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ゲームは、大切にしたい文化では

あるスレッドで小説や映画と違い、双方向ですから、ゲームによっては 人格形成もさせやすいと思います。と、意見を言ったところ >機械の論理のなかでの疑似双方向に過ぎませんから、いわゆる「人間」としての人格形成にはまったく役に立ちません。むしろ絵本や映画の方がそれをベースに自分で自由に想像をめぐらしたり、登場人物の気持ちをどう読み取るかを学びますから、はるかに人格形成には役立ちます。 という、意見がありました。 スレ主から高評価されていましたが、こういう人が多いと思います。 映画は、寝ていても終わります。その場合に、はるかに人格形成には役立ちます。 という根拠を聞いて見たいです。 RPGなら、操作しなければ第一章も始まりません。 双方向性があるので、アドベンチャーでも小説1冊の台本から 選択肢に対応するため、小説10本分に膨らんだりします。 FF5とか有名なRPGを1本でも最後まで遊んだことがあるのでしょうか 遊んだことも無いのに、わかったように知り捨てる人達が居ます。 こういう偏見は、せっかくのゲーム文化の発展に悪影響を及ぼすと 危惧するものです。

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  • tky-ny
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回答No.1

こんにちは。 私はゲーム肯定派です。 そしてまた、書かれているような意見を書いておられる方は昨今の良作と言われるゲームをプレイしたことはおそらくないんだろうなあ、とも思います。これは推量に過ぎませんが。 ひとつあるとすれば、「密度」の問題でしょうか。 例えばRPGにおいての特定の敵を倒すためのレベル上げ作業や、地図をたらたらと移動する時間というのは、おそらくは人格形成、あるいは想像力の醸成には寄与しにくいでしょう。 その点では、RPGを1本やるのと映画を10本観るのと、または小説を5冊読むのとでは、ややRPGのほうが分が悪いと思いますよ。 FFなんていうと数十時間かかりますから、そのくらいの換算が妥当ですよね。 オンラインゲームにも似たようなことが言えるのかも知れません。 ただし、あくまでも例、です。 どのジャンルでも、名作もあれば駄作もあります。 三文小説を読んだりB級映画を見たりするより、GOTYクラスのゲームをプレイするほうが感性は豊かになると思います。 ・・・もっと言うなら、趣味に実益を求めるな、という話しなんですけどね。全ての趣味において。

uma79
質問者

お礼

ありがとうございました。 レベル上げ作業や、地図をたらたらと移動・・・ 私も無駄な時間と思う時もあります。 まあ、メインイベント連続でFF5が、2時間になったとして もっといいかというと、やはり疑問なわけで、 ある程度の作業は、あったほうが、達成感とか出るように思います。

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回答No.19

> わが国の立ち遅れを感ぜずにはいられません。 っぷっ(笑)。安倍政権以来、ゲームとアニメは日本文化の対外輸出の重点的な事項として位置づけられておりますけど。 しかもそんなこと、あなたが始めた議論となんの関係もないのですが。 ---- そもそもあなたの問題設定が間違ってます。あなたが「肯定」しようとしているのは「ゲームという文化」ではなく、単に「ゲームは双方向だから鬼ごっこや小説や映画よりも子どもの人格形成に役立つ」というあなたの身勝手な思い込みに過ぎませんし、否定されているのもその身勝手な思い込みだけであって「ゲームという文化」ではありません。 ----- そもそも誰も、ゲームが「文化」であるかなんて問題にしてません。あなたが「文化」とか「人格形成」という言葉の意味すら理解していないだけです。

uma79
質問者

お礼

ありがとうございました。 無視のまま終了も気が引けるので、まとめます。 ようやく、主題のゲームは文化を納得されたようですね。 貴方の投稿に「ゲームという文化」という言葉が入るとは 思いませんでした。 >人格形成は「気質+環境」がいまの専門家の常識です。 ここで、環境には、文化が入りませんか? 結果、ゲームによっては人格形成もさせやすいと思います。 と主張しているのは、当然の帰結です。 ほぼ、貴方の意見といっても良いくらいです。 ただ、私と違って、良い影響は全くないという主張ですよね。 それって文化と言わないような気がします。 自己矛盾は整理してから、投稿してください。 行数から言っても、貴方のスレッドになってしまった感が あります。今後は簡潔に要点を述べるようにして下さい。 もっと否定論を聞きたかったのですが、ほとんどの投稿者の 貴方が「ゲームという文化」と認めてしまっては、 今後の投稿も期待できません。 国の祝日、文化の日もあります。大切にしましょう。

