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もっと聞きたい鬼畜欧米。植民地支配
こんにちは。 欧米の植民地支配について調べたり、教えていただいたのですが、もっと知りたいです。 田母神氏は、欧米が植民地を犬猫のように扱っていた記録があったが、文書焚書でほとんど焼かれてしまったと言い嘆きます。 欧米人の残虐性、恐ろしさをもっと聞きたいです^o^ 欧米人が残虐なのか、害人全般残虐なのか、平和を愛するのは日本人だけなのかも知りたいです。 あとこういうことを描写した映画や漫画があれば見てみたいです。 アドバイスいただけると嬉しいです。
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ここまでの日本は必然の流れで 太平洋戦争の後で日清、日露戦争の総括があって 悪いことと見なされたりしたけど 当時の世界は日本の領土拡大は理由あっての正当性があり、批判はなかったのですよ 朝鮮半島を維持しないと日本の維持も難しいという 観点からの世界観ですからね なお、日本は その後の満州経営においてもそうだけど、日本は朝鮮半島を植民地扱いにはしませんでした。他国と著しく違う点は開拓をしたということです。満州も開拓したのですよ。特に韓国においては、国家予算の四分の一、つまり日清戦争で勝って清から支払われた賠償金を含めてそれ以上をまるまる朝鮮半島に投資したのだから、日清戦争つうのは考え方を変えたら、日本が大韓帝国の独立のために清からお金を引き出して大韓帝国にまるまるあげたようなもの。 それなのに、あの民族性でその事実は全く国民に知らせないから 日韓関係は埋まらないのだけどね 太平洋戦争中は 戦争中ということもあり、新しい領土に対しては開拓は出来ませんでしたけど 大東亜共栄圏構想と言うアジアの独立プランを掲げて各国に当たったから、植民地政策において二百年以上も不平等な立場であった現地民は 一部では解放軍として日本に協力的だったし、これらの動きが戦後の植民地からの脱却である独立を果たしていくことになります それらは元をたどれば薩長の侍がみた上海で中国人が奴隷としてヨーロッパ人につかえてきたことからなんです 最後に日本は中国にも進出しますけど、これは中国が中華民国と中国共産党の間で内乱があり国として機能してなくて各地で暴動が起きる。これを鎮圧しないと中国国内に住む日本人の生命が危ぶまれるわけ 南京大虐殺(犠牲者数いい加減の事実不透明)の前に通商大虐殺(犠牲者数判明の事実)つう日本人が大量に殺戮された事件があるんだよ 中国国内が沈静化しないことには ヨーロッパ列強が中国を食い物にしてしまう そしてアメリカが中国進出を狙っていてアメリカは日本に対して中国からの撤退を要求するんだ しかし、この要求は今まで日本が世界の合意のもと進めてきたことを全否定し、さらに石油を売らないときたんだ。ハルノートと言いますけど 当時、石油はアメリカ頼みだった。こんな大国の身勝手な要求なら 小国のルクセンブルクも牙を向くだろうと言われた 最後通牒でした そして石油枯欠を逆算して石油のあるインドネシアまでの進撃を計算して1941年12月上旬に開戦しなければ、日本は破綻してしまうので米英に宣戦布告するんだよ でも、これ アメリカの陰謀なんだよ アメリカは日本に戦争するしか選択肢がないような ハルノートを出して開戦させ アメリカは軍需産業を振興させて 国力増長を目指すわけ 日本は敗戦して 今ではアメリカの属国みたいな扱いだし太平洋戦争の悪者扱いされるけど 強いが正義の 世界に唯一挑んだ国なんですよ 戦前は国際連盟に民族の平等を訴えてますが、これが当時、黒人を奴隷にしてきたアメリカの反発を招いて、アメリカは日本を憎むようになるんだけどね
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- nacci2014
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続きます。イギリスを割と正義の味方っぽく書いたけど、そうじゃない部分もあります。例えば、アヘン戦争。中国にアヘンと言う麻薬を売りつけるんですが 中国は断った。したら、軍隊を発動させて戦争。中国は負けて上海や香港をイギリスに取られてしまいます。 上海はヨーロッパの貴族の社交場。上海バンスキンスという映画にあるように、貧乏な中国人を札束を武器に顎で使っていた。まさに奴隷 これを見た明治維新前の薩長の武士たちは、日本は富国強兵をしないと中国の二の舞になると決心 この決心が後の太平洋戦争まで日本の国是となっていきます。