原の戦い前後で義弘が率いたのは大坂にあった少数の兵士であった。 ・1600年、徳川家康が上杉景勝を討つために軍を起こすと(会津征伐)、義弘は家康から援軍要請を受けて1,000の軍勢を率い、家康の家臣である鳥居元忠が籠城する伏見城の援軍に馳せ参じる。 ・1600年、徳川家康が上杉景勝を征伐するために軍を起こすと、義弘は徳川家康から援軍要請を受けていたため、手持ちの1500の軍勢を率いて家康の家臣である鳥居元忠が籠城する伏見城の援軍に馳せ参じた。  ですが、諸説あるようでございます。 「元忠から家康が義弘に援軍要請したことを聞いていないと入城を拒否されたため、仕方なく西軍に与した(諸説有り:秀吉への降伏の際、秀吉方の使者として交渉にあたった石田三成の取りなしにより、大隈一国と日向の一部が島津領として残った事から義弘は三成に対して深く感謝し、その後も深い交誼があった。関ヶ原の戦いにおいて島津家中において東軍参加を主張するものが主流派であったが、義弘は自身の三成に対する恩義と親交を理由に、西軍に積極的に参加したとも言われており、最初は東軍に参加するつもりで軍を出していたという説は、江戸時代に島津家が徳川将軍家に臣従していくにあたって、創作されたものであるともいわれている)。」 ソース:http://www.shimazu-yoshihiro.com/shimazu-yoshihiro/shimazu-yoshihiro-sekigahara.html 

 > ☆ もともと蓮如は 一揆推進の方針であったと言われます。(そういう事実をうかがわせる資料が出て来たと聞いています)。けれども――たとえば守護を自刃にまで追い込んだことは行き過ぎだと思ったのでしょうか―― ここで《一揆をいさめた》のですね。このあたり すっきりするような事情なり解釈なりがあるとよいと思われませんか? 
 真宗の組織を 僧侶の占めるべき位置を守りつつ 堅固なものとしたいということだったでしょうか?
  王法為本という為政者に従うという思想があったのかもしれませんが、主な理由は組織の死守・強化にあったものと思われます。以下、引用でございます。 「 蓮如は、教勢が急激に拡大していくにつれて、農民門徒の自主的な結合組織が、同じく支配体制の再編成を目指す戦国大名たちと競合・対立するであろうことを見通していた。そうしたなかで本願寺教団を守り、さらに発展の道を拓(ひら)いていくには、結局、次第に形をなしつつある新たな封建体制に順応する方向以外にはなかろうと考えていたようである。  そのため蓮如は、信心を個々人の心の問題とし、外には「王法為本」「仁義為先」を説いて、過激に走りがちな門徒を牽制(けんせい)した。」 ソース:http://www.worldtimes.co.jp/special/mida/md000528.htm > これも 単なる推測ですが 仮りにそうだとしたら(空想としては) けっきょく人びとの生活のために真宗組織があるのではなく その逆だと捉えられます。けれども 時代が時代であって 人びとの共同自治についての意識も少なかったでしょうか。
  少なくとも当初は、弾圧にたいする抵抗勢力であったと思われます。つまり、無謀な要求を突きつけるお殿様に対する、一種のクーデターのようなものであったかと考えております。御同朋思想からしましても、初期段階の頃は、生活を守るためだったかと推察しております。  また、以外かもしれませんが、絶対的権力者であった蓮如に対しても、「ウチの村は参加しません」といった地方からの手紙が残っているのだそうです。つまり、地域の人達も相当知恵を絞って生きていたように見受けられます。何分、戦国時代という特殊な時代でしたので、地域・村を守るためには、Aにもつき、今度はBとも結託するという強かさはあったように考えております。  最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 ひどっちさん いろいろ調べてくださりご回答をありがとうございます。こんばんは。  補正などを交えて確認をおこないます。  ☆☆ (No.53お礼欄) もともと蓮如は 一揆推進の方針であったと言われます。