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続【「ので」と「ため」の違いについて】
以前下記のスレッドが立ちました。 【「ので」と「ため」の違いについて】 http://okwave.jp/qa/q8625598.html 何がなんだかわからないうちに話が終わった気がします。 その後いろいろ調べて、わからないなりにいろいろ考えました。 現段階では、下記くらいに考えています。 【「だから」「なので」の違い その2 「~から」「~ので」「~で」「で」「から」「ので」】 http://ameblo.jp/kuroracco/entry-11932114478.html ==============引用開始 とりあえず、【ので】の制約は5つありそうだ。詳しいことはわかりません(泣)。 1)「~のは~{から/ので/ため}だ(です)」の文型だと「ので」が×になる 例 3 遅刻したのは、電車が遅れた{から/×ので/ため}です ※語順を入れかえるとOKになる 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻しました 2)「だろう」の後にはつかない(ほかの推量ならOKのときもある) 例 4 明日は晴れるだろう{から/×ので/×ため}洗濯をした ※前件が推量でもOKの例 明日は晴れそう{だから/なので/なため}洗濯をした 3)後件が命令形(OKのときもある) 例 5 よい子{だから/△なので/×のため}おとなしくしなさい 例 6* お願い{だから/△なので/×のため}静かにしてください ※後件が命令形でもOKの例 あの子はよい子{だから/なので/×のため}仲良くしてあげなさい 4)理由は不明。後件が推量だと×になることがあるのかも。 例 7 あれほど繰り返すの{だから/×なので/×ため}、本当なんだろう ※後件が推量でもOKの例 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻したのだろう 5)デスと相性が悪いのかも 例 9 期限はあしたです{から/△ので/×ため}お忘れなく ==============引用終了 不明な点があまりにも多くて……。 何かわかりやすい解説をしている文献はないでしょうか。 辞書・サイト・論文など、教えてください。 なお、↑のリンク先に書いたように、下記の3点の説明には、個人的に強い疑問をもっています。ネット上で見られる論文などは、ほとんどがこういう考え方を否定しているように読めます。下記のような考え方をしているサイト・論文などがあるのでしょうか。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17210/m0u/%E3%81%AE%E3%81%A7/ ==============引用開始 「ので」は、前件と後件との間に客観的な因果関係が認められる場合に用いられやすい。==============引用終了 http://kotobank.jp/word/%E3%81%AE%E3%81%A7?dic=daijisen&oid=14449700 ==============引用開始 デジタル大辞泉の解説 ので 【ので】 (中略) ◆ 近世中ごろから用いられ、明治に入って一般化した。また、前件が理由となって後件のような結果の生じることが、だれの目から見ても当然と思われるような場 合に用いられるとされる。「から」に比べるとあらたまった感じを伴うが、くだけた表現の場合、「あまり暑いんで閉口した」のように「んで」となることもあ る。 ==============引用終了 ==============引用開始 大辞林 第三版の解説 ので (中略) 〔理由・原因を表す接続助詞「から」との相違について。「ので」は因果関係が客観的事実に基づいているような場合に用いられるのに対し,「から」は,推 量・禁止・命令・質問など,話し手の主観に基づくような場合に用いられる。一般に,「ので」は,「から」に比べて,条件としての独立性が弱い場合に用いら れる〕 ==============引用終了
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- kimosabe
- ベストアンサー率59% (137/230)
まず、前提として、 1、現代日本語では「から」と「ので」との意味・用法は重なる部分が多くかなり互換性があり、したがって「ので」には使用に際して制約があるとする説が有効か疑問を感じます。 続いて、「から」と「ので」との違いについて思い付くままに書いてみます。 2、「から」に比して、「ので」のほうが改まった場面や公共の場、手紙などで使われることが多い。 こちらは国産の食材だけを使っておりますので、安心してお召し上がりください。 電車が参りますので、白い線より下がってお待ちください。 みな元気に過ごしておりますのでご安心ください。 このケースで「から」は使いにくいですね(例文が「……ください」に偏ってしまいました)。 3、「なんでいきなり殴ったりしたんだ」という問いに対して、 奴の言い草に腹が立ったからつい殴っちゃった。 この例は、 奴の言い草に腹が立ったからさ。 のように、原因・理由を独立させることもできます。このことから「から」は原因・理由を前面に出したいときに用い、結果より原因・理由に主眼を置いた表現ということが言えるのではないでしょうか。改まった場面で、 彼の言い草に腹が立ったので、つい殴ってしまいました。 とは言えますが、「ので」は原因・結果を独立させることはできません。 彼の言い草に腹が立ったので…………。 はあるでしょうが、明らかに口ごもっている印象です。 4、「から」は「こそ」などによって強調されることがありますが、「ので」にはそれがありません。 ○わからないからこそ聞いたんです。 ×わからないのでこそ聞いたんです。 たぶん「ので」は原因・理由を前面に押し出さない表現であるため、強調表現はそぐわないのではないでしょうか。 蛇足ともいえる憶測ですが、「ので」が「から」と意味・用法がかなり重なるようになったのは、「ので」のくだけた言い方とされる「「んで」の多用に原因があるのではないかと思っています。 私は長ったらしい回答を書くのが嫌いで、むしろ言葉足らずになることがままあるのですが、とにかく自分自身の言葉でまとめてみました。他の回答者の回答内容と重複している部分もあると思います。言葉の問題を考える際、主観(的)、客観(的)の使用は慎重でなくてはならないという思いもありました。
