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命題「存在は定義できない」が偽であることを立証できますか?
- 命題「存在は定義できない」について真偽が分かれる意見があります。
- 存在は定義できないという命題に対しては、ハイデガーや哲学史の研究者も賛同しています。
- 公理的集合論を用いて存在は定義できないことを否定するための証明を考えています。
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まったく トンチンカンな答えかもしれませんが。 定義は本質を表す命題とします。「存在者は存在する」の 存在者は 森羅万象の任意の一状態を表しており 存在はその状態がある ことを表している と考えます。存在の一定義として 一つの固定された存在者しか表現できない 存在命題を考えます。例えば 一存在の定義をOK9608の指紋を持っている人間とする(B1)。その存在者(A1)は唯一OK9608となる。 同様に次のB2の存在を定義し 存在者A2を特定する。 続いて Bnの存在を定義し 存在者Anの存在者を特定する。存在の定義としてB1 or B2 o r ・・・・ Bnとすれば 存在者A1、A2、・・・・・An は特定できる。人間の知識の全てのn個の存在は定義でき 対応する存在者は特定される。森羅万象はそのn個の存在者で構成されるとしたら 存在は定義されたことになる。 しかし n+1個め の未知の存在の定義は 未知であり 存在者は未知となる。この未知は やがて既知になると予想されるが 永遠に次の未知が発生する と予想される。定義の未知が続く限り 、一般には 存在の定義はできない と理解されても しかたがないかと思われます。 以上
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もくぞーさん こんにちは。相対性理論の基本式の質問でお世話になった、がりぞーです。その節は、式の記入もれに気付いてもらってありがとうございました。 ところで、存在の定義については、物理学のほうで既に決まってるみたいですよ。 ---------------------------- 1916年 一般相対性理論が発表され、物体の存在が宇宙の法則により規定された。 命題A「物体は存在する」 命題B「相対的な速さと重力により、物体同士は法則及び変数仮説の作用を受け規定される」 1982年 アスぺの実験により、一般相対性理論の変数仮説に対する反証である量子論が肯定された。 命題C「不確定な物体同士は不確定な物体同士の自発的相互作用で規定される。」 現在 「我々の次元における存在とは、宇宙の法則に従った、不確定な物体同士の自発的相互作用による規定である。」 したがって、「存在」と「ある」は同義ではない。「ある」とは、「ない」と言えないことである。つまり「存在」は事実の真理であり、「ある」は理性の真理である。 ---------------------------- 以上はコピペなので、あとで裏付をとってみてください。私はちょっと忙しいので。 例文1. 私はここに存在をする。 私はここに自発的相互作用による規定をする。 例文2. 私という存在は、他の場所には存在をしない。 私という自発的相互作用による規定は、他の場所には自発的相互作用による規定をしない。 例文3.幽霊はある。(理性の真理としてある。) ※宇宙の始まりも、自発的な対称性の崩れから始まった、とする説が有力なんだそうですけど、だけども私たち下町の庶民派としては、朝になればお天道様は東に出てるんだし、目の前にお米が存在するから三度のめしが食えるってもんですよ。めしを食ったら腹が膨れるってのが何よりの証明じゃないでしょうかね。
お礼
有難うございます。 物理学で解決した問題を、哲学のカテゴリで捏ねまわす必要はないですね。 哲学は、物理学で解決できない命題だけ捏ねまわしておればよいと思いました。
とりあえず、じゃダメなんですか? ここは一体どこなのか?、と本質的に同じ問だと思うけど。 その目的と、この近傍の領域地図の中で指示される位置。 そういう、とりあえずではダメなんですか? 所詮、全ての「意味」は、それが置かれていて対比や 背景があって初めて特定できる「単語」なりに焦点を 結びます。 「存在」という概念を単体で成立させようと言う試みは、 一切の光の無い深宇宙の闇の中で、「ここはどこか」を 説明しようとするほど、意味を失うことだと思うのです。 真っ暗な空間に碁盤が浮かんでいる。 そこに置かれた碁石は、その碁盤の座標で語られる。 ある「意味」は、それが成立し得る「系」と不可分な ものであると、私は思うのです。 ガラスの塊が割れて、へき開面がガラスの中に生まれる。 それは厚みゼロだけれども、ガラスの割れた面、として 存在できる。 ガラスという「系」があるからこそ、 厚みが無いものが「存在」出来る。 「系」の領域、哲学的なものなら「意味の閾値」を 決めて、その中で語られるべき、一つ、或いは複数、 或いは全て、或いは一つも無し、の集合要素として 考察されるべき、群論の中で語られるべきものかも 知れないと、 漠然と濁った頭で 私は考えおります。 もうダメだ、寝落ちします。 おやすみなさい。
お礼
眠たい処、どうもありがとうございました。 >とりあえず、じゃダメなんですか? とりあえず、で良い事項を、敢えて捏ねまわす(こねまわす)のが哲学なんですよね。 なんせ、暇なもんですから(笑)。
