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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「時間の切り売り」って何でしょうか?)

労働における時間の切り売りとは?

このQ&Aのポイント
  • 労働において「時間の切り売り」とは、週1回や隙間時間を活用して働くような雇用形式や、日中や夜間の3~8時間の労働を指します。
  • 時間の切り売りは、もともと1つの塊で売るのが一般的なものを小売するようなイメージで、雇われて時間給をもらわずに仕事をする自営業や報酬を得る仕事にも言及することがあります。
  • 「時間の切り売り」という表現は比喩的な表現であり、労働の形態や報酬体系を表現する際に使われることがあります。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#224207
noname#224207
回答No.6

No.4です。 補足を頂戴しました。 労働ということについていろいろお考えになられておられるようですが 下記のような事例をヒントとしていろいろ考えてみて下さい。 物を生産する際には、その生産に従事する作業員に賃金を支払うばあいには大きく分けて二つの方式があります。 一つはパートのように、働いた時間に応じて支払う方式です。 「出来高払い」という言葉をお聞きになられたことはありませんか。 組立作業が必要な商品などでみられる生産方式です。 組立に必要な材料や部品を予め作業をする人に渡し(有料の場合も無料の場合もあります)組立終わったら、買い取るという方式です。 材料を有料で手渡した場合には材料費+加工賃=買取り価格とします。 無料で手渡した場合は加工賃のみが買取り価格となります。 組み立てに要した時間は全く無視します。 1時間に1コできようが2コできようが問題にしません。 その場で出来上がっているものだけを買取ります。 パートの場合は製品が全くできていなくても働いた時間だけ賃金が支払われます。 出来高払いでは、短時間で作ったものであろうと長時間かけて作ったものであろうと構わずに1コは1コとして買い取ります。 どちらの方式であれ物を作るという労働は行われています。 「知識、技能、体を酷使することで健康を削ります。」 という点に関しましてはどちらも同じです。 「客観的に見ても、自分でなくても、ほとんど誰でもできる作業であること。」 とされておられますが、この「客観的に」というのが曲者です。 サラリーマンや公務員など組織内で働いている人を考えて下さい。 一人のサラリーマンや公務員が休んだ場合、その組織が機能しなくなるのでは困ります。 休んでも働いていても組織は機能し続けます。 居なければだれかがカバーしているということです。 誰かがカバーできる、ということはその人でなくても良いということになります。 みかたによっては居ても居なくても構わないということになります。 つまり、誰でもできる作業をやっているのがサラリーマンや公務員だということになります。 会社という組織は、組織が大きくななるほど一人の人間に依存して存続するような危険は犯しません。 社長が居ようが部長が居ようが、一人の平社員が居なくなったら倒産してしまう、などという危険は犯しません。 大企業や役所には「余人をもって代え難し」という人はいないということです。 人間の能力には必ず個人差があります。 さらに熟練の度合いによって効率が変わります。 同じ組立作業でも作業そのものは単純であっても慣れているか慣れていないか、器用か不器用かで出来上がりに要する時間が違います。 出来上がった製品の品質に優劣がでる場合もあります。 色付け塗装などという作業を考えてみて下さい。 >能力や健康を削る面は、値段には含まれてませんし、加味されてるとしても、 ポンと有資格者はいくらアップとか、能力に応じたノルマ以上の分は、基本賃金外で載せられますし。 これはあくまでも契約次第ですので一概には言えませんので御注意下さい。 >賃金だけでなく、経験を積むという対価ももらえるし。 これは働いた結果手に入れたものをどのように考えるか、どの範囲まで考えるか、ということであって「時間の切り売り」という行動とは無関係ですので御注意ください。 行動の結果に対する評価の問題です。 働く目的や動機や意味づけと働きかたとは別問題ですので混同しないようにして下さい。 金銭的報酬を目的としないボランティアという働き方もあります。 いろいろ事例を挙げさせて頂きました。なにかあれば補足質問をお願いします。

nopne
質問者

お礼

締めます!みなさまありがとうございました!