回答No.18

もし「ゲームだけを好む人間」がこのような… > これらは、相反する存在であり、どちらかを好む人間は、もう片方を好む人間と決して意気投合しません。つまり、自分と同じ物を好む人間とだけ親しくすればいいだけの事です。 …幼稚な考え方しかできないとしたら、そしてそういう「人格」がゲームによって形成されるとしたら、「ゲームによる人格形成」は極めてよくない、人間としてあまりに不自然で不健康なことになる、と結論づけられることになりますね。 もちろん「そういう「人格」がゲームによって形成される」ということ自体が完全な誤謬ですが。実際のところ、他の活動の代わりにゲームだけやっていたらそりゃ人格形成上大きな問題になることはほぼ間違いないですが、そんな状態を放置する馬鹿親はごく一部…であってほしい。 > 「ゲーム」好きの人もRPGから多くの事を学んでいます。 RPGからだと根本的に学ぶことができないことがどうしても,原理上ある、って話なんですけど…。 ---- 人間の人格の形成においてもっとも重要な部分は、「他者の認識」であり、「他者」を理解し、また理解してもらう努力が必要であることを認識することです。「認識」と言っても、これは大部分が子どもの頃からの自然な訓練でほとんど無意識に身につけているものですし、いちいち意識していては脳の機能がパンクします。そのなかで極めて重要なのは、微妙な表情の違いであるとか、声の調子の変化を瞬時に気づいてその意味を考察したりする能力です。 そういった微妙なサインを読み取れない、いわゆる「公汎性発達障害」が増えているという説があります。といってこれが「障害」と認識されたこと自体が最近ですから統計データがあるわけではありませんが、今のところ原因はよく分かっておらず、脳の一部に欠損があってどうも関係しているらしいということまでは仮説があり、「では先天的だろう」と言われていましたが、この説が最近ちょっとゆらいでいます。幼児期にいわば昔ながらの外で遊ばせたり絵本を読み聞かせたりすると、それまで障害が疑われて多少の欠損がCTで見られた子どもが、半年くらいでぜんぜん変わってしまうケースも報告されているのです。もちろんこれも、すべての子どもでそうなるないようですが、子どもによっては改善することもある、とはどうも言えそうだという仮説も出て来ていますし、一方で明らかにアスペルガーなどの特徴的な症状があるのに実生活にほとんど問題なく快活に生活して十分に大人になっても活躍--どころか優れた才能を発揮している人の多くが、子どもの頃から絵本や物語に親しみ、映画をみたり音楽をきいたり絵画をみたり、親が豊かな環境を与えている子どもだったりするのでした。 残念ながらゲームは、今のところそこまで表現が洗練されていません。最新のPSなどでも、まだ技術的に不可能です。だいたい機械的に無理です。たとえばお母さんが絵本を読み聞かす場合に、お母さんが自分でも意識せずに声の抑揚や読み方のテンポをいろいろ変えていることなど、そこに直感的に含まれている複雑な感情に関する情報は、ゲームでは再現できません。理由は簡単で、そこまで人間の心の働きなんて解析されていませんから、それをプログラミングで再現することなど不可能だからです。 ----- ですから鬼ごっこ(に限りませんが、要するに友達と直接に遊ぶこと)や、絵本の読み聞かせの代わりには、「ゲーム」は決してなりませんし、ゲームがなくても子供が育つことは立証されてますが、上記のような遊びや物語体験といった対人関係なしに人間が育つかと言えば、たとえば「オオカミ少年」の例は多々報告されています。

