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黒人に同情の余地なし?!
黒人に対する白人の残忍さだけが、目立つ19世紀ですが、黒人を同情できない目線で見ることは可能なのでしょうか?白人がアフリカから奴隷として連れてきて何の権利も与えず、プランテーションでの過酷な生活(鞭打ちの刑など)を経て、その中での、独自の音楽文化(ゴスペル)の誕生と、なんとも、口では言い表せないような出来事の連続のようですが、黒人に同情の余地(不適切かもしれないけど)がないとすれば、どのような点だと思いますか?ちなみに、私は、アンクル・トムと言われる人と、そうでない黒人との衝突。つまり仲間割れみたいなのも。虐殺まで発展した文献は見たことないけど。
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- ryutora
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昨年旅行したアフリカの国の話です。 その国はフランスの植民地で、虐待されたためその国の博物館では虐待されたことばかりが展示されています。 ここまでは白人が悪かった例ですが、フランスの植民地になる前はポルトガルと貿易をしていました。ポルトガルの展示物は貿易をしていた証拠に多くの輸入したものが展示されています。フランスの植民地なのにフランスの展示物と扱いが違うので質問したところ、ポルトガルとは貿易活動のため友好的だったのです。 が、問題はこの貿易で、この国の王が自国民や征服した部族の人間を奴隷としてポルトガルへ売っていたのです。 人を売って優雅な生活をしていた国があったのです! 王は21人の后がいて王が死ぬと后も殺されてしまう風習もありました。 この国は昔ガボンといい、現在のBENIN(フランス語のためベナンと呼びます。間違えている大新聞社がありますが、ベニンではありません)で、奴隷海岸沿いの国です。アボメーにある王宮は世界遺産に登録されていますが、19世紀の火事以来屋根はトタンぶき(世界で唯一?)のままです。 ウィダにある奴隷の積出港(?)まで4キロの奴隷道路があり、悲惨な歴史の後も見られました。 日本の外務省では大使館があることも知らない国です。(一部の職員は知っているでしょうが、日本の外務省が途上国を馬鹿にしているかのひとつの証拠です)
- dai-harp
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音楽好きが講じての知識ですが。 まず19世紀としておりますがアメリカ史においてアフリカ人が現れるのは1619年です。 奴隷制度として問題視されるべきは、アフリカ人が「動産」としての価値しかなく、人間として扱われなかったことです。 アフリカ人を奴隷にする際別部族のアフリカ人が間に立った事実はあります。 また、ニューオリンズなどの領地では、家主が志望の際に、人権を得ることもありました。したがって黒人と白人の結婚もありました。 したがって、奴隷解放で今までの生活が一般の奴隷と混同されることをおそれ反対運動をしたという話も聞いたことがあります。 しかし、これらは個人の動きです。 そんな些細なものを探してどうするのでしょうか? 勉強しているのでしょうか? 黒人だけでなくプアホワイトの問題については? 中産階級の黒人もいれば低層階級の白人だっている。 そりゃ、黒人同士の衝突もあるだろうし、プランテーション間での殺し合いだってある。 そもそも、過酷な環境等を見るだけでなく、歴史として人間を「動産」として永久に扱ったことなど、もっときちんとした目で見ていただきたいものです。
ご質問の趣旨が何となく分ってきたような気がするのですが、たとえば、黒人奴隷を管理したのが、同胞の黒人であった、という事でもよろしいでしょうか? 差別社会ではよくある事ですが、被差別階層の中から、使えそうな人間をピックアップして、報酬や待遇と引き換えに、自分たちの手足として使用する、というのがあります。 言葉や習慣の違いがあるので、白人が直接、奴隷たちに命令を出したり、生活上の管理をするのは、とても無理なんですねえ。 また、汚れ仕事はしたくない、という気持ちも白人にはあるでしょうし。 また、アフリカ本土で奴隷を集める商売をしたのも黒人であったと思います。 また、反抗的な奴隷に直接、制裁を加えたのも黒人だったでしょう。 黒人奴隷の全てを熟知しているわけですから、極めて厳しい管理者だったと考えられます。 ですから、黒人同士のいさかいや、紛争がアメリカ史上あったかもしれません。 おそらく、御質問にキチッと応えられる文献などが、もしかすればアメリカ公文書館にあるかもしれませんね。
- disease
- ベストアンサー率18% (1239/6707)
