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クレオパトラの美人説の真偽
- クレオパトラが美人でないと唱える人は、前半の罵詈雑言だけを読むか、もしくは、まったく文献を読まずに判断している可能性がある。
- クレオパトラの美麗な容姿についての記述が存在し、彼女の美貌による交わりからも彼女の美人説を支持する意見がある。
- クレオパトラの美人説には賛否があり、議論が分かれている。しかし、古代の文献などからは彼女の美貌についての記述が存在することが示唆されている。
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クレオパトラ女王の横顔を刻んだ、ローマ時代の コインが残っています。 後世のものではないと思いますが。 少し鼻の高い普通の女姓です。 美人とも、それほどの美人でないとも、どちらとも 採れるでしょう。
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- Pinhole-09
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No.2です。 私のいうコインは、表がクレオパトラの横顔、 裏がアントニオの全身像のもので、当時の ものと思われているものです。 古いものではっきりした像ではありません。 画像検索すると多くのコインがありますが、 皆後世のもののようです。 上記のものを基本に、ギリシャの女性像を参考に して、創作したのでしょう。 ただ一つクレオパトラ7世のコインというものが あり、上記のものに似ています。 当時のコインは年代がなく、時代の判定は困難 ですが、研究者の判断にまかせましょう。
お礼
追加回答をありがたうございます。Pinhole-09さんのIDは、以前、囲碁カテゴリで御一緒したときに覚えがあります。碁の別称の回答には感心させられました。 >>私のいうコインは、表がクレオパトラの横顔、 >>裏がアントニオの全身像のもので、 私の勘違ひでした。申し訳ございません。 >>当時のコインは年代がなく、時代の判定は困難ですが、 >>研究者の判断にまかせましょう。 昔のことですので、判定が困難です。だからこそおもしろいのでせうけれど。他の方の「お礼」に書きましたが、私としては、文献や古代資料から、クレオパトラは「上の下」あたりではないかと考へてゐます。 今後も御教授たまはりたく存じます。
- zep19
- ベストアンサー率45% (138/306)
クレオパトラ7世が美人でないから批判されたのでなく 彼女の出生がローマのみならず後世の欧州では受け入れがたいものであったから批判されたのではないでしょうか クレオパトラ7世は両親は実の兄妹の近親婚によってできた子であり ローマや後のキリスト教社会ではとても受け入れがたいおぞましいものだったからではないのでしょうか プトレマイオス1世がエジプトを支配した時 エジプトの民衆はアレクサンドロス大王をペルシャの圧政から解放した英雄として歓迎しましたが 外国人支配を嫌っていたエジプトを支配するにあたって 古代エジプトの王朝が断絶した後にエジプトで絶大な権力と影響力を持っていたエジプトの神官を懐柔する必要がありました その為、プトレマイオス1世はギリシア主神ゼウスとエジプトの神オシリスを融合したセラピス神を創造 プトレマイオス2世はさらに悪しき古代エジプト王家の風習である近親婚を導入し、自ら実の姉アルノシエ2世と婚姻したのです (ピラミッドで有名なクフ王も実の兄妹婚による子供) 以下はプトレマイオス朝における近親婚 プトレマイオス4世(兄)ーアルノシエ3世(妹)→(子供)プトレマイオス5世 プトレマイオス6世(兄)ークレオパトラ2世(妹)→(子供)プトレマイオス7世、クレオパトラ3世 プトレマイオス6世の実弟プトレマイオス8世が兄を追放し、子供の7世を殺害し 実姉クレオパトラ2世を略奪婚 さらに2世の子供であり姪にあたるクレオパトラ3世と再婚 プトレマイオス8世(叔父)ークレオパトラ3世(姪)→(子供)プトレマイオス9世、クレオパトラ4世、プトレマイオス10世 プトレマイオス9世(兄)ークレオパトラ4世(妹)→(子供)クレオパトラ・ベレニケ3世 プトレマイオス11世(10世の子、従兄)ークレオパトラ・ベレニケ3世(従妹) プトレマイオス12世(兄)ークレオパトラ6世(妹)→(子供)クレオパトラ7世、プトレマイオス13世、プトレマイオス14世 という具合なので ローマのみならず同時代のアレクサンドリアのギリシア人の文化人からも 直接的には王家批判はできないですが、遠回しに近親婚を痛烈に批判していました
