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人間失格?
人間失格の人っているのでしょうか? 誰でしょうか? 貴方は自分を 人間失格だと思ったことがありますか? よかったら教えてください。 よろしくお願いします。
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人間失格というか、自分はろくでもない人間だと思ったことは有りますよ。少なからずの人がそういう心境になったことがあるのではないでしょうか。二十歳頃からか、まともになりたいと思って今まで生きてきましたが、少しはまともになったかなと思うフシも有ります。 「人間仮免中」という漫画があるのご存知でしょうか。僕もまだ未読なのですが、気になる漫画です。一度検索かけてみてください。 私が思うに、人間の負の部分をいかに読み解くかで、その人の人格の深さが養われたりするのではないかと思います。人間の暗い部分ですから、自分をしっかり持ってない人はそれと向き合うことが出来ません。 明るい部分、もちろん大切ですが、この暗い部分を否定してしまっては、人間は半分しか出来上がらないのだと思います。 世間の堕落に塗れた人間を人間失格というならば、実に多くの人々が人間失格となるでしょうし、人としての苦難を皆、背負っていると見れば、実に曲がった人間でもそこに人間の性を見出して、それを理解することができるのかもしれない。 私は川崎の事件の加害者を許せないと思っていますが、そんな人物の心理を読み解くならば、哀れみをもってその人を理解することができるのかもしれません。しかしそれは大変難しいことです。 とある仏伝に、アングリマーラという僧が出てきます。諸説ありますが、この僧は、僧になる以前は悪名高い山賊であり、何人となく人を殺していたと言います。しかしある日、釈尊に諭されて、仏門に入ったのです。さて、この僧はゆるされるでしょうか?私は難しいと思いますが、しかし釈尊は僧になることをおそらくゆるしたのでしょう。これは一体どういうことでしょうか。アングリマーラは比丘になった後、様々な迫害を受けますが、それで彼の罪は贖われたとなるのでしょうか。言うなればアングリマーラは人間失格ですが、人間失格にも関わらず人間失格なりに正しく生きようとしたことは事実です。その事実においてのみ、アングリマーラは人間であったと言えるのかもしれません。 他には、原爆を落とした将校は人間失格でしょうし、大勢のアジア人を殺害した日本兵も人間失格でしょう。そう思えば戦中には人間失格者などはゴマンとおったのです。争う心を有している間は、誰しもが人間失格なのかもしれません。そうすると、随分人間というもののハードルが上がりますね。 人間を、悪魔と天使のハーフだと位置づけるなら、暗黒面を持っていてこそ人間と呼ばれるのかもしれません。 おそまつでした。
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人間失格は、あなたです。 何故なら、ご自分でそう言っているので。 ご本人が言うのなら、そうなのでしょう? さて。 肯定して欲しいですか? それとも否定して欲しいですか? いかような意図のご質問であったのでしょう。 どちらでもお望みのままに応えられます。 これでも、至って真面目な答えなのですよ。 あなたの問いに対する本質的な答え、なのです。 このご質問は、ごく個人的な心情についての吐露と 理解致しましたので。 少なくとも、哲学的な答えを求めているご質問、とは 解釈しにくいのです。 AIとは、人工知能と言う自律思考を行うプログラム群、 または、その概念の総称です。
執行後の死刑囚。 私? AIかも知れませんよ。
お礼
AIって何ですかねえ?色んな意味があるようですが 執行後の死刑囚って 死んでますよね。失格といえば失格ですが 人間とは言えないかもしれませんねえ。 どうもありがとうございます。
- kurinal
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yuniko99様、こんばんは。 感服ですね。 あえて言えば、 「他者の人権を、(積極的に?)侵害する者」
お礼
人間は人の間と書きますから、社会的動物ですよねえ 他者と共に生きるのが社会です。 その他者の人権を侵害する者があるとすれば それは人間としていかがなものか 法律で裁かれたりもするでしょう それが人間失格 成る程ですねえ どうもありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
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>人間失格の人っているのでしょうか? はい。 >誰でしょうか? 猿人です。 >貴方は自分を 人間失格だと思ったことがありますか? いいえ。私は人間だと思っており、ひとたびも疑ったことはございません。
お礼
猿人と言うのはどの様な人間でしょうか? 私は人間失格ではないかと思う事がよくあります。 どうもありがとうございます。
- titelist1
