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多くの民族に神様がいるのはどうしてだろう
私が思うに、神様がいる民族の方が戦争に勝てる確率が高かったのではないか。神様の存在は戦死の不安を解消してくれるし、民族の団結心を高めることもできたはずです。極端に言うと、神様はいざと言う時に戦争に勝つために必要なものであったのではないか。 神様がいるので平和になるのではなく、神様がいるのことで戦争が起こりやすくなると思うのです。なぜなら神様は民族の願いを実現せめばならないものだからです。 神様が平和を望むように変貌するのは戦争で勝ち残った状態を維持したいためであると思うのです。 皆さんは多くの民族に神様がいるのはどうしてだろうと思われますか。
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どうも、金儲け主義の糞ボーズである私はお盆でめっちゃ忙しいんですよ。ほんとに答えたくなるような質問は書かないでいただきたいですな。(笑)いや、ほんとに(笑) この質問なんですが、題名と質問内容は関係あるようで関係ありません。これは私の副次的な専門の認知科学の方面から回答させていただきます。 >>多くの民族に神様がいるのはどうしてだろう 認知心理学者ジャスティン・バレット氏によれば「行為者の過剰検出」と言うことが神という概念を作り出すために必要な能力の一つ挙げておられます。この「行為者の過剰検出」というのは、私達現生人類は約20万年前のアフリカに出現したそうですが、当時のアフリカには人間の食べ物である「獲物」や、逆に人間を食べてしまう「捕食者」が存在していました。この獲物や捕食者について、私達人間は「居ないのに居る」と感じるように私達は進化しています。「居ないのに居る」と感じるように進化したのは、「獲物はこっちにいそうだ」とか、「捕食者が向かって来ているのではないか」と、「居ないものを居る」と感じるほど敏感な直感を持つものの方が生存する確率が高かったからです。 例えば真っ暗な山小屋の一軒家で一人で一晩明かさなければならなかったとして、物音や影の動きなどから、何か居ると直観します。これは「行為者の過剰検出」のなせる業です。これが、宗教で言えば、「幽霊」「神」等々の宗教的行為者の概念に繋がるのではないかというのです。 ただ、そのとき「風の音であった」とか「木の動きであった」とか確かめると、行為者の過剰検出と言う直観は捨てられるはずです。しかし、宗教的概念は行為者の過剰検出と言う直観を、霊や神と言った安定した形で保ち続けています。山小屋に一人でいる人で言えば「こちらからは見えないが、誰かに見られているかもしれない」という思いを安定した形で持ち続けるのと同じです。 では、「行為者の過剰検出」を安定した形で保ち続ける能力はなにかと言えば、何をもって優れているかという事が議論はさておき良くも悪くも人間が「万物の霊長」と名乗っているのは前頭葉の発達が大きく関わっているようです。この前頭葉の発達は、高次の推論システムの中核をなしています。 私達の推論は架空のものに関しても、正確に働くことが出来ます。心理学者トム・ウォード氏は被験者に「どのような変な特徴でもでっち上げてよいので、想像上の動物を描いて言葉で説明しなさい」と課題を出しましたが、注目すべきはほとんどの被験者が動物の身体的構造はある原則に従っていることです。全ての絵が左右対称のシンメトリーが維持されていました。十本脚の動物は、右足が五本、左足五本に描かれており、また目がたくさんある動物も正面には目が二つ描かれていました。一見自由奔放な想像であっても、推論としては現実の動物かけ離れてはいない非常に真っ当な推論であることがわかります。 また宗教的な推論について、バレット氏の別の研究においては、被験者であるキリスト教信者に「迫り来る危険から他の人々を救うために神に祈らなければいけない状況」を想像させました。例えば、外洋を航海中に船が氷山に衝突して今にも沈んでいくとして、この時神に祈るのは「その沈没する船の人たちを助けてほしい」ということですが、神はどのように人々を助けると推論するでしょうか?「船は壊れても、沈まないようにしてくれる」「他の船の計器が狂わせて、沈没した船のほうに進ませる」というような物理的な変化による救い、「乗客が凍りそうな海の中に落ちても耐えられる肉体にしてくれる」生物的な変化による救い、キリスト教の全知全能の神であればどれも出来そうなことですが、被験者はどれも選びませんでした。物理的生物的なことをどうにかしてもらうのではなく、「沈没する人々の心を変えて欲しい」という選択肢をほとんどの人が選んだそうです。この推論も、推論としては非常に真っ当なものと言えます。つまり、宗教的な概念であっても推論としては、現実に存在するものへの推論と差はほとんどないのです。 このようなことから、「行為者の過剰検出」を安定した形で保つのは、前頭葉の発達によって生み出された高次の「推論システム」ではないかと考えられます。