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出エジプト記 なぜ奴隷だったの?
聖書の出エジプト記ではユダヤの民がエジプトの奴隷になってて、そこから脱出する物語と認識しておりますが、ではなぜ奴隷となってたのか? の記述って記載ないですよね? 出エジプト記より前のエピソードはアダムとイブの物語、天地創造ですよね。
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旧約聖書では、エジプトにいたユダヤの民すべてが、どのような経緯で奴隷の境遇に落ちたのかは確かに書かれていません。 ヒントは旧約聖書 創世記39章1-23節にあるヨセフの生涯の物語です。 出エジプト記の冒頭にエジプトにおけるユダヤの民の社会的な状況が述べられています。 聖書のような宗教書の場合には、現在の歴史書のように事実が述べられているのではなく、比喩や象徴として記述されていますので注意して下さい。 ヨセフの物語も個人伝ではなく、当時の社会情勢の象徴としての物語です。 ソドムやゴムラの話も象徴です 歴史書や学術書ではない宗教書としてはこれで充分です。 この言葉あるいは話は何を象徴しているのか、という解釈で権威者ができたり宗派が生まれたりします。 エジプトはナイル川を利用した農耕が盛んな地域でしたが、シナイ半島一帯は農耕には不向きな土地で、放牧と交易が主体です。 住居の移動を伴う遊牧民は多量の食糧の蓄積を持ちません。 結果として、天候次第で簡単に食料不足に陥ります。 食料の備蓄があるエジプトへ難民として流入します。 難民問題や移民問題は現在のヨーロッパにもあります 日本でも在日朝鮮人という問題を抱えています。 このような経緯を一々宗教書は記載しませんので注意して下さい。 古代エジプトに限らず異民族、異部族に対しては市民権を認めません。 市民権が認められない状態を奴隷と表現するか否かは別問題ですが、奴隷という言葉が持つニアンスから置かれている状況がイメージし易いことは間違いありません。 象徴としては充分です。 書いてない、と単純に考えられますと、どこも読んでいないましてや内容を理解していない、などと言われてしまいますので御注意願います。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
下記は奴隷の一例です。アメリカの初代大統領に嫁いだマーシャは、「嫁入り財産」として80人ほどの奴隷を所有していましたが、遺書には一人を解放せず孫に与えると書いています。 http://www.mountvernon.org/george-washington/martha-washington/martha-washington-slavery/ ということは、財産の子は財産である。すなわち、世代が過ぎれば、個人の奴隷から、家族、集団、と進むことを意味します。 アフリカの民が、ヨーロッパ系の奴隷となったように、ユダヤの民がエジプトの奴隷になり、ワシントンの妻の奴隷が脱出して米北部に逃れたように出エジプトになった可能性はあります。
- urigadai2013
- ベストアンサー率37% (92/244)
新約聖書・マタイ伝の冒頭のイエスの系譜によればユダヤ民族の祖は、紀元前16世紀のメソポタミアのアブラハムで、その妻サラと共にメソポタミアからエジプトに移住、さらにその子孫ヨセフの頃、紀元前14世紀半ばにエジプト新王国のアメンホテップ4世(アクエンアテン)に従い、アマルナに移住、そしてそのアメンホテップが地上の歴史で初めて太陽神・アテン神を祭る一神教を始めました。 ところがそのアメンホテップ4世のアマルナはわずか30年にしてファラオの死とともに滅び、ヨセフはエジプトに売られ、奴隷にされました。 更にそのヨセフの子孫アロンの時代にモーゼに率いられて紀元前1250年頃、「出エジプト」で脱出、シナイ半島を転々として、モーゼの死に伴い、紀元前1220~1200年頃、ヨシュアの頃にパレスティナのカナンの地に侵入、ダビデ王の頃、紀元前1000年頃にエルサレムにユダヤ王国を建国、エルサレムに神殿を建設・・・・・・・と続きます。 旧約聖書・冒頭の創世記は神話なんで、歴史的事実じゃないんです。 それとは別に歴史的事実が背景にあるのです。
- hamazo2004
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支配民と被支配民の2重構造しかなかったからではないですか。人権のかんしゃくも無い時代あったこともありますが被征服者の主観によって変わることもあります。
補足
urigadai2013さん、ご回答ありがとうございます。 ユダヤの民がエジプトの奴隷になってた理由は旧約聖書にはないものの、新約聖書・マタイ伝の冒頭からその理由(なぜ奴隷となったのか)を読み取れるという事ですか?