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
#14です。 >電車が遅れた{から/ので}遅刻しました の違いはどう考えればよいのでしょうか。「確認」「念押し」とは思えません。 このように、ひとつひとつの例文で考えていかなければ、「から」の「ので」の違いを説明できないのでしょうか。 : 今は文と文の関係をめぐる接続詞の問題なのですから、それは当然でしょう。 前段が「期限は明日でございます」という取り立て文、後段は「忘れるな」という指示語(命令・依頼のムード)です。 ですから、この場合には次のように「から」は「(継時的かつ)同列的並列接続」として一番自然な「確認」になります。 ところが一般には記述に使われる「ので」を取り立て文に付けて、このような命令・依頼のムード語に繋げた場合には、その「継起的並列接続」の特性から、むしろ「継起」するのが当たり前のニュアンスが加味され「当為」となります。 その点、対比された例文はまったく構成が異なるもので、次のようになります。 電車が遅れた(テンス)から、遅刻しました(テンス)。 電車が遅れた(事態)。だから(継起=継起的並列接続)、遅刻した(帰結=結果として生じた事態)。 電車が遅れた(テンス)ので、遅刻しました(テンス)。 電車が遅れた(事情)。だから(根拠=継時的かつ同列的並列)、遅刻した(当為=当然の結果として生じた事情)。 このように、その時々の接続語の意味やその対比だけに目が注がれていると、確かに「だとすると気が遠くなりそうです。」となりかねません。 ここでは「文の組み立て」をもっと大きく捉える側面が必要になります。 中学文法のレベル「文の組み立て」に即して、その1「文節相互の関係をとらえ、さらに文の成分をおさえていく。」については#14で触れたので、ここではその2「反対に、文の成分を大きくとらえてから、文節相互の関係をつかむ。」に及びます。 中学文法で「接続部」と呼ぶのは接続語を含む文節を指します。 手をひたすと(接続部)、流れる水は(主部)指がちぎれるほど冷たく痛い(述部)。 これは主文「流れる水は指がちぎれるほど冷たく痛い」に掛かった、いわゆる従属節であり、「手を」(対格)「ひたす」(述語)「と」(接続語)の構成として、この中にも主語(暗に書き手)と述語の関係が含まれている形です。 なお、ここからの基調は野田尚史「文構成」(「講座日本語と日本語教育1」明治書院)を参考にしたもので、引用は全てそこからの出典になります。 1) 副詞成分 単なる句に付いた接続助詞の場合は、「ので」も「から」もその持ち味が発揮し切れないせいで、後段次第で似たり、あるいは異なったりもします。 雨なので、太郎は外出を中止した。 →太郎の外出の中止のわけは、雨なのだ。 位置を動かすと、この場合の「ので」の「で」では、「接続助詞」のその要素は希薄で、単なる「断定の助詞「だ」の連用形」と見なされます。 雨だから、太郎は外出を中止した。 →太郎の外出の中止のわけは、雨だからだ。 位置を動かしたこの場合の「から」は、「接続助詞」のその要素は希薄で、「根拠を表す形式名詞「から」」になっています。 つまり、「一文の中に幾つかの副詞的成分が現れる時の順序も、それぞれの副詞的成分がどのカテゴリーと相関するものかによって決まるようである」と。 2) 従属節の内部構造と繋がる述語成分との相関 「ので」節の場合は、ボイス・状態のアスペクト・肯否の成分に加えテンスまで包含する意味では記述的事項の表記には事欠かないが、「関係付けのムードと相関するものとしては、「だから(あのとき教えてあげたんです。)」「つまり」(その契約は無効になるわけです)」「だけど(私は諦めなかった)」など、確度のムードと相関するものとしては「たぶん(喜ぶだろう)」「ひょっとすると(見つかるかもしれない)」など、命令・依頼のムードと相関するものとしては「どうか(貸してください)」「頼むから(黙ってて)」などである」と。 「だから」は関係付けのムードと相関、「から」は命令・依頼のムードと相関する機能がありますから、結果の一端として単なる語用論の視点からすれば「主観的」と見られやすいでしょう。そしてムードとテンスまでで相関し得ない「ので」は「客観的」とされ兼ねないだけなのでしょう。 ただし、第一義的に主観客観の意味付けや語法を持ち合わせているわけではなりません。あくまでも従属節の内部構成次第であり、またそれに続く述語成分の構成との相関次第なのですから。 「「…ので」は事態に対するムードと相関すると見られる。「安いので買った」は自然だが、「安いので買ったらしい」や「安いので買おう」は少し不自然になるように、事態に対するムードに制約があるからである。」と。
お礼
ウーン。 中学生や日本語学習者がこの説明で理解できますかね。だとすると、当方は小学校にまで遡る必要がありそうで……。 >「「…ので」は事態に対するムードと相関すると見られる。「安いので買った」は自然だが、「安いので買ったらしい」や「安いので買おう」は少し不自然になるように、事態に対するムードに制約があるからである。」と。 これが結論と考えてよろしいでしょうか。だとすると、強く同意いたします。せいぜい「少し不自然になる」程度でしょう。少し文をイジれば「不自然」でさえなくなることもあると思います。 それを〈命令・禁止・勧誘・依頓その他、それに類する表現などには、「から」がもっぱら用いられ、「ので」は一般には用いられないというわけである〉とまでしてしまったのは永野先生の勇み足でしょう。それをほぼそのまま踏襲する辞書もどうかと思います。 少し方向性をかえませんか。 No.15のOKATさんの試みに関してどのようにお考えでしょうか。
- fxq11011
- ベストアンサー率11% (379/3170)
