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地名の通称・俗称・愛称 | 地名の通称・愛称をご紹介
- 地名の通称・俗称・愛称についてご紹介します。地区や学校区単位の地名について、広く親しまれている愛称や俗称をまとめました。さまざまな由来やエピソードがある地名もありますので、興味深い内容です。
- 地名の通称は、普賢さんや〇〇富士などの愛称で親しまれています。さらに、地理的な特徴に基づく命名も一部あります。さまざまな地名の通称が全国各地で存在しており、その由来やエピソードも興味深いものが多いです。
- 地名の通称・俗称・愛称をご紹介します。すすきのや原宿、親富孝通りなど、親しまれている地名の通称を集めました。さらに、ゆうれい坂やみはらし台、おっぱい山など、全国的に有名な地名もあります。地名には様々な由来やエピソードがありますので、ぜひご覧ください。
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どのような動機でお調べかは分かりませんが、、川であれば水源から河口、道路であれば起点から終点が一つの名称で呼ばれるようになったのは明治以降でこれも度々変わっています。 川にせよ道路にせよそ地区によって変っているのが普通ですので注意して下さい。 例えば国道1号線2号線の場合東海道と山陽道をどこで区別されますか。 元来の東海道は京都までではありませんでしょうか。 これも京都市内では五条に変わります。 JRは神戸が分岐点となっています。 道路標識は原則的に番号で表示されています。 国道1号も東京では第二京浜、銀座通り、中央通りと名前がかわります。 これは東京に限らず幹線道路がその街のメインストリートであった場合には○○銀座とか駅前通りとか各々名前が付けられています。 更に坂道の場合には正式名称はありません。国道1号を一々坂で区切ってはいません。 そういう意味では坂の名称は全て通称、俗称と言うことになります。 川はさらに厄介になります。 淀川を見て頂ければ、文書によっては瀬田川、宇治川、淀川と名前を変えるとされているものがあります。 これに支流本流が加わると訳が分からなくなります。 九州であれば遠賀川を見て下さい。 東京の川の場合には度々流域が変わっています。 荒川放水路、江戸川放水路などは今は荒川、江戸川となり従来の流れは旧荒川、旧江戸川などなっていますが、土地の人は年齢によって従来の名称を使ったり、使わなかったりしていますので、通称、俗称の区別も年齢によって違うということが起きてきます。 多摩川のように六郷川、丸子多摩川、二子玉川、玉川と地区にによって呼び名が変わります。 これも使う人によって違うという現象が起きています。 隅田川も流域が変わっています。 人によっては鐘ヶ淵より下流を言います。 駒形よりも下流を大川という人もいます。 (どじょう屋の名称ではありません。元々駒形堂というお堂がありました) 地名ということになりますと更に厄介です。 市町村合併が度々あったために町の呼称そのものが違っています。 北九州市などは年齢によって違うのではありませんか。 これに郵便番号制度が加わり東京の地名はズタズタになっています。 長くお住いの方やビルの名称などには、旧来の町名が使われますが住所表記は郵便番号制度に従っています。 前置きが長くなりました。 道路:14号線 通称千葉街道 246号線通称中原街道、相模街道、 玉川通り(玉電という路面電車が走っていました。現在は地下鉄) 都道317号線 通称 環状6号線 山手通り、海岸通り、駒沢通り 続称ソニー通り (いずれも地区によって通称が変わります) 都道505号線 通称外堀通り 一部環状2号線を含む) 鎌倉街道はあちらこちらにあります。 地名:秋葉原は読みが違いますJR等(あきはばら)土地での通称(あきばはら) 俗称(あきば) 本来は秋葉神社がある原ですのであきばはらです。 明治時代鉄道駅の名称を決める際にあきはばらと表記してしまいました。 おなじようなことが、汐留と新橋です。 現在貨物駅の汐留駅はなくなり、鉄道開通の記念館が建っています。 鉄道開通時期には新橋駅でした。現在の新橋駅は離れています。 本来の新橋は銀座通りのはずれでした。 坂:道玄坂 追い剥ぎの名称です。道玄という追い剥ぎがいたことが由来です。 今も似たような連中がいますけどネ 交差点:銀座4丁目 尾張町の交差点と呼ばれていました。 