- ways
- ベストアンサー率31% (79/253)
「五感で捉えられるもの」 だと思います。 見たり聞いたり、触ったり嗅いでみたり、味わったりで確認できます。
お礼
ありがとうございます。 「五感(ごかん)とは、動物やヒトが外界を感知するための多種類の感覚機能のうち、古来からの分類による5種類、すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚をさす。」 宇宙のビッグバンの直前のインフレーションなどは五感でとらえることができません。 五感でとらえることができないものは存在ではないのでしょうか。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
#2の者です。 >ゲーデルは「公理系が無矛盾ならば不完全」であることを示そうとしたが >果たせず、それよりも少し弱い「ω無矛盾ならば不完全」であることを示した。 >我々も一般の無矛盾で議論を進めませんか? 一体いつの話をしているのでしょうか? 既に一般化された無矛盾における第一不完全性定理も 証明されています。 そもそも、あなたの指摘している「一般化された無矛盾」 というのは、存在=時空的(あるいは物理的)に非常に 限定された『無矛盾』性であって、不完全性定理によって 扱われた矛盾は、リシャール数を用いた奇跡のような証明 により、物理や数学、論理学の枠を超えた、あらゆる論理 式に敷衍しうる、より「一般化」されたものです。
お礼
再度の投稿ありがとうございます。 そうですか。 命題の証明は無理だということなのですか。
- Tefu_Tefu
- ベストアンサー率27% (87/322)
こんばんは Mokuzo100nennさん 「我思う、故に我あり」により、思惟する私は存在する。 私は五感の認識で、Aを自然数1として捉えるならば、それは閉ざされた空間の中の濃度のある単集合{0}として観ることができる。 私は脳の認知バイアス(脳の負担を和らげる方法)として、単集合{0}を0~1までの量の数学の概念として置き換えることにより、数字の1とする。 私は自然数1という単集合{0}を不変的な概念の数字の1と置き換えることができた。 思惟する私は、Aである自然数1が存在するのは明白な事実だと確信する。 「存在は定義できない」は偽である。
お礼
ありがとうございます。 「存在の一例」を思惟し、認知する事で、定義したことになるかもれません。 しかし、存在の一例ではなく、メタレベルでの存在の概念を定義可能なのかどうか、この点に興味があります。
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
『数学や論理学など得意な方、どなたか、手伝っていただけないでしょうか? 質問:命題「存在は定義できない」が偽であることを立証できますか?』 これは、手伝うのではなく、回答者が立証できることを示すのでもなく、「回答者が立証せよ」という問いなのですか? これまでの回答へのご見解は、哲学以前の国語の問題ですから、確認させていただきたく。
お礼
命題が真だとする主張に対する反証をいただければ嬉しいし、 逆命題が真だとする主張をいただけるのも歓迎です。 あるいは、私の主張(期待か?)が絶望であることを諭していただいても結構です。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
不完全性定理が成立した事により、あらゆる言明が 有限(Aと非Aを同時に導かない=存在)ならば、 無矛盾(公理系の内で証明できる)ではあり得ません。
お礼
投稿ありがとうございます。 「自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。」 ここで、「ω無矛盾であれば」がという制約条件が重要ですね。 ゲーデルは「公理系が無矛盾ならば不完全」であることを示そうとしたが果たせず、それよりも少し弱い「ω無矛盾ならば不完全」であることを示した。 我々も一般の無矛盾で議論を進めませんか?
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
「悪魔の証明」のように、すべての可能性を否定しないと命題が偽であることを証明したことにならないという、現実世界の有限時間では証明しきれない手法はとらずに、 数学ででてくる「背理法」によって、命題が真であると仮定したときに、推論を進めると矛盾が生じるから、命題は真ではなく偽なのだ、という論法のほうが無理が無いと思いますよ。
お礼
投稿有難うございます。 ご指摘の様に、命題が偽であることを立証しようとすると、とかく「悪魔の証明」にはまり込みがちですね。 では、対偶をとって、逆命題が真であることを立証してみていただけませんか? 逆命題「存在は定義できる」が真であることを論証せよ!
お礼
回答ありがとうございます。 まったく頓珍漢とは思いません。 が、しかし、ご存じのように、集合の要素にべき集合が含まれると、「全ての集合を含む集合」が成立しないのです。 そこで、「全ての集合を含む集合は集合ではない」という(様な)へんてこりんな公理を一個選択する事で、集合論におけるパラドックスを回避してるのがZFC系の集合論ですよね。 ですから、いただいたアイデアからパラドックスが発生しない為に、なんらかの制約条件を公理として選択することが必要になるのではないかと思う次第です。