• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:一所懸命、一生懸命)

一生懸命の起源と意味について

このQ&Aのポイント
  • 一生懸命の使用はいつ頃から始まったのかを知りたい。
  • 一生懸命の発端は007の映画だと言われているが、他の有名な作家も使っているのか?
  • 一生懸命と一所懸命は派生語であり、現在のマスコミや教育現場ではどちらの表現も使用されているが、正しいのはどちらなのか確認したい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.4

「一所懸命」の出典は蒙古襲来や鎌倉幕府滅亡という動乱の1330年代に物されたとされる「庭訓往来」内の6月7日付公文書の記載が有名です。 ここでは一所懸命の恩賞の領地(=代々相伝えたる分地の所領)は何の仔細もなく吾子孫に賜るることであろうか─という動乱の時代においての嘆願文書のくだりです。 ところが島原の乱の鎮圧後の鎖国政策など幕藩体制の確立した1641年の「北条五代記」に至る頃には、「この所帯に身命を売切たる故に一所懸命と書ていのちをかくとよめり」とあり、安穏の時代を迎えての心掛けとしての「命を懸(か)く」という側面に重点が置かれるようになっています。 ですから芭蕉もまた1690年の「幻住庵記」において「仕官懸命の地をうらやみ…」と己の風雲流浪の様と比べています。 そして「一生懸命」の方は、享保の大飢饉で打ちこわしの嵐が渦巻いた1734年の浄瑠璃・応仁天皇8白旗-4「大君を殺さねば一所懸命の、親に替へて能う落としたな、」や、海外文化の波頭も高まった熟爛の田沼時代における1779年の洒落本「酔姿夢中」で「今は一生懸命、昼の石地蔵様でも出てくださりそうなものと恨みを交ぜて念ずれば…」などに現れています。さらに化政文化期の1914年には「一生懸命にゆきつまつた時、この巻物を開いて見るがよい」などといった用い方も生まれていました。 ですから、その時代、その世相に即して、抽象名詞にして形容動詞であった「一所(懸命の恩賞)の地」が、治世の兆しと共に「仕官懸命の地」となり、やがては「大君を殺さねば一所懸命の」といった必死の覚悟や、「一生懸命に」といった副詞的用法ともなって「懸命」の意味合いが程度の強調へとシフトされていったものでしょう。ですから「懸命」の意味しかなくなっているのはまさにその通りですが、形容動詞から程度副詞化への歴史的変遷のしからしめるところであって、特に屋下に屋を架すかのような重言無益な言とは思えません。 別の視点にも触れますと、京ことばに代表される当時の都方面では「一所(イッショ)」「一緒(イッショ)」とは発音せず、語尾を長音化した「一所(イッショォ)」「一緒(イッショォ)」と延ばした言い方でした。 「一しょうに引けや、一しょうにかかれやと下知をなすところに…」(「狂言記 巻1「ひめのり」」) ですから、その早い時代から関東を除いた地域では「一所(イッショォ)懸命」と読まれており、一緒同様に「一しょうけんめい」と呼んでおり、それが江戸期に関東に幕府ができた時代には耳馴染んだ音が転訛した「一生…」の字を当てるようになった経緯も想像できます。 また、アクセントの側面からも、<>で囲った部分が高く発音される「一緒(<イ>ッショ)・懸命(ケ<ンメイ>)」ですが、それを「一緒(イ<ッショ>)・懸命(<ケ>ンメイ)」と発音する場合は、長音化させて「一生(イ<ッショー>)・懸命(<ケ>ンメイ)」と成り易いとも見ることができます。 以上のように、一つの熟語の変遷には、その時代毎の風俗世相の変化、関東と関西の方言やアクセントの分離と混淆など、多岐に亘る経緯があるのだと…。だからこそ国語は実に面白いものです。

その他の回答 (3)

回答No.3

確か 江戸時代に一所懸命の駄洒落言葉 みたいな感じで使われ始めたのが最初 と何かで聞いた記憶があります 何もしない武士を揶揄した 一種の皮肉みたいな感じだったとか… ご存知 一所懸命の語源は鎌倉時代に源頼朝からもらった土地を その土地(1つの所)に根付いて懸命に尽くす と言うのが語源です それ以降武士にとっては忠誠心を示す大事な言葉の1つでもあったようです 江戸時代にもその言葉は重みを持っていたようですが 当時は戦もなく 武士は何もせずに暮らしていたのを 当時の浮世絵師や芸人が皮肉って「一生懸命」と言い出した と言うことだと あくまで聞いた話です

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 おっしゃるとおりです。ご趣旨は下記などにもある小学校長の朝の訓示のおきまりですね。  http://omoshiroihanashi.seesaa.net/article/367600319.html  僕は小学校の時、先生から一生懸命と書くように教わりました。この先生は、校長先生用の虎の巻をお存知なかったようです。  「生」を使う方は浄瑠璃、『浮世風呂』、仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』、などの用例がありますから江戸時代の庶民を対象にしたものから始まり、やがて市民権を獲得したようです。

  • jtk4849
  • ベストアンサー率21% (21/97)
回答No.1

ううん.... あ、同じような質問があるようです、okwave(.)jpの後に/qa/q8538177.htmlを追加して下さい。(ロボットによる悪質なものを避けたいので。)