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オスマン帝国について
オスマン帝国は第一次対戦の時、ドイツ側につきましたよね。しかしドイツはキリスト教国家でオスマン帝国はイスラム教国家だったじゃないですか。十字軍の時の因縁みたいなものも有ったと思うのですが・・・。教えて下さい。
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国際情勢は「敵の敵は味方」と言うように、利害関係によって動きますから、宗教だけでは判断できません。 この問題はバルカン半島の情勢を考える必要があります。 20世紀初頭バルカン戦争が起こり、トルコの支配下にあったギリシアなどの国が独立を果たしますが、非常に不安定な状態で「火薬庫」と呼ばれる地域になります。 この戦いで敗れたトルコは失地回復のためドイツに接近、一方ロシアはスラブ民族の盟主としてバルカン半島のスラブ人を支持する立場を取りトルコと対立。 こんな状況でオーストリア皇太子夫妻がセルビアで殺され、オーストリアはセルビアに宣戦を布告します。 オーストリアはドイツと同盟を結んでいたのでドイツも参加、ロシアはスラブの盟主としての立場と、バルカン半島に対する影響力の確保の必要から、セルビアを支援して参戦。 当然トルコはドイツとの関係とロシアの影響力排除のため参戦。 こうした構図になります。 この第一次世界大戦と民族主義を理解して「アラビアのロレンス」を見ると、あのロレンスの行動が興味深く理解できます。
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- barbosh
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マズ十字軍をずっと止めた(又は止めようとした)のはセルチュク朝といってトルコ人がオスマントルコの前に作った国です。 オスマン帝国が戦争に入った理由は オスマントルコにいたJon Turklerという若くて政府で力をもっていたグループがバルカン半島をロシアから取り戻してヒーロになりたかったという理由が一番大きいです。彼等が若くて経験もない、当時の国際情勢をも良く分からなかったため言えば こんな大きい国だから戦争に入ったら何とかなると思った冒険者です。 なぜドイツ側で入った?といいますと、彼等のほとんどがドイツに留学したいたためドイツに憧れていました、さらに当時の王様アブドゥルハミット2世のドイツに対する政治を誤解しアブドゥルハミットもドイツに付いていると解釈しました。しかしアブドゥルハミットはロシアとイギリスに対しドイツを武器として使っただけでドイツと同じ側で戦争に入ることを考えてなかったです。しかし Jon Turkler すぐにヒーロになりたかったからまず、戦争に強く反対するアブドゥルハミットを倒し、間もなく第一次大戦が始まりJon Turklerにとって絶好のこのチャンスを逃すことがなっかたです。 しかし戦争の終結が迫りドイツの敗北がわかってから、彼等が留保していたアブドゥルハミットに行って状況を説明しアドバイスを聞いたところ、かれは両側の植民地など聞きましたイギリスは世界でどこにも植民地があったのに対しドイツは小さな数少ない植民地しか持ってなかったことがわかり、アブドゥルハミットは"こんな簡単な計算も出来なかったのか!もう遅い”といいました。歴史的な流れはだいたいこうです。 上の文章の書き方が少し変わっていると思うかもしれません。上の文章は アブドゥルハミットの日記そしてそのJon turklerの戦争後での自白から書かれたからです。残念ながらこいいうものはほとんど日本語に訳されていません。しかし最近 オスマントルコについて色々な本が出ています興味があれば 本屋さんで探してみたらいいかと思います。
- xongou_xirosi
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十字軍のころはオスマントルコの民族は中央アジアにいて、直接被害は受けてないってとこはありますよね。きっと。 十字軍に虐殺されたのはアラブ人で、これまた、第一次大戦の時はキリスト教国のイギリスに「トルコから独立させてあげるよ」と言われて、味方してました。 そんなもんなんでしょう。戦争なんて。
お礼
詳細な返事ありがとうございました。