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闘技者による権力者達のための代理戦争って存在した?

こんにちは、漫画ではよくある話ですが、実際に歴史上で「何千人と死者を出す本当の戦争をするくらいなら、お互いのグループを代表する、闘技者(又はロボット兵器等)どうしを戦わせる代理戦争で決着をつけよう。」などという出来事は存在したでしょうか? よろしくお願い致します。 *質問は1週間開いておきます。 お礼は金曜日以降になります。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • taoyuany
  • ベストアンサー率74% (629/844)
回答No.1

・特殊部隊や軍事顧問団 現在ウクライナで行われている戦争や初期ベトナム戦争やキューバ内戦などは 特殊部隊などを代理闘技者とした代理戦争と言えるのではないでしょうか ウクライナではロシアの特殊部隊やウクライナ出身のロシア軍所属者がロシアからウクライナ入りして戦闘しています。 イラクでは米国軍事顧問団によって教練されたイラク軍部隊がISILと現在も戦闘中です。 どちらも軍隊を投入すると本格的な戦争になるため、代理の団体を戦わせています。 ・オリンピックや国際試合 上記のような血腥い話でなくてもオリンピックというのは国家代表ですので代理戦争とも言えなくはないですね。 オリンピック以外でも国際交流試合なども代表同士の試合と言えそうです。 民主主義国家における主権者は大衆ですので、その代表の溜飲を下げる為にスポーツを使う国は多いです。 ・裁判における弁護士 現代における個人間、団体間決闘というのは裁判ですね。 この代理人を務める弁護士同士の戦いも権力者達のための代理戦争と言えるのではないでしょうか。 裁判の歴史上14世紀頃までは殺し合いの決闘の結果で裁判の結果を決めるという決闘裁判というものもあり 21世紀の現在でも決闘を制度上残している国は有ります。 質問者様が考えておられるのが、国家間民族間で一対一のような決闘で名乗り合って一騎打ちを行い戦争の勝敗を決した事例であれば私の思いつく事例は相当昔のものになります。 ほぼ神話であるため創作の可能性もありますが 紀元前8世紀。初代ローマ王ロームルスが近隣から女性を攫って来て、それに怒ったカエニナ王アクロンが戦争を仕掛けた事例です。この戦争は両国王での一騎打ちで決められることと決められ、一騎打ちの結果ロームルスが勝利し、結果カニエナ領をローマが併呑します。 以上質問者様の参考になれば幸いです。

agnler
質問者

お礼

ウクライナVSロシアをそういう見方があったとは知りませんでした。 そう考えると、代理戦争って漫画のようにはいかず、結局血みどろなんですね。 >紀元前8世紀。初代ローマ王ロームルスが近隣から女性を攫って来て、 悪者が勝っちゃたんですか??? なんてこった!?だれかがそのレイプ誘拐魔に天誅を下してくれた事を祈るばかりです。 兎に角、現代でも代理戦争があることが分かりました。 残念なのは、命のやりとりをするレベルだったことです。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.2

こんにちは 代理ではなく、当事者で、説話物語に出ている話ですが。『今昔物語集 巻第二十五巻 第三』にある「源充平良文合戦語」という話に、次のようなものがあります。平安時代の中期の東国(話の内容から見ると現在の関東地方)で、有力者であり武勇を誇る武人である*源充(実際は源宛とされます)と*平良文が争った話です。 武勇を誇る二人は、それぞれの郎等が相手を中傷し、立腹させ、けしかけたので、二人は果たし状をやり取りし、軍勢を調え、合戦準備をし、当日双方5百~六百人の軍勢を率い、約束の野原に対陣した。開戦状を取り交わし、いざ合戦という時に、良文が充に、「軍勢による合戦は止めて、二人だけで馬を馳せ、弓を射合おう」と言ってやると、充も承知して、大将同士が馬を馳せ、弓を射合った。両者の力量は伯仲し、互いの渾身の矢も、双方よけた。互いに相手の力量を認め、双方軍勢を率いて退陣した。そののち両者は仲直りし、隔意もなく友誼を結んで過ごした。 以上のような荒筋ですが、今昔物語集の結末は仲直りしたとされていますが、実際はその後も争いはあったとされます。 この話は説話物語ですが、背景に一定の事実があったのではないかと言われます。 *源充(実際は源宛とされますので源宛について)=嵯峨源氏。系譜は、嵯峨天皇-左大臣源融-源昇-源仕-源宛。子に源頼光に随って大江山の酒呑童子退治に活躍した渡辺綱がいる。また、摂津源氏に仕え、摂津国の渡辺に集住したため、その子孫は渡辺党と呼ばれた。宛は武蔵国足立郡箕田(現在の鴻巣市)に居住し、箕田源二宛(みのたのげんじあたる)と呼ばれます。武蔵守に任官したとされますが、21歳で死去。 *平良文=平安時代の中期の天慶承平の乱の平将門の叔父。桓武天皇の子孫で、桓武天皇四世の高望王の子です。系譜は、桓武天皇-葛原親王-高見王-高望王(平高望)-平良文。武蔵国熊谷郷村岡もしくは相模国鎌倉郡村岡(他説もあり)に本拠を有したために、村岡(丘)五郎良文(むらおかのごろうよしふみ)と呼ばれています。鎮守府将軍・陸奥守などを歴任します。その子孫は、村岡・千葉・相馬・上総・秩父・畠山・河越・鎌倉・大庭・梶原などがあります。 『今昔物語集 巻第二十五巻 第三』の「源充平良文合戦語」原文 http://yatanavi.org/text/k_konjaku/k_konjaku25-3 『今昔物語集 巻第二十五巻 第三』の「源充平良文合戦語」訳文 http://japanese.hix05.com/Narrative/Konjaku/konjaku109.kassen.html 以上、少しピントがずれていますが参考まで。

agnler
質問者

お礼

恒例化したものではなくて、突発的におきた戦争を一騎打ちで収めた感じですね。 源氏と平氏なんで仲が悪かったのか不思議ですねえ。 仲良くしてれば、歴史の表舞台から離れずにすんだかもしれないのに。 酒呑童子って、本当はどういう人だったんでしょうね? 歴史は勝者側に都合のいいように書かれていますから、案外悪者は源頼光だったのかも?  どっちにしても、漫画のように格闘技で、大事を決める習慣はいつの時代にもなかったのか、そんな事はあっても記録する価値が無いと歴史家が感じたのか? 歴史って難しいですね。 ありがとうございました。

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