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法は、社会の最後尾から

・・・「この「法」は、ナニだ?」と思っても、 それは多分、社会の残滓でしょう。 そういうご経験が、あれば。 (日本は、(影響はあっても)判例法主義ではないので)

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

 社会で実際に何か起こった後で、「あれはよくないから、あれを違法にする、法を作ろう」と言って作るって事かも知れませんね。

kurinal
質問者

お礼

SPS700様、ありがとうございます。 昨今は「予防」ということが、言われているようです。 ・・・人権侵害を防ぐための予防、ですね。

その他の回答 (7)

回答No.8

人の生きる目的は、生きる事そのものであり、それは分業化 によって助け合いとしての労働(社会行動)に敷衍される。 そうした自己の生命の社会的拡張を自覚できるだけの認識の 深まりが伴えば、自律的社会行動=生きる喜びとしての助け 合いが可能となり、怠惰な人間を使役するためのアメ(お金 や出世)や、自己チューな人間を社会的に拘束するための ムチ(法規やモラル)は不要なはずなのだ。 つまり法自体が悪(生きる喜びを減ずる必要悪)なのだ。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 ・・・「翻訳」を試みます。 >「人の生きる目的は、生きる事そのものであり、それは分業化 によって助け合いとしての労働(社会行動)に敷衍される。」 人はそれぞれ、好き勝手に生きたら、(是々非々となる) >「そうした自己の生命の社会的拡張を自覚できるだけの認識の 深まりが伴えば、自律的社会行動=生きる喜びとしての助け 合いが可能となり、怠惰な人間を使役するためのアメ(お金 や出世)や、自己チューな人間を社会的に拘束するための ムチ(法規やモラル)は不要なはずなのだ。」 人はそれぞれ、好き勝手に生きたら、 (部分的にも?例外的にも)「生きる喜びとしての助け合いが可能となる」 >「つまり法自体が悪(生きる喜びを減ずる必要悪)なのだ。」 なるほど。「使役するためのアメ」・「拘束するためのムチ」は、不要だと。 (ある意味、「おちこぼれは、ほっとけ!」という、ことかもしれません。)

noname#208196
noname#208196
回答No.7

うんざりして書き込むのをやめてもずっと粘着してくるやつがいて異常だよ。 とにかく異常なやつらばかり。 以前、弟子で書き終えたら、再び書き込む1ヵ月以上の間、弟子について揶揄して 私が別なことを書き込めば今度はそれを揶揄している。

kurinal
質問者

お礼

ま、ある意味、極めて、最先端の「問題」に、直面されて居られる、のでは?

noname#208196
noname#208196
回答No.6

正確な用語とか正確な翻訳とか回答したら 曹洞宗の学者が、道元も誤用していたとかいう記事を更新したので 本当に嫌みな性格だと思った。

kurinal
質問者

お礼

・・・おそらく、その「曹洞宗の学者」様も、ネットを駆使して居られるのですね?

noname#208196
noname#208196
回答No.5

ネット社会で常に攻撃されて世の中、屑しかいないのか? と思うことが数多くありますので、法の問題はみなさんが考えてください。 様々な方面から考える必要があるでしょう。 アプリオリな認識だとか カントの正確な用語だとか ニーチェの文章の正確な翻訳だとかはみなさんでお調べください。

kurinal
質問者

お礼

こんばんは。 >「ネット社会で常に攻撃されて世の中、屑しかいないのか? と思うことが数多くありますので、法の問題はみなさんが考えてください。 様々な方面から考える必要があるでしょう。」 なるほど。 >「アプリオリな認識だとか カントの正確な用語だとか ニーチェの文章の正確な翻訳だとかはみなさんでお調べください。」 そうですね。

回答No.4

理想で主張する主義や思想、或は活動の面から見ると、法は安定性と確固確定性が一つの理念ですから、”社会の残滓”である様相も呈します。そしてまた新たなことに適用してそれのあり方を決めて方向づけるので改革の機能もあります。

kurinal
質問者

お礼

krya1998様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 日本は、判例法主義ではありません、から、制定法で「一足飛び(八艘飛び?)」みたいなことが、可能なんですね。 でも、それでは、雑兵は「おお!」と度肝を抜かれるばかりです。 (「今度、法で(誰が、立法したのか)、こうなったから、否が応でもこうだ」みたいのは、卒業すべき)

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.3

社会の秩序を守り、倫理を保つことが極めて保守的なことであるのは明白です。つまり法というものは元来社会を安定させることに寄与するものであり、世界の先端的な変化には無縁です。当然その動きの最後尾からついていくという比喩が当たっています。 日本憲法第9条の光栄と悲劇は、発効時以来それが世界の最先端だったということからはじまっています。魯鈍なあべが理解し得ないゆえんです。

kurinal
質問者

お礼

kohichiro様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「法というものは元来社会を安定させることに寄与するものであり、世界の先端的な変化には無縁です。当然その動きの最後尾からついていくという比喩が当たっています。」 例えば、「100年前は合法だったのに、現在では違法だ」ということも、あると思います。 それもおそらく、「法」が「社会」に追いついた結果、ですね。 >「日本憲法第9条の光栄と悲劇は、発効時以来それが世界の最先端だったということからはじまっています。魯鈍なあべが理解し得ないゆえんです。」 憲法というのは、もう皆様ご承知の通りかと思いますが、(国)民の自由を制限するものではなく、「制度」を(勿論、国民の立場・権利の擁護から)規制するものです。 ・・・「経済的な規制のほうが取っ払い易い」てか。 (人権を侵害しないように心掛けたいものですね)

回答No.2

天が下、新しきものはなし。 のごとく生起するものはあり、あったことであり、また一つとして同じものはない。 常に異なる条件と様相。 されば法も社会の残滓である面と、常に現在と未来への歩みをしている。

kurinal
質問者

お礼

krya1998様、一癖ありそうなご回答、ありがとうございます。 >「天が下、新しきものはなし。 のごとく生起するものはあり、あったことであり、また一つとして同じものはない。 常に異なる条件と様相。」 「「新しい」と呼ぶに値するものなど、無いのだ」という、宇宙の真理的達観、と、 「また一つとして同じものはない。常に異なる条件と様相。」との、両立ですね。 >「法も社会の残滓である面と、常に現在と未来への歩みをしている。」 ・・・おそらく、還元してしまうと「個人個人の意思」なんですけど、 「現在と未来への歩み」を見れば、 そこに「人権侵害は不可」という前提が、まさに「歴史の残滓」として、横たわります。

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