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カール大帝が打ち出したキリスト教帝国理念
カール大帝が打ち出したキリスト教帝国理念について、ビザンツ帝国、イスラームの世界の存在にも言及しながら解説をお願いします。 簡易な説明でもかまいません。
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- PopoAmin
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書きかけて内容を確認していたら投稿完了になってしまいました。 続き このカール大帝の戴冠によって西ヨーロッパの台頭が始まったと言って良いでしょう。 終わり、、、
- PopoAmin
- ベストアンサー率50% (70/138)
カール大帝がキリスト教による新たな帝国を志向したというよりも ローマ法王庁がローマカソリックの守護者を必要としていたものと 解釈しています。 当時ローマ法王庁はローマ市の支配者でしたが ろくな武力をもっていませんでした。 イスラーム勢力はスペインやイタリアと目と鼻の先の北アフリカにも 勢力を伸ばしていました。 一方イタリアでは蛮族のランゴバルド王国系諸侯が乱立し 次々とローマへ攻め込んでは威しをかけ 償い金を巻き上げていました。 さて日本ではローマ帝国は東西に分裂したと表現されますが ローマ帝国は一つなんです。東西の皇帝2人が分割統治していたにすぎません。 ですから西の皇帝がいない状況では東の皇帝がローマ市を守らなければならないのですが ビザンティン皇帝にはその気がない。 シチリアやサルディニア、イタリア半島南部を勢力下に置きながら、 ローマが蛮族の食い物にされるのを黙ってみているだけです。 ビザンティン皇帝は東方教会と一体ですからローマカソリックの守護者ではないのです。 いまやローマの栄光はかけらも残っていません。 そこに、かつての輝けるローマの支配を取り戻したいと考える教皇が現れたんです。 レオ3世でした。 当時のフランク王国は王位の承認にカソリックの権威を後ろ盾にしていましたので カソリックへの信仰も厚かった。 ランゴバルド族から北イタリアを取り戻し教皇領として寄進までしてくれました。 またイスラムを撃退するだけの軍事力もありました。 こんなフランク王国を使わない手はないんです。 おまけに教皇が皇帝を選任し戴冠することで教皇は皇帝の上位に立てます。 ビザンチン皇帝はそんな皇位は無効だと反発し東西の戦争になりかけましたが ベネチアをビザンチンへ売り飛ばすことで切り抜けました。
- mekuriya
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何がキリスト教帝国理念なものか。キリスト教圏の拡大を大義名分に外征・領土拡大を正当化したってだけの話でしょうが。
- oignies
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さほどのキリスト教理念をうちだしたとも個人的にはおもっていませんが ローマ教皇のてによって戴冠されたことで、ローマ=カトリックの擁護者 として、他の支配者との関係において、一定の優位性をみいだすことに 成功したのが、カール大帝だとおもっています。 当時は、フランク帝国の西側のイベリア半島がイスラーム圏で、東側が ビザンツ帝国。ことなる文化圏にはさまれる位置にあったので、カトリッ ク・キリスト教理念をうちだすことで、域内統合は容易になったのでは、 と思います。 ゲルマン部族は、ごちゃごちゃだったので、まとまれる要素が、カトリック ・キリスト教だったということでしょう。