「忌森」とは暴風雨から家を守るため、屋敷の周りを囲むように作られた森を指します。椎の木ばかりとは限らず、伊藤左千夫が詠んだ歌によれば、左千夫の生家には椎の他に楠があり、小説「分家」の忌森には松も出てきます。「忌森」の言葉の由来は新学社文庫版「野菊の墓」にあるので引用します。「忌(斎)むは神に対してけがれを避けて慎む意味。森とは本来、神事を営んだ木立のこと。」
伊藤左千夫の小説「落穂」には、作者が帰省したときの様子が描かれており、次のような記述があります。「新兵衛の大きな茅ぶきの母屋がまる出しになっていた。椎や楠やのごもごもとした森がことごとく切られて、家がはだかになってるのであった。この土地の風習はどんな小さな家でも、一軒の家となれば、かならず多少の森が家のまわりになければならないのだ。」とあります(同じ千葉県でも矢切ではなく成東ですが)。この小説から伊藤左千夫の故郷では、かつて当然のように家々に忌森があり、大正時代に入る頃には減少していたことが分かります。
ちなみに伊藤左千夫の生家の忌森は、現在も少し残っているようです。昭和の頃の写真資料と見比べると減っていますが、山武市歴史民俗資料館の裏手に生えている木々です。Googleのストリートビューで見ることができます。
お礼
野菊の墓だけでなく、他の作品における記述も取り上げていただき、よく理解できました。ありがとうございました。