助詞の使い方は文法から入ると、良い〇か悪い×の話になります。 例 洗濯する前にチョウチョが一匹一匹、洗濯する前をチョウチョが一匹一匹。 文法的にはどちらも良い〇です。 後のほうが師匠の訂正です。 〇×は感性として身につけているべきです、その上で〇の場合でも伝わるニュアンスがどう変わるのか、が助詞の難解たるところでもあります、そのあたりを整理したのが文法です。 ので、から、ため、も使用がなじまないものは感性で身に付いているはず、伝わるニュアンスがどう異なるのかが重要になります。 私見では前後の状況、対象等により、ほとんど差を感じない、違和感なく伝わる場合から、そうでない場合があります。 れる、られる、なんかは、その状況により、使役、可能、受け身が同じ言葉でもその高低で変わることがあるように思います。 すべて網羅すれば、1巻から何巻まで必要か・・・。
お礼
できれば「~ので」と「~から」の違いに関してもう少し具体的にお願いできませんか。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#15さんのご提案に応じてみましょう。 ほとんど置き換え可能だと思うので、不可の文だけ抜き出します。 まず、「から」と「ので」の違いについては主観・客観が本質だと思っており、下記サイトがそれを極めて論理的に説明していると思います。 http://www2.dokkyo.ac.jp/~esemi008/kenkyu/miki.html 要点を#2でまとめましたが、今回のご提案に対する回答の根拠となっていますので再掲します。(一部編集) わたしなりに表現すると、「から」=(主観的ゆえに)動的因果関係、「ので」=(客観的ゆえに)静的因果関係といった感じでしょうか。 ------------------------------------------------------------------------- ●『 x(原因・理由)から y(結果)』の表す意味。 a.事態 x は事態 y の【発生する出所】であり、つまり「から」は、事態 x に事態 y への【移行】を予期させている。 b.このため、事態 x と事態 y との【因果関係は直接的で明白】となり、それゆえ、話者が【因果関係を主観的に強調したいとき】に用いる。 ●『 x(原因・理由)ので y(結果)』の表す意味。 a.「ので」は、事態 x を体言化することによって、事態 y が起こる【原因・理由として限定】している。つまり、事態 x は事態 y の【依拠場所】を表わしている。 b.このため、「から」における<原因>から<結果>への移行と比較すると、その因果関係ははるかに弱いものとなる。従って、「ので」は【因果関係を前面に押し出したくないとき、因果関係を客観的に述べたいとき】に用いられる。 ------------------------------------------------------------------------- <次の表現のように置き換えることができないと考える文> ×11’風邪でも引いたかといふ鹽梅に頭がはつきりしない<から>一旦目は醒めたがまた寢込んでしまつた : 「寝込んでしまった」は「意志に反して」というニュアンスを含むので、主観的強調の「から」を使うと不自然な印象を与える。 「風邪でも引いたかといふ鹽梅に頭がはつきりしない<から>一旦目は醒めたが、もう一度寢た」なら可。 ×12’あんまり今の女の声が高かつた<から>、思はずわれも其話しの方に釣り込まれた。 : 「釣り込まれた」という受身形が主観的強調の「から」にそぐわない。 「あんまり今の女の声が高かつた<から>、思はずわれも其話しの方に注意を向けた。」なら可。 ×15’少し前に帰朝された人に、「年寄達に様子を話して下さい」とお頼みでした<から>、その方が訪ねて下すつて、親切にいろいろ話して下さいました。 : 因果関係が直接的に移行しているかのような印象を与えるため「から」を使うと不自然になる。 『「頼んだ」結果として「訪ねる」のは必然である』と言っているような印象を与えるため不可。 「ある人に無理やり頼まれましたから、(わたしは)仕方なくその方を訪ねていったのです」などなら可。 ×19’雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけた<から>、眼に何か刺さったと思ったのでした。 : 「強い反射を受けた⇒思った」という事態の移行を主観的に述べるシチュエーションではないため不自然。 あくまで、「思った」理由に関して、その依拠場所を述べる意図。 「雪を知らなかった子供の狐は、自分が悪い子だった<から>眼に何か刺さった、と思ったのでした。」なら可。 この場合は、「悪い子だった⇒眼に何か刺さった」という主観的因果関係。 ×四’○口頭の文章が、一回きりにとほり過ぎる運命<ので>、ある期間の生命を持つ事になるのは、此時を最初とする<ので>である : 前者は格助詞なので置き換え不可。 後者の場合、意味的な違いは当然出るが置き換えは可能。客観的な意味を持たせても不自然ではない、ということ。ただ、文法上の制約から、この位置で、そのままの形で置き換えるのは不可。 文法上の制約とは、#2でも似たようなことに触れましたが、『「ので」は、「で」は断定の助動詞「だ」の連用形の「で」からとも言われる』からで、断定の「で」が重複するからだと思います。 六と七も同様の理由で不可。 他はすべて置き換え可能と思います。 意味の違い、と言いますか、冒頭お示ししたような意図の違いによって(無意識的に)使い分けているということです。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#11です。 冷却期間を置きたいとのことですので、今回の回答はスルーしていただいて構いません。ご返事も不要です。 ただ、一応のことは述べるだけ述べさせていただきます。 > 当方としては、何度もリンクを張ったサイトをあらためて紹介されて戸惑いました。しかもそのサイトに対する当方のコメントはまったく無視されて……。 : 前回も申し上げましたように、≪「から」「ので」≫でネット検索すると、一番最初に三木氏の【「から」と「ので」の使い分け】という論説がヒットしました(今でもするでしょう)。そして、 「 不明な点があまりにも多くて……。 何かわかりやすい解説をしている文献はないでしょうか。」というご質問の意図に沿えるものとしてご紹介したわけです。 トビさんのブログにあるコメントを意図的に無視したわけではありませんので、その点誤解なきよう。 