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私は人間失格でしょうか?
私は自分に何か嫌な事や困ったことがあると ネットで検索してああこの人は自分より 酷い事が合ったんだなとかあーこの人に比べれば 自分はまだマシか等考えて安心してしまうことが あります こんな自分に無性に腹が立ち自己嫌悪を してしまう事も多々あります 私は人間失格でしょうか?・・・・・
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あなたのような方は、結構、多いと思います。 自分よりも、劣悪な環境に生きる人々の存在を知って、今の自分の苦しさは、まだ大したことはない、と考えること自体は良いことだと思います。 問題は、その後だと思います。 そのことを知っても、その後の姿勢次第だということです。 あなたの場合、「安心してしまう」=「怠惰に甘んじている」ということが言えるのでは、ないでしょうか? つまり、安心することによって、嫌な事や困ったことから、一種の逃避をしたいという心理が働いているのではないかと思うんですね。 そうではなくて、「自分より大変な人々が大勢いるのだから、今の自己を見つめ直し改善に向けての努力する姿勢を持たなきゃ。ちょっと怠け過ぎているな。。。」と考えるようにして、少しづつでも良いから、出来るところから努力してみようと考えるクセをつけると良いと思います。 「人間失格」というのは少々オーバーと思いますが、他の事象(自分よりも酷い状態の人)を見たとき、どう考え、どう努力するかで、その人の価値が高められていくのではないかと思います。 余談ですが、アドバイスとして・・・ 他と比較して、自分自身「良い人間なのか?」それとも「悪い人間なのか?」、「優秀な人間なのか?」「劣っている人間なのか?」、「幸せなのか?」「不幸なのか?」のどちらか一方しかないと、思わないようにすることが大切です。 つまり、自分自身も他人も、0点か100点かのどちらかしかないと、見ないようにすることです。 自分自身を振り返ると、ある部分に関しては75点かもしれないし、ある部分に関しては30点なのかもしれないし、ある部分に関しては0点なのかもしれないし、またある部分に関しては100点かもしれません。 また、95点だったけど努力を怠っていたために、いつの間にか55点くらいになってしまった部分もあるだろうし、逆に20点だったけどちょっと頑張ったために80点になった部分もあるはずです。 しかし、人は、他からほめられると、自分のすべてが100点だと思って慢心がちとなり、逆に叱られたり、注意されたり、悪口・中傷を受けると、自分のすべてが0点だと思って落胆し、自己嫌悪に陥ります。 これは、多くの人が気が付かずに、結構やってしまっていることです。 人には2通りのタイプがあって、「プライド・卑屈型」の人と、「努力型」の人に分けることができます。 「プライド・卑屈型」の人は、良く、自分と他人を比較して、自分はこいつよりは“できる”とか“優れている”、自分はこいつよりは“できない”とか“落ち目である”ということに、固執しがちとなります。 これをやり続けていると、ほめられたときにはプライドが働き、慢心となり、逆に叱られたり、注意されたり、悪口・中傷によりけなされると、そのプライドの裏返しにより卑屈に陥ります。 いわゆる、打たれ弱い性格を、形成していくことになります。 しかし、そうではなくて、「努力型」の人は、他からほめられたときには「ほめられた自分が素晴らしいのではなく、ほめるという行為をした相手が素晴らしいんだから、それに甘んじず、さらに良くなるように努力しよう」と考えます。 また、叱られたり、注意されたり、悪口・中傷でけなされたときも、「ああ、良かった。自分はこんなにも早く自分の欠点に気が付くことができた。気が付いたということは、後は、直す努力をすればいいだけだ」と考えるようにし、その後の努力を惜しむことがありません。 よって、打たれ強い性格、形成していくことになります。 ですから、日ごろから「努力型」の人間になるように、自己の内面をチェックし努めるようにすると良いと思います。 そうなるためには少し時間はかかるかもしれませんが、良く良く考えてみれば、自分をさげすんでいる人や欠点をたしなめている人自身も、必ずやいくつかの欠点を抱えていますし、自分がバカにしている相手でも必ずや自分よりも優れた長所をいくつか有しています。 それを考えると、自分と他人を比較すること自体が、取るに足らないことだということが理解できるかと思います。 以上のようなことがらに、日々注意して実践していくようにすれば、早い段階であなたの悩みは改善され、そういった思考パターンから開放されていくでしょう。 応援していますので、頑張って下さい。
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- baseball1
- ベストアンサー率17% (8/46)
いいえ~、そんなことないですよ。 たまには、そういうこともしていいですよ。 あんまり気にしなくても大丈夫ですよ。
