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殺したり殺されたり等のゲームで人格に影響が出る?
ゲームの中には、殺したり殺されたり、殴ったり殴られたりするゲームが、たくさんあります。 こうしたジャンルのゲームが出現してから、もう久しい年月が経っています。 このようなゲームが、この世に存在した場合とそうでない場合とでは、人間がその人格に受ける影響として、どんな変化が起きてしまっていると思いますか。
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明らかに人命軽視である風潮だと思います。 よくゲーム感覚と云われて久しいですが この単語が表す事件が身近になった事も事実だと思います。 >どんな変化が起きてしまっていると思いますか 加藤、最近でいえば竹井聖寿のような皆殺しの無差別犯罪が顕著に出て来たように思います。
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- manmanmann
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ゲームは人格にはさほど影響がないのだなあ、と凶悪犯罪の内訳や推移などをみると、おもいます。やはり一番は「環境」ですね。ゲームもその環境の一部ではありますが、すべてではないのでしょう。
お礼
回答ありがとうございました。
- yakuya5565
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良い影響はあまりないと思います。
お礼
私もそう思います。
- gradnormal
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いつの時代も暴力的な子供や大人は存在していて、その数が増えたという事は無いと思います。が、暴力の内容がより残忍に過激になっているのは間違いないです。ファミコンは鮮明でない画質でしたからかろうじて血が出ているのかなくらいでしたが、その後に続くゲームは年々、画像が鮮明になり、今ではリアルと変わりません。そうした鮮明な画質で育った世代は昔では考えられないような残忍な殺人を犯します。ゲームの画質だけではなく、内容もより残忍に過激になっていきました。 例えば1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件、中学生の犯人が小学生の被害者の頭部を校門の前に置いたというあの事件です。今犯人は32歳ですがこのくらいの年代以降は信じられないくらい残忍な事件を低年齢の犯人が実行しています。殺人の動機と言えば昔は痴情のもつれ、怨念、喧嘩の末とかが当たり前でしたが最近はそうではなく、興味本位でまるでゲームのように人を殺し、楽しんでいます。凶悪犯、愉快犯の増加、低年齢化に影響していると思います。
お礼
暴力の内容が残忍に過激になってきていることを感じます。 ずっと昔は、こうした事件が起きると、社会が病んだかのように、ひと月もふた月も取り上げられていたものでした。 しかし今は、そうした事件が、加害者か若かろうが起きてしまっていたり、連鎖してしまっている事実があり悍ましいです。
お礼
人命軽視の風潮は、広範に拡大されたと思われます。 ゲームの感覚と現実が部分的錯誤した事件は起こりそうに思います。