人間が宗教を生み出す根本にあるのは、宗教的なものを「感じ」「推論する」という事にあると考えられます。神のようなものを感じるのに霊感とか神通力のような特別な能力は必要はなく、人間として普通に持っている「行為者の過剰検出」や「推論システム」といった当たり前の能力があれば充分なのです。 >>私が思うに、神様がいる民族の方が戦争に勝てる確率が高かったのではないか。神様の存在は戦死の不安を解消してくれるし、民族の団結心を高めることもできたはずです。極端に言うと、神様はいざと言う時に戦争に勝つために必要なものであったのではないか。 上で書きましたように、神の概念が広がるのに戦争は実は必要なく、進化の過程で現生人類が持っている知覚機能の中で説明ができます。ただ、知覚機能と申しましても、上述の「行為者の過剰検出」や「架空のものへの推論」は認知機能を獲得した上にあらわれる副産物、つまりバグなんです。けれども、このバグは消すことができないバグなわで、これの一つの対処法がバグのいくつかを組み合わせて人の利用しやすい形にするという事です。そんな中出来てきたひとつの形が集団としての宗教というものになるわけです。 この「集団としての宗教」となった時、titelist1さんが考えるような戦争における機能を発揮したのは間違いない事実でしょう。そんな中集団選択(群淘汰)という事が起こり、宗教を持った集団が料理を納める確率が高かったという事は言えるでしょうね。そのことはニコラス・ウェイド氏『宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰』のなかで、詳しく説明されています。 しかし、 >>神様がいるので平和になるのではなく、神様がいるのことで戦争が起こりやすくなると思うのです。なぜなら神様は民族の願いを実現せめばならないものだからです。 >>神様が平和を望むように変貌するのは戦争で勝ち残った状態を維持したいためであると思うのです。 というのは、間違いですな。世界の宗教戦争ってやつを眺めてみても、宗教そのものの対立はあとから持ち出されている場合が多いんですよね。根本的な戦争の原因は、経済だったり土地の利権争い、または遺恨だったりなんですよ。しかし、上述したように宗教は認知機能のバグを人間が利用しやすくしたものですから、戦争に勝つために利用されちゃう。しかしその反面、他の回答者の方もおっしゃっていますが、集団の維持であったり経済や政治よりも範囲の広い利益によらない越境なんかの平和利用もできるもんなんですよね。どっちに使うかは宗教によるのではなく、実は人間によるもんなんだと思いますよ。 ただし、この戦争という「集団選択(群淘汰)」によって神の概念が広まったというのにはやっぱい無理があるんですよね。私たち現生人類が二十万年前にアフリカにあらわれて、現代的な行動の中でも芸術や記号のような抽象表現を手に入れたのがアメリカの考古学者サリー・マクブレアティ氏とアリソン・ブルック氏なんかの説によれば、約十万年前くらいのようです。この芸術や記号のような抽象表現って、(集団的な意味での)宗教と関連が深く、個人的な信仰心的なものはもっと前から存在していたでしょうが、体系化された集団的な宗教がつくられ始めたのはこの時期じゃないかと思うんです。そうなると、たかだか十万年程度の間に集団選択(群淘汰)が理由で、世界的なレベルで神の概念が広がったとは考えずらい。しかも、バレット氏の説によれば人間は生まれながらに神のような宗教的概念を持ち合わせているといいます。 http://oka-jp.seesaa.net/article/216966709.html となると、遺伝子レベルで神が存在しているわけですから、そうなるともっと考えずらい。進化ってもっと長いスパンで起こるはずなんですよね。 やっぱり、神の概念は戦争のような群淘汰というものではなく、最初に述べたような人間の認知機能というもっと根本的な人間の機能にかかわっていると考えます。 こんなところです。ではまた。誤字脱字乱文ご容赦を。 合掌 南無阿弥陀佛
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- 天才と マスク(@kanirobo)
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同じ神様を信仰している同士でも戦争をしてるのでそれは無いかと。
補足
戦争のことは回答をもらえるように考えた私の屁理屈です。神様のいない文明は知りません。それが不思議なのです。
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お礼
>人間は生まれながらに宗教概念を持っている。なるほど納得。 仏教で言う天上天下唯我独尊、道元の本覚、法然の自然に通ずる。DNAに書かれていてはなにをほざいても勝てないことが分りました。 ありがとうございました。