• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:正しく考えるには)

正しく考えるためのポイント

このQ&Aのポイント
  • 正しく考えるためには、自分の考え方に留意することが重要です。
  • 「正しく考える能力があるかどうか」を判断するために、「あなたは正しく考えるために、どのようなことを心がけていますか?」と質問することが有効です。
  • 正しく考えることは、結婚や人間関係などの重要な決断をする際にも役立ちます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • neutral-
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.26

こんにちは、HeyXeyさん。 視野狭窄に陥らないことです。

HeyXey
質問者

お礼

 こんにちは、ご回答ありがとうございます^^。 「視野狭窄」、むづかしい言葉をよくご存知ですね^^。僕も辞書で調べてみましょう。 視野の周辺部が欠け、中心部だけしか見えなくなること。網膜の異常で起こる。  もちろん実際の目のことではなく、比喩ですね。 では、見えてはいるけど「どう見えているか」については、どうお考えになりますか。 “スピニングダンサー”と呼ばれる動画があるんですけど、不思議なことに「時計回り」にも見えるし「反時計回り」にも見えるのです。これも比喩ですけど。  僕は人間にはいつでも“思い込み”がある、そのことを象徴しているように見えるのです。  貴重なご意見ありがとうございました^^。

HeyXey
質問者

補足

皆様、たくさんのご回答をいただき、ありがとうございます^^。  その中身を見ますと、「徹底した情報収集」「確かな根拠に基づいて考える」「冷静になる」「批判精神を持って」「正しさは人それぞれ、無数の正しさの形がある」「正しさとは、単にその人の信念の表明である」「自らの信念を疑う」「他人の意見に左右されず、信念を持つべし」「議論し、自分にない考え方も求める」「結局、判断力がなければ出来ない」「バイアスを意識する」「拙速に結論を出さない」「結論を出さない人は卑怯だ、信用できない」「机上の空論に陥らない」「じっくり、休み休み考える」「直観を大切にする」「正しさは言葉では語り得ない」「検証されない正しさは独り善がり」「客観性を持つこと」「実践なき正しさに価値はない」「枠組みの設定自体を正しく」「焦点の当て方を正しく」「嘘を付かれたら見抜けない」…、他にも重要なご意見・視点があったと思いますが、拾い出せなかったとすれば僕の理解力不足です。ご容赦のほどを。 『あなたは正しく考えるために、どのようなことを心がけていますか?』 「正しく」ってどういう意味?、それをまず定義できないと、答えられないよ、と考えられた方もいたようです。そして、結局はこの質問をした人(僕)の主観で判断されるんだろ、と無駄骨感を持たれた方もいるでしょう。 『じゃぁ、お前ならどう答えるんだよ!』と聞かれそうですね^^;  卑怯だと言われないように、じゃぁ述べますね^^;。  僕の考える「正しさ」とは偏見のないことです。偏見を徹底的に取り除くことが「正しく考える」ことにつながります。そして、「正しい」という言葉は、「何をするためには」「誰にとっては」「どういう観点に立てば」という「立ち位置」が定まっていないと使えない言葉だということです。 ※郵便局の前でスーツ姿の妙齢女性が電話で怒鳴ってる    「言われた事だけやって!」 7秒後 「そんなの言われてなくてもやって!」 19秒後 「新人なんだから勝手に判断しないで!」 32秒後 「そんなの自分で考えて!大人でしょ!?」 クックックックッ、ワッワッハー、wwwwwwWWWWWW(爆)  一行だけ見れば「そういうことも正しいかな」と思ってしまいます。他人事ではなく僕もやりそうです^^;。立ち位置が定まっていなければ、正しさも変わるのだし、批判のための批判をやらかしてしまう人は気をつけねばなりません。  偏見については、探しに行ってでも見つけて潰すようにします。「確証バイアス」「あと知恵バイアス」「投影・合理化・否認・同一視」…数え上げたら限がない人間が持ってしまい易い偏見をどれだけ知っているか、頭の中に整理されていて適宜使えるようになっているか、が大事です。  僕は数多くのご意見をこの2つ「偏見を除く」「立ち位置を明確にする」に収れんさせてみましたが、どうでしょう。  でも、この子がカワイイ感じなので、ベストアンサーとします(笑)。これがオチです。

