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イエスはヨセフとマリアとの子であり神の子でもある。
(あ) イエスは ナザレの人たるヨセフとマリアとのコイトスによって生まれた子であり ふつうの人間であると同時に 神の子でありみづからも神である。 言いかえると (い) マリアは 許婚のヨセフとの性交によってイエスを身ごもり生んだと同時に 神なる聖霊によっても身ごもったと言われる。 (う) イエスは 神の子でありみづからも神であるゆえに イエス・キリストと呼ばれるわけであるが その《人間であるイエスが キリストなる神である》というのは 大嘘でありひとつの物語である。 (え) ただし この虚構によって 神は――世界のどんな名の神も 神という神は 《無い神》をもふくめて―― すでに要らないと見なされるかたちで 揚棄された。 (お) だから もう神を知れ・うやまえとか神を信じなさいとか神などはいないとか いや いるんだとか いちいちあらそうこともなくなった。理論上 そうである。 どうでしょう?
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noname#205416
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お礼
ぴんぐずさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 趣旨説明で叩いた大口について 情報の持てるかぎり説明してまいります。 ★ 「神の子」とは 全人類の事を指すのです・・ ☆ ええっとですね。この《神の子》というときには ふたつの意味に分かれると思います。 ひとつは イエスが人間であると同時に みづからも神であるという意味において神の子であると言う場合です。 これは 言いかえると 父なる神と子なる神とは 同等であり一体であるという意味になるはずです。 もうひとつは このイエスが指し示した神は ほかの名前の神とひとしいと言っているわけですから 神という神を心に受け容れている人にとっては――と言っても受け容れていないという形で受け容れた《無神論》の場合をもふくむことになるのですが したがってすべての人にとって―― 〔イエスが指し示した神は〕すべての人類の親であることになります。 すなわち おおせの通りに 全人類の一人ひとりが 神の子です。 では 同じ言葉で言っているが どう違うのか? イエスはキリストとして 完全な普通の人間であると同時に 完全に神である。 われわれ人間が 生まれついた自然本性のもとに人間であると同時に――物語の上で・理論じょう――それぞれが神の子であるというのは おそらく神の聖霊をやどしていることだと見ます。それも おそらく完全にではなく 部分的にではないかと考えられます。 人間はそれぞれ神の霊を分有している。 ★ 万物と人間の決定的な違いが たった一つだけあるのです・・・ ☆ 人間よりほかのものごとについては この人間が そのような万物は神の霊を受けていると見なすかたちになりますから 少し違いがあると考えます。