また、無視されては困るようなコメントであれば、いつもなさっているように「引用開始==引用終了」で要点だけでも明記すべきでしょうね。 もっとも、文脈上、参照が必須という場合には、いちいち記さなくても参照はするでしょうが。 遅まきがなら、そのコメントというものにも触れてみたいと思います。 > (三木氏の論説http://www2.dokkyo.ac.jp/~esemi008/kenkyu/miki.htmlに関して)互換性がないのは「17」くらいだろう。「推量」だろうが「命令」だろうが、「ので」にできる。こういう例文を見ていても何もわからない。「一方は×」という例をあげないと、違いが見えてこない。いったい何を考えてこういう例文を並べるのか意図がわからない。 今回は主として文型(・接続)の面から考えたい。 : わたしも#2で回答はしましたが、これは、あくまで、『「ので」と「から」の接続に差異があるのは、単に文法的な制約があるからにすぎない』ということを説明するためでした。 なぜ「ので」を使うのか、という疑問に対する本質的な答えにはならないだろう、ということ。 両方とも接続可能な場合も多数あるわけで、接続対象を分類しても殆ど意味はありません。 >基本的に「~から」「~ので」の意味の違い、「主観/客観」に関しては考えない。先の〈5〉資料編を見ればわかるように、当初はそういうことも言われていたが、近年はそういう考え方はしないようなので。 : 「主観/客観」についての新しい論文が少ないのは、それが正解だという証明になっているという捉え方も可能でしょう。 反論だからこそ論文になるのであって、正しいことを二度三度と繰り返す必要はないわけです。 こうした反論が出るのは、おそらく永野説(というのも良くは知らないのですが)に不備があるからなのでしょう。詳しくは調べていませんが、永野説には、言わずもがなというか蛇足的な記述も見られるようで、反論者は、そこを突いているような気がします。 しかし、「主観/客観」という本質に論理的な正当性はあるように思われますし、永野説の不備を(おそらく)補う形での三木氏の論説なのだろう、というのがわたしの見解(主観)です。
- OKAT
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まず、質問に答えておきましょう。 >「全国民が人質の無事を願っています」を尊敬語にして 「全国民が人質の無事をお願いです」と言えるか否か……ちょっと無理でしょうね。 尊敬語じゃなく、謙譲語ですね。この言葉の中に謙譲語が必用とは思えません。敬意の向かう先がわかりません。キリストやアラーの神ならともかくも、共通の神を持たない日本人には敬意の対象になるようなものはないので、そのまま「願っています」でいいと思います。それに「お願いします」と言えば、全国民の代表のように聞こえるし。 >大事な話{だから/なので/×のため}静かに聞いてください 問題なく通用します。 >「例)遅刻したのは私の責任ではなく、電車が遅れた{から/の/ため}です」 だと異和感はほとんどないのですが。理由は……。 「のです」も通じるということでしょうか。 >「だから、あれほど注意しておいたのに」 「だから言わないことじゃない」 などだと「それで」には置きかえられない気がします。 「だから言ったじゃないの」(歌詞、わたしは歌が下手なのに、不思議に歌詞が出て来るのです) 「多分そうなると思ったから、前もって注意したのに、聞かないからこうなってしまったじゃないの」という気持ちが「だから」の意味合いでしょうか。「それで」は「ので」に対応しますから、「から」に対応する「だから」が来て当然でしょう。 さて、今回は新しい試みです。わたしは「ので」「から」の使い分けがよく分かっていません。いろいろ読んではみるものの、更に最近大学の研究紀要などをめにすると、待遇表現(敬語)と結びつけて研究する人も増え、それなら、相手次第で使い分けも必要になるのかという疑問もあって、混乱に陥っています。そこで、毎回で済みませんが、「青空文庫」からの検索で「ので」と「から」の使用例をあげました。 二語とも別の意味の用例が多く、(「ので」の場合は「のである」が多いし、「から」の場合は「格助詞」が圧倒的に多い)実際の用例は驚くほど割合が少ないのです。とりわけ「から」が非常に少ないのです。ご存じのように、検索画面は 切り替えられます。(それを1ページと呼んでおきます) 「から」の場合は15ページまで、「ので」は5ページまでです。それほど差がありました。 皆さんにお願いしたいのは、「から」「ので」は置き換え可能か、という問いかけに答えてくださることです。使いやすいように、番号を付けました。置き換え可能なら「○」で表現してください。もし、コメントがあれば付け加えてくださっても結構です。なお、「から」の内、接続の関係で置き換えできないと思われる文には○印を付けました。 これもご承知のとおり、「青空文庫」は著作権の切れたものが原則ですので、明治初期から昭和40年(1965)までのものが収録されています。 質問者に断りなくて、失礼ですが、参考にはなると思うのでよろしくお願いします。この結果は質問者に利用していただいて結構です。 「ので」 1.私は日本海沿岸に近い所に生れた<ので>、幼い時から夏になると殆ど毎日のように海へ入った 「栄螺」 田畑修一郎 2.帰ろうとすると、もう一度握手された<ので>私は嬉しかった。 「レコード夜話」 宮城道雄 4.といふよりもその女は男に何の夢想も仕事もさせないたちの女な<ので>、大変困惑してゐた時な<ので>、 「我が生活」 中原中也 5.けさは仕事しなければならぬ<ので>早く起きて、台所へ顔を洗いに行き、ふと見ると、 「酒きらい」 太宰治 6.直木は、だまっているくせに、客好きな<ので>、客が多い方が好きな<ので>、執筆の邪魔になっても、お客が来た方がよかったらしい。 「碁の手直り表」 菊地 寛 7.私には子供が生れないと思っていた<ので>、家族のつもりで犬を飼っていた。 「人の子の親となりて」 阪口安吾 8.碁、将棋の類は好きであるが、友人との交際がない私は、めったに手合せする相手がない<ので>、結局それもしないじまいでいる次第だ。 「秋と漫歩」 萩原朔太郎 9.