nopne
質問者

補足

ありがとうございます。 私は寄せていただいたご回答を読んで感じたことをアウトプットして確認しています。 独り言みたいなものです。 他の方が仰ったました哀愁というか、ふと感じた心情を表現したという部分が大きいように思えてきました。 単純に労働を別の表現で説明したものではない気がします。 時間の部分だけを取り上げているため、それ以外の部分が大きい仕事は素直に同調は出来ないか、 でも、時間だけじゃないよね?と返したくなるでしょう。 もしくはピンとこないか。 おかげさまで色々考えることができました。

その他の回答 (5)

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.5

言葉は基本的に比喩そのものといえます。人間に与えられた貴重な有限の原資である「時間」を切り売りするという言い方は、それ自身が現在の都会における過酷で喜びの少ない労働者の状況を批判的に捉えたすぐれた比喩だと私は思います。こういう言い方でなくては表現できないやりきれない様々な観念を含んでいる卓抜な言い回しです。私は日本語としての違和感は感じません。

nopne
質問者

補足

お上手ですね。 ありがとうございます。

noname#224207
noname#224207
回答No.4

正しいといいますか、ごく一般に使われている言葉です。 労働云々の前に 「空き時間」「時間をさく」などという言葉を聞かれたことはありませんでしょうか。 サラリーマンなどが上司に自分の意見を聞いて欲しいときや、相談にのって欲しい時に「お時間をいただけますか」と使いますが如何でしょうか。 或は会合に参加して欲しい場合などに「○月○日にお時間はありますか」などと使いますが如何でしょうか。 この言葉使いは 人は本来自分の意志でどのように過ごすかを決めている。 これに対して、上司や他人が自分の意志に従わず、こちらの意志に従って一定の期間(時間)を過ごすことを要求する。 という考え方が基本となった使い方です。 ご質問の労働の場合には、賃金というものを考える際に、雇用者と非雇用者は契約関係にある、という考え方があります。 この場合には非雇用者は労働という商品を雇用者に売る、という契約関係にあると考えます。 労働というものを商品と称するのは慣れませんと違和感があるかも知れません。 金銭の遣り取りに関わっていますので商品という表現をします。 この考え方に従えば月給と言うのは、ひと月の間に社員が提供する労働をひとまとめにして会社が買い、ひと月毎に購入代金を支払っているということになります。 ここで「働いた」と表現しないで「提供する労働」と」いう表現になっていることに注意して下さい。 又「賃金を払う」と表現せずに「会社が買う」という表現になっていることに注意して下さい。 月給がご質問の「1つの塊」に相当します。 年俸制度などと言うのは、この「1つの塊」を1年という区切りにしたものです。 時間給いわゆるパートは、バート契約した従業員が1時間の間に提供した労働を会社が買うということです。 この契約の場合には、従業員は1時間を自分の意志で過ごすのではなく会社と契約した労働のために過ごします。 1日24時間の間の1時間だけ会社との契約に従って過ごすことになります。 A社で1時間B社で1時間ということもあり得ます。 これを自分が過ごす24時間のうち、自分だけの意志ではすごしかたが決められない時間をA社に1時間B社に1時間、売ったと考えます。 会社側から見れば必要な作業などを片づけるために、片づけるのに必要な1時間をパート従業員から買ったという考え方になります。 これが「時間の切り売り」という考え方で表現です。 実際は「労働」という商品を必要量だけ売買していることですが、これを所要時間に置き変えて表現していることになります。 「労働の切り売り」とも言えますが、余りこの言葉は使われません。 以上いずれも、労働の質や成果などは含まれていないことに注意して下さい。 時間を切り売りしていないで、自分の為に使う生活をしろ、などという主旨のサイトや書籍も沢山あります。 蛇足 「時間の切り売り」と似た考え方に工数という考え方があります。 これを表記するのに工数=人・日というような単位が使われます。 建築業界などでは頻繁に使われます。 一つの工事を仕上げるのに一人の作業員では10日かかり、二人であれば5日で終わるというようなことがあります。 日給を2万円としますと、作業員が一人の場合には2万円×1人×10日=20万円 作業員が二人の場合には2万円×2人×5日=20万円 となりますから、工事費用はどちらでも同じだということになります。 あるいは、日給2万円の作業員が1日に二つの工事に従事した場合には、一つの工事当たりの費用は半分の1万円ということになります。(2万円×0.5人×1日=1万円) メーカーの工場などで、沢山の作業があって従業員が沢山いるような場合には、この工数管理というのがやかましく言われます。 一つ一つの作業にかかる人数を減らします。 一方で一人の作業者にたくさんの作業を負担させます。 究極は従業員の給料を秒単位に換算して、ストップウオッチ片手に測って歩くなどということまでやります。 この場合には工数=人・秒という表記になります。 飲食業でブラック企業と呼ばれる会社は、接客という作業も厨房での作業も一人の従業員に負担させて工数=コストを節約した結果うまれたものです。 労働の質を度外視して机上計算だけで企業を管理運営した結果です。 人間もロボットも同じように考えています。 配当や株価だけに興味がある投資家と呼ばれる部外者にとっては好ましい経営者ですが、従業員にとっては守銭奴、悪魔でしょう。

