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キリスト教とヒューマニズムの関係について教えてください
キリスト教の「神を愛し隣人を愛しなさい」という教えの「隣人」というのはキリスト教徒のことを指していますよね。 キリスト教徒にはナイチンゲールやマザーテレサをはじめとする献身的な人々がいますが十字軍遠征やアフリカの奴隷貿易やネイティブアメリカンの虐殺など異教徒や無信仰な人々に対して残忍な歴史があったのも事実です。 キリスト教徒の中には慈善活動をしている人たちがたくさんいますがヒューマニズム(人間主義)は神の命令のみに生きるキリスト教の視点から見ると本来は異端であるということを聞いたのですがこれは本当でしょうか。 大学のレポートを作成していて気になりました。皆さんよろしくお願いします。
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#2ですが、「神を愛し隣人を愛しなさい」というのは イエスが律法学者(ユダヤ教)に永遠の命を得るためには どうしたらいいか、ときかれたときに「では律法には どのように書かれているか」と逆に聞き返した。 すると律法学者は「心を尽くし、精神を尽くし、 力を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を 愛せよ。また、隣人をあなた自身のように愛せよ。 と書かれている。」と答えた。 するとイエスは「ではそのようにしなさい。そうすれば 生きるであろう。」と答えた。 というところからきているようですね。 当時、自分を迫害していた律法学者にこう言っている のだから全人類のことを指しているとして間違いない と思います。 どこの国にも献身的な人や残忍な人がいるので、 キリスト教徒だからどうとか言うのは無意味だと 思います。 現在はキリスト教に異端尋問とか宗教裁判とか はないのでは? 中世ならば異端だといわれたらほとんどそれを 覆すことはできなかったようです。 中世の基準からいえばヒューマニズムは異端でしょう。 ただ、プロテスタントもカトリックから言えば 異端だったし、カトリックの内部でも解釈の違いで 異端の宣告を受けた人は多かったようです。 現在はこんなことはないのではないでしょうか。
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- ty270410
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普通の人が敬遠するようなことに献身的に尽くして おられるキリスト教関係者には本当に頭が下がります. 尊敬します. 隣人が広く人類を指すようになったのは,歴史的にそう 古いことではないように思います. 講談社メチエの山内進『北の十字軍』を読むと かって,ローマ法王の命令で異教徒であった リトワニア人の人間狩りが毎年年中行事のように おこなわれていたそうです. 宗教も所詮は人間の思考の産物です.歴史的な存在です. 時代と場所とともに変化,進化していくものと思います. エジプトからスーダンにかけてコプト派のキリスト教徒が 住んでいると聞きます.しかし,この方々が慈善活動を しているとは,ついぞ聞いたことがありません. ネストリウス派の人々も同様です. 東方教会諸派はどうなのでしょうか? ですから,慈善活動をしているのは,一部の派の方々で あって,キリスト教徒全般ではないと思われます. また,教義も時代と共に変化し,隣人を人類一般に 広げていったと理解できそうです. キリスト教の諸派の教義と歴史的変遷に詳しい方の 補足をお願いします. 参考になったでしょうか?
