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哲学の結論は何か?
つまり人間は存在をせめぎ合っているわけですが そのせめぎ合いが生存競争のような弱肉強食のようなものになっては動物に逆戻りです。 人間は頭で進化するわけですから 教育 学習 再発見 勉強 適度な競争 試行錯誤 感動 発見 その他諸々の精神的な進化が求められるのです。 その為にはいずれにしても急速な発展進化はスピードの出すぎのようなもので コントロール出来ないのでむしろ危険です ゆっくりとした 真の目的を目標にした進化で 必要十分な経済活動で発展して行ければいいと思います。 存在としては 存在性を求めて創意工夫していくのが人間ですから 人間とは存在性であると言うところの新しい人間が実現する事を願っています。 存在しなければ 何も無いのですから存在しなければ話になりません。命を絶つような人は もう一度考え直して もう一度人生をやり直せないかと考え直してもらいたいと思います。 日本の精神状況は複雑で辛いものがあります。しかし存在していればまだ生きる道はあります 治らない病気 末期癌と言われても 死ぬまでに何か出来るはずです 言葉を残すとか思い出を残すとか爪痕を残すとか。。。 存在性理論は存在性の追究が存在を勝ち取り 新しい未来を開くと述べています。心の問題 精神の問題をもっと踏み込みたいところですが 人間の心は自由でなければならない 人間は愛し愛されなければ生きる希望もなくなります。 ぜひ存在性理論を読んでその奥義を活かして下さい。100歳までも 孫子の代までも 存在し続けましょう 1千年後の人類が 幸せである事を祈ります。存在する事が目的であり、存在する事が価値であり、存在する事が意味の根拠であり、正義の根拠でもあり、存在する事にに意義があります。存在する為に生きているのです 存在肯定の哲学です。 これが僕のサイトの結論部分です。貴方の結論はどの様なものでしょうか? もうあまり時間がありません。世界に人口爆発と戦争と飢餓が迫っています。 是非分かり易く 今思うところの結論めいたものを教えて下さい。よろしくお願いします。
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存在性とは じっさいの存在の観念化であるようです。 観念として捉えなければ 恰好がつかないとでもいうように。 あるいは 観念としておくと あたかも永遠に変わりのないものであって だからとうといのだと言わんばかりに。 これらは 気休めかまたは飾りであると言うべきでしょう。 哲学だとはとても思えませんという意味です。 現実を 或る概念に――そしてそれは けっきょく《精神》ということに――仕立て上げてこれを看板に掲げておけば 哲学になるとでも思っているのではありませんか?
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あれ、あのごめんなさい。 >哲学を信用したり必要としている人間 は圧倒的に少ない、と言うつもりでした。 少なくとも日本人にゃあんまり必要ないですしね。 中二あたりで覚醒してるときと、格言好きあたりには重宝されるでしょうが。
お礼
どうも
哲学を信用したり必要とする人間のほうが圧倒的に多いのに その問い掛けをしてる時点でもうなんだかなー哲学ってなー意味ないなーという思いしかないです。 哲学なんて自己欺瞞でしょ。 出るはずもない答えを自分が納得するようにこねくり回して 自分をなんとか納得させる欺瞞的結論を創造する行為じゃないですか。
お礼
そうですか それはどうも どうもでした。
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お礼
全くの誤解です。 どうもです。