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引用した英文の一文がその英訳になるか説明お願い
引用した英文の一文がなぜそのような英訳になるか説明(特にProvided以下のを具体的に)お願いします。 The metapher is fair enough, provided it does not tempt the historian to think of himself as an eagle surveying the scene from a lonely crag or as a V.I.P. at the saluting base. 訳 この比喩は結構なものでしょう。但し、この比喩に誘惑されて、歴史家が、聳え立つ岩角から四方を見渡す鷲やバルコニーに立つ重要人物のつもりになるようなことがないとしての話であります。
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- georgie-porgie
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> 引用した英文の一文がなぜそのような英訳になるか なぜそのような日本語訳になるかということですよね? ご質問にある訳は、 厳密には、 scene を「四方」と誤訳し、 lonelyを訳し忘れ、 「つもりになるようなことがない」 という回りくどい表現を用いるなど、 名訳とは言えませんが、 英文の大意を的確に反映しています。 細部にはこだわらずに 英文を頭からできるだけ語順通りに訳す、 同時通訳に近い訳だと思います。 > 説明(特にProvided以下のを具体的に)お願いします。 では、説明をしながら、 もう少し英文に忠実で 日本語としてもより自然な訳を試みます。 まず、この英文を意味のまとまりごとに改行して記してみます。 (綴り訂正:metapher→metaphor)。 The metaphor is fair enough, provided it does not tempt the historian to think of himself as an eagle surveying the scene from a lonely crag or as a V.I.P. at the saluting base. この英文には、大きな意味のまとまりが2つあります。 The metaphor is fair enough と、providedに導かれた節です。 metaphorは「隠喩」(※)。 providedは、前提条件を示すthat節を導いていますが、 ここではthatが略されています。 この英文は その隠喩は上手いと言える、 但し、that節で示される条件のもとにおいて、 という構造になっています。 ※: 二つの物事を 「のようだ」といった言葉で比較して表す比喩が直喩[明喩]、 こうした言葉を用いずに一方を他方で表す比喩が隠喩[暗喩]。 itは直前のthe metaphorを受けています。 tempt somebody to do →「somebodyをそそのかしてdoさせる」。 himself は the historian を受けたheを、再帰代名詞の形にしたものです。 think of oneself as ~ →「自身を ~ であると思う」。 二つのas句がorで結ばれていますが、 ここではit does not tempt ~の notが まだ効いていますので、双方を否定して訳します。 (not A or B→A でもB でもない、A やB でない。) The metaphor is fair enough, provided it does not tempt the historian to think of himself as A or B. →「この隠喩は上手いと言える、 但し、これが(その)歴史家をそそのかして 自身をA やB と思わせなければ、である。」 =「この隠喩は上手いと言える、 但し、これに(その)歴史家が誘われて 自身をA やB であるかのように思わなければ、である。」 残るはA やB の中身だけですね。 an eagle surveying the scene from a lonely crag →「寂しく聳え立つ岩から情景を見渡す鷲」。 このlonelyは訳しにくいからか、 ご質問にある訳では抜け落ちていますが、 lonelyには「荒涼とした」「人里離れた」といった意味があることから、 ここでは「寂しい」と試訳しておきます。 scene には「風景」「現場」「情勢」といった意味があります。 a V.I.P. at the saluting base →「基地で軍隊の敬礼を受ける要人」。 saluting base は 定訳が見つからず、 誤訳の可能性がありますが、 saluteには軍事用語で「敬礼する」「敬意を表す」といった意味が あることから、 ここではbaseを「基地」と試訳しておきます。 この部分はa V.I.P. at the base which is saluting him/her と考えると訳しやすいです。 「自身を」と「であるかのように」との間に 二つのas{句}の長い訳が挟まるので、 「のように」を予想させる「あたかも」を加えておきます。 試訳全文 =「この隠喩は上手いと言える、 但し、これに(その)歴史家が誘われて 自身をあたかも、寂しく聳え立つ岩から情景を見渡す鷲や 基地で軍隊の敬礼を受ける要人であるかのように思わなければ、である。」 元の英文 =“The metaphor is fair enough, provided it does not tempt the historian to think of himself as an eagle surveying the scene from a lonely crag or as a V.I.P. at the saluting base.”
- bakansky
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私には素直な 和訳 のように思えます。特に飛躍した訳し方をしている部分もありません。実に原文に忠実な素直な訳です。「なぜそうなるか」 と問われても、そういう内容だからそう訳されている、としか言いようがありません。 改めて原文を見てみますと、 > The metapher is fair enough, provided it does not tempt the historian to think of himself as an eagle surveying the scene from a lonely crag or as a V.I.P. at the saluting base. The metapher is fair enough: metpher は 「比喩」 としていいでしょう。fair enough は 「申し分がない」 つまり、「なるほど、そうである」 と同意を示しています。ここではある 「比喩」 について、その比喩が適切なものである、適切であると認めるにやぶさかでない、ということを述べています。 provided it does not tempt the historian to think of himself as ... : provided はもちろん = if と考えていいでしょう。仮定しているわけです。「仮に~だとしたら」 ということです。tempt the historian は、「歴史家をして何らかの行為をする気持ちにさせる」 といったような表現。to think of himself as ... は、「彼自身 [ここでは the historian] が~であると考える」 ということ。 an eagle surveying the scene from a lonely crag: crag はちょっと人を寄せ付けないようなすごい岩場のこと。あるいは絶壁であったりもします。an eagle が住処としている場所です。そういった (周囲に他を寄せ付けない高い位置にある) 場所から surveying the scene (そこから見える範囲を) 見晴るかしている an eagle です。 or as a V.I.P. at the saluting base: V.I.P. は = very important person の略。普通は 「大物」 と訳されることもあります。社会的な地位、あるいは世間から一目置かれるような人物であり、誰でも名前だけは知っているというような、そんな人物のことです。次の at the saluting base あたりに引っかかるものを感じられるのでしょうか。salute は普通は 「挨拶する」 という意味。a base は日本語でも 「ベース・キャンプ」 などという言葉があるように、一種の 「拠点」 です。お示しの文だけではどういう文章の中の文なのかが分かりませんが、軍事的な指導者のイメージが伴うことを暗示しているのだとしたら、その a base というのは軍事的な意味での 「基地」 かもしれません。そうだとすると、at the saluting base という表現からは、兵士たちが集結している場所において、一段と高い場所から兵士たちに敬礼している地位の高い軍人の姿が想像されます。at the saluting base = saluting at the base ということです。場合によっては動詞を、このように形容詞的に使うこともできます。 あえて、少しだけ表現を変えて訳してみれば、 「その比喩の使い方に対しては、なるほどと思わないでもない。ただし、彼 (その比喩を使った歴史家) が自分を、絶壁の岩山の上から下界を睥睨している鷲であるとか、並み居る兵士たちに挙手をしている将軍にでもなったかのように錯覚しなければの話ではあるが」 そんなことを考えるとしたら、それは思い上がりも甚だしい、とでも言いたいのでしょうか。