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人間の資格とは何なのだろうか。それが分かるのだろうか。分らなかったら失格の内容も分らない。運動競技で失格となるのはルールに適合しないためです。社会のルールを守ることが資格ならばそれは時代とともに変化する。殺人、強盗、強姦をしたら人間失格ならば古代の人間は人間失格になる。 太宰治の人間失格では世間が許さない言うのは貴方が許さないのだと書いている。人間失格の判定は個人的な判定で社会的に認められたものではない。だから個人判定で人間失格の人が大勢いるだけで、社会的に人間失格の人は居ないのです。それが殺人者であってもです。
お礼
殺人者でも人間として生きる事を許されれば、人間失格者ではないのでしょうね。 しかし死刑を執行されれば人間で在れない訳ですから 人間失格と判断されたのでしょう。 人で無し 人非人 悪魔 と呼ばれる人も ひょっとすれば人間失格かもしれません。 ひょっとすれば私も?人間失格者かも しれません。 禁治産の者?はどうでしょう? どうもありがとうございます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 そういう問題は 時間の関数として扱わなければ話がオママゴトに終わります。 過去にそのように思った場合がある。ということではないのでしょうか。 そして もし万が一現在でもその自己評価をひきずっているとしても そのことは脇に措いておいて 話が始まっているし 社会に生きている。のではないですか? つまり 自己評価や自覚の問題ではなく 他者をそのように判断した場合であっても やはりその診断は胸にしまっておいて 失格していない人間どうしとして振る舞い 相手に向き合う。 ということは この主題については 具体的にこれこれの振る舞いや思想は 人間失格ではないか? とかこのような考え方しか出来ないなら それは 人間以前の状態にある人間ではないか? というように議論することになるはずだからです。 息をするようにウソをつく韓国人は 人間以前の状態にある人間だ。といったように。そしてその中身をさらに互いに理論的にしっかりとしたものにしつつ 相手に声をかけることをもして行く。こういうことになると考えます。 文学的な言葉のあやとしてあつかっても あまりおもしろくありません。おもしろいなら そのあとの克服の問題と過程をあつかうのがよいでしょう。
お礼
もし自分が人間失格と思うのなら どうやってその状態から抜け出すか。 どう心を広げるか。 自分でない場合も同じですね。 死んでしまっては失格も合格もないので 生きて人倫を求める と言う事でしょうか。 太宰が人間失格としたのは自分ですねえ。他者を人間失格と思うのは麻原です。 しかし他社を人間失格と考えるのは危険ですねえ。 自分を失格と考えて ならどうすれば合格になれるかと努力葛藤する所に意味があるのかもしれません。 しかし太宰は自殺しました。自分を人間失格としたまま死んでしまったのです。 これは救いがないですねえ。それが芸術なおでしょうか? 人間失格の見本の様です? どうもありがとうございます。
「人間」という概念は人それぞれ微妙に違います。 大きく違う人も居るでしょう。 いわゆる「常識」を人間の概念に当てはめるタイプから見れば人間失格は沢山居るでしょうし、そんな人も人間観が大きく違う人から見れば普通に人間。 誰が持っている「人間観」を人間とすべきか。 この問題を省いてこの議論は船が山を登ろうとし始める事も考えられませんでしょうか。 Aさんの前では人間失格の私がBさんの前では人間として(一つの存在してて良い個性として)扱ってもらえる。 Bさんは自分を人間として扱ってくれるのでBさんの前では柔和になりやすいので、結果「人間らしい言動」がしやすくなる。 Aさんとのコミュニケーションは失敗ですが、Bさんとはできる。 昨今は頭の固さや臆病などベガティブ因子から生じる狭量に過ぎないことを優秀である事のように考えている人が多そうです。 そういう人は何をどういおうが根底にあるのは「自分とは違うもので且つ自分に害を与える可能性のある者」ですから、その人がいかに歪んでいようがその人にその歪みの故に害が及ぶ場合であっても「相手が人間ではない」事になります。 この区別は洞察によってしか気付けず、確認作業によってしか確定できないはずです。 そもそも「人間失格」という発言が出ているような状況では少なくともその発言者の器を超えた存在が居るのでしょうから、その発言者がどの辺りをボーダーにしているのか見なければなりません。 森を見るのは大切な事ですが、森を見すぎて木を見落とすのも問題です。 一人一人見なければなりませんし、一人一人を見た時は絶対的なものはあまりなく、相対的なものが残りやすい。 相対的なフィールドになったらあとは「個々の器の大きさ」によるところが増える。 「人間失格」という言葉にはあまり意味を感じない。もっと直接的に「自分の許容範囲を超えている」と言えば解りやすいのに、大義名分を付けたいのか。 大義名分をつけたいのであれば、姑息な働きかけは止めて毅然として公正な姿勢を持ってもらいたい。 もしその人が毅然として公正な姿勢を持っているなら、多くの場合「人間失格」ではなく「許容範囲を超えている」という表現になり、では自分の、社会の許容範囲は適正のあるべきところに据えられているか否かを考慮しなければならない。 これを考慮するとき、では何を基準にしてそれを設けるかを問わなければならない。 これを「多数派がそう感じるから」程度の理由で据えているならそれは暴力と言われてもあまり反論できない理由のように思え、それはそれで人間失格?という事になりかねない。 ご質問に対して考えている最中に脱線してしまいましたかね(笑) 私は「人間失格」という言葉に興味はありません。 自分の許容範囲内か、否か、否であるなら自分を拡張してどうにかなる相手か否かが問題です。
