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若者の哲学離れは良い事なのか?否か?
最近の若者は思想がないようです。 哲学とか言うとなんか気持ちの悪い話の様に思う人が多いようです 我々の頃は倫理社会という教科で哲学の話も勉強しましたが 今は現代社会にほんの一部紹介されてる程度で 根本から人生や世界を考える姿勢は見られません。 情報だけは溢れるように在る様で PCどころかタブレットやスマホで 色んな情報が手に入ります。 このような状態では 政治がまた戦争もやると言えば それに反論する思想はないかもしれません。 公明党まで自民党の路線に反対できません。 もう哲学は不要なのでしょうか? 理想などいらないのでしょうか?
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そう言えば選挙権を18歳に引き下げるという話、ありますね。それが可能な程教育が浸透しているかは疑問です。 時代の要請、確かにあるでしょう。多様性を認めるだけでは片付かない問題が山積しています。かといって、統一見解に頼るというのもはばかられます。人はそれぞれに見出したものに価値を置きたいものですし、個人を大切にしたいというのが風潮でもあります。 世界に通用する、そう言うスローガンこそ怪しげで、本物はローカルだろうがグローバルだろうが、関係ないと思います。 ところで、先日、ハッキング集団アノニマスが、イシスに宣戦布告をしたようで、あー、こんなことも起こるのかと思った次第です。善悪観念の入れ替わりの時代に来ており、何が善しとされるのかが不透明な時代です。命を大事にしよう、そんな事を言いながらも世界の格差は是正されません。本当は、たった一つの自分の命と、数十億の他人の命とを天秤にかけるような不当な感情にさらされているのです。平等とは聞こえがいいだけで、それを叶えられるのは聖人ぐらいなのです。 人間性の育たない教育プログラムは、はっきり言って糞です。人道的な事をもっと考えられるようにしてあげなければなりません。一人一人が社会を、世界を形作っているのです。どの様な世界が人間に相応しいのか、突き詰めなくてもある程度のヴィジョンを描けなければ良い世界はやって来ないでしょう。 世界を良くするのは明晰な頭脳ではなく、こころなのであるということを理解せねばなりません。 生活と人生は異なるものであり、人生を考えるならば、思索は必要でしょう。しかし、思索がこころを育てるのかと言えば、それにはハイと答えることはできないと思います。何によってこころが育つのか、それは人によって異なるであろうからです。例えば、ある年齢を越えたら大人になれるかと言えばそうではありません。何をしたからこころが育つのかというのは、定まってはおらず、ただ、こころを育む人と、こころを蔑ろにする事態があるのです。育む人は何をきっかけにしても善良になるであろうし、そうでない人は何をきっかけににしてもひねくれてしまいます。自らこころを起こし、負のスパイラルから抜け出さない限り。
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- titelist1
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信仰も哲学もその必要性が無くなってきたのです。結核にかかってコロリと死ぬこともなく信仰心も薄れました。科学レベルも高くなり分らないことが少なくなりました。悩み苦しむことも少なくなり、ぐだぐたと考えて過ごす人生よりも、金儲けして楽しく暮らす人生が良いのです。 だから関心事が経済のことになりました。経済力を高める方策には熱心なのです。経済力を自分の力で良くすることができない者は政治に期待する。哲学では良い生活ができるようにはなりません。理想どおりにはならないのです。
お礼
なろほど どうも 貴方はあまり哲学とは関係のない人のようですね ありがとうございます。
- Key_A
- ベストアンサー率9% (55/603)
まずは鏡を見ましょう。 ここの哲学カテの質問投稿なんて、 哲学ではなく戯言ばかりです。 自国防衛と侵略の区別すらつかないので あれば、考えるだけ時間の無駄です。 質問者のいう「哲学」なんて、保たない方がいい。
お礼
戦争になれば大概は人を殺し殺されることになります。 ISもアメリカを侵略者と思っているでしょう それに加担すればテロの標的になります。 貴方は哲学を持たなくてもいいのではないですか。 どうもでした。
- stmim
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哲学や思想がはやらないのは良い事だと思います。 哲学と思想はある意味まったく逆です。 哲学はどうしてだろうかと根本的に疑うこと。疑いつくすこと。 思想はかなり方向性がさだまった考え。 20世紀はイデオロギーの時代でした。 社会主義・共産主義により世界で1億人の人が死んだといわれています。 スターリンの粛清、毛沢東の大躍進政策、クメールルージュによる大量殺戮などによるものです。 人類は思想の恐ろしさを知りました。もちろん、悪いことばかりではないですけど。 現代では思想は古臭い、かっこ悪いものだとされています。 そのぐらいのほうが、大勢の人が思想の熱にうかされているよりずっとましだと思います。 哲学については、つきつめて考えていくと、虚無主義に陥りやすいという危険をはらんでいます。 (哲学をそんなに勉強したわけではないですが)自分は考えていくとやばくなりそうなので、それはそれとして、ということであまり考えないようにしています。 それから学校で習うのは哲学史であって哲学そのものじゃない気がします。 哲学とは自分で考えることであって、昔の時代の人の考えを勉強するのと違うような・・・。 そういう意味では哲学そのものの授業は自分は受けたことがないです。 というわけで思想や哲学はやりたい人が、つきあう程度でいいんじゃないでしょうか。
お礼