ヨーロッパ列強からの侵略を防ぐが日本の国是でした。 この薩長の武士たちの報告が間違いないと感じる事件が江戸時代末期の日本でも起きた。生麦事件と言います。 江戸時代だから 大名の皆さんは 江戸に出向いて 交代で政治にあたらなくてはならない。この時の大名の行列を大名行列と言います。 この大名行列の前では、みんな道路に伏して、通過させなければならないのですが、そんな決まり事を外国人が知るわけがない 外国人が大名行列の目の前を横切ったものだから お付きのお侍さんは、当然 「無礼者!」 つうことで 外国人さん斬られてしまった。 日本のルールだから、郷にいっては郷に従えで 現代的価値観なら外国人が悪いのですが、これ お侍さんが悪くなった。 幕府は、平身低頭で外国人家族にあやまり、以降、外国人は、大名行列のルール適用外とするお触れを出すわけ なぜなら、怒らせて今、喧嘩(戦争)して勝てる相手じゃない。下手に抵抗すると、攻めこまれてしまうつうことです。 それでも、薩摩や長州は、勝手なイギリスに喧嘩(戦争)をしました。当然、日本の一部の地域と紛争になれば日英戦争なんだけど、負けが確定的なので 薩摩と長州の勝手な行動とイギリスに説明して日英戦争は避けるわけ。薩英戦争とかいう 日本は、アメリカのペリーがでっかい黒船できて開国を迫ります。 なんで、黒船一隻で言うこと聞いたかと言えば、この黒船だけで、日本の武士が持っていた水軍が全滅するのが必至なくらい当時としては 桁違いにでかい 船で、しかも砲弾が江戸に放たれたら、それで日本は降参という有り様だったから、言うことを聞いたわけ 薩摩や長州がイギリスと戦争した時も、ものの数時間で薩摩や長州は降参している。それだけ圧倒的な軍事力の差があった で、鎖国をやめて開国しましたて 通商条約と言う 貿易の覚え書きをかわすのだけど すっげえ不平等な条約なんだよね。 でも逆らえない。そこで、明治政府は富国強兵しなくてはならなくなったわけ んで、あとは強いものに味方してもらうこと そこで、イギリスを味方にした日英同盟を締結したのね この日英同盟は 日本が植民地支配されなかった ひとつの原動力になった 朝鮮半島がひ弱な地域だったわけ 放置しておくと いずれヨーロッパ列強が足場にされちゃうと日本から近いので困るわけ そこで宗主国である中国(当時は清)に朝鮮半島を開拓すべきと注文だしますが、清は ヨーロッパ列強にあちこち浸食されていて国として成してないから 断るわけ 日本は、そこで清と戦います。そして下関条約で朝鮮半島を清から独立させました。 朝鮮半島を自立させようと日本は大韓帝国に提案しますが、大韓帝国は国力がない。そこで日本が併合して朝鮮半島を開拓するのです。一応、この併合はヨーロッパ列強やアメリカなどからも、文句ない併合と言われていて大韓帝国も望んだことでした。 次にロシアが朝鮮半島を狙ってきて満州地域に進出してきたから、日本はロシアも退治しました 次に第一次世界大戦がおこり、日英同盟の関係から日本もドイツに参戦してドイツの中国領山東半島と南太平洋を占拠して日本は領土拡大をはかります 続く
- nacci2014
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植民地経営は、16世紀くらいから19世紀なかばまで これを一色単に書くと、わけがわからなくなります。 時代、時代により植民地との接し方が変わってくるので 植民地経営が脚光を浴びるのは、そこにヨーロッパにないもの、あるいは稀少価値なものがふんだんにあったので、それを売って儲けようという船乗りたちが はじめで、船乗りたちは、胡椒をはじめとする香辛料や、緑茶(船の中で発酵してしまい、偶然に紅茶が出来上がる)や、タバコ。中には、野菜なんかもあります。 ところが、今のように、貨幣がない物々交換の世界ばかりだから、ヨーロッパから、それらの物を手に入れるには、銃とかと交換するわけ そして、ヨーロッパ人をひいきにして取引してくれる人や部族に銃をたくさんあげる。その部族は他の部族より力を得るから勢力を拡大する。日本も織田信長が銃をいち早く取り入れて全国制覇に向かいます。 最初は、こんな動き 次に、各国は東インド会社てのを作って、これらの貿易を国営化する。すると、植民地の奪い合いがはじまるわけ ヨーロッパ各国は有力部族を仲間に引き入れたりしながら、貿易上の派遣争いをしていきます。 そうやって、世界は、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダが植民地にしていきました。