(そういう事実をうかがわせる資料が出て来たと聞いています)。  ☆ 確定ではないようですね。その可能性がないとは言えないのだと。すなわち:  ▼ (ヰキぺ:加賀一向一揆) ~~~  § 脚注   長年、本願寺においては蓮如は平和主義者で一向一揆には否定的とされ、一連の一揆も側近の下間蓮崇の策動とされてきたが、近年の研究で同時期に蓮如が太刀を新調した(文明6年10月8日付門徒あての御文。それに相応すると見られる太刀は現在大阪歴史博物館にある)ことが明らかになっており、この時には主導的な役割を果たしていたと思われる(辻川達雄 『蓮如と七人の息子』(誠文堂新光社、1996年))。  ただし、僧侶が刀剣を所持するのは数珠丸恒次という名刀を持った日蓮の例もあり、一向一揆と関係あるかは断定できない。  ~~~~~~~~~~  ☆ 一揆を起こす地位も身分も低い一般の人びとについて:  ★ ~~~~  御同朋思想からしましても、初期段階の頃は、生活を守るためだったかと推察しております。  また、意外かもしれませんが、絶対的権力者であった蓮如に対しても、「ウチの村は参加しません」といった地方からの手紙が残っているのだそうです。つまり、地域の人達も相当知恵を絞って生きていたように見受けられます。  何分、戦国時代という特殊な時代でしたので、地域・村を守るためには、Aにもつき、今度はBとも結託するという強かさはあったように考えております。  ~~~~~~~  ☆ ところがただし 何がしかの地位や身分を身におびている場合には その地位や組織の保守のために動く。  ★ ~~~~  王法為本という為政者に従うという思想があったのかもしれませんが、主な理由は組織の死守・強化にあったものと思われます。以下、引用でございます。   「 蓮如は、教勢が急激に拡大していくにつれて、農民門徒の自主的な結合組織が、同じく支配体制の再編成を目指す戦国大名たちと競合・対立するであろうことを見通していた。うんぬん。・・・  ◆ (「信仰為本」を守り抜く)~~~~~~~  親鸞は、信仰の世界を世俗の権威ならびに権力から独立させて、信仰こそが主であって、この世の王法は従であるとした。権力の弾圧や迫害に対してはそれを甘受し、権力を打倒・変革するようなことはせず、あくまでも「信仰為本」を守り抜いた。一二五七年と推定される書状のなかで親鸞は概要、次のように述べている。  ――仏者は、領主や地頭、名主たちと結んで念仏を広めようなどと考えてはならない。その在所に念仏が広まるということは仏のはからいであって、人間の力ではどうすることもできないことである。その在所で念仏の縁が尽き果てたならば、あくまでも信仰を守り通すために、住みなれた故郷も土地も家も捨てて、念仏のできるところへ移るべきである。  これが、真宗に対する弾圧がギリギリの線まできた際の門徒のとるべき態度であった。  ~~~~~~~~~~  ☆ 島津義弘の行動について 次の推論だけでは はっきりしないということは はっきりしたと思います。  ▼ (関ヶ原史観への批判) ~~~~  ・・・そのため、島津勢は伏見城に入ることが出来ず、結局島津義弘はここで已む無く石田方に付くことを決心するのです。  当時京都にいた島津勢は非常に寡少であったため、義弘としてはこう決断せざるを得ない状態にあったとも言えましょう。  ~~~~~~~~~~~~   ☆ 藩主の意向とは違って 義弘自身は 石田三成に好意的であったという見方が ひとつの可能性として説得的に思えます。  ▲ (島津義弘) ~~~  関ヶ原の戦いにおいて島津家中において東軍参加を主張するものが主流派であったが、義弘は自身の三成に対する恩義と親交を理由に、西軍に積極的に参加したとも言われており  ~~~~~~~~~  ★ 話が異なりますが、薩摩藩は、財政が逼迫し過ぎたために、いわゆる”永久債”を発行したかと記憶しております。  ☆ けっきょく国債はそれを減らす意志を持って減らして行かないかぎり 超長期債券であるのではないでしょうか? 国を移るのでないかぎり。  ◆ (「信仰為本」を守り抜く)~~~  石山戦争は、政治的・軍事的に見るならば、本願寺教団ならびにそれと結んだ諸大名と織田信長との戦いであるが、宗教的な視点から見るならば、    超越傾向と内在傾向との衝突であった  ということができる。  室町時代に入ると、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などが民衆の生活のなかに根を下ろして躍進を遂げ、他方、臨済宗をはじめとする禅宗勢力は幕府と結んで富強を誇り、この時代の文化を主導した。  すなわち、農民層を中心に広範に民衆を組織化した超越傾向と、幕府ならびに戦国大名に支持された内在的傾向との対立はすでに潜在していたわけで、それが石山戦争において象徴的に顕在化したということができる。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ どうなんでしょう。《内在傾向》というのが 分かりにくいのですが 世界内存在として禅宗をいだく・そしてそのときには 世の中の秩序を重んじ或る程度の支配には従うといった傾向を言うのでしょうか?  たぶん仮りに超越的な――と言っても信仰はつねに超越的な要素を持つはずですが――志向性をもし生活日常においても表現しようとし始めたとしたら それは けっきょくただただ自分たちの生活を守るために ひとつの表現のかたちとして採っているだけであって ふだんは内在傾向であるのだと思われます。  あとは すべて社会力学の問題であって 信仰とは関係ないように思われます。  つまり蓮如が  ◆ そのため蓮如は、信心を個々人の心の問題とし、外には「王法為本」「仁義為先」を説いて、過激に走りがちな門徒を牽制した。  ☆ という場合にも すでにふつうのひとつの政治思想になっているのではないかと考えます。信仰が信仰として超越傾向を保つなら とうぜん神のものは神へ カエサルのものはカエサルへ返すというふうに次元を異にすると思われるからです。  それにしても おっしゃるように 戦国時代という特殊な情況のことを考慮に入れなければならないのかも分かりません。

noname#143207
noname#143207
回答No.53

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。  以下に、ご参考までに蓮如の略歴を載せさせていただいております。 蓮如 1415年:親鸞の直系として本願寺第7世存如の長子として生まれる 1458年:第8子(5男)実如(後の本願寺9世)誕生 1473年:加賀守護富樫氏の内紛で富樫政親から支援の依頼を受ける(このとき、既に北陸の浄土系諸門を次々と統合していた)。蓮如は対立する富樫幸千代が真宗高田派と組んだ事を知ると、同派の圧迫から教団を維持するために政親と協力して幸千代らを滅ぼした。  だが、加賀の民衆が次第に蓮如の下に集まる事を政親が危惧して軋轢を生じた。更に蓮如の配下だった下間蓮崇が蓮如の命令と偽って一揆の扇動を行った 1475年:吉崎御坊を退去。加賀の門徒は政親に追われて越中に逃れた。一方、一揆を扇動した下間蓮崇を蓮如が破門。 1481年: 石黒光義が政親と結んで門徒弾圧に出たところ、越中で一揆が発生し、石黒光義が討ち取られる(”越中一向一揆”)。 1488年:”加賀一向一揆”が国人層と結びついて決起。高尾城にて富樫政親を討ち取る。その後、加賀は蓮如の3人の息子が実質統治することになる。 同年6月9日:加賀の宗徒は守護富樫政親を高尾城にて包囲し、自刃に追い込む。 同年7月:蓮如は消息を送って一揆を諌めた。 1489年:75歳。寺務を実如に譲り、山科南殿に隠居。 1496年:大坂石山の地に石山御坊(後の石山本願寺)を建立し、居所とした。 1499年2月20日:死に際し石山御坊より山科本願寺に帰参。 同年3月25日:山科本願寺において85歳で示寂。   これ以降は、息子と孫の時代となります。 1531年:本願寺10世証如と、その後見人蓮淳(蓮如の6男)による法主の権限強化を図った政策方針の末に、加賀一向一揆と本願寺が対立。”大小一揆”と呼ばれる内乱を起こる。 1563年:”三河一向一揆”は、本證寺第十代・空誓(蓮如の孫)が中心となってなされた。 