nopne
質問者

補足

ありがとうございます。 だんだん、自分がこの表現にどうして納得いかないのか見えてきました。 時間の事しか言ってないからですね。 労働って、それだけではないでしょう。 知識、技能、体を酷使することで健康を削ります。 時間を主役に語ることが出来るものは、 門番とかいくつかのチェック事項だけを監視する人、 留守番もそうかもしれません。 労働が切り売りなら、プロスポーツ選手もそうでしょう。 でもスポーツ選手を時間の切り売りと表現するのは、ピンときませんよね? ということは、 1.拘束されていると感じるものであること。 2.客観的に見ても、自分でなくても、ほとんど誰でもできる作業であること。 この2点をクリアしたものに限り、”時間を切り売りしている”という表現が合うのではないでしょうか? 合うというのは違うかもしれませんね。 この2点をクリアしたものであれば、他人を納得させられる比喩となる。ということでしょうか。 仰るように、賃金体系を理由にしてもいいかもしれませんね。 能力や健康を削る面は、値段には含まれてませんし、加味されてるとしても、 ポンと有資格者はいくらアップとか、能力に応じたノルマ以上の分は、基本賃金外で載せられますし。 時間を売ってる。 でも、それだけじゃない。と思います。 賃金だけでなく、経験を積むという対価ももらえるし。 労働が時間の切り売りというのは、その人の感想(いや心情?)であって、 どの仕事にも当てはまる上手い表現だとは感じません。 と色々考えることが出来ました。 参考になりました。

noname#231796
noname#231796
回答No.3

何かを得るために代わりに何かを提供した、が基本として。 給与を得るために働いた時間を提供するギブアンドテイクだと思えば、そう不思議な表現でもないと思います。

nopne
質問者

補足

時間は全ての人に平等にかかる ため、雇用主も時間を切ってるでしょう。 だから、みお前だけじゃないみんなそうだよ! というツッコミも成立すると思います。 だから、わざわざ言うことじゃない感あります。 ありがとうございます。

noname#225485
noname#225485
回答No.2

自営は違いますよ。 自営は売上から経費を引いた物が利益ですから、全く労働時間とは関係ないです。 「時間=お金」ではないですから。 労働しなくても利益を上げてる経営者だっています。 逆に働いても利益を上げられないどころか赤字になってしまうケースもある。 それに対して雇用者は労働に対する対価としてお金をもらいます。 つまり「労働時間=お金」なんです。 切り売りと言うのは一日24時間ある自分の時間の一部を労働に充てると意味合いでしょう。 その時間拘束され労働力を提供する事でお金をもらう訳ですから、自分の時間の一部を売ってると考えてもいいでしょう。

nopne
質問者

補足

自営も時間は割いてるかと思います。 拘束か自らの意思かという点かで考えるのは良いかもしれませんね。 ありがとうございます。

  • manmanmann
  • ベストアンサー率12% (535/4296)
回答No.1

人生スパンで考えると「切り売り」ですし、私はそのイメージですね。

nopne
質問者

補足

ありがとうございます。 もちろん時間だけでなく、知識や技能の提供が不可欠だろうから、 健康の切り売りとも言える気がします。 新築建て売りやマンションの案内板を持ってるだけの仕事(パイプ椅子貸与あり)とかでなければ、ほとんど時間だけ提供している事にはならないのではないだろうか? 時間だけで考えると、パチンコやカラオケの方がふさわしい気がします。 その場合は時間の切り買い?

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