※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:《虚数》という想像力の世界に現実はあるか(つづき))
《虚数》という想像力の世界に現実はあるか(つづき)
このQ&Aのポイント
《虚数》の世界においては、意志決定が実数の世界とは異なり、不確かさを持つ
現実とは複素数の形を取り、虚数の想像力が実数の意志決定を制約することもある
虚数の世界に閉じ込められた人が現実に意志決定できない場合、虚構の世界で生きている可能性がある
《虚数》という想像力の世界に現実はあるか(つづき)
1. まづ タトエと推測とによって話を運ぼうとするお話です。というのが 前提です。
趣旨説明を述べます。
2. まづ ことは ひとの意志行為です。これに注目します。
3. たとえば実数であれば 意志のあり方は――その表明にまで到ればなおさらですが―― イエスかノーかあるいはその中間でまだ決められないか この二つないし三つに分かれると思われます。まづほかにはないでしょう。
4. ところが 虚数の概念を仮りに導入したら どうなるか?
5. たとえば イエスもノーもまだまだ決める段階にはない。いえ その情況はすでに相手から答えを求められ決断を迫られている段階ではあるのですが どういうわけか(つまり これが 虚数の世界であるかも知れないのですが) 実数としての意志決定をしぶっている。
6. つまりは言いかえると これは 大きく見れば いまの段階としては〔その人にとっては〕不確かな実数の世界( a )とそして同じくいま考えあぐねているその想像の雲に乗った小世界( b i )とで構成される複素数( a + b i )としての実態である。ということになりましょうか? いえ どうなのでしょうか?
7. いまもし ひとがたとえば人間不信に落ち入っていて世の中に反感しか持ち得ず もはや実数としての意志決定を成し得なくなっているとしたら どうなるでしょう?
8. いまの仮説のかぎりで その人は 虚数の世界にのみあることになります。すべては 想像をめぐらしつづけているだけとなる。と言えばまだ恰好がついているかも知れませんが 実際は その想像というのは うたがいに満ちさらにはその猜疑心があるいは敵対心にまで広がっているかも分かりません。
8-1. ということは 現代韓国人の――特には日本人に対する――心的現象を分析しようとしているわけです。
9. もし人の生きることが 自己表現であり 自己表現は それとしておのれの文体を成すとしたら おそらくそれは《わたしがわたしであるそのわたしが わたしする》動態であると見ます。
10. 言いかえると わが自己表現の文体は 《わたしがわたしである》その自己同一性のさらに自乗として限りなくつづく過程である。
11. 《わたし》が 数として一であるならば 一の限りなき自乗として一である。と同時に ときには多少とも道草を食いつつまたそこから脱線をもしつつ 元の一に立ち戻って生きる( 1^n = 1 )。
12. ところが 現実は 複素数である。かも知れない。
13. 虚数の動きが 外から心に忍び込んで来るゆえなのか自分から何を思ったかおのれ自身をめぐるあらぬ物語を紡ぎ始めるゆえなのかどうなのか 起きて来る。
14. おまけに《一》から脱線したときには 元の動態とその軌道が分からなくなる。もはやそこでは あたかもあの悪名高きムラカミハルキ・ワールドつまりモヤモヤ・ワールドのごとく 虚数なる想像一色の世界となる。
15. 自己表現の動態としてありつつも 実数としての意志決定が・したがって意志表明もが できない。できなくなる。
15-1. ただ敵対すると思い込んでいる相手つまり仮想敵に対してあらん限りの罵りをのみ叫び続ける。
16. 代わりに ひょっとするとその虚数なる想像力をたくましくしてあたかも巨大な繭をつむぎその時空間の中にあそぶというかのような虚構世界を生きるということかも知れない。《ウリナラ・ファンタジー》。
17. もしこの現実としての複素数なるわが文体が その中で実数( a )が消えてゼロになり 虚数( bi )のみによって成るかたちを取ったとしたら どうなるか?