お礼
お話を読んだ上で言うなら 自分を拡張してもなお どうしても許容範囲にない人 が 人間失格 という事かもしれません。 私は人間失格者を否定とか非難とかしようと思って質問した訳ではありません。 人間失格の感覚を元に 人間とは何かを考えているのです。 しかし・・・ どうもありがとうございます。
- momochan_0110
- ベストアンサー率29% (17/57)
太宰治の「人間失格」の主人公が太宰が思う「人間失格」の例だと思います。 時は戦前(下手すると大正年間)覚せい剤(当時は合法)を薬屋さんのおかみさんから入手した主人公は だんだん深みにはまっていった。そのうちに覚せい剤では物足りなくなったのか、麻薬をおかみさんから 入手して麻薬中毒へ。おかみさんに払うあてのない薬の代金の替りに強引に肉体関係を持って口封じを して最後は同棲中の女性と心中するという筋だったと思います。 大分前に読んだので多少筋が違っているかもしれませんが、麻薬や覚せい剤の怖さと人が豹変するさまを 見事に描いていると思います。
お礼
安定している人と、安定してない人はいますねえ。 安定して悪いのは困りますが、安定して良い人は尊敬できます 不安定だと良い時と悪い時の差があり過ぎて 悪い時に「自分は人間失格だ」と思うのかもしれません。 ひょっとすれば僕も人間失格かもしれません。 太宰の人生の様な作品でしたねえ。3枚の写真で始まるんでしたね 成る程 その通りですね ありがとうございます。どうも大変。
哲学ではしばしば命題について相対的になりますよね。 そこで私は、人間失格について、チンパンジーと相対的な関係にあるのではないかと考えました。その根拠は、自分がここまでするかと思うようなことを、自分自身がやっていたことに気が付き、自分はチンパンジーなんじゃないかと反省した体験があることです。 小学3年か4年の頃の体験として、悩むこともせず、絶望することもなく、つねに悪気はなく、ただ自分が求めることを実行するだけで、周りの反応は気にするが、先のことは考えず、目的のためには卑怯な手段を使うし、力でねじふせる、ということだったと記憶しています。それがもし社会人になってからも続くようならば、人間失格なのだと思う。しかしそれはサル目ヒト科としては合格なのかもしれない。お金を手に入れた猿でしょうか。 たとえば人が、絶望の中から新たな希望をみいだすとき、人間的な輝きを放つと思うのですが、それを放棄したとき、人は自分の欲望と目の前のことを相対的にとらえ反応するだけになり、先のことを考えなくなり、チンパンジーに近づくのかもしれないし、それが人間失格にあたいするのかもしれない。あるいはそれを黙認していた高度成長期の環境がジャングルに近かったのかもしれない。
お礼
高度成長期の環境が ジャングルに近かった・・・・・ そうですかねえ?高度成長期には希望があったような気もしますが 確かに、お金を手に入れた猿は人間とは言えないかもしれませんね 人間は考える猿である。お金を持った猿ではない。 どうも大変ありがとうございます。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
失格扱いされた覚えは無いですが、私自身、人間やめてます。
お礼
人間が嫌なのですか?人間を見たのでしょうか? 人間をやめて どうなったのでしょうか?仙人にでも成れたのでしょうか? どうもありがとうございます。
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お礼
私も殴り合いの喧嘩をしたことがあります。子供の頃ですが。 今やってたらかなり程度の低い人間かもしれんません でも昔の炭鉱では 喧嘩は多い物だった様です。 人間の暗黒面・・・よく「あの人は暗い」と言いますが これは暗黒面ではないですねえ 大概は悩んでいたり苦しんでいたり分からなかったりするだけです それを「暗い」と言って遠ざける事の方が人間的ではないですねえ。 ア・ホナさんはその人間的という事に光の面と暗黒面があると言うのでしょうねえ 確かにそれはそうでしょう。 金を儲けるために非常に高価な武器を作って輸出する。それによって死者は数倍 民主的でないと言って殺してしまったり。 共産主義の粛清にしても 理想とはかけ離れた暗黒面です。 私も希望に溢れたり死にたくなったり 不安定です。 人間失格者という者が始めから居る訳ではなく また人間失格であっても合格に返り咲く事が出来る と言う事でしょうか? 死なない限り人間は失格ではないのかもしれませんね。 どうも大変ありがとうございます。