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正しく考えるためのポイント
- 正しく考えるためには、自分の考え方に留意することが重要です。
- 「正しく考える能力があるかどうか」を判断するために、「あなたは正しく考えるために、どのようなことを心がけていますか?」と質問することが有効です。
- 正しく考えることは、結婚や人間関係などの重要な決断をする際にも役立ちます。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは、HeyXeyさん。 視野狭窄に陥らないことです。
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- kurinal
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HeyXey様、こんばんは。 >「善人を選ぶ基準にもなります。」 「善悪」って。 >「正しく考えるには」 ・・・「善悪って」 (人権を侵害しないように、心掛けたいものですね)
お礼
正しく考えられない人が善を主張したとして、それを信じられましょうや。 その人を現に批判して吊し上げようという話ではないのです。信用できる人物かどうか、見た目で判断なんてできません。だから、とん知を効かせた質問を一つするとしたら、どういう質問が有効だろうか、という発想でもあるのです。 「ある島には、ウソつき村と正直村の二村がありました。ウソつき村の住人は必ずウソを言い、正直村の住人は必ず本当のことを言います。二つの村の分岐点に一人の住人が立っていました。その住人にひとつだけ質問をして、正直村への道を探り出すため、あなたはどのような質問をしますか?」というような論理ゲームのノリでもあるのです。 人権侵害などという言葉と無縁の質問なのです。
>“解釈”の違い これは情報収集に入っていますよ。
お礼
行き違いがあり、失礼がありましたらご容赦ください。 人は考え、判断し、何らかの信念を持つに至ります。頑なに自分の信念を貫くことは正しいことだと思いますか。それとも、「正しく考えるために」自分の信念を疑ってみることは必要だと思いますか。 信念を持ちつつ、その信念を自ら疑ってみる、という姿勢は矛盾しているように見えます。疑ってみるということは、すなわち「正しく考えるには必要な姿勢」ではないでしょうか。もし、そのよなへんてこな向き合い方ができるとするなら、どういうものなのかという視点もお考え頂けないでしょうか。 情報収集と精査・分析という1層目の下にある「考え方に対する考え方」の部分をお聞かせ頂ければ有難いです。
>あなたは正しく考えるために、どのようなことを心がけていますか? 正しく考えることの判断能力にも個人差があるようにも思います。 また、絶対的に(確実に100%)正しいことは この世に存在しないと思います。 その正しい考え方にも何通りも正しい考え方があると私は思います。 世間の一般常識での正しいとする考え方なのか。 善悪を判断する正しい考え方とするのか。 他人と議論をして正しい正しくないと判断するのか。 その正しいと思っていた考え方が誤っていた考え方ということもあります。 正しく考える事に答えは一つではないとも思います。 また、感情的にもなれば正しいのか正しくないのか 冷静な判断が出来なくなるとも思います。 心掛けるとするならば、 自分の主観的な考えを捨て、 客観的に他人の意見や考え方、物事を見て 冷静に善悪を判断するしかないと思います。 しかし、そういった超人的な人は ほんの一握りの人間にしか出来ないことだと思います。 >人はみんな「自分は正しい」と思って生きていると思うんですよ。 確かに「自分は正しい」という信念を持っている人がいます。 しかし、その信念が正しいのか間違っているのかは その本人の判断基準があります。 他人には間違った信念に見えても本人がそう信じている信念なら 正そうとするのは意味のない事だと思います。 >善人を選ぶ基準にもなります。 善人を選ぶ基準にはなると思いますが、 善人を判断する基準にはその個人の主観的な考えが入るものと思います。 以上で私の意見を述べましたが、 私が悪人か善人か、正しい考えの出来る人か出来ない人かは 質問者様のご判断にお任せします。
お礼
おっしゃる通り、絶対的な正しさは無いように感じるし、正しさにもいろいろあると思います。その中で「「正しく考えるには」考えておかなければいけないことは何か?」というメタ正しい思考について質問すれば、その人の正しく考える力量を量ることができるのではないか、という思いなのです。 表現を変えれば、「正しく考える」とは「客観的に考える」ことだと僕も思います。では、客観的に考える為にはどうしてますか?。何に気をつけてますか?。 性格のいい善人でも、正しく考える力がなければ、とんでもない間違いを犯すのです。ISは言うに及ばず、アメリカ人で進化論を認めない人のなんと多いことか。良い人だけではダメで、正しく考えるための正しい姿勢について、きちんと考えているかどうかは、性格の良し悪しよりも大切な、人物の値踏み基準になると思うのです。 ありていに言えば、方法的懐疑のように、「自分を疑ってみる姿勢」は必須だと思うのです。思う所があれば、ぜひ、再度のご回答をお願いします。
- pigunosuke
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私は別に、自分が正しいとは思ってません 例えば 新しい遺跡が発見されれば、 歴史の教科書にだって、ウソが記載されていた事になるのです 自分の知る知識や常識が、間違っている可能性なんて いくらでも有ります ですから 正しいと思える根拠は何か?を、考えるようにしてますね ちなみに どんなタイミングで、そんな質問を投げかけるのですか? 話しには流れって物があります 何の脈絡も無く、そんな質問をしたところで 「こいつ頭沸いてるんじゃね?」と、思われるような気がしますが いかがでしょうか?