前にいた人がのぞき込む様にして時計がわかるのか、盲人用の特別の時計かと尋ねた<ので>、盲人用のもあるが、私は普通の時計をさぐって針の見当で三十秒までわかる。 「雨夜の駅」 宮城道雄 . 10.ここで歌はれてゐる水の流れといふのは人生の象徴にもなつてゐる<ので>、そこで一種洒脱の人生觀をもうたひ得てゐるのであらう。 「雪解水」 今井邦子 11.風邪でも引いたかといふ鹽梅に頭がはつきりしない<ので>一旦目は醒めたがまた寢込んでしまつた 「栗毛虫」 長塚節 12.あんまり今の女の声が高かつた<ので>、思はずわれも其話しの方に釣り込まれた。 我は少し用事があつた<ので>神戸の伯母さんの家へ、暑中休暇に成るとすぐから行つて居たのであつたが 「夜汽車」 尾崎放哉 13.一枚の絵でもって何千何万の児童に良い影響をあたえられるとすれば画業にたずさわるものとして、この上もない悦ばしいことである<ので>、わたくしはお引受けしたのであるが、 「税所敦子教養図」 上村松園 14.長島は私の精神史の中では極めて特異な重大な役割を持っている<ので>、私の生きる限りは私の中に亡びることがないのである。 長島の死 坂口安吾 15.少し前に帰朝された人に、「年寄達に様子を話して下さい」とお頼みでした<ので>、その方が訪ねて下すつて、親切にいろいろ話して下さいました。 兄の帰朝 小金井喜美子 16.私たちはかねてから、先生の昔ばなしを聴きたく希望していた<ので>、二、三年ほど前からこの事を先生にお願いしてあったが、この頃になってやっとその時機が来たのである。 幕末維新懐古談 田村松魚 17.これらは顕微鏡撮影とか、微速度撮影とかを用いて、普通の人間の眼では見られない現象までよく見せてくれる<ので>、大変面白い 「科学映画の一考察」 中谷宇吉郎 18.右腕の神経痛が始まつた<ので>、私はここ数日床の中で朝夕を送り迎へてゐる。 「烙印をおされて」 北條民雄 19.雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけた<ので>、眼に何か刺さったと思ったのでした。 「手袋を買いに」 新美南吉 20.矢鱈な區切から改めて讀み出す勇氣を鼓舞しにくかつた<ので>、つい夫限ぎりに打ち遣やつたやうなものゝ、腹のなかでは私かに作者の根氣と精力に驚ろいてゐた 「土」に就て 夏目漱石 21.こんどなども、ちよつと氣分が惡かつた<ので>、二三日安靜にしてゐたら、それからずつと微熱が續いて、もう半月ばかりになるのに、いまだに寢込んでゐる始末です。 「緑葉歎」 堀辰雄 22.どうも私は、「北方の百姓」の血をたつぷり受けてゐる<ので>、「高いのは 地聲 ( ぢごゑ ) 」といふ宿命を持つてゐるらしく、 義務 太宰治 23.しかもわたしの旧宅地附近は元来が住宅区域であった<ので>、再築に取りかかった家は甚だ少い。「九月四日」 岡本綺堂 24.こんど、國民新聞の短篇小説コンクールに當選した<ので>、その日のことを、正直に書いて見ようと思ふ。 「當選の日」 太宰治 5ページまで 「から」 一.君は格別僕の手紙を予想しているとも思われない<から>その点だけは甚だ安心している。 「第四の夫から」 芥川龍之介 二.夏のことで暑い<から>ふと紙のつめたさを胸に押し当ててみる気持になつただけのことであるが、心臓の上へ小説を押し当ててゐると、 「土のなかからの話」 坂口安吾 三.あんまり降る<から>、とある農家に雨やどりして、そこの老人と世間話をする、 「大田から下関」 種田山頭火 四.○口頭の文章が、一回きりにとほり過ぎる運命<から?>、ある期間の生命を持つ事になるのは、此時を最初とする<から>である 『「しゞま」から「ことゝひ」へ』 折口信夫 五.室を二つ三つ明けてあげる<から>当分それへ入っていて、ゆるゆる空家を探すのがいいだろうと親切に云ってくれた。 「鍵から抜け出した女」 海野十三 六.○私が単語の組織を分解するのは、単語の研究が実の処、日本の詞章の本質を突きとめて行くことになると思つてゐる<から>である。 「熟語構成法から観察した語根論の断簡」 折口信夫 七.○悦ぶごときことに悦ぶ私のそれと心情をともにする世の隱れたる未知の兄弟姉妹を思ふ<から>であつて、 「展望」 福士幸次郎 八.雨降りだと、雲煙が深く山を封してゐる<から>、折角山へ入つても山を見ることはできず、よほど厳重な雨支度をしてゐない限り、からだはびしよ濡れになつて 「霧ヶ峰から鷲ヶ峰へ」 徳田秋聲 九.よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れない<から>つまり損になるばかりだ。 「坊ちゃん」 夏目漱石 十.ただしこの権利は、他人に売り渡すことができます<から>、譲渡された場合、〈使い方〉を決める資格は、買い取った人に移ります。 「本という財産とどう向き合うか」 青空文庫 十一.ただの人が作った人の世が住みにくい<から>とて、越す国はあるまい。 「草枕」 夏目漱石 十二.始めのうちはただ読みっ放しにしていたが、あまり面白い<から>途中からは時々手帳へ覚え書きに書き止めておいた。 「マルコポロから」 寺田寅彦 十三.クリームのやうににほふ<から>、 ――朝の空気はにほふ<から>、 通風筒は深呼吸。 とても一ぱいすひこんだ。
お礼
貴重な例文をありがとうございます。 当方の感覚だと。「ので」の1~24はすべて「から」にできそうです。 「ので」を「から」にかえると意味に大きな違いが出るか否か……このあたりは、OKATさんやほかのかたの判定を待ちます。ニュアンスの違いが出るものはある気がします(違う言葉ですから当然です)。 いくつかかすかに引っかかる気がするもの(たとえば2.)もありますが、単に当方の感覚の問題でしょう。 「から」の一~十三のうち、下記のものは「ので」にできそうにありません。おそらくOKATさんと同じ判定です。 四.(1つ目の理由はパスします。)「する<から>である」 六.「ゐる<から>である」 七.思ふ<から>であつて 十一.住みにくい<から>とて このうち四.六.七.が「ので」にできないのは、【ので】の制約1)のせいでしょう。 この3つは「の」にしてもほとんど異和感がありません。「の」に異和感を覚えるのはどういう場合なのかはまだ不明です。単純な文だと「の」にしにくいのかな、という気がしています(言葉足らずな印象になるため)。 十一.住みにくい<から>とて これは↑の【「だから」「なので」の違い〈6〉 「~から」「~ので」「から」「ので」「~で」「で」】の最後に書いたものの一種と思われます。おそらく「~カラこそ」と同類でしょう。