  • chg
  • ベストアンサー率33% (3/9)
回答No.17

 目の前に「ゲーム」と「映画」があった時、その人によってどちらにより関心を持つかという事だけです。普通の人が「映画」から何かを学んでいるように、「ゲーム」好きの人もRPGから多くの事を学んでいます。  しかし、双方で主題が異なります。つまり、その人がどのような刺激と知識を求めているかで分かれます。  これらは、相反する存在であり、どちらかを好む人間は、もう片方を好む人間と決して意気投合しません。つまり、自分と同じ物を好む人間とだけ親しくすればいいだけの事です。

uma79
質問者

お礼

ありがとうございました。 何人かのご意見を見て、おっしゃるようなこともあるかと思いました。 >EU、「ゲーム」を文化の一部として承認 など見るに付け、 http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/12/17/17898.html わが国の立ち遅れを感ぜずにはいられません。

回答No.16

> 現状、同じ人が多数、投稿されやや、否定派に偏ったかとは思いますが 他の投稿者も「人格形成」に関してはほぼ全員、否定的です。 そもそもあなたの問題設定が間違ってます。あなたが「肯定」しようとしているのは「ゲームという文化」ではなく、単に「ゲームは双方向だから鬼ごっこや小説や映画よりも子どもの人格形成に役立つ」というあなたの身勝手な思い込みに過ぎませんし、否定されているのもその身勝手な思い込みだけであって「ゲームという文化」ではありません。 で、僕が一貫して否定しているのもあなた個人のその単純化されて倫理判断という問いを考慮したことすらない「マルかバツか」みたいな考え方であって、「ゲームという文化」ではありません。ただ教育効果としては「ゲーム」は子ども相手には重要なもの、「鬼ごっこ」や優れた小説や映画にはあるものが原理的に欠如している、ということを指摘しているだけです。 ちなみにこのあなたのかなり困った「人格」も、「マンガ」や「ゲーム」のせいというよりもその意味しうるものを認識できないあなた自身の狭量さによって培われたものでしょうし、それはたとえば「優れた映画」といえば「学校の名作鑑賞会」とか「文部省推薦」とかの他人がつけてくれたレッテルだけで判断して自分で悩み考えるということをまったくしようとしない怠惰さの問題であり、はっきりいえば受験優等生の単純化された価値観を刷り込まれたまままったく「人格」が成長していないというあなたが受けて来た教育のすべての問題と考えた方が、整合性はあるでしょうね。 その単純化された白痴的に身勝手な自己正当化だけで子どもという将来のある別人格を「育て」られるわけもありません。まあ幸い、「親はなくても子は育つ」、子どもは時として親が思っているよりもはるかに賢いですが。

回答No.15

> 否定されてますよね。あなたは、決め付けるのですね。 その読解力ゼロの決めつけの「マルかバツか」みたいな子どもじみた思い込みって(といっては子どもに失礼ですが)、なんとかなりませんか(苦笑)。 はい繰り返し、 ---- 、手塚治虫があの世から見ていたら、彼が自分の漫画で常に語り、そして問い続け、子どもたちに伝えようとし続けて来た「倫理」をめぐる問いが、「漫画世代」にまったく受容されていないことに愕然としているでしょうね。「わたしはいったいなんのために『鉄腕アトム』で『史上最強のロボット』を書いたのか」と苦悩してるんじゃないでしょうか。 ---- 決めつけてるのは、あなたの方ですね。 > たとえ殺人を犯しても、その子の更生を願い、教育するのが少年法です。 あなたのように「なにが善で、なにが悪なのか」を子どもに考えさせること自体を拒絶している考え方、「善」と「悪」をアプリオリに記号でしか考えられず、行動としての善悪と、その行動によって形成される人格の善悪の倫理判断をハナから拒絶してただ「私だけが正しい」と呪文のように唱えているような親に育てられれば、「更正」なんてあり得ません。 なんというか、あなたのような人に名前を持ち出されては手塚治虫に対する巨大な侮辱というか、ほとんど冒涜ですね。 だいたい、 > FF5とか有名なRPGを1本でも最後まで遊んだことがあるのでしょうか 『罪と罰』とか、最後まで読んだことあるでしょうか? 『市民ケーン』とか『東京物語』とか、見たことあります? あなたの言ってることってこのレベルの低俗で身勝手なことでしかありませんよ。