1570年から1574年:長島一向一揆は、石山合戦に伴い、伊勢長島(現在の三重県桑名市、伊勢国と尾張国の境界付近)を中心とした地域で本願寺門徒らが蜂起した > 薩摩藩には よほど幕府はにらみを効かせていたようですね。  以下のサイトを参照致しますと、決して、そのようなことはなさそうにも見受けられましたが、いかがなものでしょうか? http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/zatsuwa15.htm  ------------------------------------------------------------------------------- > ☆ すなわち すでにダヰデについてその罪が赦されたことを見て来ましたが――つまり かれのいわゆる姦淫という死罪に値する行為をめぐって かれの心における悔いと省り見となかんづく基本的な初めの信仰への立ち帰りをとおして 愛のもとに赦されたと見たのでしたが――  キリスト・イエスの指し示した神とその信仰にもとづく人間愛にかんして 旧約のときからその伏流水のごとく触れられていたということでしょうか?  以下、思いついたことを列記させていただいております。もしかしますと、主イエス誕生のための整えのようなものがなされていたのかもしれません。 ・メシアはダビデの子孫から生まれるとされていた。 ・旧約の時代におきましても、例えば、イザヤ書、エレミア書等では、“怒る神”の様相はあまり見られない。しかし、初期の創世記(特に、甚だしい性の乱れが見られたソドムとゴムラが滅ぼされるところです)、出エジプト記(偶像崇拝するイスラエル人に対する裁きが見られます)では“怒る神”が見られる。 > 例の《聖絶》でしょうか 異民族で敵対する者に対しては皆殺しを命じるという神のイメージが強くて 《嫉む神・怒る神・復讐の神》と捉えられる度合いが かなりきつい。こういうことなのでしょうか?  はい、それはあろうかと推察しております。ただ、必ずしも、異民族とは限らなかったようではございます。  最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  蓮如について情報を得させてくださってありがとうございます。  ★ ~~~  ・旧約の時代におきましても、例えば、イザヤ書、エレミア書等では、“怒る神”の様相はあまり見られない。しかし、初期の創世記(特に、甚だしい性の乱れが見られたソドムとゴムラが滅ぼされるところです)、出エジプト記(偶像崇拝するイスラエル人に対する裁きが見られます)では“怒る神”が見られる。  ~~~~~  ☆ そうでしたか。色合いが変わって行くのですね。バビロン捕囚や祖国の消滅にまで到れば どうも律法による雁字搦めの生活のあり方はまづいと かえって神が考え直したでしょうか。というような半ば冗談での応答になってしまいますが。  ▼ 第十五話「関ヶ原から明治維新へ-薩摩藩と幕府の関係(1)-」  ☆ 関ヶ原史観 すなわち関ヶ原での負けとそれによる幕府による冷遇を根に持って 明治維新へ向けては幕府倒壊へ先頭に立ったという見方は あったとしても維新のあとの冗談まじりの後づけであるとのこと。  そうですね。薩摩藩が 徳川幕府に対して敵対心を持ったのではないかとわたしが思ったのは その親疎の関係による親藩・譜代・外様といった区別によるのではありませんでした。つまり関ヶ原史観は念頭になかったのです。  各藩はあたらしい都に江戸屋敷を持ち 人質としてのように家族を置き そして参勤交代でやって来る。これによって各藩は 財政の余裕を蓄積し得ないようにされたかと思われます。  その上に 薩摩藩は よその藩の治水事業に手弁当で駆り出された。これは大きいと感じた。そして推測した。これだけでした。  ▲ (ヰキぺ:宝暦治水事件) ~~~   § 事件概要   ( a )  当時既に66万両もの借入金があり財政が逼迫していた薩摩藩では、   ( b ) 工事普請の知らせを受けて幕府のあからさまな嫌がらせに「一戦交えるべき」との強硬論が続出した。   ( c ) 財政担当家老であった平田靱負は強硬論を抑え薩摩藩は普請請書を1754年(宝暦4年)1月21日幕府へ送る。   ( d )同年1月29日には総奉行平田靱負、1月30日には副奉行伊集院十蔵がそれぞれ藩士を率いて薩摩を出発。工事に従事した薩摩藩士は追加派遣された人数も含め総勢947名であった。   ( e ) 同年2月16日に大坂に到着した平田は、その後も大坂に残り工事に対する金策を行う。砂糖を担保に7万両を借入し同年閏2月9日美濃に入る。工事は同年2月27日に鍬入れ式を行い着工した。  ~~~~~~~~~~  ☆ すなわちこのとき《〈一戦交えるべき〉との強硬論が出た》ということをもとにして考えたものです。その後 幕末までは まだ百年ありますが。  大きく重いと思ったのは 財政逼迫の上に借金をせねばならなかったという事情です。  すなわち 士農工商の農民に対しては 年貢を取って生かさず殺さずの方針だったとしたら 武士ないし各藩に対してもけっきょく同じような態度で幕府は臨んでいたのではないかと 推測したものです。  ですから  ☆☆ (No.52お礼欄)したがってかどうなのでしょうか 幕府を倒すときには理屈抜きで先頭に立ったということでしょうか。  ☆ この部分を 印象批評でしかありませんから そのように事割るか削除したいと思います。  もうひとつは 微妙なことですが 《恨みを晴らす》という感覚では言っていませんでした。もし幕府と一戦を交えるという事態になれば 何かと過去のいきさつがあるから 勇み立って先頭になっても不思議はないという意味合いでした。  微妙ですが 恨みを晴らすために・昔の仇を討つために戦争を起こすというのではなく 戦争が起こったならその先頭に立って事をかまえてもおかしくないと感じました。  それとは別に この論文氏の次の推論には 疑問を感じました。  ▼ (関ヶ原史観への批判) ~~~~  その家康の予想通り、その後石田三成が挙兵したため、島津勢は家康の指示通り伏見城に入城しようと試みますが、伏見城を守る徳川方の武将・鳥居元忠は「援軍無用!」とばかりに、島津勢の入城を堅く拒否しました。  そのため、島津勢は伏見城に入ることが出来ず、結局島津義弘はここで已む無く石田方に付くことを決心するのです。  当時京都にいた島津勢は非常に寡少であったため、義弘としてはこう決断せざるを得ない状態にあったとも言えましょう。  ~~~~~~~~~~~~   ☆ 《家康の指示通り》に動けない事態になったとき なぜ家康にそのことを知らせて指示を受けようとしなかったのか?  もしすでに時間がなかったとしたなら それでも《島津勢は非常に寡少であった》ことが なぜ家康の敵方に就くことになるのでしょう? その判断はやむを得ないと見ているようですが その根拠はわたしには分かりません。《援軍無用》と事割られたから やむを得ず敵方に就くという論理が見えません。  なおこの物言いは 関ヶ原史観の復活を意図したものではありません。それとはまったく別に どうしてその推論が妥当だと言えるのか。この一点についての疑問を ついでに出してみました。    *  ★ ~~~  同(1488)年6月9日:加賀の宗徒は守護富樫政親を高尾城にて包囲し、自刃に追い込む。  同年7月:蓮如は消息を送って一揆を諌めた。  ~~~~~  ☆ もともと蓮如は 一揆推進の方針であったと言われます。(そういう事実をうかがわせる資料が出て来たと聞いています)。けれども――たとえば守護を自刃にまで追い込んだことは行き過ぎだと思ったのでしょうか―― ここで《一揆をいさめた》のですね。このあたり すっきりするような事情なり解釈なりがあるとよいと思われませんか?   真宗の組織を 僧侶の占めるべき位置を守りつつ 堅固なものとしたいということだったでしょうか?  これも 単なる推測ですが 仮りにそうだとしたら(空想としては) けっきょく人びとの生活のために真宗組織があるのではなく その逆だと捉えられます。けれども 時代が時代であって 人びとの共同自治についての意識も少なかったでしょうか。  今回も勝手な物言いを添えています。問い求めが進み得ればさいわいですし その方向がよからぬさまでしたら その旨をご指摘くださいませ。