お礼
ハッハッハッ、確かにシチュエーションを無視してこんな質問を投げかけたら頭沸いてると思われても仕方ないですね。でも、一生の伴侶を選ぶ場合とか、山に登ってテントの中で学生同士が会話する話題としてなら成立するのではないでしょうか。 >私は別に、自分が正しいとは思ってません 将来の正しさまで確信しなくてもいいのです。その時点でベストやベターの「正しい考え方」をするときの基準となる考え方は何ですか?という質問です。行動の選択基準ではなく、(正しく考えようとする場合の)考え方の基準です。正しく考えようとするならば、あなたはどんな点に注意していますか?と問うことで、その人の「正しく考える」力量を量るのです。
補足
回答者様はわざと正しくない方を選ぶというのですか?。それは精神病の人以外にまずありえないでしょう。ある視点から見れば正しいけれど、別の視点から見れば正しくない判断、と言うなら分かります。また、僕は「自分は正しいと思いますか」とは問うていません。質問文の前提自体を疑う手法に目を付けられた点は、枠を外す手法であり、素晴らしいと感じます。僕が前提としたのは、あなたは「正しく考えようとしていますよねぇ」です。そういう意味での>人はみんな「自分は正しい」と思って生きていると思うんですよーです。
>あなたは正しく考えるために、どのようなことを心がけていますか? 情報収集と精査・分析。 その結果と経験から正しさの程度を判断します。
お礼
さっそくの回答、ありがとうございます。 人によって考えが分かれるのは、確かに“事実”把握の違いの場合もあるでしょうが、ほとんどは、確認不能な見えない部分(人の心の中、原因・因果関係など)に対する“解釈”の違いの場合ではないでしょうか。それを踏まえて、再度お考え頂けると有難いです。
お礼
こんにちは、ご回答ありがとうございます^^。 「視野狭窄」、むづかしい言葉をよくご存知ですね^^。僕も辞書で調べてみましょう。 視野の周辺部が欠け、中心部だけしか見えなくなること。網膜の異常で起こる。 もちろん実際の目のことではなく、比喩ですね。 では、見えてはいるけど「どう見えているか」については、どうお考えになりますか。 “スピニングダンサー”と呼ばれる動画があるんですけど、不思議なことに「時計回り」にも見えるし「反時計回り」にも見えるのです。これも比喩ですけど。 僕は人間にはいつでも“思い込み”がある、そのことを象徴しているように見えるのです。 貴重なご意見ありがとうございました^^。
補足
皆様、たくさんのご回答をいただき、ありがとうございます^^。 その中身を見ますと、「徹底した情報収集」「確かな根拠に基づいて考える」「冷静になる」「批判精神を持って」「正しさは人それぞれ、無数の正しさの形がある」「正しさとは、単にその人の信念の表明である」「自らの信念を疑う」「他人の意見に左右されず、信念を持つべし」「議論し、自分にない考え方も求める」「結局、判断力がなければ出来ない」「バイアスを意識する」「拙速に結論を出さない」「結論を出さない人は卑怯だ、信用できない」「机上の空論に陥らない」「じっくり、休み休み考える」「直観を大切にする」「正しさは言葉では語り得ない」「検証されない正しさは独り善がり」「客観性を持つこと」「実践なき正しさに価値はない」「枠組みの設定自体を正しく」「焦点の当て方を正しく」「嘘を付かれたら見抜けない」…、他にも重要なご意見・視点があったと思いますが、拾い出せなかったとすれば僕の理解力不足です。ご容赦のほどを。 『あなたは正しく考えるために、どのようなことを心がけていますか?』 「正しく」ってどういう意味?、それをまず定義できないと、答えられないよ、と考えられた方もいたようです。そして、結局はこの質問をした人(僕)の主観で判断されるんだろ、と無駄骨感を持たれた方もいるでしょう。 『じゃぁ、お前ならどう答えるんだよ!』と聞かれそうですね^^; 卑怯だと言われないように、じゃぁ述べますね^^;。 僕の考える「正しさ」とは偏見のないことです。偏見を徹底的に取り除くことが「正しく考える」ことにつながります。そして、「正しい」という言葉は、「何をするためには」「誰にとっては」「どういう観点に立てば」という「立ち位置」が定まっていないと使えない言葉だということです。 ※郵便局の前でスーツ姿の妙齢女性が電話で怒鳴ってる 「言われた事だけやって!」 7秒後 「そんなの言われてなくてもやって!」 19秒後 「新人なんだから勝手に判断しないで!」 32秒後 「そんなの自分で考えて!大人でしょ!?」 クックックックッ、ワッワッハー、wwwwwwWWWWWW(爆) 一行だけ見れば「そういうことも正しいかな」と思ってしまいます。他人事ではなく僕もやりそうです^^;。立ち位置が定まっていなければ、正しさも変わるのだし、批判のための批判をやらかしてしまう人は気をつけねばなりません。 偏見については、探しに行ってでも見つけて潰すようにします。「確証バイアス」「あと知恵バイアス」「投影・合理化・否認・同一視」…数え上げたら限がない人間が持ってしまい易い偏見をどれだけ知っているか、頭の中に整理されていて適宜使えるようになっているか、が大事です。 僕は数多くのご意見をこの2つ「偏見を除く」「立ち位置を明確にする」に収れんさせてみましたが、どうでしょう。 でも、この子がカワイイ感じなので、ベストアンサーとします(笑)。これがオチです。