通り:浅草ロック 元は六区です。 浅草寺の境内を東京市に接収されて区画整理されたときの名残りです。 ロック座は劇場の名前です。 全国的に知られているのはこんなもんでしょうか。 東京の地名に関する書籍は沢山ありますので、ご覧願います。 参考 パナマ運河と日本の河川 ( 続き ) - nifty homepage3.nifty.com/yoshihito/aoyama-w1.htm 荒川の歴史 - 国土交通省 www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/83... 江戸川 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/江戸川 淀川 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/淀川 広小路通 (名古屋市) - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/広小路通_(名古屋市 抜粋 なお一部区間で覚王山通や末盛通と呼ばれることがある。その先は東山通と呼ばれ・・・
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- technatama
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#1です。 また道路名の話しになりますが、私がかつて勤務していたことのある事業所が京都府長岡京市にありました。 この長岡京市では、「わかりやすく、親しみのもてる道路名」を市民から公募し、21の道路に対して愛称を選定し、現在使われています。 それをご紹介しましょう。 (1) 善峰道 (2) 光明寺道 (3) 今里大通り (4) 長法寺道 (5) 文化センター通り (6) 柳谷道 (7) 奥海印寺通り (8) 光風美竹通り (9) 御陵道 (10) 太鼓山通り (11) 高台通り (12) 泉ヶ丘通り (13) 新西国街道 (14) 三菱通り (15) 小畑川通り (16) ガラシャ通り (17) JR東口通り (18) 天神通り (19) 学園通り (20) 恵解山通り (21) サントリー通り 正式には、府道であったり、市道であったりするわけで、それらのある区間に愛称をつけたのですが、古くから呼ばれていたものもあれば、道路沿いにある大企業の会社名をつけたものもあります。 ただ公募によって愛称を選定したところが、ユニークだという気がします。 合併による新市名を公募するのはよくあることですが、道路名はあまり聞きません。地元住民の歴史的なこだわりと新興勢力に対する肩入れがうまく融合された結果だと思います。 (道とか街道は歴史的地名、通りは現代以降に使われるようになったもの) 下記ブログを見つけましたので、ご参考までに貼り付けておきます。 http://blog.livedoor.jp/sumican/archives/1030304.html なお、他のもので思いつくのは、新興居住空間の土地名として「ニュータウン」があります。 「千里ニュータウン」「泉北ニュータウン」「多摩ニュータウン」など、大都市の近辺に新しく造成した開発地全体を総称して、最初から名づけられています。 「ニュータウン」の中では、それぞれの地方自治体によって、新しく多くの町名が設定されるものです。 似たような面としての土地名では、「けいはんな学研都市」もあります。 地方自治体は、京都府・大阪府・奈良県にまたがってますが、こちらは居住空間というよりは、学術研究施設を主体とした開発地の総称です。 上記2例は、最初から通称名を設定して、後から徐々に居住空間や施設空間が充実していくタイプの事例だと思います。
お礼
再度ご回答頂き、ありがとうございます! 道路名をたくさん挙げて頂き、嬉しく思います。道路名を見ていると、その場所のおおよその来歴が伺えて楽しいものですね。長岡京市の動きが感じられます。地元九州においても、福岡市や鹿児島市などでも道路名の公募は行われておりますし、道路名の公募制は今後の主流になってくると思います。いずれにしても、その土地の情景を感じやすい名が道路につけられるよう祈るばかりです。 また仰られているように、ニュータウンや学研都市のような新興地区は区画整理から入り、新たに印象の良い地名を名付けることが多いので、昔の情報を調べてみないとその土地の特徴がわからなかったりします。自然災害も多発している今だからこそ、後世に残す動きがあってもよい気がします。 長くなりましたが、二度に渡る興味深いご回答心より感謝申し上げます。またの機会がございますことを楽しみにしております。ありがとうございました。
