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低俗な欲を捨て去るにはどの様な訓練が必要ですか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.9

欲を捨てる必要はない。 人生全体を通じて最大限に充たされる事を考慮すれば、 自ずと目先の短絡的発露は避けられる。 それは、「人生全体」を通じた達成を(広い視野に基づ いて行動する事で)最大化するだけでなく、短絡的な 達成による刹那的な快楽とは異なる、深い認識に基づく 長期的意志の達成=幸福感として、同じ達成でも、より 大きな精神的充足感につながるのだ。

その他の回答 (11)

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.12

自身を理解し、自身の正当な欲を充足させていく訓練が必要。 正当な欲が充足されれば、歪んだ欲は消えていきます。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.11

>「悪い欲は捨て去りたいです。」 だから、それは「欲」なので。 「欲」に駆られていると、いけません。 「捨て去る」には、全てを捨て去って。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.10

こんばんは。 ご回答にもあるように、 「捨て去りたい」というのも、「欲」なんですね。 私は、「満たされれば?」という試案を出したことが、あるんですが、 「一時的に過ぎない」というご回答を、頂きました。

rakurakutokeru
質問者

補足

悪い欲は捨て去りたいです。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.8

食欲と性欲は生き物には必要なものです。どちらも年を取ると衰えてきます。捨て去るなどもったいないことです。捨てなくてもよいように訓練することが必要です。悩みの全てを時間が解決してくれます。

回答No.7

 ★ (No.4補足欄) ~~~~~~~~~~~  階段をのぼる女性の足をみてしまいます。  このような低俗な欲はどのように活用してらいいでしょうか?  彼女がいるのにそういう自分は醜いです。  なおそうと10日間禁欲し、女性観ないようにしましたが、なおりませんでした。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ そうですね。うまい活用法は なかなか見つかりません。  そうですね。  こういう場合でしたら 基本は《関係性》です。  言いかえると その場ですでに 関係性としての場が出来上がりつつあります。あたかも磁石のように 両極が近づけば 主観どうしのあいだに或る種のヱクトルがはたらきます。はたらき合います。あるいは ミラーニューロン現象とも言うようです。  つまり 基本は 関係性なる場からものごとが作用し合いつつあります。  あなた独りで そういう場が出来るものではないという意味です。  どうでしょうか?

回答No.6

>低俗な欲を捨て去るにはどの様な訓練が必要ですか? 自らの死を見つめる訓練が必要です。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.5

貴方が悩んでいる「低俗な欲」が何なのか私には分かりませんが、それで悩んでいるということは、それが何らかの具体的な不都合を貴方にもたらしているのでしょう。そんな事情ならその不都合をまず除去しましょう。不都合が起きていないなら、とりあえずは改善する必要はないわけです。ただ、そんな場合でも、あなた自身の向上欲が良心の呵責にたえかねて痛み続けているというストレスは存在するかもしれません。なら、私がその解決法をお教えしましょう。 まず、貴方が低俗だと考えているその欲の対象を少しだけ上等なものに置き換えるのです。置き換えて、その欲情が満たされるのなら、またそのちょっと上の目標を目指すようにするのです。こうやって徐々に低俗から脱出していくのです。これは一挙にやって成功するものではありませんし、あまり無理をすると反動現象に襲われてまたもとの木阿弥にもなりかねません。決して急がず、時間をかけてゆっくりと改善していくのです。 なんだか抽象的で理解できないといわれるかもしれませんので、ひとつ具体例を挙げてみましょう。たとえば○なにーを何も見ないでやっていたひとは、映像をみて○なるようにします。次の段階では小説などを読んで○なるようにしむけ、さらには自分で創作小説を書きながら○なることができるようにする、あるいは外国人の作品を、英語で書かれた小説を読みながら○なることを試みるのもいいかもしれません。そのうちにその小説が評判になって○なるひまもなく小説を書いたり翻訳をせねばならなくなれば大成功、しめたものです。まあ、その途中の段階で性欲が衰えてぼけることもあると思いますが。 ご参考になれば。

rakurakutokeru
質問者

補足

私の最も低俗な部分は女性をみて視姦します。 その他にも虚栄心、利己心、があります。 生きていて辛いです。

回答No.4

 こんにちは。  捨てる必要はありません。    欲望を低俗か高尚かに分ける頭を捨ててください。  欲望であろうが何であろうが すべてを利活用してください。  使い道をつねに考えて行くとよいですよ。

rakurakutokeru
質問者

補足

階段をのぼる女性の足をみてしまいます。 このような低俗な欲はどのように活用してらいいでしょうか? 彼女がいるのにそういう自分は醜いです。 なおそうと10日間禁欲し、女性観ないようにしましたが、なおりませんでした。

  • marbleshit
  • ベストアンサー率49% (5033/10253)
回答No.3

即身成仏の法理を別な角度から表わしたのが「煩悩即菩提」「生死即涅槃」です。 小乗教の考え方では、凡夫は煩悩(貪・瞋・癡など、心身を悩ませる心の働き) を断じて初めて悟り(菩提)を得て成仏するとされています。 しかし、煩悩はあくまでも生命そのものに、もともと具わっている働きであり、 煩悩を断じ尽くすということは現実の生命活動を消滅させることにほかなりません。 また、権大乗教では、一応、煩悩即菩提を説きますが、 九界を離れて初めて仏になると説くので、 実質的には小乗教と同じ悟りの考え方になってしまいます。 いずれにしても、小乗も権大乗も、仏とは現実世界の存在とは異なる何かである ということになってしまいます。 これに対して法華経では、凡夫のもっている煩悩を断ずることなく、 直ちに仏の菩提(=悟り)が得られることが明かされました。 もちろん、この煩悩即菩提とは悩みや迷いがそのまま悟り(=菩提) に等しいということではありません。 「御義口伝」に「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(御書710ページ) とあるように、悩みを避け、逃げるのではなく、 信心を根本に煩悩に真っ向から取り組んでいくとき、煩悩を縁として悟りの智慧が現れて、 煩悩をコントロールしていけるのです。 また、生死即涅槃とは、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えていけば、 生死によってもたらされる苦しみの境涯にある生命に、 悟りによって得られる安穏な境涯(涅槃)を開き現していかれることを示しており、 煩悩即菩提とともに即身成仏を表す法理です。 この「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の法理に立脚するとき、 あらゆる苦悩を自身の成長と幸福の因に転じていく積極的な生き方が可能になるのです。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411830544

noname#235638
noname#235638
回答No.2

低俗な欲は、捨てれません。 それがあるから、個性です。 より高いところに身をおく。 これで、もしかしたら捨てられるかも? でも今度は、その欲が 高欲にかわるかもしれません。