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ボードレールについての文です

ドイツの評論家 Walter Benjamin がボードレールについて、次のようなことを言ってるのですが、どのように訳したらよろしいでしょうか。 Baudelaire knew how things really stood for the lierary man: As flaneur , he goes to the marketplace, supposedly to take a look at it, but already in reality to find a buyer.

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noname#202629
noname#202629
回答No.3

Baudelaire knew how things really stood for the lierary man: ボードレールは凡ゆることが文学者にどのような意味をなすかを知っていた。 As flaneur , he goes to the marketplace, supposedly to take a look at it, but already in reality to find a buyer. ↓ As a flaneur, he goes to the marketplace, he supposedly goes to take a look at it, 彼は、もの好きとして、市場に出かける、多分、市場を見るがために出かけるのであるが、 but he already goes in reality to find a buyer. he already goes in realtity 彼はすでに現実の世界に出かている。 ↓ 実を言えば、彼はすでに客を求めて出かけているのである。 ボードレールは全てのことが何を意味しているのか知っている。我ら凡人には見えないことも見えている 言い換えれば、市場を探索に行くことは、かれにとって、お客を探しに行く業者さんと同じことを意味してるおり、獲物を狙いに山に入る狩人と同じ。 と言うような事を言いたいのであろうと思う。

chibiarako
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、すっきりと解釈できます。 最近つくずく英語というものは難しいと感じています。 よく世間で「日本語が一番難しいよね」なんて言う人がいますが、そういう人は結局難しい英語を読んだことがないだけなのだろうとかんじています。 あなたのご回答から、難しい英文の読み方の指針として一例を見せていただいた気がします。 ありがとうございました

その他の回答 (2)

  • Him-hymn
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回答No.2

補足 総合的に判断して以下のように訳してみました。 ボードレールは、文学者にとってみればモノがほんとうにどれほど役立つかを知っていた。のらくら者として、市場へ足を運ぶ。おそらくは市場を見るためだろうが、実際は買手を見つけるために。

chibiarako
質問者

お礼

もうひとつの質問にも丁寧なご回答いただきありがとうございます。 こちらでベストアンサーをお贈りさせていただこうと、大変申し訳ないですが、おそれながら、あちらでは他の方をベストアンサーとしてしまいました。 ところで、最後の but already in reality to find a buyer. の部分がいまひとつピンと来ないのですが・・・・ but already in reality の部分は「しかし現実にはすでに」とでも訳せばいいのでしょうか? このalready は何を意味しているのでしょう。 また buyer とは なんの買い手なのでしょう? 市場での買い物客? 仕入するバイヤー? それともボードレールの作品を買う人?

  • Him-hymn
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回答No.1

文脈がなくて困りますが、おそらくは以下のような意味になるのだろうと思います。 ボードレールは、文学者にとってみればモノがほんとうにどれほど役立つかを知っていた。のらくら者として、彼は、おそらくはそれを見に行くために、しかし、すでに実際は買手を見つけるために、市場へと足を運ぶ。 ご参考になればと思います。

chibiarako
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 補足をさせていただきますので、ご覧になってくだされば幸いです。

chibiarako
質問者

補足

説明不足のところ、ご回答くださり恐縮です。 実はこの文は、ある論文の中の一部分で、質問に出した分がBenjamin の言葉として引用されているのですが、この質問文に出した数行だけが引用されており、前後がわかりません。 ちなみにどのような話からこの文が引用されているかというと、これがまたネットで検索してもほとんど出てこないようなアメリカの無名の学者やらが出てきてしまい、どうにもわかりづらい文脈です。 少なくとも Walter Benjamin の「複製技術時代」の芸術論や、アメリカのKen Goldberg のunique phenomenon of distance の知識が無いと完璧には理解できないような内容です。 で、ざっとこの引用部に至る直前の内容を言いますと、 ボードレールはFlaneur遊歩者としてパリの街を歩き回りながら、叙事詩を書きました。ドアノーもまた同じくパリの街をそぞろ歩き、いわゆる「パリ写真」を撮っていたのです。そこで論者はこの二人を対比し論じています。 引用の直前の文は次のようなものです His reputation was not unlike the character of Budelaire,as understood by Walter Benjamin:

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