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スレブレニツァの虐殺とは?
- ボスニアヘルツェゴビナの民族紛争時にセルビア人によるムスリム人大虐殺が起こった。
- スレブレニツァは国連保護軍の手で安全地帯とされていたが、セルビア人軍によって占拠され、約8000人が処刑された。
- オランダ民事裁判所によって、オランダ軍が虐殺を見過ごしていたとされ、捜索や調査が現在も続けられている。
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スレブレニツァでの責任をオランダ大隊長(カレマン中佐)に帰するのはあまりに酷でしょう スレブレニツァ安全地帯に派遣されたUNPROFOR(国連保護軍)オランダ大隊の編成は 歩兵1個中隊、重火器中隊が欠編成の 歩兵2個中隊(B、C中隊)、偵察小隊、工兵小隊基幹で 600名の内、歩兵は300名だけです B中隊はスレブレニツァに駐留しますが C中隊はスレブレニツァ北のポトチャリに進駐した上 各中隊はかなり広範囲に拡散した3~5個の監視所に平均7名を派遣していました 軽装備のオランダ大隊が戦車、重砲を有するセルビア人部隊に対抗するにはNATOに近接航空支援を要請するしかありませんでした そしてその最上部の権限者は明石SRSG(国連事務総長特別代表)にあり、それを補佐するのはUNPROFOR総司令官ジャンビエ将軍でした セルビア人部隊は国連側にも攻撃し、既にウクライナ大隊、オランダ大隊からAPCを強奪したり、兵員を拘束したりしていました 1995年7月にセルビア人部隊はスレブレニツァ安全地帯を攻撃するクリバヤ95作戦を企図 7/8 少数兵員しかしないF監視所を大兵力で包囲、オランダ兵を撤退させるが その際、撤退するオランダ軍APCをセルビア人部隊が攻撃しオランダ兵が戦死 7/9 セルビア人部隊はS監視所、U監視所を攻撃占領 カレマン大隊長は近接航空支援を要請するが上層部で却下される 7/10 カレマン大隊長はスレブレニツァに6ヶ所の阻止陣地を構築するが 装備はAPC6両、ドラゴン対戦車ミサイル2基、AT-4ロケットランチャー少数しかなく、重装備のセルビア人部隊には対抗しがたかった 11:00 セルビア人部隊の戦車を含む重火器による攻撃開始される 7/11午前までにカレマン大隊長から数回の近接航空支援要請があったが、何れも却下 12:30にようやくNATOの航空機が飛来するが、散発的な攻撃しかしなかった オランダ大隊に効果的に抵抗できる可能性はなく、スレブレニツァは陥落した 航空支援は明らかに遅すぎ、すくなすぎたのが実情でした 7/26 近接航空支援の最上級要請権限は明石SRSGから剥奪され、ジャンビエUNPROFOR総司令官に委譲され さらにジャンビエ将軍からスミスUNPROFORボスニア方面軍司令官に付与されました
お礼
こんな背景があったのですね。 オランダはむしろ大国によって貧乏くじをひかされた形でしょうか。 それでも法廷は一部オランダの責任とした…このことは重いですね。 大変詳しくありがとうございました。 非常に勉強になりました。