お礼
別の観点からの御回答、興味深く拝見いたしました。 クレオパトラ7世の弟との結婚についての辛辣な批判は、ヨセフスが『ユダヤ古代誌』第15巻の中で書いてゐます。ヨセフスは、クレオパトラがよほど嫌いだつたらしくて、誹謗中傷の言葉ばかりです。ヨセフスがOKWaveに参加したら、しよつちゆう通報されて、ブラックリストに入れられます。 それにしても、エジプトの文化にお詳しいのですね。私はさつぱり駄目です。プトレマイオス朝の近親婚の歴史についての話ははじめてうかがひました。たしかにかうした背景が、クレオパトラ批判のひとつに挙げられるかもしれません。 さういへば、ヨーロッパの王家も、近親婚とまではいへないにしても、親類同士の婚姻がかなりあつて、劣勢遺伝の病気が問題になつてゐたといふ話を読んだことがあります。 おもしろいお話をどうもありがたうございました。かうした多様な見解を聞くことができるのが、OKWaveQ&Aの魅力です。今後も御指導くださいませ。
- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
ルーカーヌスは1世紀半ば(39~65年)、プルタルコスは1世紀後半~2世紀初め(46?~127?年)に生きた人ですからクレオパトラ7世の死後50年以上の後の人です。 本人を直接見たことはないのはもとより、肖像画・彫刻もなく、コインに刻まれた横顔をみたことがあるかどうかでしょうからこの二人がクレオパトラ7世が「美女」とした根拠は薄弱です。 「美女に惑わされた」とする方が物語として面白くなるから、あるいは知性や策士的な部分を含めて「美女」としたという可能性も否定できませんし、同時代文献において「美女」という記述がないことから「美女ではなかった」との説が出されるようになったのかと思われます。
お礼
こんばんは。私の質問に回答を寄せてくださるのは、2度目と記憶してをります。 ギリシャローマの歴史家が何にもとづいて書物を記したのか、私ではわかりません。 >>知性や策士的な部分を含めて「美女」としたという可能性も否定できません これは、まさしく御指摘のとほりです。質問文に引用しましたプルタルコスの記述のすぐあとにそれが書かれてゐます。 「彼女の美もそれ自体では決して比類のないというものでなく、見る人々を深くとらえるというほどのものではなかった。しかし彼女との交際は逃れようのない魅力があり、また彼女の容姿が会話の際の説得力と同時に同席の人々のまわりに何かふりかけられる性格とを伴って、針のようなものをもたらした。彼女の音声にはまた甘美さが漂い、その舌は多くの絃のある楽器のようで、容易に彼女の語ろうとする言語にきりかえることができ、.......」(第27節 374ページ) 自分の考へに都合の悪い部分は隠してゐたのですが、先日ある人に「ドイツ語版のWikiにそう書いてありました。」と指摘されましたので、やむなくここで出すことにします。 状況がまづくなつてきたので、締め切らうかと思つたのですが、暇なので、もう少し残しておきます。 貴重な御回答ありがたうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
美人かどうかなて時代と人類の価値観によるでしょ? 小野小町だって世界三大美人の1人ですが 見たら単なる白塗りのおかめちゃん しかしそれが美人に入るんですから クレオパトラだってそういう事でしょう
お礼
いつも御回答ありがたうございます。 >>美人かどうかなんて時代と人類の価値観によるでしょ? 国によつて「三大美人」は異なるやうです。azuki-7さんの基準では、「世界三大美人」はだれだれですか。 >>クレオパトラだってそういう事でしょう といふことで、「歴史的に」美人と認定していいですよね。ネットのいろいろな記載を読むと、ただの受け売りで、美人でなかつた、といふ説が広まつてゐるやうに感じられます。 ところで現在のアイコンはazuki-7さんご本人の画像なのですか。
- doc_somday
- ベストアンサー率25% (219/861)