- technatama
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堺市中区の住人です。この地に来て30数年になります。 近隣でよく使われている道路の通称をご紹介します。 【泉北1号線】 大阪府道34号・堺狭山線の石津北交叉点~泉ヶ丘駅前、 及び、府道38号・富田林泉大津線の泉ヶ丘駅前~室堂町交差点 までの通称 【泉北2号線】 大阪府道61号・堺かつらぎ線のうち、 JR津久野駅から泉北ニュータウン御池台までの通称 【泉北中央線】 大阪府道34号・堺狭山線の泉ヶ丘駅前から亀の甲交差点までの間の通称 その来歴は、丘陵地帯であった一帯を開発し、「泉北ニュータウン」を造成した際の、幹線道路としたことによります。 なお公式な通称名ではなく、一般にはあまり使われなくなってしまった泉北3号線、泉北4号線もありますし、大阪府道208号・堺泉北環状線という正式な道路名になっている関連道路もあります。
お礼
ご回答ありがとうございます!お返事遅くなり申し訳ございません。 大阪出身で堺は後に訪れたことがありますが、良いところでした。切通しの幹線道路とそれに沿って建ち並ぶ建物群。その高低差と空の広さは、関西ならではの印象深い光景でした。 さて、本件では道路の通称名を記して頂き、改めてお礼申し上げます。地図で確認させて頂きましたが、確かにお住まいの方たちにとっては34号線・38号線と呼ぶのは大変でしょうね。よく使う道ならば絶対1号・2号と呼んだ方が判りやすいものだと思います。これもニュータウンができて以来の新しい歴史だと思います。興味深いお話をありがとうございました。 そしてご覧の通り、technatama様以外の方から回答が寄せられておりません(笑) 個人的にもう少し色んな名前を知りたいので、もうしばらく回答を募集したいと考えております。他にご存知のものがあったり、回答数・BA率上差し支えがなければお教え頂けると幸いです。どうぞご勝手をお許し頂けますようお願い申し上げます。
お礼
ご回答ありがとうございます!意義のあるご回答を賜り、大変勉強になりました。客観的に言葉を頂くとやはり新しい発見があるものですね。 動機は何かと仰られておられましたが、本音を申しますと私が最も知りたいのは、その土地と長く付き合っていかなければならない人たちの行動と心理です。この理由については質問にはっきりと述べておらず、申し訳ございませんでした。 例に挙げて頂きました「東海道が京都五条に代わる」件も、東海道という広く普及した概念がありながらも本来は京都に住まう人たちが円滑に条理を敷くためだったことと思います。また「国道1号線」の件も、そこに住まう人たちがよりその土地のことを解りやすくするために必要な細分化だったと思います。 坂や川については確かに厄介ですね(笑) ですが、私自身で学術的に研究するつもりはなく、その坂や川の一区分を有する地区で暮らす住民の方々が、大元の名前があるにも関わらずその一区分にどんな名前をつけるのか(あるいはつけたのか)、その地形に何を見出したのか、こういった浪漫を感じ取りたかったことが今回質問させて頂いた理由です。ですので、今回の質問の主観となるのはあくまでも「地区・学校区単位で暮らす人たち」です。 それにしてもichikawaseiji様は多くの土地のことをご存知で脱帽致しました。遠賀川や北九州などを挙げて頂きましたように、九州で長く暮らしておりますが、こちらでも丁目という表記の下に埋められてしまった古代~近代と幅広く時代の名残を残す字名たちに日々思いを馳せるばかりでございます。 実のあるお話を頂き、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。また機会があればお話できますことを楽しみにしております。
補足
大変悩んだのですが、最も意図に近く幅広く教えて下さったichikawaseiji様のご回答をBAに選ばせて頂きたいと思います。ご回答下さった皆様、改めて心よりお礼とお詫び申し上げます。どうぞこれからもよいOKWaveライフをお過ごし下さい。