その他の回答 (25)

回答No.25

面白そうで考えてみたんですが、どういえば簡単かが逆に難しいということです。 他の回答とダブルかもしれませんが、正しく考えるは、正しく答えるではなく、正しく悩む、正しく問いを立てる、正しく問題の本質をつかむことかもしれません。つまり与えられた問いに正しく答えることより、問題点を自ら見つけることの重要性を思います。NHKのドクターの診断のクイズ番組で、研修医は病名を当てようとし、プロは患者さんの問題点を見つけようとする姿勢に、何となくそう感じました。 追 他のカテの人生相談もがんばっておられますね。

HeyXey
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  ヘッヘッ^^;、よく御存じで…^^。あなたとほぼタメですね、ちょっと僕の方が年寄りです。  あの総合診療医の番組、おもしろいですね。僕も見ています。尋ねる、可能性を考える、疑う、観察する、可能性を消去する、追加検査する、診断を下す。確かに似てますねぇ。  Good job !

HeyXey
質問者

補足

僕は気付いたんです。彼は感情を表す言葉をほぼ使わないことに。心、残念、感じるetc.

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.24

こんばんは 面白いご推察ありがとうございます。 訂正 時空列→時系列 私は、いつも「半信半疑」という心構えなのですが。 文章は苦手なので、勉強しています。 成程、そのような文章になっていると納得しました。 >>では、諸行無常であり、縁起が成り立つ、動態であるこの世界で、誰もが納得でき る正しさとは何かと云うと。 それは、自らの発言、行動に関して、迅速かつ的確な判断ができるです。 簡単に、説明すると。 質問に早く答えた方が、正しいとされる。と云う事です。 「後から、私が最初に考えたのです、だから、権利は私のものだ。」と言っても。信用はされません。 >>哲学では、全てを疑って、批判して、正しいことはないと云うのが正解かもしれま せん。 しかしですね、人間関係ではそういう事を主張する人は、信頼されないし、何を語っ ても正しいとは受け入れられないでしょう。 簡単に、説明すると。 哲学では、正しいことを追求するには、常に、懐疑、批判するという方法が必要だということです。 「それは、結論を述べないということなので、答えがないなら信用などできないだろう」ということです。 >人は「自分には解からないもの」に興味を失います。 そうですね、「信じた者に裏切られ」「他人に間違いを説明すれば、嫌われ」「結論をださない人に、怒られて」「哲学という誰も解らないものに興味を持ち面白いと感じる」私は変かもしれません。 心理学は、誰もが自分の事を語っているように感じるのですが。私だけでしょうか? 共同主観な部分(統計)は使えるかもしれませんね~。 人生は今しかありません。過去も現在も未来も無いと思います。=記憶や想像。 そして、移り変わり。 存在とは、(有、無)=空集合

HeyXey
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 それは、自らの発言、行動に関して、迅速かつ的確な判断ができる です。  または それは、「自らの発言、行動に関して、迅速かつ的確な判断ができる」です。  と、空白を挟むか、かっこで括ると読みやすいです。 お会いできて良かったです^^。  

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.23

こんばんは HeyXeyさん。 哲学では、全てを疑って、批判して、正しいことはないと云うのが正解かもしれません。 しかしですね、人間関係ではそういう事を主張する人は、信頼されないし、何を語っても正しいとは受け入れられないでしょう。 では、諸行無常であり、縁起が成り立つ、動態であるこの世界で、誰もが納得できる正しさとは何かと云うと。 それは、自らの発言、行動に関して、迅速かつ的確な判断ができるです。 相対的な人間関係では、誰よりも迅速かつ的確な判断であれば、誰にでも信頼され、時空列からしてもより正しいとされます。 では、どうすれば迅速かつ的確な判断をすることができるかというと。 経験からの直観ですね。 物事を常日頃からよく観察していること。実際、シュミレーションしてみること。 では、何処を観察するかというと、何かを行う場合の費用を正確に把握できていれば、決断は失敗なく行えます。 「全体で考えて、可能かどうか?数字に変換すると分かり易い。」 相対的な人間関係では、相手を見極めることも大事だと思います。 特に、人間性や意欲等。 貴方の知識の足しになれば幸いです。(^-^)