- kine-ore
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#8です。 >申し訳ありませんが、もう少しレベルを下げて、例文を交えてご説明いただけませんか。できれば日本語学習や中学生が理解できるレベルでお願いします。 : 中学の文法テキストの「コーヒーブレイク欄」に、三重県に「赤目四十八滝」というたくさんの滝のある峡谷があり、その中に「赤目にない滝」があります、という話が載っています。いわゆる「文節の区切り方」の難しさと、「赤目荷担滝」と漢字にすれば一目瞭然という日本語の便利さに触れていますが、ただし、これにはせめて「荷(に)担(な)い」という漢字が読めるレベルにあることが前提されています。 ちなみに「になう」の漢字は普通「荷(にな)う」か「担(にな)う」ですから、「荷担」ではおかしいのではないかと生徒から聞かれたらどう答えるでしょう。あるいは「荷う」「担う」のどちらが正しいのかと聞かれたら。そもそも「荷」+接尾語「なう」に由来するということならば送り仮名は「荷なう」とあるべきではないかと聞かれたら…。 しかし「になう」にはこの二種のほかにも、「任う(負う/担ぐ)」「何う(背に負う/荷う)」「儋う(肩に載せる/担ぐ)」「挑う(天秤棒に引掛けて擔う)」「賀う(台や肩の上に乗っけて担ぐ)」など、辞書を調べて、様々な漢字があるのだと知る作業を行なった者だけが、つまり日本語の歴史の深さやそこで消長した表現の多様性を感じ取りつつある者だけが、このような疑問を止揚することが叶うのではないでしょうか。 とまれ、中学文法のレベルに即して説明を試みてみます。 ポイントは「文の組み立て」です。つまり単純な語用論や意味対比論ではなく文構成論です。 「文節相互の関係をとらえ、さらに文の成分をおさえていく。または、反対に、文の成分を大きくとらえてから、文節相互の関係をつかむ」という確認事項がそれです。 取り敢えず次の説明ではいかがでしょう。 「順態条件接続」での前段と後段の相関特性 a) ぬれて、寒い。(単純接続) b) ぬれたので、寒かった。(継起的並列接続) c) 寒いから、クーラーを切った。(継時的かつ同列的並列接続) ↓↑<連文節を二文に> a)' ぬれる。すると、寒い。 もしぬれるとしたら(仮定条件)、寒い(帰結)。 b)' ぬれた。そのせいで、寒かった。 ぬれてしまった(原因となる事態)。そのせいで(及ぼされた確定結果)、寒かった(帰結・併合)。 c)' 寒い。だから、クーラーを切った。 その当人にとって寒い(被った事情)。だから(後段への誘導)、クーラーを切った(当為・合体)。 このような視点から次の例に触れてみます。 >「期限は明日でございます{から/ので/ため}お忘れなく。」 : 二文にしてみます。 a) 期限は明日でございます。ですから、お忘れなく。(当為・合体)…確認 b) 期限は明日でございます。ですので、お忘れなく。(帰結・併合)…念押し c) 期限は明日でございます。そのためには、(対応を)お忘れなく。(帰結)…念押し・強制 日本語教師のこのWSで、日本語学習者に対して「教えようとしている日本語が、いったい 「どのような言語なのか/どのように語を並べていく言語なのか」 という基本的なことを学ぶことができます。」として勉強会用教科書を挙げていますが、これなどに目を通されていはいかがでしょう。 「渡辺文法論-1」(泉原省二ウェブサイト) http://blog.livedoor.jp/s_izuha/archives/3902335.html この渡辺実 『国語文法論』 笠間書院の、特に「五 連体の職能」「六 並列の職能」「七 接続の職能」そして、それらが有機的体系化で表される「八 誘導の職能」の章の図解には呻らされます。 分かって感嘆するというのはなく、難解で呻吟させられるという意味です。それでもその構図の凄さは感じられ、大げさに言えばパラダイムシフトです。
お礼
>a) 期限は明日でございます。ですから、お忘れなく。(当為・合体)…確認 >b) 期限は明日でございます。ですので、お忘れなく。(帰結・併合)…念押し 当為、帰結はたぶんわかります。「合体」「併合」は文法用語のようなので、素人解釈は控えます。 a)は確認のニュアンスがあるのかもしれません。 b)は念押しのニュアンスがあるのかもしれません。 では 電車が遅れた{から/ので}遅刻しました の違いはどう考えればよいのでしょうか。「確認」「念押し」とは思えません。 このように、ひとつひとつの例文で考えていかなければ、「から」の「ので」の違いを説明できないのでしょうか。だとすると気が遠くなりそうです。 ご紹介いただいたリンク先http://blog.livedoor.jp/s_izuha/archives/3902335.htmlを拝見しましたが、どこを読めばよいのか見当がつきません。もう少しポイントを絞っていただけませんか。 {から/ので}と{だから/なので}の前に来る品詞別に見てみました。結論としては、当方ほレベルでは何もわかりません(泣)。 以下デアル体で失礼します。 番号がついているのは、下記のサイトの例文を加工している。いわゆるタ形を過去形と呼ぶのは正確ではないのだろうが、ここでは「過去形」と呼ぶ。 資料7【「から」と「ので」の使い分け】 http://www2.dokkyo.ac.jp/~esemi008/kenkyu/miki.html A「から」「ので」……動詞/形容詞 ・動詞(現在形) (22)-2強い風が吹く{から/ので}、みんな注意した。 ・動詞(過去形) (22)強い風が吹いた{から/ので}、あちこちの看板が倒れたりとばされたりしてしまった。 ・形容詞(現在形) (18)危ない{から/ので}そっちへ行ってはいけないよ。 ・形容詞(過去形) (16)天気が良かった{から/ので}楽しかったでしょうね。 B「だから」「なので」……名詞/形容動詞 ・名詞(現在形。後件の時制は不問) (17)よい子{だから/×なので}おとなしくしなさい ↑のサイトには〈「から」を用いる主な例〉〈「ので」を用いる主な例〉として多くの例文が出ているが、実際にはほとんどの例文で{から/ので}の両方が使える。 