国家統一の遅れたドイツやイタリアが植民地経営をはじめるのは18世紀後半からでドイツはスペインからお金で南太平洋を購入したりしました。 さて、それらの 植民地では、ヨーロッパの別の国に植民地を取られまいと軍備を増強して、その国自体を統治していきます 話しが違うじゃないかと現地民は 思います。商売相手だったのに 国の統治者に なってしまうのですから スペインなどは マヤやアステカやインカなどの文明国を力づくで滅ぼしてしまいます。 すると次第に ヨーロッパ人が 一番で現地民は 二番という差別化をはかりだします この頃は、差別が顕著で確かに 植民地は奴隷化していきますし アフリカの黒人は奴隷として 売られていきました ところが、差別を繰り返していますと反発が当然湧いてきます。植民地支配を狙う他国はそれらの不満分子に協力して、植民地内で内戦を企てます。その内戦に乗じて理由をつけて植民地の支配者になりかわろうというわけです。 そして、先の支配者支配をしていた悪の国を追い出した正義の国として迎えいれてもらい植民地の支配者になり、統治をします。前の支配者よりは、幾分、不公平を是正はしますが、それでもヨーロッパ第一、現地人第二というのは変わりません。 日本は太平洋戦争の大義名分としてアジアの独立を 掲げ、アジア各国に義勇団を作り上げて、敗戦しても独立運動に協力するなどして、 ヨーロッパ列強を次々にうち破る日本軍に刺激されて世界中で独立運動が盛んになり 大戦で疲弊していたヨーロッパ各国も手におえなくなり、世界中で独立がはじまります。 という流れなんです。で、奴隷化は各国により対応が違います。 奴隷化がひどかったのはオランダやポルトガルで オランダは近年まで南アフリカでアパルトヘイトという人種差別があったように、差別意識が高い奴隷化を打ち出しています イギリスやフランスは、早くから 植民地経営をプランテーション経済に置き換えて、つまりは農場をこしらえて、港を作り馬を移植して道路を作るなどインフラ整備にも力を入れたので 現在でも、英連邦やフランス語圏国の結びつきは強いのです。 ですが、全ての地域で、ありがたく受け取られたわけではなく、インドなどは、カースト制度のある中、ヨーロッパの迷惑な異文化が混入したために、イギリスの植民地経営は必ずしも良好ではなかったのです。
- blackhill224
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いろいろな話がゴッチャになっているようですね。 少なくとも日本軍が占領した東南アジアの欧米植民地では、経済的な収奪はありましたが、宗主国による鬼畜とか残虐といわれるような行為はほとんどありません。 もちろん、独立運動など軍事的な作戦で原住民に多くの犠牲が生じた場合は別です。通常の植民地経営で、残虐な行為があった例はよほど異常な場合でしょう。 植民地支配は、キリスト教の布教を含む西欧文化や制度への教化という形を取りました。そこへ現地の風習やキリスト教に無知な日本軍が支配者として登場したので、日本軍人の残虐さがかれらの記憶に焼き付けられたのです。
- majimemaru
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長くなったので二つに分けました。 >欧米人が残虐なのか、害人全般残虐なのか、平和を愛するのは日本人だけなのかも知りたいです。 世界で日本人は~。などは、私は世界を知り尽くしているわけでないので知りませんが、ヨーロッパ人と日本人の比較なら出来ますのでやってみます。 欧米人(昔の)と日本人の残忍性の決定的な違いは、「人間」の考え方です。 これは宗教が影響しています。 ローマ帝国末期、ヨーロッパでは宗教勢力が台頭し、30年戦争まで宗教価値観が支配する身の毛のよだつような残忍な時代を迎えます。 これは宗教の「人間」の考え方に原因があります。 日本では古くから、人間は皆「同じ命」と言う価値観があります。(仏教、ヒンズー教なども近い考え方) キリスト教では、「キリスト教徒しか人間ではない」と言う価値観です。 つまり、「異教徒は人間ではない」と言う事です。 ですので、異教徒を自分たちと同じ人間扱いすると言う概念がありません。 これは、キリスト教、特有の考え方で、ユダヤ教、仏教、神道などの多くの宗教にはない考え方であり極めて危険です。 (イスラム教は、当方良く知らない。少なくともキリスト教は、カトリックでもプロテスタントでも異教徒で人間じゃなく悪魔なので「殺さないといけない」存在である。イスラム教は、ユダヤ教徒とキリスト教徒は同じ人間扱いする価値観が存在する。) 30年戦争までは、この価値観がヨーロッパ人を支配し、「異教徒は殺さなければならない」「楽に殺してはならない。