  • mazeran
  • ベストアンサー率42% (221/518)
回答No.14

No,9です。 質問者様のお礼の文を読んでいると、「ゲーム」は文化であり双方向なので人格形成に有利なので、発展させるべき。 と勝手に決めつけ、賛同意見がないと苛立ち、他人の意見などまったく聞こうとしていない・・・。 ゲームが人格形成にと考えておられるくらいだから、質問者様のような自己中心的な考えを強引に押し通そうとするような、一見歪んだ人格にになってしまうのではと思います。 私はただ実験的、経験的な結果として、社会的にも認められている価値のある情報としてまったく役に立たないと回答させていただいたのに、なぜ否定されるのか。 教えてと言われたからこうですと教えてあげたのに、擬似体験では脳は動かないと教えてあげたのに、なぜまだ拘るのか?。 このコーナーは、自分の勝手な考え方を押し通すコーナーではありません。「教えて!」のコーナーです。 人身事故がゲームで体験なんかできるわけ無いでしょう。 何を言っているのかがさっぱりわかりません。毎日世の中人身事故はたくさん発生していますが、世の中ムチャクチャになっていますか?。 レース系のゲームがうまければ、実際に車に乗っても事故はしないのでしょうか?。 格闘系のゲームに強い人は、K-1などの実際の戦いで優勝できるでしょうか?。 少しは自分の固定観念の殻を破って、ここで質問をされたわけですから回答していただいた方々に、少なくとも感謝の気持ちを持つべきではないでしょうか。 「人格形成」。 これの内容、持っている意味、育み方など、もう一度勉強された方が良いかと思います。 まずは社会的に通用するような、道徳的な心を持ってください。

uma79
質問者

補足

ゲーム否定派の代表意見を、ありがとうございました。 >OKWaveへようこそ。 当サイトは利用者の方々からの「質問」と「回答」を通し、世の中のあらゆる問題の解決と、人と人の相互協力のリレーション作りを目指すQ&Aサイトです 読みましたか? 教えてGooともリンクしているようですが、世の中のあらゆる問題の解決のため 投稿したのであって、貴方に教えて欲しくて投稿してません。 ただ、ご意見はわかりやすく、ここまで否定するのも凄いなと感心もし、 他の人の感想も聞きやすくなりました。感謝します。 現状、同じ人が多数、投稿されやや、否定派に偏ったかとは思いますが >苛立ち、他人の意見などまったく聞こうとしていないは、・・・していないのでご安心下さい。

回答No.13

相変わらず読解力のなさを露呈してますね… > 勇者と戦うRPGもありますよ。でも悪なら良いかというととんでもない。 そういう問題ではぜんぜんないんですけど? ---- そこにおける「善・悪」の設定が、アプリオリの記号でしかないことで、なぜそれが「善」であるのか「悪」であるのかを認識する必要がまったくないんですよね。 ---- なにが「善」でなにが「悪」かの倫理観を学ぶ契機がまったくなく、ただ「善」「悪」を記号として無自覚に受け取ってしまうことが問題なんですけど? > 善悪は、決め付けること自体、いけないような気がします。 …ということは、別に人を殺しても、他人をいじめても、倫理上なんの問題もない、「人に親切にすること」「弱い人に優しくすること」が「善い行い」であることとか、まったく教える必要がない、ってお考えなんですね。 もの凄い「人格形成」です(笑)。 もっとも、あなたの論法(にもなってない論法)が、「私は正しい!」以外になんの倫理的・論理的基準も持っていないことは、すでに明白になってますけどねぇ。 なんというか、手塚治虫があの世から見ていたら、彼が自分の漫画で常に語り、そして問い続け、子どもたちに伝えようとし続けて来た「倫理」をめぐる問いが、「漫画世代」にまったく受容されていないことに愕然としているでしょうね。「わたしはいったいなんのために『鉄腕アトム』で『史上最強のロボット』を書いたのか」と苦悩してるんじゃないでしょうか。

uma79
質問者

お礼

ありがとうございました。 >善悪は、決め付けること自体、いけないような気がします。 否定されてますよね。あなたは、決め付けるのですね。 あなたに悪い子と決め付けられた子は、一生心に傷を負うような気がします。 たとえ殺人を犯しても、その子の更生を願い、教育するのが少年法です。 あなたと言葉遊びをするつもりはありません。 これ以上のお返事を差し控えます。あしからず。

