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桃太郎の流行時期について

桃太郎が流行し始めたのはいつ頃の時代なのですか? 大学の課題で調べています。 どうかどなたかご教授ください。

みんなの回答

  • MagMes45
  • ベストアンサー率63% (7/11)
回答No.5

MagMes45です 「岡山県が吉備津彦を結び付けたのは昭和5年……」「大隈重信が鬼無で演説をした……」という内容でしたら、先にも紹介しました『1/1億人の桃太郎』から拾いました より具体的に説明すると、その発言は岡山市立オリエント美術館館長だった市川俊介氏によるものです しかし『1/1億人の──』も出版されてからかなり経っていますので、現在はもう少し進んだ研究もされているのではないかと不安になって、`大隈重信 桃太郎´で検索してみたところ、大隈重信が鬼無で演説をしたのは大正3年のようです それも大隈重信が桃太郎と鬼無を結び付けたのではなく、演説を聞いた橋本仙太郎なる人物が地名の由来を調べて昭和5年に稚武彦と桃太郎を結び付ける論文を発表したというのが事実のようです きちんと裏を取らずに回答をしてしまい、申し訳ありません お詫びして訂正いたします ただ、昭和初期に地域振興を目的とした「桃太郎誕生の地」の誘致があちこちで行われたのは確かと言えますね ついでなのでその辺りまでの流れを懲りずにまとめたいと思います 桃太郎の原型とされる民話、言い伝えが各地にあって、それが次第に「桃太郎」としてまとめられていった ↓ 出版文化が確立されていく中でお伽噺も一般に広く浸透し、江戸時代には国学者や物語作家を中心に研究も行われる一方で、より画一的な桃太郎像も作られていった ↓ 明治に入って富国強兵の気運や日清戦争もあり、巌谷小波による皇国の為に戦う桃太郎が書かれた そして日本が戦争に向かう度に国定教科書でも特に桃太郎が取り上げられるようになる ↓ 一方外征の象徴として桃太郎が英雄視されて、各地で「我が町、我が村こそが桃太郎の誕生の地」だと主張されるようになった 「桃太郎」には説話としての時代があり、冒険活劇的な娯楽読み物としての時代があり、広告や思想統制の道具としての時代があったと言えそうですね

  • MagMes45
  • ベストアンサー率63% (7/11)
回答No.4

#2のMagMes45です 度々お邪魔してすみません 岡山県が吉備津彦と桃太郎を結び付けたのは昭和5年のことだそうですよ 最も早く桃太郎伝説を形にしたのは香川県の鬼無(きなし)とされていて、明治に大隈重信が大演説をしたとか その次が愛知県の犬山で岡山県は3番目ではないかと…… もっとも、これは主張した順番であって正統性は別の話ですけれど、とにかく吉備津彦と桃太郎が同一視されるようになったのは比較的新しいことだと言えます 尚、桃太郎伝説の多様性についてはコミックながら星野之宣『宗像教授伝奇考』の一編「桃太郎連説」に簡潔にまとめられています 吉備氏だけでは説明の出来ない桃太郎に出会えますよ

shu-sk88
質問者

お礼

ありがとうございます!差し支えなければその情報の出典も教えていただけませんか?

回答No.3

桃太郎伝説は、岡山県をベースとしている。 一方、鬼が島伝説は、香川県の高松の目と鼻の先の 女木島にある。 瀬戸内海の島が、岡山県の目の前まで香川県に属し、 そうした島嶼部を支配していたのは塩飽水軍などの 瀬戸内の海賊であり、また高松にあった玉藻城が、 日本では珍しい海中に立つ海城であったように、 香川+島嶼部は、大和朝廷にまつろわぬ朝敵の巣 であった。 一方、岡山は、熊襲に追われて日向から東遷した 大和朝廷が一時期滞留したり、あるいは奈良に落ち 着いた朝廷に対して忠実な豪族として吉備氏が頻繁 に史書に顔を出すように、大和朝廷の主要な構成員 であった。 九州と奈良・京都に拠点を置く大和朝廷にとって、 瀬戸内海は重要な交通の要衝であり、その安全を おびやかす瀬戸内水軍は、目の上のタンコブだった ので、吉備氏に命じて討伐させた事実が、桃太郎 (岡山特産の桃)による鬼(海賊)退治の物語と して残ったのだ。

  • MagMes45
  • ベストアンサー率63% (7/11)
回答No.2

ご承知のことかも知れませんが、一口に桃太郎と言っても様々な系譜を持つ話があります 近代桃太郎(現在一般に語られている典型的「桃太郎」)の原型は巌谷小波が明治27年に『日本昔噺』の第一編で発表したものと言われています そしてこれはその年に起きた日清戦争にも関係しているのか、桃太郎が皇国のために鬼ヶ島へ行くという形を取っているようです これが昭和に至るまで戦意高揚に利用されていたのはご存知でしょう 尚、この近代桃太郎の危険性を見抜いていた芥川龍之介は侵略者としての「桃太郎」を書いています ただ、勿論それ以前から「桃太郎」は語られていて、江戸時代には山東京伝や滝沢馬琴も桃太郎への考察をしています(余談ですが馬琴は『燕石雑誌』の中で「なぜ桃太郎のお供が犬、猿、キジなのか」という疑問を陰陽道と結び付けて考察しているようです) 江戸時代の噺では桃の中から生まれるのではなく、桃を食べて若返ったお爺さんとお婆さんがむつみ合ってできた子が桃太郎というパターンも多いですね 更に「桃太郎」のルーツとなると、一般には崇神天皇の時代に活躍した四道将軍の吉備津彦命がモデルとされていますが、その岡山ルーツ説とは別に各地に桃太郎伝説があり、その発祥や流行の過程を考察するのはほぼ不可能と言って良いでしょう 因みに香川県の桃太郎神社では孝霊天皇皇子稚武彦命の事蹟を菅原道真がお伽噺に仕立てたと伝えています 以上のことは 『1/1億の桃太郎』吉村卓三著 メタモル出版 を参照して書きました やはり限られたスペースでは大雑把なことしか申せません 上掲書に参考資料として挙げられている 『桃太郎像の変容』滑川道夫著 東京書籍 『桃太郎の運命』鳥越信著 NHKブックス 『桃太郎の誕生』柳田國男著 角川文庫他 『桃太郎の母』石田英一郎著 講談社学術文庫 を図書館で探して読まれることをお勧めします しゃしゃり出てきて、あまりお役に立てずに申し訳ありません

  • nacci2014
  • ベストアンサー率35% (200/569)
回答No.1

詳しくはわかりませんが 私は大航海時代の幕開けの時期ではないかと思います。 岡山県のある島に西洋人が漂流します。彼らは顔が赤くて言葉も違います。体つきも大きくて力もあります。彼らは早速、食糧調達のために島に住む人たちから力づくで食糧を奪い、暮らしていました。この西洋人が鬼なのではないかと思います。その噂を聞いた内地の人間の桃太郎はこの西洋人たる鬼を退治に島にわたり、協力者の犬山、猿田、木嶋とともにこの西洋人を成敗したと言う話しがもとではないのでしょうか?

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