HeyXey
質問者

お礼

 ご参加いただき、ありがとうございます。 えーと、意味不明箇所発見! >では、諸行無常であり、縁起が成り立つ、動態であるこの世界で、誰もが納得できる正しさとは何かと云うと。 それは、自らの発言、行動に関して、迅速かつ的確な判断ができるです。  何となくおっしゃってる意味は理解しているつもりです。世界の要素は相互に関連し合っている。刻一刻と世界は変化し続け、一瞬たりとも同じ世界ではない。普段からよく観察し考えを準備しておけば、いざ判断を迫られる場面に出会った時に、そのようにしておかなかった場合に比べてより正しい判断ができるだろう。  気になるのは、この部分です。 >哲学では、全てを疑って、批判して、正しいことはないと云うのが正解かもしれません。 しかしですね、人間関係ではそういう事を主張する人は、信頼されないし、何を語っても正しいとは受け入れられないでしょう。  体験としてそう考えられたのか、単にアナーキーな印象は一般受けしないだろうという意味なのか、縁起とか空とか、ちゃんとした結論を導き出せていない人が信用できないの意味なのか。それとも、理屈だけこねて、自分の目で見ないで、自分の直観に頼らず、空理空論しているから「正しいことはない」という結論を口にするだと捉えて、信用されないと考えるのか。  僕は本当は心理学の方でして、蝶々さんは「疑われてはじかれた」経験が御有りなのではないかと、妄想いたします。だから、疑って疑って正解を出すという手法に恨みのような感情をお持ちなのではないかと想像してしまいます。「厳密に誤りを指摘されたのでは、何も口に出せない」という不満が御有りではありませんか?。冒頭に意味不明箇所発見!などと申し上げ、申し訳ありませんでした。  僕は考え方を変えました。  蝶々さんの言葉を受け止めるには、その枝葉末節を気に留めるのではなく、言わんとされるところのエッセンスだけを受け止めればいいのだと。  言葉には感情がまとわっています。少し違う言葉を選択して使うだけで、言葉の発する感情のニュアンスが違ってきます。意味不明箇所が発生したのは偶然ではなく、何らかの必然があるものと仮定すると、僕は蝶々さんの気質に考えを巡らせねばなりません。  例えば、「解説」と「説明」は、どちらが“偉そう”にしていますか?。もし、このニュアンスの違いがお判りにならないようなら、あなたにはアスペルガー気質が微弱に備わっているように思います。他人への関心が薄くありませんか?。人は「自分には解からないもの」に興味を失います。もし、他人の気持ちが解かりにくいアスペ気質の人がいたら、他人への関心を失うのは道理なのです。ちなみに、僕は絵画や書の良し悪しが解かりませんので、絵画や書に興味がありません。  知的には完璧に見える蝶々さんに、搦め手で挑戦してみた訳でして、決して他意はありません。失礼の段は平にご容赦願います。なにか蝶々さんの思索活動に影響を与えることができたなら、光栄です。また、ご投稿いただけるものでしたら、これほど嬉しいことはございません。  長々と妄想を書き連ね、失礼いたしました。