哲学と思想は関係がありますが、けして同じ様なものではないですね。 哲学をすると虚無主義に陥って 死にたくなるから止めた方がいいとよく言いますが 実際にはなかなか分からないから当時流行っていた虚無主義に陥ってしまう人が多いのと 考えることは苦しいことが多いので 苦しい事だと敬遠する傾向もあるのでしょう。 やりたい人がやればいいと言うのはその通りだと思います。 建築をやりたい人は建築を、科学をやりたい人は科学を 教育をやりたい人は教育を やればいいと思います。 ただ言えるのは 今の時代に哲学で磨いた思想・理論は必要だと思うのです。 人々が目印にするものがなければ仕事の現場でも経済の流れも 生き残りや格差が激しくなっていくと思います なぜ格差が開くのが望ましくないのか なぜ生き残りの生存競争ではいけないのか その根拠が分からないと思います。分からない人を見殺しにするわけには行きません それなのに肝心の大学の哲学科は 過去の哲学者の研究ばかりしています 哲学は考古学ではないのです。現実を考えるのは昔と一緒ですが 時代の要請と言うものがあります。 今の時代に必要な考えを提供することが必要なのです。 日本人はエコノミックアニマルと呼ばれてはなりません。精神も一流にならなければ 日本の伝統に答えることは出来ません。 どうもありがとございます。
- a_hona
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思想にかぶれることと、きちんとした思想を持つことは違いますからね。大概若者の場合、それは一過性のもので、流行病というか、かぶれだと思います。きちんとした思想を持つ人など、今も昔も多くはないのかもしれません。 かぶれが少なくなるのなら、それは良いことだと思います。
お礼
学びて思わざれば即ち暗く、思いて学ばざれば即ち危うし。 被れるだけでは行けませんが 考え抜く気持ちも必要だと思います。 私は勉強が足りないので反省点ですが 学ぶばかりでは光は見受かりません。 宗教に被れて訳も分からず伝道者になるよりも 宗教を理解してその間違いを指摘するくらい それくらい考えないと新し時代は開けません。 それを若世代に教えていかなければ行けません。 何事も容易くはありません 故人の跡を求めず、個人の求めたる所を求めよ。と言います。 真理の追究 哲学の役割は今尚必要だと思いますが 如何でしょうか? どうもありがとうございます。
- bakabon_X
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今日は 私は、哲学を勉強したわけではなりませんが下記の様に思います。 1)文明を進歩させ、人類を幸福にするために哲学はあるのかも知れません。 2)しかし、所謂大学等のの哲学者からは、何も生まれて来ず、詭弁とか 政府の政策の弁護とかでは無いでしょうか? つまり、何かしら活動をしないと、収入がなくなりますからね? 3)反政府勢力の理論的な援護をされる哲学者も居られるかもしれませんが、 オバタリアンの感性の方が迫力があると思います。 4)ギリシャ時代の哲学が有りますが、それ以降は不毛の感がしまさす。 5)言ってみれば、暇人の遊びでは無いでしょうか? 6)と言いましても、世界を変えるような、思想が生まれるかも知れません。 しかし、他人の思想を学び、それを教える方もいると思いますが、創造の の哲学は必要です。西洋のもの真似では仕方がないかも知れませんが、 国語の勉強には良い教材となるのでは無いでしょうか? 御免なさい、アホの戯言を申しまして。
お礼
考えることが哲学です。情報量にかまけて考えることをやめ 流行の考え方に流されるなら 自分がどこに行くかもわからないまま 多数決に参加してしまうでしょう 選挙の投票率も低下の一途です 考えることをやめたのか 諦めたのか 馬鹿馬鹿しくなったのか分かりませんが 若者にまともな思想を伝える人さえ少なくなってきたようです。 我々の頃は反戦フォークとかもはやってましたが 「20歳の原点」のように考えながらも死を選ぶ人もいて 真実を求めることは困難ですが 困難だから諦めるというのでは 進歩がない 歴史を繰り返し、また戦争を始めるかもしれません 何としてもそれは阻止しなければ 我々の世代の責任でもあります。 どうもありがとうございます。
哲学があったら戦争に反対するって意味がわからないんですが。 そういう哲学の不思議ちゃんめいたところが敬遠されるなら、良いことだと思います。 哲学以外にも思想はありますし。 情報が手に入るからこそ、若者戦争や政治に対する考え方が変わってきた。 それが現在ですよ? ただ、ネットだと自分の見たいものしか見えなくなるのが困りものですが アンダードッグ効果なんかも十分撒き散らされてますしね。 そもそも、哲学は反宗教や反体制が必要な土壌で 生まれ育つからそもそも日本の文化風土じゃ必要なかった云々の話も 聞きますしね。 哲学を学ぶと反論する思想が出るってどういうことですか?
お礼
>哲学を学ぶと反論する思想が出るってどういうことですか? 反論する若者は多いですが 根拠がないということです。 根拠がなければ説得力もなくなります 「そんな事は1+1=2と言ってる様なものだ」と言う若者がいましたが それほど分かってる人はあまりいないように見受けます。 自分が何故存在しているのかさえ分からない人が多いようです どうもありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
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若くして結核や天然痘で命を失う人々や、はたまは神風特攻隊で命を失う人が居なくなり、加えて殺人事件の被害者も継続して減少中、交通事故による死者数も継続して減少中の平和な日本で生まれ育つと、人の死を身近に考えることが少なくなり、それに比例して哲学が不要になるのでしょう。 良い事ですね。
お礼
哲学しなくても上手く行くのならそれは良い事でしょうね。 しかし現代複雑で分からないから考えないという思考停止で考えないなら それは如何なものか? 良いことですか 成る程 どうもありがとうございます。
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お礼
成る程。 気合が入ってますねえ。 確かにと思うことが多いです。 どうも大変ありがとうございます。