唯一「なので」が使えそうにないのがこの(17)。理由はいまだにわからない。 よく似た文でも下記(17)-2~(17)-4なら異和感がない。 前件が極端に短いと不自然になるのかもと考えたが、(17)-2を見るとそんなことはない。↑のサイトでは後件が命令形だからとしているが、(17)-3(17)-4なら不自然ではない。 (17)-2 よい子{だから/なので}お菓子を{あげる/あげた} (17)-3(あの子は)よい子{だから/なので}仲良くしてあげなさい (17)-4 大事な話{だから/なので}静かに聞いてください ・名詞(過去形。後件の時制は不問) よい子{だったから/だったので}お菓子を{あげる/あげた} ・名詞と形容動詞の近似形 シンプルな形で比較しても、差異がわからない。そもそも下記の「きれい」は名詞と考えることもできなくはないからだろうか。 美人{だから/なので}人気がある きれい{だから/なので}人気がある ・AB(動詞と名詞)の近似形 明日は晴れる{から/ので}洗濯をした。 明日は晴れ{だから/なので}洗濯をした。
- fxq11011
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~ので、~ため。 文法的なものは別にして、私の受ける感じ。 ~ため、は直接の因果関係?。 ~ので、は因果関係というより、必然的な成り行きと言うい感じ、間接的には因果関係に相当するかも?。 例 痛い 痛いのでやめる=痛い事が予想されるからやらない。 痛い=原因、とすれば、即結果=やめる、では無く、原因に基づき、頭で考え判断した結果やめる。 痛いためやめる=試みようとすると、痛い、だからやらない。 やめるのは、頭で考え判断した結果では無く、条件反射的、考えた結果はむしろ、無理に試みようとするも、できない。 ~ので、の場合はやれば可能だが・・・・。 ~ため、はやろうとしても不可能・・・・。 もちろん、日常会話等では、いずれでもほぼ同じ感覚で伝わるとは思います。 文法では、「ので」接続助詞、「ため」品詞は?、利益を表す(例 あんたのため・・)、因果関係を表す、と有りました。 「ので」は接続助詞のため、因果関係と捉えても、原因と結果の間に他要素が入り込む余地が十分有ります、風が吹けば桶屋が儲かる、一つの因果関係にも見えます。 風が吹くので桶屋が儲かる(内容は疑問が大いに有るが表現としてはあり得る)。 風が吹くため桶屋が儲かる(内容的にも理解しがたい、直接の因果関係は思い当たらない故)
お礼
申し訳ございません。 この質問のタイトルは前編を踏襲して〈続【「ので」と「ため」の違いについて】〉にしました。 しかし、実質は「~ので」と「~から」を比較しています。 「~ため」も似た使い方をするようですが、違う部分があまりもに多いので、比較がむずかしい気がします。
- OKAT
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>「のだ」は 1)準体助詞「の」+格助詞「で」 2)準体助詞「の」+断定の助動詞「だ」 どちらなのでしょう。 辞書を見る限り、〈2)準体助詞「の」+断定の助動詞「だ」〉は「これは君のだ」のような使い方が主の気がします。 1)2)は「ので」という接続助詞の成立由来を言うためのものでした。 そのため 2)は、 準体助詞「の」+断定の助動詞「だ」(の連用形「で」)と書きました。 「のだ」は、 準体助詞「の」+断定の助動詞「だ」です。おっしゃるとおり、「これは君のだ」のような使い方です。 しかし、その時の「の」は明らかに体言のかわりをしていますが、 「かれはどこまでも歩き続けるのだった」 のような一種の感動を含む断定表現の場合には「の」は体言と関係なく、「つなぎ役」のような働きをします。「の」はこのようなつなぎ役の場合が多いようです。 >ちょっと気になるのは、〈2)準体助詞「の」+断定の助動詞「だ」〉と解釈すると、「なのだ」はどうなるのでしょう 「な」は断定の助動詞連体形ですから「の」を挟んで「だ」に続くわけで「断定」+「断定」の形です。その点では、「なのです」も似たようなものです。 >一概には言えない気もします。たとえば〈【ので】の制約1)〉の例文の場合は少し不自然な気が。 遅刻したのは、電車が遅れたのです わたしも少し不自然さは感じます。それを辛抱して慣れるか、「からです」や「ためです」へ行くかですね。 > 「それで」は「ので」と対応しますかね。 ピッタリのものがなくて、そこに入り込んだのが「なので」の気がします(最近一部の辞書で接続詞になったようです)。「から」に対応するのが「だから」と「ですから」(これは新しい言い方?)でしょう。 さらに言うと、「だから、あれほど注意しておいたのに」の「だから」はちょっと意味が違う気がします。 すっきりした対応ではないけれど、「それで」という接続詞があります。(前述の事柄を理由として次の帰結へ続ける場合に用いる語。それだから。そのために: 大辞林の説明)「だから」はいうまでないでしょう。「日本文法大辞典」(昭和46年初版)は「なので」という接続詞は載せていません。
お礼
>>一概には言えない気もします。たとえば〈【ので】の制約1)〉の例文の場合は少し不自然な気が。 > 遅刻したのは、電車が遅れたのです >わたしも少し不自然さは感じます。それを辛抱して慣れるか、「からです」や「ためです」へ行くかですね。 感覚の問題という気もするので、強く主張する気はありません。 No.8の「お礼」に書いた 「例)遅刻したのは私の責任ではなく、電車が遅れた{から/の/ため}です」 だと異和感はほとんどないのですが。理由は……。 >すっきりした対応ではないけれど、「それで」という接続詞があります。(前述の事柄を理由として次の帰結へ続ける場合に用いる語。それだから。そのために: 大辞林の説明)「だから」はいうまでないでしょう。「日本文法大辞典」(昭和46年初版)は「なので」という接続詞は載せていません。 本題とは関係ない気がしますが、ちょっとだけ。 「だから、あれほど注意しておいたのに」 「だから言わないことじゃない」 などだと「それで」には置きかえられない気がします。 個人的には「なので」の接続詞的用法はまだ俗用だと考えています。 用例があまりにも増えてきたので、妥協する辞書が出てきた……と考えています。詳しい事実関係を調べていないので、なんとも言えませんが。