回答No.12

> 双方向性の重要性について書いただけで、反論してませんが? あなたが極度に独善的で、読解力がないことが証明されているだけですけど…。 ---- 人間の人格の形成においてもっとも重要な部分は、「他者の認識」であり、「他者」を理解し、また理解してもらう努力が必要であることを認識することです。 ---- これってどういう意味か、分かります? 分からないんでしょうねぇ、やっぱり…。 念のため、僕が一貫して指摘しているのは「ゲームが有益か」の主張ではなく、その主張の根拠になっているあなたの「人格形成」についてのあまりに安易で独善的、というか単に身勝手で自己愛に満ちあふれただけの考え方です。 > 3歳の子の母親代わりが出来るわけないです。 ふう… --- たとえばお母さんが絵本を読み聞かす場合に、お母さんが自分でも意識せずに声の抑揚や読み方のテンポをいろいろ変えていることなど、そこに直感的に含まれている複雑な感情に関する情報は、ゲームでは再現できません。理由は簡単で、そこまで人間の心の働きなんて解析されていませんから、それをプログラミングで再現することなど不可能だからです。 ---- > パソコンが万能とか言う人に、ご飯炊けるかと聞く質問者のほうがまだ良いと思います。 あなたが言ってる「ゲームが人格形成に役立つ」って、それこそパソコンでご飯を炊くようなめちゃくちゃな話なんですけど…。 > これでは、親の存在価値を否定してしまいます。 一部の親の小児的で傲慢な、まったく勘違いしている小児的なエゴが否定されてるだけですが? > 自然主義ですね。例えば人身事故も実際体験しないとわかりません。 ところが、「ゲームで人格形成」なんて科学的に分かってることからすれば危険な無知でしかないことを実践せずに、「他者」としての人間を認識する訓練を含むことが心理学的、認識科学的に「人格形成」に重要な役割を果たすことが分かっているいわゆる「子どもらしい」育ち方をしていると、他人のことを認識してそこを出発点に解釈し、想像するためのベースが出来ているから、ある程度は「分かる」ようになるんですよね。ゲームにはそこが決定的に欠如しているんですよ。 ーーー 一方、映画や小説でもそういう面はありますが、登場人物は思い通りには動かないわけで、視点が傍観者的になります。 ですが、傍観者的である以上は、最低限、当の主人公の心情などを読み取らなければ、小説や映画を鑑賞することはできません。それができない人は、読むのをやめるなり、居眠りでもするわけです。 ーーー その「心情などを読み取る」必要性が、ゲームではほとんどないんですよ。そういった意味での認識の訓練にはまったくなりませんから。 それどころか、今まで考えてもみなかったのですが、こういう倫理観の発達においてかなり危険な要素がある… --- また、どんな良作なゲームでも、プレーヤーはゲームの都合上、どうしても「善と悪」のうちの「善」としてプレーせざるを得ないですよね。「娯楽」としてはそれでもいいんでしょうけど、「人格形成うんぬん」を言い出したら、ここは大きな欠点だと思います。 ---- 「『善』としてプレー」するよりも恐ろしいのは、そこにおける「善・悪」の設定が、アプリオリの記号でしかないことで、なぜそれが「善」であるのか「悪」であるのかを認識する必要がまったくないんですよね。「消費者」が「善」を演じられてプリミティヴな欲望が満たされるという以外に。これって恐ろしく危険なことですよ、「人格形成」からすれば。

uma79
質問者

補足

>「善」としてプレーせざるを得ないですよね 悪魔が主人公のゲームも多数存在します。検索してください。 勇者と戦うRPGもありますよ。でも悪なら良いかというととんでもない。 むしろ、悪人が主人公は子供に良くないと批判されてますよ。 さらに、何が悪なのでしょう?人類は地球を汚していますよね 人類以外のあらゆる生物は、人間さえ居なければと思っていると 思います。 善悪は、決め付けること自体、いけないような気がします。