noname#208724
noname#208724
回答No.22

補足までいただいて想定外でした。ちょっと油断してました。 (ゲシュタルト)これは初めて見た言葉なので、その意味を調べてみました。その調べた意味を私に当てはめると、私の方法は、全体性を持った構造ということになりました。たしかに私は講義を受けるときにも、スケッチブックに青インクでノートをとっていましたし、その理由が、見開きで全体を見渡せるようにという考えからでした。全体の構造を見失わないようにという私なりの方法だったと思います。 私の方法に対比して、他の方法で(わかった)という人を、私は(枠から出ようとしない人)と認識しています。それには理由がありまして、世の中では、たとえば大学で勉強して(わかった)はずの人が、つまらないイジメや、ツキマトイをしているという現実を見たからです。それはつまり、学問の枠の中は知ったけれど、なぜ人間に学問が必要なのかを(わかっていない)有り様を示しているからです。ひいては人間にとって知り得ないことがあるにもかかわらず、知り得ない領域を否定して、無き物にしようとする暴挙にでる可能性を、私は憂いでいるのです。 ところでご質問は 『あなたは正しく考えるために、どのようなことを心がけていますか?』 ということで、むしろ 「ロジックの正確さを保つために、どのようなことを心がけていますか?」 という意味なのではないかと、いまさらですが、気付きました。しかしその場合は、私は回答できないのです。私は言葉を発する事自体を、信頼に値しないものとして扱っているからです。これは困ったことになりましたね。 ではこれでどうでしょう。「ロジックが行動に反映されていなければ、ロジックの正確さは保障できない。」と定義します。つまりロジックによる組み立ては、行動に移されて、構造として比較されなければ検証できない。したがって、「人の行動を見ずに、人の考え方を評価することはできない。」 これを私の答としますので、よろしくお願いします。なんかめんどくさい事を言って、ごめんなさい。 HeyXey さんは、自身の感性も納得できて、なおかつ矛盾のないように仕上げられた時、『わかった!』ということだそうで、欲張りなんじゃないかと思いました。なかなかそこまでは行きませんよ。

noname#208724
noname#208724
回答No.21

HeyXey さん、はじめまして。私も飛び入りで、怪答をさせてもらいますが、いかんせん私は哲学史を知らないので、一人の人間として、正しさを追ってみました。 「唯一絶対的な正しさ」 私をこの地に住まわせた美しき大自然よ。私は一日たりともその広き心に感謝しない日などないのだ。私の絶対的な正しさの根拠は、まさに大自然より賜わり下された、現に私が既に存在する事。そのことではないだろうか。 「欲求の正しさと不安」 現に私が存在するからには、存在が現に欲求することもまた、正しいのではないだろうか。しかしそれに先立って、死は予約されている。その死を忘れることの欲求については、はたして正しいのかどうかが不安である。 「目的の正しくなさ」 ときに私は、悪しきものを創造してしまう。今まさに私は、その存在する事の他に、目的までをも欲してしまうのだ。何としても生きる事のために手段があるというのに、先に目的を創造し、合目的な手段を考えてしまう悪しき習慣である。 「意志の正しくなさ」 攻撃は最大の防御と言われるほどに、攻撃によって防御しようとする意志が、自分にとって最大の敵であることも忘れてはならない。その意志が、正しさを求める心を追いやってしまうのだから。まして無意味な攻撃が、無意味な勝利が、正しさの証ではないことを、私は知らなければならない。 「言動の正しくなさ」 私は自分の行動をよく振り返り、自分の言っている事と、やっている事が異なっているときがないか、また、決まった方法に誤りはないかを、注意深く探さなければならない。むしろ強気の時ほど、そうしなければならない。それが自分の正しくなさの探求である。 「規律の正しくなさ」 規律は、余りに人間的な正しさであり、死を忘れ、心を忘れたがゆえの、合目的かつ合理的かつ効率的な、思考の限界として表れる開き直りである。欲の塊が欲の塊を律し、規として固定するのである。それは人から思考を奪い、裏取引をする者を助ける巧妙な企みでもある。 「知と経験の正しくなさ」 モノゴトの手続きを記憶したならば、人は経験を積んだと表現する。一度ついてしまった癖は抜けないもので、知った、経験したという優越感に浸ってしまう。だがそれは、癖が身についただけのことであって、知らないし、経験が足りていないということの事実を、癖が隠しているだけなのである。