18. 《わたし》の自乗の動態は あたかも マイナス一( -1 )となる。
18-1.ひとつの解説をすでに得ています。
◇ ~~~~~~~~~~~~
一度の《へそ曲がり》は潜在化の過程、さらに《へそを曲げる》と顕在化する。
1×i = i : (へそ曲がりの)潜在化の過程
i×i = -1 : (へそ曲がりの)顕在化の過程
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
19. これでは 社会における交通(マジハリ)が成らない。成し得ない。
20. というふうに推し測った仮説です。
いづれの論点についてでもよいですから ご教授ください。
21. おまけもしくは余分: 悪名高きモヤモヤ・ワールドは 精神分析ワールドでもありますが 日本人のあいだでは やはりむしろブディズム――その悪しき部分――に放射能源はあるのではないか?
22. つまり《さとり》についての満ち溢れるゴミ解釈が社会の処理能力を超えて無限に造り出されていはしまいか? 虚数としてかんたんに誰でも言えるからのように。
23. これは 人間にとって不幸である。千年一日のごとき生活幻想がつづく。そういう部分がどこかで根を張っている。言いかえると ゴータマ・ブッダの《大芝居:大化城》なる桃源郷に避けどころを見出そうとする心の動きである。
24. つまり――減らず口をたたき続けますが―― わが日本人にあっては 外に仮想敵をつくり敵対心を発散させることによって 日頃のうっぷんの捌(は)け口とするシワザは おこなわないようではある。
25. ひとはすべからく現実に向き合わざるべからず。過去は捨てよう。
26. なおこの設問は 《存在とは何か?》なる問いに答えようとする問い求めです。《現実存在 つまり 要らぬ過去(脱線)を捨て余計な想像世界(本質論)を脱ぎ捨てて現実に向き合う存在⇒つまり 実存》 これが 《わたし》であり《存在》だという仮説です。
お礼
こんばんは。そして あらためまして あたらしい年 おめでとうございます。 ご回答をありがとうございます。 或る程度までは ついて読んで来ました。 けっきょくただちにタトエの問題になります。 ◇ つまり、 / 回転という操作を(導入)すれば、実数は虚数に、虚数は実数になる。 ☆ このことについて〔だと思うのですが〕 何とか実物に対応するかたちで理解したいと思って 文系人間としてはタトエをネツゾウするわけです。 1. ふつうの実物のかかわる二次元座標において 複素数 a + bi はふつうは b = 0 として x 軸の a なる点が ワレの位置になります。 a は 存在としての一により 1 でよいと思いますが ここでは 実数としての a で行きます。 2. x 軸は 意志のあり方を表わします。 y 軸は その意志を表現するときの行為になります。前項の( a, 0 )なる点は まだ意志行為には到っていない場合です。 3. この a 〔つまり ( a, 0 )〕なる地点にあってワレは 意志をなお保持しつつも(または 意志をけっきょくあらぬ想像に用いつつ) いわゆる現実から離れる。そしてこれを どうタトエで表わすか? 4. 考えたことは――検索でいろんなサイトを参照しつつ考えたことは―― ワレは あらぬ想像を成すときには地点 a から空を飛ぶのだと見ます。 5. そこでさらに 次を参照するならば 《空を飛んだワレ》が 虚数 i であり――しかもこのとき b = 0 であった b にあたかも実数のマボロシが付着して・つまりそれは 通常 ワレという一( 1 )であると捉え―― この i となって浮遊するワレは たとえばですが 原点( 0, 0 )の上を天翔けている状態にある。 ☆☆(趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 18-1.ひとつの解説をすでに得ています。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 一度の《へそ曲がり》は潜在化の過程、さらに《へそを曲げる》と顕在化する。 1×i = i : (へそ曲がりの)潜在化の過程 i×i = -1 : (へそ曲がりの)顕在化の過程 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 6. すなわち もしこのときワレがさらにこの浮遊状態を確認しそれでよしと思ったなら――つまりそういう意志を働かせたなら・ということは b = 0 がすでに何らかのハタラキをおこなっていて b = 1 ならその一になるのですが―― けっきょく虚数の i なるワレは あたかも現実に戻る。ともかく意志を発動させたという現実に戻る。 7. それは 原点の上空を飛行していたのが 現実の x 軸の上に舞い降りる。しかしながらそれは ( -a, 0 )なる地点であるだろう。 8. 意志行為としての y 軸がまだなお 0 (ゼロ)であるとすれば 初めの a 点の反対側に移った恰好となる。