  • Vwiyoonn
  • ベストアンサー率35% (162/455)
回答No.11

 多分、あなたは、自分がゲーム(RPG限定なんですね)で感動したのはそれが双方向的なものであることに起因し、だから双方向的な表現は人格形成に寄与するのではないだろうか、とお考えになったのではないかと思われます。  しかし、残念ながら論の立て方に無理があります。  RPGにおける(擬似)双方向性は受け手をより物語に没入させる効果を高め、他の表現であればベタであるとか臭いとか陳腐とかパクりだなんていいすてられる場面にすら無批判に共感を覚えさせることができるのでしょうが、感動したからといってそれが人格の形成に寄与するかといえば、それはゲームに限らず他の表現においても同じで、単に感動したというだけのことです。  で、感動は快感の一種ですから感動させた作品を好ましいと評価するのはべつだん不思議なことではありません。感動させたからといってその表現が正しいとするのは誤りですが。  表現に接することによってもたらされる人格形成は自己省察──自己の他者性に対する気づき──を促すことによるものであって、没入によって得られる快感とは異なった過程でもたらされるものであると思われます。むしろ、没入することを前提として提示された作品であればあるほど人格形成とは隔たりがあるようにも思われます。  もちろん『泣ける』という快感を得ることのみを目的として小説や映画その他の表現を消費したからといって、それが人格形成に寄与するなんてことがないのと同様です。快感で人格が好ましく変化するんなら、Hなお店なんかは教育機関になっちゃいますよ(結果的に人生の勉強をしちゃう人は少なくないようですが)。  また、操作しなければなにも始まらない、といってもレベル上げやイベントクリアを自動化したりパラメーターを極限まで上げる手法がないという訳でもないんですから、観なかった映画やめくっただけの小説耳栓をしたままの音楽などに対する優位性を示すにはいささか弱いのではないかと思われます(でも、FFってムービーの尺がやたらと長くありませんでしたっけ?)。また、シナリオや選択肢が多いことが人格形成に寄与するというのも無理がありすぎです(それなら悪名高きGTAの方が選択幅は広いですしね)。    で──ゲームが人格形成に寄与しなかったからといってもそれがどうだという訳でもないんじゃないでしょうか。凡百の既存の表現にしても人格形成に寄与するなんてことはまずないんですし。  ゲームもまたあまたある大衆表現の一つにすぎないのですから、それらを消費することによって感動という快感を得ればいいだけのことではないでしょうか。  FFって面白いから大好きでいーんじゃないの?

uma79
質問者

お礼

ありがとうございました。 >パラメーターを極限まで上げる手法がないという訳でもないんですから・・・ そういうことをするのは、マニアの一部です。特例を根拠にされても 説得力に欠けます。 中立的ご意見ということで、よろしいかと思います。

  • katuun
  • ベストアンサー率19% (8/42)
回答No.10

>始めの質問に>人格形成にはまったく役に立ちませんとあるのに、自分の推量の意見をいわれても困ります。^^; あの~、確かにこの質問の中では、「まったく役立たない」とありますけど、 もともとは、この教育カテの「鬼ごっこと人格形成」の中の一文ですよね。 それでしたら、その「鬼ごっこと人格形成」という質問の流れ?文脈?から読み取りましょうよ。 反論者様は、鬼ごっこなどの「他者を認識できる行為(つまりは相手と面と向かって 会話をし、その表情やしぐさなどから相手の心情を読み取ったりする)」が 人格形成には一番だと言ってるわけで、そういうものに比べると映画や小説、ゲームは劣るという わけですよ。 で、映画は生身のそこそこの俳優が演じることによって、他者を認識できるし、 小説は自分で想像することによって他者を認識できると言ってるわけでしょ。 その点、ゲームにはそこまでの他者を認識できることはないわけだから、 映画や小説に比べて、ゲームは「人格形成という点」においては劣ると言ってるわけで。 要するに、「人格形成という点」においては、ゲームが「0」とすると、映画や小説は「1」や「2」とか いうレベルの話でしょ。(鬼ごっこなどの他人と直に接する行為を「10」とかと考えると) 文脈から読み取る限りは、そうなるんですが…。 逆に、それを、ゲーム文化の批判などと捉えて、わざわざ質問までしたりする方が 推量に基づく行動だと思いますが…。 どこにも文化としてのゲームの批判なんかないんですけどね…。

uma79
質問者

補足

>もともとは、この教育カテの「鬼ごっこと人格形成」の中の一文ですよね では、かわりにANo.9さんの >結論を言うと、まったく役に立ちません。 で、いかがでしょう。 こういう意見がまかり通っているのです。これを問うているのです。