HeyXey
質問者

お礼

 ご参加いただき、ありがとうございます。  見た瞬間、新興宗教の人かなっ?て思いました。でも、せっかく投稿して下さったのだし、質問の趣旨とは少しズレた回答ですけれど、読ませていただきました。  これは、暗にわたくしめに感想を述べよ、とおっしゃっているように感じましたので、僭越ながら述べさせていただきます。  なるほど、あなたは感性で捉える側の人なんですね。僕なんかは理屈で腑に落ちるタイプです。西洋の古典抒情詩を読んでいるかのような、格調の高さを感じました。(僕は読んだことないですけどね)  「正しく考える」と「わかる」は、隣にある概念だと思います。自分が物事を正しく理解できたと感じた時、『わかった!』となるからです。「わかる」の方法には、二種類あると思います。あなたは、その優れた“感性”によって、ゲシュタルト(全体)をまず把握し、その後に表現を考えるタイプです。対して、一般的な人は、矛盾が起きないよう積み上げていくような理解の仕方をします。  「わかる」とは何か?。辞書を引いて、別の言葉に置き換えれば「わかった」ことになるのでしょうか。その物事の周辺の事情を知れば「わかった」ことになるのでしょうか。  「正しさ」のその先にある、「わかる」方法として、“感性”を否定するつもりは僕にはありません。ただ、自分が得意とする感性を重視するあまり、その他の方法で「わかる」人たちを(頭でっかち、固定観念、枠から出ようとしない人…どういう表現かは知りませんが)軽視するようになるのが性ではないでしょうか。と、すこし妄想気味に批判めいた事を述べてしまい、申し訳ありません。  またのご投稿、できれば質問趣旨に沿ったものをお待ちしています。

HeyXey
質問者

補足

 妄想ついでに、もう少し。  感性で「わかった!」となるあなたから見て、一般的な人たちが「わかった」となっているのを見ると、「わかったつもり」、あるいは「出鱈目な根拠から創られた出鱈目」に見えると思います。あなたにとって、本当の「わかる」とは、理屈をこねくり回して恣意的に創り上げるものではなく、「感じるもの」だからです。僕の場合はと言うと、さてどうでしょう。自身の感性も納得できて、なおかつ矛盾のないように仕上げられた時、『わかった!』でしょうか。優等生すぎますかね。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.20

同じようなことを書いて居られるかたもいますのでちょうふくするかもしれませんが、簡単に書きます。 世界には神が複数有り、ないというひとも沢山居ます。ひとつの神をもったひとにとっては他の神や無神論をいただくひとを邪悪(不正)な人格だとする見方もあります。また、人格の数だけ正義は存在するというひともいます。なので、私は「正しい考え方」というものがあったとしても、それがたとえ正しかったとしても、とてもそれらが皆正しいとは思えないし、納得も出来ないと思うのです。 正しいかどうか以前の観念として、真か偽かということがあるとおもいます。私はそれが正しいかどうかの基準としてのそのひとの人格、よってたつ思想の真偽を重視したいと思います。 >あなたは正しく考えるために、どのようなことを心がけていますか?』 可能な限り得られるそれについての情報を探して取り込み、理解し判断しようと思っています。

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.19

正しい と言うのは何に対して正しいのか?人に対してか?真理に対してか? 理性で真理に対して正しい事を見極めなければ、幾ら人が賛同してくれても  現実の役には立たない知識となります。真理に近づかなければ正しいとは言えないと思います。 勿論イドラや心理的なことも考えますが 私が正しい答えを出す為に気を付けてる事は 無理やり答えを出そうとしても そうそう出るものじゃない。何かの切っ掛けで気づき「あ そうなんだ」と分かる その機が熟すのを待つ事ですね。これはどんな発見でもそうですが思考はコンピューターもようには行きません。 コロンブスの卵でも、ニュートンのリンゴでも、ダーウィンの進化論でも机上で考えついたものではない デカルトの「コギト・エルゴ・スム」にしてもたまたま喘息か何かで学校を遅刻していたデカルトが思いついた 健康だったら思い付かなかったかもしれない。ソクラテスの産婆術でも相手によってより良い答えにたどり着くこともあろう。 私はその様な新しい考えが出てくるのを待つ。拙速に決めはしない。 同じことでも何度も考えてるうちに議論の相手によって ポロっと 正しい答えに気づく時を待ちます。 あんまり勉強しすぎないのも必要です。他者の考えに囚われると そこから全く違う答えは出てこないものです。

