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なぜ何千年も前のものを信じる

目の前の人の言ったことも信じない人が多い世の中、なぜ何千年も前の聖書や経典などを安易に信じるのですか?小さい時から言われ続ければ洗脳状態になるのわ分かりますが、途中から宗教にはまった人ってやはり自分の「不安、不幸、恐怖、やすらぎ、期待」がそうさせるんですかねえ

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  • SPROCKETER
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回答No.1

 故アイザック・アジモフ博士が科学エッセイの中で書いていますが、歴史上の話を読んで置きながら、過去の歴史に対する知識が乏しい人達が錯覚を起こすのが原因のようです。  たとえば、紀元前の世界では、人間の寿命は僅かなもので、運が良くても20歳まで生きられれば良い方で、ほとんどは子供時代に病死してしまい、40~50歳まで生きるのは長寿でした。  今では考えられない話ですが、医薬品が無く、手術が出来なかった昔は、虫歯が不治の病だったわけで、今では治療出来る病気のほとんどが不治の病だった時代です。  物の価値観も同じで、鉄が貴金属であり、1kgの鉄の塊を手に入れたら、同じ重量の金を手に入れたのと同じぐらいの価値を持っていました。刀鍛治が手作りで刀剣を作っていた時代では、鉄は貴重品だったのです。  産業革命以前の時代では、工場生産が出来ず、同じ形と品質の物が作れない時代で、貨幣も一つとして同じ物が無い時代でした。ローマ帝国の貨幣などは、偽物が大量に作られていても、識別が難しかったと言われています。  何もかも価値観が異なる時代に書かれた本が、今も読まれているのは、現在にも通じる部分だけで、今では通用しない部分は隠蔽されていると考えて良いでしょう。錯覚の産物に過ぎないわけです。  50年前の本を読んでみても、今の情報社会では価値を失った考え方が見つかるはずです。  たとえば、本の出版費用が工面出来ずに悩む小説家とか、音質を良くする為に莫大な借金をしてオーディオ機器を揃えた学生とか、御主人に内緒で1枚のヌード写真を撮ったのが原因で写真家に揺すられる奥さんとか。  インターネットやデジタル技術が進んだ現在では、どれも事件になる前に簡単に解決される問題ですが、当時は大事件になっても不思議ではない問題だったのです。僅か半世紀でも、これだけ価値観に違いがあるわけで、数千年前と言えば、別世界のお話でしょう。

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  • yuniko99
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回答No.12

今は科学全盛の時代ですが 昔のある時期は、古いものの方が良いと つまりそれまで残って来たということは それなりの淘汰に耐えてきた と言う事ですから。 古ければ古いほど信頼できると考えることもできます それと心理は昔も今も変わらないのですから、昔の人の方が自然や人間をよく見ていた その基本をよく知っていたということもあります。 宗教のことを言ってあるのでしょうけど 実際に新興宗教と既存宗教を比べても 新興宗教が突拍子もないのに比べ、浄土真宗、浄土宗、日蓮宗、曹洞宗、などの仏教やカトリック、プロテスタントや日本の神道の方が信ずるに良いようにも思えますけどねえ。 何も信じなくても自分が信じられる人ばかりじゃないですからねえ。 まあ今は古い宗教が脱皮すべき時代ではあるのですが、進化と一緒でどれがsんかするかは結果論かもしれません。(出来損ないは直ぐに分かりますが 僕にでも^^)

DEWALT
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noname#225485
noname#225485
回答No.11

やはり言葉というのは消費され淘汰されて行くのだろうと思います。 その中で数千年生き残った言葉はそれなりの力を持つのでしょう。 人が人である以上、文明が変わっても人は人です。 それが変わらない以上現在でも通用する物があるのでしょう。

DEWALT
質問者

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ありがとうございました。

noname#210533
noname#210533
回答No.10

「不安、不幸、恐怖、やすらぎ、期待」で、難しいことを考えるのが 苦手な人は、新興宗教へ。現代語で判りやすくお布施が払えます。 「不安、不幸、恐怖、やすらぎ、期待」で、難しいことを考えるのが 好きな人は古典宗教へ。 お布施は余り払わなくてもいいですが、色々と判った振りをしないと なりませんので上級者向きです。 今に続く古いものは、価値がある。 骨董品が高値で取引されるのはそのため。 骨董品は希少価値。 だから贋作も多い。 宗教に嵌る人が真実に拘るのは骨董品に贋作が多いため。 古典宗教とは、世界にたった一つしかない(と謳われる) 最も値打ちのある骨董品、ということです。 それを持っていれば天国に行ける、という。 究極の射幸心、それが信仰。 ありがたやありがたや。こてん。(爆)

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  • ways
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回答No.9