こんにちは あなたの気持ち、わかる気がします。僕が23の 時、日本縦断の卒業旅行の最中、四国のディーゼル 列車に乗った。読んだのは太宰の『人間失格』列車 は1両編成。客は僕一人。周りは真っ暗。まるで 闇に吸い込まれそうな感覚。青春の1ページです。 『引き下げ行為は人間ならば普通に行う行為です。 「引き下げ」を行う自分の気付いたままで終わらせる のはもったいない』と申し上げます。 (理由) 人にはプライドがあり、意識/無意識的に自分を守ろ うとします。だから、自分より不幸な人をみて、相対 評価をする。自分はまだ「まし」だな、と感じてプラ イドを回復します。自分を守ろうとする方向性は決し て間違っていません。「引き下げ」を感じる事の改善 は「自動思考」もあり、非常に困難です。しかし、 そういう自分に気付き、何が自分のプライドを傷つけ ているかをしっかりと見て、対応していった方が 積極的かつ前向きであなたの幸せにもつながるので はないでしょうか? (補足) 弱点は克服する事だけが方法では無いですよ。受容 すれば気が楽になる。他の長所ができれば、人と比べ たい気持ちが薄らぐ(自信がつく為)回避する(野球 でイチローと同じ業績を上げたいと強く願ったら、 相当なプレッシャーになりますよね。楽しくなくなり さえするかも)色々試行錯誤してみてください。 面白い事に、試行錯誤自体が楽しくなってきさえ しますから。 あなたの前途に光あれ!!私の波紋を送ります!w
人間失格ではありません! それが人間というもんです。 でもできれば、 こういう考え方をするように意識すれば、 きっと、悩まなくてもよくなります。 でもこころのどこかでそういう物の見方、考え方をしても いいとは思います。 「ヒト(他人)と比べても永遠に問題は解決しない なぜなら、ヒト(他人)は無限(過去、現在、未来)にいるから。自分が比べているヒト(他人)なんて、その中のほんの一握りだけど。 自分と比べれば、問題は根本的に解決する。 なぜなら、自分は一人しかいないから。 そして自分は自分そのものだから。 『ヒトと比べるなかれ、 昨日の自分と比べよ』 」 ほんとうの月は、一つしかないけど 水に映る月は無数にある。 でも、水に映る月はすべて幻、はかないもの。 ほんとうの月を見よう。
- uuing
- ベストアンサー率25% (53/206)
他と比較して安心したり,下卑たりしても,それは相対値でしかなく,絶対値としての自分自分は変わらないと言うことを知りましょう。 嫌なことは嫌なこととして向き合い,嫌な思いをしないための方法を探りましょう。 また,どう考えてもそれが他力(自分以外の力)によって起こるものであれば,諦めましょう。 でもたいていのことには,解決法があるものです。 大切なのは,「何とかなるのではないか」と,常に可能性を模索しつづけることです。 あと,人間は人間であり,それ以上でもそれ以下でもありません。 よって,失格とかそうでないとかはありません。 人間を失格してネコになってしまった,なんて話は聞いたことありませんよね。 合格したから神になった,なんてのも聞いたことありません。
- mujinkun
- ベストアンサー率16% (336/1986)
その安心が即ち、今の自分の環境への感謝の気持ちになるんじゃないでしょうか。いいことです。 周りの人への感謝の気持ちは、自分をますます穏やかな生活に導き、もしも身近に手をさしのべる人が現れた時に助けになる心の余裕を作ってくれると思います。 困っている人の話は、たとえ興味本位で触れたにせよ、まわりまわって人と人との平和的なつながりを作っているんじゃないでしょうかね。
- namazo
- ベストアンサー率20% (23/114)
人間はみな少なからずそういう面があるんじゃないかと思います。 テレビで、路上生活者のドキュメンタリーや、ゴミだらけの部屋に住む 人の話が流れたりしますが、見てる人は心のどこかで「あれよりはまし」と 感じているのではないかと思います。 それによって「何とか次がんばろう」と思えるなら、きっと悪いことでは ないですよ。 私も同じような気持ちを持ってますが、さほど自己嫌悪は感じないです。
- marsh_mallow_man
- ベストアンサー率31% (23/72)
人間は、良かれ悪しかれ優劣をつける生き物ですから、「他人と自分を比べて、自分のほうが優位に立っている」ということを確認して安心感や満足感を得るのは別に変なことでも、悪いことでもないと思います。 問題は、それによって認識した優劣を、ことさらのように人前で風潮したり、威張ったり…、とにかくそのことをひけらかすことによって誰かを不幸にしてしまうことなのだと思います。 ですので、あなたのように自己完結しているならば、人間失格というようなことはないと思います。 それに、そういった経験は誰しも少なからずあると思いますよ。
- salza
- ベストアンサー率19% (44/223)
ひどく個人的な考えになってしまいますが話半分でみて下さい。 某宗教では、何か悪い事が起きたときにこういいます。 貴方が神を信じていなかったらもっと悪い事が起きていたと。 詐欺っぽいですが、人をプラス思考にさせる重要な素材です。 人間プラス思考でいかないと、よくなる物も悪くなると私は考えています。 人に迷惑をかけないのであれば、そのように思ってプラス思考になるならむしろいい事だと思います。 くれぐれも、人に迷惑をかけないのであればで。
- kerubim
- ベストアンサー率13% (2/15)
なら逆に聞きますけど自己嫌悪した部分だけがあなたの全てですか? 確かにかなりの人格者もいますがその人だって自己嫌悪してますし、むしろするところに彼の人格を作ることに必要不可欠です、自己への嫌悪は「反省」の一種、私は「失格」であるという枠組みを組み、その嫌悪すべきことから目をそらすことこそ人間として向上心をなくした状態、つまりそれこそ人間失格ではないんでしょうか? 自分の弱い部分を少し見たくらいで自分全体がそうであるなんて思い込みは余りにもくだらないことですしもったいないことですよ^^