虚数 i の翼をはばたかせて飛び上がったワレは ( -a, 0 )なる地点に舞い降りた。 8-1. 現実ではあるが 視野が狭くなっているはずだ。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 独りよがりであれば、虚数というよりも Imaginary の世界でしょうね。 そして、自分がどれだけへそが曲がっているか、わからない。 へそ曲がりの度合いは、他者(の考え方など)と比較してみなければわからないので。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 9. マイナスも 現実であり 愛は意志でありヱクトルであるが 負の向きのヱクトルも 愛である。と見なされる。現実は 寛容である。 9-1. 現実は 寛容である。多様性を多次元的にみとめあう。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 状態や人の成功、志向性(指向性か?)などは、実数や虚数という1次元的なものと考えるよりは、2次元的やそれ以上の多次元的なものでしょうから、実数的というよりも複素数的でしょうね。 ですから、多次元の点やベクトルとして考えた方がよろしいのではないですかね。 そして、多次元の点から多次元への点へと推移してゆく。 この点を1次元的な視点のみで見詰めると、多様性が失われてしまうじゃないですか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 9-1. ◇ 別段、座標軸は直交している必要もないから、 / ブラゲロ軸、ネムネコ軸などの多数の座標軸を用いて、一つの点(現象とか)を表現しても構わない。 ☆ そうなんですか。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ブラゲロ座標 1、ネムネコ座標 2、プラポタ座標 -1 etc.で、 (1, 2, -1, …) で一つの点を表現してもいい(ニコニコ)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ううーむ。だとしたら ワレは 多くの人びとと交通しその意志や気持ちが互いに交差し錯綜していることがあり得ますね。 10. 《回転》を 以上のように想像し ネツゾウしました。地に足をつけたかたちでないと 思考がすすみません。 11. ◇ 虚軸も90度回転させれば、実軸になる。 ☆ だとすれば ( a, 0 )から飛翔して 原点( 0, 0 )の上空へと飛び上がるというタトエも ピッタリですよね? (たぶんこれは どこかでヒントを得ていると思います。が 《都合よく》忘れています)。 12. ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ということで、 この回転させるという発想、今までとは違う視野や視点からものを考える、 ということが重要なんじゃないですかね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ もしこうだとしますと a 地点から 原点上空へと想像の翼に乗って飛翔すること自体は あり得る。と捉えたほうがよいのでしょうか? それは だとすると エポケーのようなコトになりましょうか。 ただし 地点 a に戻って来ることが大事である。と。 13. ◇ 1^n は360度を n 回回転ですね。 ☆ はっはあ。ワレの自乗・冪乗は 360度回転ですか。もとのワレに戻って来るというところが ミソですね。 14. ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ で、 i^n は反時計回りに90度回転を表わす。(虚軸→実軸→虚軸…) べき乗は、実際は拡大と回転ですけれどね~。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これも 90度というところがミソでしょうか。あんがい 現実と対応しているぢゃないですか。横車とか 横様(⇒よこしま:邪ま)。 15. ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ へそ曲がりの韓国人も何十度か回転させれば、おそらく、へそ曲がりでなくなる。 ですが、 自力でこの回転をする能力や勇気を韓国のお人が持っているかどうかはわかりません。 私が思うに、韓国のお人は、2次元平面上で±180度や360度する力は持っているかもしれないけれど、これ以外の角度で自力回転することはできないのかもしれない(笑)。 事大主義なんて、まさしく、±180度の回転ですし…。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 90度回転から おなじように90度回転することを 突然変異のごとく 期待するというかたちになりましょうか。《事大主義》は 別の質問でも取り上げました。 面白く・たのしくなって来ました。