一般的に知られるように、ガイウス・ユリウス・カエサルは女なんか まるっきり興味が無かった。 ある意味マザコンだったと言ってもいい、母はガイウスにとって神だった。 ゲルマニアにも女性についてほとんど触れていない、かといってホモでもなかった。 彼は「(幻の)ローマ帝国しか頭に無かった、あるいは生まれついての軍人だった」 それに彼は軍事が大好き、手紙やポスター書くのが大好き、だからキケロは手紙を 見せて廻って「おれは奴の敵だが(キケロは反帝国主義の論客だ)重要な友人だ、 俺が居る限り帝国にはさせない」と、全く政治的に無能である事をひけらかして歩いた。 カエサルとキケロを良く知る友人達は「あーあ、カエサルは銀貨一枚も使わずに敵に 絨毯爆撃してやがる、キケロは名文家だが頭の中は空っぽだ」だって、ローマの権力者 には全員にカエサルの「羊皮紙爆弾」が降って来て居たのだ。自分が特別だと思って 居たのはキケロだけだ。 そんなカエサルにとってクレオパトラはタダの「武器」子供が出来たのは「運が良い」 程度の印象だ、プトレマイオス朝は近親相姦が掟だが、弟は魅力の無いガキで、死んだ 方が嬉しい、女性の目から見てもカエサルは「神」同様だ。それだけのことでしかない。
お礼
いつも、私の観点とは異なる(そして正当な)回答を寄せていただき、感謝してをります。 ギリシャローマの古典で、クレオパトラを主体として記述されたものはなく、ルカヌスやプルタルコスは、ローマ側からの見解であり、ヨセフスはユダヤの立場からの批判です。クレオパトラを語るにあたつて、カエサルをもちだすのは、正統的態度と存じます。 >>ある意味マザコンだったと言ってもいい、母はガイウスにとって神だった。 ときときそんな評価を読みます。doc_somdayさんのお好きな塩野七生女史もそれに近いご意見をお書きになつてゐた記憶があります。 >>ゲルマニアにも女性についてほとんど触れていない、 >>かといってホモでもなかった。 >>彼は「(幻の)ローマ帝国しか頭に無かった、あるいは生まれついての軍人だった」 『ゲルマニア』はタキトゥスですね。ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』『内乱記』を読むと、doc_somdayさんのおつしやる意味がよくわかります。まさしく軍人です。他人の書いたカエサル評よりも確かです。もちろん、カエサルが「ムツツリ」だつた可能性もありますけれど。 >>手紙やポスター書くのが大好き ローマの手紙には日本語訳がないので、読んでゐません。ラテン語原文は辞書を引きながらで時間がかかるので、手をつけようとも思ひません。 >>ローマの権力者には全員にカエサルの「羊皮紙爆弾」が降って来て居たのだ。 おつしやるとほりと存じます。弁論家のキケロよりも、カエサルのカリスマ性がまさつてゐたのでせう。 >>カエサルにとってクレオパトラはタダの「武器」...... このあたりの状況は、プルタルコスやヨセフスが書いてゐるとほりです。 >>女性の目から見てもカエサルは「神」同様だ。それだけのことでしかない。 結論として、クレオパトラの美貌については、ギリシャローマの歴史家にとつては些細なことだつた、といふことですね。 doc_somdayさんの回答は、一見質問の答になつてゐないやうに思へて、実は正鵠を射てゐる、そんなものが多いと感じてゐます。そのため文章をきちんと読まない人たちから誤解されてしまひます。私はdoc_somdayさんの文章のファンです。ありがたうございました。
お礼
おはやうございます。私の個人的な感覚の質問におつきあひいただき感謝してをります。 クレオパトラのコインにつきましては、古代から現代にいたるまで数多く鋳造され、ネットで調べても、いろいろな顔があるやうです。古いものでも、考古学的な根拠がしめされてをらず、正式な論文があれば、読みたいと思つてゐます。 http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/tyne/6357311.stm Pinhole-09さんが御指摘のコインは上記のものですか。 >>少し鼻の高い普通の女姓です。 たしかに、パスカルのつぶやきほどには、鼻が高くありませんね。 >>美人とも、それほどの美人でないとも、どちらとも採れるでしょう。 おつしやるとほり、評価がわかれさうです。年齢も不明ですし。私なら、上の下、くらゐです。 現代の美女のひとつの基準は「ミロのビーナス」なのではないかと考へてゐます。このあたりは、本題からはづれますので、もうやめておきます。 小野小町の肖像画は、しばしば後ろ向きで描かれます。これなら「美女」の観念が変化しても、常に通用します。このあたりの文化の相違もおもしろいと感じてゐます。 御回答ありがたうございました。
補足
ベストアンサーは、複数回答をしていただいたPinhole-09さんに決めました。 みなさまから、それぞれ興味深いご意見をうかがふことができて、感謝してをります。