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歴代皇后と後宮-皇統維持-
我が国では、皇后が再婚された例は殆どありませんが、神武天皇崩御後のタギシミミノ命の事件が原因で関係あるのでしょうか? もう一つ、普通は後宮に子連れで入るのは有り得ないのですが、我が国も例に漏れないのは目弱王の天皇しい逆(変換できませんでした。)が原因で関係あるのでしょうか? 古事記、日本書紀の全ての歴史的出来事を否定する書物がたくさん出ていますが、ない事にする方が無理あると思うので質問しました。 大変不躾な質問ですみません。 限りなくお家騒動に繋がるのを避けるべく、皇室は未婚の身分のある女の方に入内して頂き、皇統を維持されてると思うのですが、詳しい事情をご存知の方教えて下さい。
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- technatama
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私は『古事記』『日本書紀』のすべての事績が虚構だとは思っていないものです。 何らかの事実があって、それが伝承され、後世史書として編纂されるに当たって、文書化されたものだと思うのです。 勿論、神武天皇と欠史八代の天皇の実在性が疑問であることは確かなことです。 従って、手研耳命のエピソードはその裏付けを証明することはできません。 60年を1運とし、21運(1260年)を1蔀と呼ぶのですが、辛酉の年には1蔀ごとに大々的な革命があるとする辛酉革命説に基づいて、推古9年(601)から逆算して1260年の昔に神武即位の年を置いたと思われます。 しかしそれには年数的に大きな無理があったためその間に伝えられた天皇の世代の数は限られていたので、一代一代の生存年数や在位年数をやたらに引き延ばしたのです。 年数を過大に引き延ばしたにもかかわらず、世代を勝手に増加させたような形跡は定かではないとも言われています。 結局第10代と言われる崇神天皇が歴史的にみて初代天皇であろうとする説に賛同するものです。 神武天皇は崇神天皇を投影したものだとも言われます。 安康天皇を中蔕姫の連れ子である眉輪王が刺殺した事件は、古代の天皇即位を巡ってあった多くの権力争いの事件の一つであろうと思います。 この事件が、皇統の維持のために後宮に入る女性を選別する引き金になったとまでは言えないのではないでしょうか。
- hideka0404
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神武天皇の時代には、文字がまだなかったので、立証できません。 皇位なんてそのものを維持する方がナンセンスです。
- あずき なな(@azuki-7)
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神武の頃なんか作り話なのでどうにでも書けます ある事にする方が無理じゃないですか? 平均寿命40歳の時代に155年も皇位についていた天皇ってのもね…