- hakobulu
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#6です。 > hakobuluさんは前編のときも今回も、当方がリンクを張った先を読まずにもっぱら自説を主張していたということですね。 : 何か問題でもありますか? 1311tobiさんは、引用開始===引用終了 と要点を抜粋して明記するのが常ですし、それはちゃんと読んでますよ。 それだけでは不足だから、リンク先の文を全て読めとおっしゃっているんですかね。この辺りをちょっとはっきりさせていただきたいと思います。 その内容について詳しく論ずる必要があると思えば、今回のように込み入ったリンク先を辿ってまで見解を述べることもありますけどね。 まあ、肝心の論点に関して全く応じないのは、何か他に意図があるのでしょうから、あまり深くは追求しないでおきましょう。 それと、「もっぱら自説を主張」とおっしゃいますが、自説を主張しない回答などないと思いますよ。 以前から、「それは主観ですよね」とよくおっしゃっていましたが、主観を述べない質問者、あるいは回答者などいない、というのは当たり前のことです。 > hakobuluさんと込み入った話をすると、話が食い違ったり、堂々巡りになったりする理由が少しわかった気がします。 非常に残念です。 : 「話が食い違う=自説が食い違う」ですから、お互いに自説を述べ合う場合には当然起こる現象じゃないでしょうか。大事なことは、自説の根拠を論理的に展開することだと思います。ただ、「論点が食い違う」のは困りものですね。 「堂々巡り」というのは、たぶんですが、解釈の相違でしょう。 わたしの場合、同じひとつの問題についても、視点を変えて何度も論ずることはあります。一度言ったことは二度と繰り返さない、という主義では特にありませんので。いちいち、「視点を変えて」とか「見かたを変えて」と注釈するわけではないので勘違いされるのかもしれません。 視点が変わるからといって論点が変わるわけでないことはご理解いただけると思いますが、逆に、同じことの繰り返しに(視点が変わっていないように)見えるとすれば、おそらくわたしの表現不足なのでしょう。 以上、瑣末な問題について触れてきましたが、#6、#7で述べた内容について具体的な反論をご自身の中で形成なさってみるとよろしいでしょう。
お礼
当方の書き方は、質問者の態度としては失礼でしたかね。 その点はお詫び申し上げます。 当方としては、何度もリンクを張ったサイトをあらためて紹介されて戸惑いました。しかもそのサイトに対する当方のコメントはまったく無視されて……。 >リンク先の文を全て読めとおっしゃっているんですかね >その内容について詳しく論ずる必要があると思えば、今回のように込み入ったリンク先を辿ってまで見解を述べることもあります ケースバイケースでしょう。ただ、前編と今回は、コメントの量から考えてあのサイトに関する記述は当然お読みになっていると思っていました。 誠に勝手ですが、少し冷却期間を置きたいと思います。 別のテーマで意見を交換できれば幸いです。
お礼
コメントありがとうございます。 初めてコメントされるかたですよね。 ご指摘いただいたことのなかには、すでに話題になっていることがあります。 ただ、これだけ長くなると「先行コメントをご確認ください」とは言えない気がします(泣)。 そういう点に関しては、先行コメントから当該箇所を転載することで、コメントにかえさせていただきます。できるだけ話を拡散させたくない{から/の}です(この場合は「の」は少し言葉足らずのような……)。 >1、現代日本語では「から」と「ので」との意味・用法は重なる部分が多くかなり互換性があり、したがって「ので」には使用に際して制約があるとする説が有効か疑問を感じます。 現実には「ので」が使いにくい例が少数ながらあるようです。一般に言われるものよりずっと少ないとは思いますが。 当方は質問文に5つの制約を書きました。No.8の「お礼」に改訂版に近いものがあります。 >2、「から」に比して、「ので」のほうが改まった場面や公共の場、手紙などで使われることが多い。 そのとおりだと思います。「~から」と「~ので」は丁寧さの度合いが違い、多少のニュアンスの違いがありそうです。ただし、あくまでも「使われることが多い」程度のことでしょう。「~ので」が使えないわけではないと思います。 No.1の「お礼」から転載します。 ==============引用開始 1)話し言葉か書き言葉か 2)丁寧さの度合いか 3)主観か客観か いずれにしても決定打ではなく、「しいて言えば」くらいのことではないかという気がします。ほとんどの例で両方が使えるのですから。 ==============引用終了 >3、 「つい殴っちゃったのは奴の言い草に腹が立った{から/の}だ。 と変形すると、【ので】の制約1)とほぼ同じ主張になるかと思います。この場合は「の」でもOKか否か微妙な気がします。 ただし、No.19のかたのコメントによると、このような変形をすると「から」の働きがかわってしまうようです。 >4、「から」は「こそ」などによって強調されることがありますが、「ので」にはそれがありません。 【ので】の制約のひとつだと思います。No.15の「お礼」から転載します。 ==============引用開始 十一.住みにくい<から>とて これは↑の【「だから」「なので」の違い〈6〉 「~から」「~ので」「から」「ので」「~で」「で」】の最後に書いたものの一種と思われます。おそらく「~カラこそ」と同類でしょう。 ==============引用終了 >言葉の問題を考える際、主観(的)、客観(的)の使用は慎重でなくてはならないという思いもありました。 同感です。 しかし世間ではAは主観(的)で、Bは客観(的)のような考えをする人が多いようです。 当方が疑問に感じているのは下記のような例です。 「理由」は主観的で、「原因」は客観的 「怖い」は主観的で、「恐ろしい」は客観的 「得意」は主観的で、「じょうず」は客観的 前の2例は「そうかも……」と思いますが、3つ目には強い異和感があります。