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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「神とは、定義できないものである」と定義する。)

神の定義についての問い

このQ&Aのポイント
  • 神の定義とは何かという問いについて考えています。神は定義できないものであるとする立場がありますが、それはどのような意味を持つのでしょうか。
  • Gとは何かという問いについて考えています。Gは定義できないものであるとする立場がありますが、それはどのような意味を持つのでしょうか。
  • 神やGといったものの定義について考えています。それらは定義できないものであるとする立場がありますが、それはどのような意味を持つのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.12

それを定義できないものと定義したならば、それ以上のことは言えない。 定義できないものの名称であるGやAに、創造主や、絶対者という属性を付与することはできない。 しかし、GをAと言い換えることが出来るのなら、そこから何らかの、定義できないものたちの共通項を導き出すことは可能性としては残ると思う。つまり、定義できないものの特性、というものが導き出せる可能性はあるということ。 具体的には、たとえば、全く知らない、見たことも聴いたこともないものについては、定義ができない。 それについて、すべての人の意見がバラバラであったり、嘘で固められていて共通項が見いだせない、あるいは信じられる要素がないものについては定義ができない。 言語の法則性が崩壊しているものについては定義ができない。 など。 定義できるかできないかが分からない、というものは、定義できる可能性を示唆しているが、それ以上ではない。その場合、かもしれないという表現に値すると思う。それは、Gを絶対者と定義できるかもしれない。それは、Aを創造主と定義できるかもしれない。など。 確証はなく、希望によって色付けられるものなのではないだろうか。

atomonados
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >具体的には、たとえば、全く知らない、見たことも聴いたこともないものについては、定義ができない。 正しい使い方である。Gを定義できないものと定義したら、それを使って、「全く知らない、見たことも聞いたこともないものはGである」などとするのが正しい使い方である。 >それについて、すべての人の意見がバラバラであったり、嘘で固められていて共通項が見いだせない、あるいは信じられる要素がないものについては定義ができない。 正しい使い方である。 >言語の法則性が崩壊しているものについては定義ができない。 同上。 >定義できるかできないかが分からない、というものは、定義できる可能性を示唆しているが、それ以上ではない。 「というもの」が「定義できるかできないかが分からない」を指すのではなく、「ある対象」が定義できるかできないかが分からないとき、その対象という意義で同意する。 Gによる判断は成立しないが、判断の選択にGは現実に利用されている。 >その場合、かもしれないという表現に値すると思う。 そういう場合もあります。 >それは、Gを絶対者と定義できるかもしれない。 ? 前に戻ります。 >しかし、GをAと言い換えることが出来るのなら、そこから何らかの、定義できないものたちの共通項を導き出すことは可能性としては残ると思う。 Aは対象概念で、Gを言い換えたのではない。Gに合ってるかどうかを確かめる対象ということです。舌足らずでしたが。 >つまり、定義できないものの特性、というものが導き出せる可能性はあるということ。 同意する。「定義できないもの」の要素群から内包が形成される可能性はある。たとえば「限定されぬもの」という内包かもしれない。 再び >それは、Gを絶対者と定義できるかもしれない。 なるほど。絶対者という内包をみたわけですね。やり方は正しい。しかし「すべての人の意見がバラバラであったり、嘘で固められていて共通項が見いだせない、あるいは信じられる要素がないものについては定義ができない。」との整合性に難ががあるようだ。 >それは、Aを創造主と定義できるかもしれない。など。 同上です。めんどくさくなって飛躍したんでしょう。 >確証はなく、希望によって色付けられるものなのではないだろうか。 めんどくさがりはそうやっちゃいますね。 質問の趣旨にかなった考察をしていただきました。質問を書いた時点では、大きかった定義から「Gは絶対者である」などへ溝が、少し埋められたようです。感謝致します。

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その他の回答 (13)

  • pikaruche
  • ベストアンサー率35% (6/17)
回答No.3

二つのことを思います: 1:定義するとは、実際はさておき、少なくとも概念上は、その定義をみたすか満たさないかで区別ができるというとです(と自分は思います)。とすると、「Gとは、定義できないものである」ということは、Gであるかないかが、概念上でさえ区別ができないということです。「定義できないもの」は、いかなる属性ももっていないということなのではないですか。定義できないという属性も含めて、もっていないのではないですか。 2:「Gとは、定義できないものである」と定義する、そのこと自体が矛盾ですね、、、。と定義すること自体、できないはずですから。上記1のいかなる属性ももっていないなら、定義できないという属性も持っていないはずであるという矛盾と、たぶんつながっているのでしょう。

atomonados
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 まず、「定義できるもの」と「定義できないもの」という概念のを区分します。この概念は述語として主題の判断に用いるものです。この概念を利用しやすいようにラベルGを付けます(定義)。それが名前(非定義項)です。こうして、形式的な名称と、その意義内容が結び付けられることになります。あとは、これを「AはG」というように定義できるか否かの判断内容を示すために利用するだけです。したがってその判断の主題はAであって、Gではないのです。 矛盾にならない訳は、属性概念Gの内容「定義できないもの」と、主題Aの判断内容「Aは定義できないもの」という違いがあるからです。

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  • ways
  • ベストアンサー率31% (79/253)
回答No.2

神様は、僕たちの親なんです。人は、亡くなったあと、それを思い出します。地球上では、人生に集中するため忘れていますが、それを知ると、心強く思います。一人の時も一人じゃない。亡くなった方もご先祖も、みんな心配して、いざという時、助けてくれたり。だから、お墓参りは大切なんです。 神様は自分の生みの親。だから、亡くなったあと、「よく頑張ったね」って言ってもらえるように、人生を大切にやっていく。

atomonados
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 あなたは、属性概念G「僕たちの親」を定義し、「神様はG」とおっしゃっています。 そして、Gなら推理されることを根拠に、神様の説明をされている。 言葉が理解ができますし、共感するところもあります。

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回答No.1

 お早うございます。  ええっとですね。あらぬところから発言してみます。   (あ) 神なんかいるものか。  これは 主観の問題としてだけではなく一般性としても それとして成り立ちます。無神論なる神学としてです。   (い) 神よ われわれがこんなに苦しんでいるのに 手めえはいったい何してやがるんだ? ねぼけた神などは要らんわい。  これも じゅうぶん成り立ちます。《われ 神を――いまなお心に受け容れていますなるかたちで――信ず》と言っています。有神論です。  《神は定義できない》ということは 人間の言葉ではということです。  ぎゃくに言えば 人間の言葉で仮りに説明しようと思えばその前提において あらゆる表現が可能であると見なされます。想像しうるかぎりであらゆる補助線を引いて 神を知ろうとします。  《わたし》の主観においては 神について感じ思ったことのすべてがそれとして真実です。この主観真実は ただし 神とわれとの関係なる信仰としては もうほかの人びととのあいだで共同化することはかなわない。言いかえると 仮りの説明を共同化したにとどまる。つねに そこまでとなる。  言いかえると 神についてのワタシの主観としての神学は 言葉で表現しているかぎりですでに《思考》の問題となっている。これは 一般にオシエとして表明されている神学理論である。  オシエは 信仰なる蝉のその抜け殻である。信仰そのものではない。まして 神ではない。  信仰はむしろ確かに動態であり 人間が生身で生きているかぎりで動態であり そこからはふつうヒラメキをとおして何らかの神論が得られる。けれどもこの神論なるオシエは すでに内面なる信仰から外に出かけている恰好である。  そしてオシエを信じよ(無条件で受け容れよ)というシュウキョウは 信仰の自殺行為となる。    

atomonados
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

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