その当時は今ほど秩序がなく強いものが弱いものを支配するのが当たり前だったということでしょう。 そして強いのが偶然、白人で弱いのが偶然、黒人・黄色人だったというだけのことでしょう。 もし、黒人が白人より早く銃を発明していれば、黒人が白人を奴隷にしていたでしょう。 勿論、黄色人も同様です。 侵略や奴隷は悪いことですが、当時は弱肉強食だった訳で、弱いことは罪だったんです。 日本は核を落とされ、核に対して非常に否定的な国です。 しかし、ほとんどの日本人は第二次大戦の時にアメリカより早く核を開発して、アメリカ中に落としてやれば、今みたいにアメリカのいいなりにならずにすんっだのにと思うでしょう。 それによく思うんですが、韓国は今でも日本に侵略されたことを根に持って、日本を憎んでいますが、何故、日本に簡単に負けるような国を作った、当時の政治家や軍人を責めないんだろうということです。 自分が韓国人なら、日本にあっさり負けるような国にした為政者たちの無能を責めると思います。 話がそれてしまいましたが、結局は運だということです。 才能があっても、黒人ならその才能を開花させず終わるだろうし、低能でも白人に生まれれば、それなりの人生が送れるでしょう。 黒人に生まれるか、白人に生まれるか、発展途上国に生まれるか、先進国に生まれるか、親に愛されて育つか、虐待されて育つか、金持ちの家に生まれるか、五体満足で生まれるか、障害を持って生まれるか。 全て運でしょう。 黒人は偶然、銃を持った白人に狙われ、奴隷にされた。 それだけのことです。 誰でも加害者になったかもしれませんし、被害者になるかもしれません。
補足
なるほど!弱いものが罪になるとすると、黒人が底辺ですよね?!黒人の中での男女間の差別って存在したのですかね?それが、あったとしたら、黒人の主張は矛盾しますね。 韓国の件は愛国主義に反すると思ってるのでは。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
奴隷貿易については多くの歴史的な事情がありますが、 当時のアフリカにヨーロッパ人の侵略を食い止めることが できる強い国家が無かったことも、理由の一つにあげられる と思います。 19世紀を世界史レベルで見ると、科学技術の恩恵でヨーロッパ の国が発展しますが、その他の地域の国々は発展から取り 残され、相対的に弱体化します。 そしてヨーロッパの植民地となった国や地域に住む人々は、 ひどい時には奴隷なみの扱いを受け、またアフリカの黒人 のように奴隷として売買の対象ともなってしまいました。 黒人も不幸でしたが、インドや東南アジアに住む人々の多く も、その地に住みながら奴隷と同様の扱いを受けていたこと も事実です。 日本がヨーロッパ諸国の植民地とならなかったことは、歴史 の偶然であるとともに、当時の危機的状況を切り抜けた先人の 努力の賜物でもあります。
お礼
アジア人とかの差別より、黒人の差別の方が後を引いたのは、やはり、黒人の数もさることなから、やはり、白人は黒人を恐れていたのですかね。
- popesyu
- ベストアンサー率36% (1782/4883)
質問の意図が見えませんが。白人が黒人支配を正当化していた理屈を解説すれば良いのでしょうかね? ※ちなみにこの理屈は黒人を黄色人種に差し替えても成立します。 いわく、野蛮人どもを文明化してあげてた、人間が家畜を支配するのと同様、白人さまが黒人どもを支配するのは当然というところでしょう。 つまりは黒人は黒人であるというだけで対等な人間でないのですから、同情も何もありません。ただの家畜です。牛や馬に同情の余地があるかどうかなんてまじめに議論している人はいないでしょう。 まぁこの辺は結局のところキリスト教が元凶なんですがね。彼らの言う友愛などの概念はあくまでも限られた人種の中だけの話です。少々範囲が広がったとはいえ排他的であることに変わりはありません。
補足
そうですね~たとえば、コロンブスが、アメリカに上陸してたくさんのインディアンを虐殺した事実はありますよね?その事実の他に、インディアンは独自に儀式という名目の下に、何千万人もの同胞を殺したことからみても、innocentと呼ばれていたインディアンも、暗い過去を持っていた?!という感じに。ニュアンスが通じましたかね?
- tonamoni
- ベストアンサー率20% (91/434)
差別の歴史に対する考えは、同情するとかしないという問題ではありません。 なにを質問したいのか、把握できませんが、もしかして人種差別主義者の方なのではないかと推察いたします。
補足
もちろん、同情という言葉は不適切だったと反省してます。上記に表記したつもりでしたが、やはり、避けるべきでしたね。人種差別主義者ではありません。歴史を考える上で、色々な視点から見てみて、幅広い意見を聞きたかっただけなのですが。一番最初で、自分が言ってるように、白人に非があるのは、万人の意見です。(自分も含めて)でも、あえていうなら、の意見がほしかったのです。やはり、文で、伝えるのは、難しいですね。だから、人種差別主義者は誤解です。
お礼
黒人に制裁を加えていたのが黒人という、資料は見たことが、ないのですが、アフリカ本土での商売は可能性は高いですね。ありがとうございます。