苦痛を出来るだけ与えて殺さなければならない。見ているものはそれに歓喜しなければ異端である」と言う、身の毛のよだつ常識がありました。 このような「宗教価値観による殺戮の歴史」は、日本の歴史に置いてレアケースしか存在しません。 (そのレアケースを後で説明します。) 誰もが思い浮かべるのは、織田信長の弾圧でしょうか。あるいは、天草四郎か。 織田信長は、特定の宗教を弾圧し、虐殺したと言う歴史がありますが(それを否定する説もあるが)、これはその宗教の行動が、信長の利害に反していたのが原因です。 天草四郎も、当時のカトリックは民を強制的に改宗させ、仏像を破壊するなどの問題行為が横行していました。これは、後にカトリック国との禁輸に繋がります。(プロテスタントは何故禁輸しなかったかと言うと、プロテスタントは布教しなかったから。つまり、日本は鎖国していない。カトリック国を禁輸し、プロテスタント国のオランダや他外国とは貿易していた。) しかし、ヨーロッパの30年戦争では、利害ではなく「異教徒」と言う原因で残忍に殺さなければならないのです。そして、異教徒と「交渉」する事すら許されていませんでした。これは悪魔の取引を意味し、異端扱いされます。その為、和平交渉も、戦争回避の外交もプロテスタントとカトリック、その他宗教とは行なえません。つまり、殺戮だけしか選択肢は無いのです。そして、敗者は悪魔として「根絶」されます。 本質的に違うのは、「害のある存在だから粛清した」と言う殺戮と「悪魔だから殺さないといけない」と言う殺戮の違いです。信長の弾圧も天草四郎の殺戮も、彼らが指導者に協力的だったら、その殺戮は免れたでしょう。よって、信長の弾圧も天草四郎も「宗教戦争」には入りません。 ウエストファリア体制以降、ヨーロッパではそのような残忍な価値観は軽減していきますが、非ヨーロッパに対しては相変わらずでした。その為イギリスはタスマニア人を絶滅させたりと、キリスト教徒は、壮絶な事をアジア・アフリカ各国に繰り広げていきます。 日本人の残忍性と、前近代的なキリスト教徒の残忍性の根本の違いはこれでしょう。 *日本の宗教価値観による殺戮の、レアケースの歴史 6世紀、神仏崇拝論争による蘇我・物部の争い。 ただし、7世紀には律令国家建国課程で解決している。 つまり、日本の歴史で本格的な宗教戦争は無い。
- majimemaru
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うってつけの本があります。 『嘘だらけの日米近現代史』 http://www.amazon.co.jp/%E5%98%98%E3%81%A0%E3%82%89%E3%81%91%E3%81%AE%E6%97%A5%E7%B1%B3%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2-%E6%89%B6%E6%A1%91%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%80%89%E5%B1%B1-%E6%BA%80/dp/4594066623/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1410182074&sr=8-1&keywords=%E5%98%98%E3%81%A0%E3%82%89%E3%81%91%E3%81%AE%E6%97%A5%E7%B1%B3%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2 >欧米人の残虐性、恐ろしさをもっと聞きたいです^o^ ヨーロッパでは30年戦争と言うのがありまして、これは「異教徒は殺さないといけない」と言う恐ろしい「常識」によっておぞましい殺戮が行なわれていました。しかし、この30年戦争は「異教徒は殺さなければならない」と言うような、宗教的価値観が支配する中世の原理主義派と、反抗派の戦いでもありました。結果的に反抗派が勝って、その後、宗教と政治を区別する思想である「近代思想」がヨーロッパに芽生えます。 アメリカの建国の父と呼ばれているピルグリム・ファーザーズですが、彼らは、その30年戦争で宗教的価値観から脱しようとするヨーロッパに居場所を失った者たちです。その為、宗教的価値観をそのままで先住民と接します。 アメリカ大陸にたどり着いた彼らは、先住インディアンに助けられます。その時、彼らは「神が、このモノ(先住民)を使いに出して救ってくれた。おぉ・・・神よ感謝します。」と思ったそうです。恩知らずですね。 