お礼
とても親切な回答ありがとうございます。ty270410さんの回答は非常に謙虚かつ客観的に答えてくださっていますね。私にも必要な姿勢だと思いました。 >>宗教も所詮は人間の思考の産物です.歴史的な存在です。時代と場所とともに変化,進化していくものと思います. 本当にそうですね。歴史から物事の本質を見抜くのは簡単ではないと思いました。
- Keiko816
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>神の命令のみに生きるキリスト教の視点から・・・ その神が遣わしたイエスが隣人を愛しなさいと説いているのですから(命じているのですから)慈善活動をすることは異端でもなんでもないと思いますが・・・。 むしろこれこそが神の命令を実行していると言えるのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 >>その神が遣わしたイエスが隣人を愛しなさいと説いているのですから(命じているのですから)慈善活動をすることは異端でもなんでもないと思いますが・・・。 少し誤解されているようですが私自身慈善活動が異端だなんて全く思っていません。 隣人とはどこまでの人を指すのかということを根本的に知りたいのです。アフリカ大陸やアメリカ大陸で行なわれた奴隷制度やネイティブアメリカンの虐殺はキリスト教の教えのもとに、とまでは言えないもののキリスト教に基づく価値観のもとに行われたとは言えるでしょう。もしも隣人がイエスの時代から現在まで変わらず全人類を指すのならば当時行われたことは神の命令にそむくものだったのか、そうでないのか。 そういう疑問をもとに質問させていただきました。
- altctrldel
- ベストアンサー率54% (172/314)
イエスキリストが最初に教えを伝えていた頃と その後のキリスト教は、イエスが伝えようとしたことと だいぶ違っているように思えます。 イエスが「神を愛し隣人を愛しなさい」といった頃は 全ての人をさしていたと思います。 磔になったときも自分を殺そうとした人を許しています。 中世には同じキリスト教同士でも、異端裁判や 宗教戦争などで殺し合いをしています。 聖書の内容を言葉どおりに捉えるあまり、イエスが 言おうとしたことを理解していない・・・ということが 多かったように思えます。 イエスはキリスト教徒以外は人間ではないとか、異端は 殺せなどとはいっていません。 イエスは「神を愛し隣人を愛しなさい」といっているの だからヒューマニズムは異端ではないでしょう。 蛇足ですがヒューマニズムという考え自体、近世以降の 概念でそれ以前はなかったようです。
お礼
>>イエスキリストが最初に教えを伝えていた頃と その後のキリスト教は、イエスが伝えようとしたこととだいぶ違っているように思えます。 すごくよく分かりました。「近代国際法では異教徒は奴隷にしてもよいとされていた」という記述をある本で見て、キリスト教とはそういう教えなのかと思っていましたが、altctrldelさんの回答を見て、それは近代のキリスト教をめぐる一つの場面として見るべきなのだなと思いました。ありがとうございました。
- whitepepper
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》キリスト教の「神を愛し隣人を愛しなさい」という教えの「隣人」というのはキリスト教徒のことを指していますよね。 何を根拠に、どこでこんな間違ったことを覚えたのですか? 》キリスト教徒にはナイチンゲールやマザーテレサをはじめとする献身的な人々がいますが十字軍遠征やアフリカの奴隷貿易やネイティブアメリカンの虐殺など異教徒や無信仰な人々に対して残忍な歴史があったのも事実です。 「キリスト教=キリスト教徒」ではありません。それは、あなた自身がこの質問の中で使い分けておられるとおりです。 》キリスト教徒の中には慈善活動をしている人たちがたくさんいますがヒューマニズム(人間主義)は神の命令のみに生きるキリスト教の視点から見ると本来は異端であるということを聞いたのですがこれは本当でしょうか。 「ヒューマニズム」という言葉は人間が命名し、勝手に定義したものです。そもそも「神の命令」とは別物です。重なる部分もあるし、そうでない部分もあります。両者をゴッチャにして学ぶと、混乱するだけです。 》大学のレポートを作成していて気になりました。皆さんよろしくお願いします。 レポート提出のためだけの一夜漬けの勉強ではチト無理ですね。しっかり基礎から勉強してください。
お礼
ありがとうございました。キリスト教といってもひとくくりに出来ませんね。キツめのコメントをいただきましたが考えるヒントになりました。
お礼
再度丁寧に答えていただきありがとうございます。 >>当時、自分を迫害していた律法学者にこう言っているのだから全人類のことを指しているとして間違いないと思います。 先の回答の根拠を下さって大変助かりました。 >>どこの国にも献身的な人や残忍な人がいるので、 キリスト教徒だからどうとか言うのは無意味だと 思います。 私もそう思います。私の周りにも素晴らしいクリスチャンの人たちがいます。もしも質問をキリスト教に批判的に捉えていると感じた方がいましたらすみませんでした。私自身はそのようにとらえておりませんが、質問にあげている歴史に注目していたためそのようになったのだと思います。 >>中世の基準からいえばヒューマニズムは異端でしょう。 ただ、プロテスタントもカトリックから言えば 異端だったし、カトリックの内部でも解釈の違いで 異端の宣告を受けた人は多かったようです。 現在はこんなことはないのではないでしょうか。 中世→近代→現代と宗教も絶えず変化するんですね。そんな当たり前のことに気づきませんでした。どうもありがとうございました。