HeyXey
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 正しいにもいろんな意味がありますね。ひとつには偏見がないということ、そして正解が出なければ保留することも必要、ということですね。 理詰めで考えるだけだと、ポロッと出る気付きを見逃してしまう。 ですね。

noname#209009
noname#209009
回答No.18

議論の中で全てを分かってもらうのは不可能でしょうね。 ただ共通点のある人からアドバイスを受けることはできます。 足りないピースは必ず誰かしらが持っています。 結局No.1の回答に全て書いてあるんですけどね。

noname#209009
noname#209009
回答No.17

では誤解を恐れずもう少し簡単に言いかえますと できるだけたくさんの人と議論をする。 その過程において質問者様が危惧されることは解消されるでしょう。

HeyXey
質問者

お礼

 うむ、議論ですね。それは、どういう意味合いでしょう。文面から察すると、自分にない考え方を広く求める姿勢、ということですね。確かに、正しく考えるための姿勢として回答を評価します。  では、自分の半生の経験が積み重なって、それが原因となって起きているであろう現象、たとえば人間不信であったり、自尊心の低さであったり、そういった問題を考えるにあたっては、すべての経験を他人に話して説明することは不可能で、自分一人で考えないといけないような場合、どういう心構えが必要でしょう。正しく考えなかった場合、「親を殺さなければ解決しない」みたいな、とんでもない結論に達してしまうことも考えられますよね。  まぁ、この質問自体、頭の体操ですので、お気軽にご回答ください。

HeyXey
質問者

補足

 親を殺すは幼稚で極端な例えだったと思いますが、人間不信や自尊心の低さを“努力”で何とか克服しようと考える人は多いのではないでしょうか。確かに身体やアタマに関することについては「努力」は実を結ぶでしょう。自転車乗りでも逆上がりでも水泳でも語学学習でも、一生懸命努力すればそれなりの成果を上げることが出来ると思います。  でも心の問題はどうでしょう?。潔癖症、短気、頑固、運動嫌い、人間不信などが努力で変えられるでしょうか?。もし変わるとすれば、何かがきっかけで自分でも知らないうちに変容が起きるからだと思うのです。僕自身も、本の中の一行、誰かの何気ないひとこと、ふと心に浮かんだ思い、目に映った美しい自然の一コマ、そのようなものがきっかけとなって、大きく自分が変わったり飛躍したりしたように思えるのです。  お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたのも、きっとある瞬間にパッーと世界の全体像が理解できたのでしょう。もちろん、それまでに頭をフル回転して考えていたから出来たのだと思います。そのようなゲシュタルト体験は数学の難解な証明問題に取り組む数学者にも起こるのだろうなと思います。(余談)

回答No.16

「正しい」という言葉が意味するのは、「論理的に破綻 していない事(完全)」と、「現実の世界を記述している 事(無矛盾)」の2つを具備するものである。 しかし、不完全性定理において、「公理系は、不完全(その 公理系内で証明できない公理の介入)である場合にのみ、 無矛盾であり得る」という証明がなされ、その2つは両立 しないものである事が明らかとなった。 つまり「論理的に破綻がない」か、「現実を矛盾なく記述 している」かの、どちらかしかないのだ。 そのどちらかに価値があるのではなく、そこにはもう1つの プラグマティックな“正しさ”=社会の役に立つ(人々の 幸福感の増進に寄与する)がある。

HeyXey
質問者

お礼

ゲーデルの不完全性定理ですね。よく分かりませんが、ひとつの公理系の中でそれ自体の無矛盾を証明することはできない、みたいなことですかね。はい、psytexさんは殿堂入りです。  哲学の成果は、何年か遅れで世間一般の考え方の中に浸透すると思います。それは流行歌の歌詞の中に出てきたり、ニュースキャスターの口に毎日のように登って、いつの間にかその時代の常識になります。民主主義しかり、無意識しかり、構造主義しかり。「人生の意味とはーその意味を求める過程こそが人生なのだ」みたいな形で一般にそのエッセンンスが流布するのではないでしょうか。  なじみやす言葉で表現していただきたいと思います。それがpsytexさんの限界かなって…。

関連するQ&A