それどころか、略奪をし、騙し、殺し、女を犯し、最終的に西海岸にたどり着きます。この西に向かう行動を「明白の天命(マニュフェスト・デスティニー)」と呼び、主に与えられた聖なる試練と呼びます。 30年戦争以前の宗教価値観とはそう言うものだったのです。そして、彼らは、その宗教価値観と抵抗勢力の30年戦争で抵抗勢力が優勢になる中、居場所が無くなってヨーロッパを脱した人たちなのです。 その人たちが、30年戦争のようなおぞましい殺戮方法を先住アメリカ人にしていたと言うのは想像に難くありません。だって、そう言う価値観の人たちなんだから。 現在のアメリカも実は、宗教価値観の国です。 これは、ウェストファリア体制を、経験していないのが原因です。 イラク戦争は石油の戦争と呼ばれますが、キリスト教原理主義者のネオコンの影響力はかなり強いものでした。イラクの国教がプロテスタントだったら、結果は変わっていたかもしれません。
×平和を愛するのは日本人だけ 中国へアヘンを輸出していた事で悪名高いイギリスですが、イギリスがアヘン貿易から手を引いた(?)後、それを引き継いだのが日本関東軍@rz
- sudacyu
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残虐性ということとは違うように思います。 欧米の植民地支配は、少人数の本国人で支配しつつ、経済的利益を上げるため、植民地の人々の恨みを買うことが少なくなるように、間接支配(インドでは、元々の支配階層である藩王をそのまま残して支配。ビルマやマレーシアでは、インド人を官吏としてインドから連れて来るなど。)を行いました。 基本的に、植民地に住む人々は「人間の格好をした家畜的な財産のようなもの」として、人道的ではないが、ある意味大切に扱う(牧場では牛を大切に扱うという考え方に近い。)考え方であったようです。 第一次世界大戦中、欧米の植民地管理が緩くなり、インドでは、イギリスがインドに戦後の自治を約束してインドの協力を求め、インド側は、120万の兵員を動員し、物資を供給してイギリスに協力ことで、独立の機運が盛り上がりました。(第一次対戦後、イギリスの認めた自治は、形ばかりで実質が少なく、独立運動の激化を招いた。) このような情勢下で、アメリカは1934年、フィリピンの独立(1944年の予定)を承認しました。 フィリピン独立法(ウィキ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%B3%95
- SPS700
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1。 色々あると思いますが下記等も一例でしょう。 http://www7b.biglobe.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/04_america/04-04_indian.html http://park.looktour.net/national-park-info/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%97%8F/%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%97%8F%E8%BF%AB%E5%AE%B3%E5%8F%B2 2。 欧米人が残虐なのか、害人全般残虐なのか、平和を愛するのは日本人だけなのかも知りたいです。 とてもいい御質問ですが下記等もご覧下さい。 http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20091101/1257073618 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1154116361
- 1paku
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日本史の幕末ごろ、中国に対する西洋諸国の圧力。 アロー号や阿片戦争で検索を。 幕末のドラマでは、志士たちが上海を見て、植民地化、原住民の奴隷化のような印象を受け、危機感を持ったというような取り上げ方をしています。 アメリカの南北戦争前の黒人=奴隷の状態。「ルーツ」など。 風と共に去りぬのように、それ以後に描かれた作品のほとんどが、ゆるい扱いしかしていません。 人種差別禁止が強く作用しています。
お礼
ありがとうございます。日本人はもっと歴史をまなばなければいけませんね。海外の怖さを知らずに海外旅行する人たちは哀れに思います