「本当のことだから」、大事なことだと「人が受け継ぐ」ということなんです。 人として何をしていったらいいかを考える時に、指針になる。自分さえ楽しければいいという考えは、いつか限界がきます。人は、家族を持ったり、世のため人のため、自分のために働きたいという、人のことをしたいんです。愛で人が結ばれる、豊かなものが得られる。自分の利益のことばかり頭にある人は、動物とさほど変わらない、と説いています。

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回答No.8

 《信じる》のは むしろ無根拠ゆえにです。無条件で受け容れます。  《目の前の人の言ったこと》であろうと《何千年も前に言われたこと》であろうと 言葉で表現されたものについては 《考える》のです。  考えるものだということは 根拠がある(根拠が人間によって考えられている)ということです。人間がそう認識し思考しそうなのだと判断し自己表現したものです。    だれだれが考えたことをだれそれがあらためて考える。これの繰り返しであり繰り返しを重ねて行きます。  これをもし考えるものであるのに考えることなく無条件で受け容れるとしたら どうなりましょう。  ただの阿呆です。

DEWALT
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ありがとうございました。

回答No.7

宗教は、日常の利益を言っているのではなく、 世界観を提示しているのである。 その意味では、現代人は目先の利益や使役される ための技術的な知識こそ発達していても、世界観 =環境としての認識の深まりは逆に衰退している といえ、大言壮語に騙されやすくなっていると言 える。

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ありがとうございました。

  • Key_A
  • ベストアンサー率9% (55/603)
回答No.6

目の前の人間の言葉の方が信じられない、そんなことは珍しくも何ともない。 実際、この哲学カテでは通ぶってるだけの痛い人間が山ほどいる。 宗教とはポリシーであり人生観でもある。薬だって市場に出るまでは 実験を行う。その実験(実体験)を経てちゃんと信じられるようになる。 それは同じ事です。

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ありがとうございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

"目の前の人の言ったことも信じない人が多い世の中、なぜ何千年も前の 聖書や経典などを安易に信じるのですか?"    ↑ 何千年も前のモノが未だに残っている、ということは それだけ、人の支持が多い、説得力がある、という ことだからです。 ”途中から宗教にはまった人ってやはり自分の 「不安、不幸、恐怖、やすらぎ、期待」がそうさせるんですかねえ ”      ↑ 宗教を信じるのは人間だけです。 何か不可思議な現象に出会った人間は、その説明を つけたがるのです。 そうやって宗教が芽生えたのです。 そういう意味で、人間のDNAには宗教がインプット されているのだと思います。 食物連鎖の頂点に立つ人間は、時として傲慢になります。 そういう人間を謙虚にし、暴走に歯止めを掛ける存在 として宗教があるのではないでしょうか。 人間から宗教的感情を払拭するのは不可能ですし 悪いことです。 宗教的感情が無かったら、遺体もただの生ゴミです。 そういう社会は背筋が凍ります。 問題なのは、宗教ではなく、そういった宗教感情を利用 して儲けている宗教団体です。

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ありがとうございました。

  • titelist1
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回答No.4

子供のころから宗教を持っている人は稀です。私は結婚し、子供が出来、家を建てた時に近くの神社で地鎮祭をしてもらったので、家に立派な神棚を作りつけました。それ以来、31年間、夫婦で神様に手を合わせるようにしてきました。信仰心は私よりも妻の方が熱心です。妻は朝夕、5分間は祈っています。私は手を合わせる程度です。私も妻もその母親が熱心に手を合わせる姿を見て育ちました。困ったときには願い事をします。信仰心は人間が生まれ持っているものだと思っています。 仏様は先祖からの家の宗派であり父親が熱心でした。私の父が亡くなってから日本語訳の経典を読むようになりました。仏教に伝わるお釈迦様の姿を知りたいと思うようになりました。もっともらしい話は話半分として読んでいます。家の宗派のこともありますが、それよりもお釈迦様の方に興味があります。僧侶から聞くのではなく書物で理解するようにしています。お釈迦様を人生の師とし、教えを人生の道しるべと思っています。何千年前であっても人間の本質は変わっていないと思っています。 親から信仰心を貰っていないと宗教には違和感があると思います。宗教にはやすらぎをもたらしてくれる効果があると思います。私の場合は普通の日本人の宗教感だと思っています。宗教にはまったと言う感じではありません。新興宗教や創価学会に興味も湧きませんし、ましてや一神教のキリスト教などまったく関心がありません。

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ありがとうございました。

回答No.3

 死後の世界のことは誰も知ることができないから、何千年も前に生きていた人たちも今生きている私たちも死の問題に関しては皆が知識ゼロであり古いも新しいもありません。  全ての人が暗中模索の状態ですから取りあえずメジャーな考えにすがろうと思うのはそれほど不思議ではないと思います。  途中から宗教にはまる人たちはその宗教の世界観が自分に合っていて心地よいからだと思います。

DEWALT
質問者

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ありがとうございました。

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