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達観と老成は何か?どの様な段階なのか?至るには?
- 達観とは、物事に対して深い理解と受け入れの姿勢を持つことです。
- 老成とは、経験や知識の蓄積によって洗練された思考や行動をすることです。
- 達観や老成に至るには、時間と経験が必要であり、自己成長や学びの過程を積み重ねることが重要です。
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達観 インド古典哲学であるギータ―に収録されている、親類との戦いに挑んだアルジュナと、 守護者クリシュナの逸話がこれである。 アルジュナは戦いに迷い、守護者クリシュナから、この世のことわりを説かれる。 アルジュナは悟り、戦いに勝利する。いわば自分との闘いである。 諦観 すなわち空である。是諸法空相 観照 すなわち空である。色即是空空即是色 観心 すなわち空である。照見五蘊皆空 老成 → 円熟 → 熟達 入り口にたどり着いた者 → 満ちた者 → 出口に近づいた者
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- ways
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達観は、「自ら進んでそのことに臨んで来た結果、つかめるようになったこと」というイメージがあるます。 老成は、年を取ることで気づいていくこと、分かっていくこと、という感じがします。 達観は、若い内からでも可能で、ある意味「悟り」のような感じがします。それに対し、老成は、「時間をかけた結果」というところではないでしょうか。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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自分自身で考える事ができる。 こういう段階だ。 君、誰かがああ言った、こう言った、そう言うのに振り回されてないかい。
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- 雪中庵(@psytex)
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人の認識は、身の回りの表面的な感受から始まる。 特に人類は社会的生命として、環境の中に行動を決定 する道標(善悪やお金、権威など社会的な二次的な 価値)があり、自分の意志で行動しているようでも、 用意された型に自分を当てはめているだけの歯車人間 と化している場合がある。 そうした環境に流されて生かされている段階から、 認識の深まりにおいて環境の仕組みを看破し、その 向うに本当に自分の望むものを見出して、自己と環境 の関係を把握して自律的に行動する=流されずに生き るようになる事がそれであろう。 (たとえばお金をもらうためにイヤイヤ働かされるの ではなく、自己の社会生命性の自覚化=他我=愛に よる助け合いとしての労働)
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- Key_A
- ベストアンサー率9% (55/603)
哲学・心理学で問う前に国語辞典を用いて考えましょう。 哲学はいわば独自の解釈に陥りがちですから。ここの哲学カテにも そういう輩がたくさんいますから。
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ご回答のほど ありがとうございます!
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ご回答のほど、 頂いたのでベストアンサーを 差し上げます!