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少し間違った方向に行きかねない…のか?

■少し間違った方向に行きかねない…宝田明さん http://www.yomiuri.co.jp/national/20140807-OYT1T50153.html ソ連の満洲侵攻を、その身で体験しておいて、なぜに陵辱される恐怖や苦労を伝えないのでしょうか? 守れないとはどういうことか、この人は死んでも理解不能な方ですか?

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回答No.2

余りにも辛い経験をなさったので、その印象が強く残っていて、思考停止に陥って、総合的な考えが出来なくなっているとか・・・? 団塊の世代辺りの日本人は、極左が多いと言われるのと、関係があるでしょうか? もしかして、トラウマのような心の傷を、ずっと引きずっているなら、この世代の人には、精神的な治療が必要なのかも?と思いました。

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質問者

お礼

ま~治る類のものじゃないけどね。 回答ど~も

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  • m-m-mg
  • ベストアンサー率23% (54/226)
回答No.5

宝田明さんが「戦争を知らない世代が増えた。ややもすると、少し間違った方向に行きかねないのも今の日本の現状。戦争は絶対に起こしてはいけない」と語った という話です。 宝田明さんはそう思っているという話です。 質問者がどう思うかなど全く関係ありません。 宝田明さんはそう思っているという話です。

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質問者

お礼

だから、防衛をキチンとせよという話に普通はなるのでは?という話です。 大前提をすっ飛ばしてはいけません。 回答ど~も

  • kaxuma119
  • ベストアンサー率29% (108/363)
回答No.4

ソ連の満洲侵攻を体験したからこその話でしょう。 関東軍は満蒙開拓団を身を挺して守らなかった。アジア最強と自負していた帝国陸軍に見捨てられて陵辱される恐怖や苦労をした宝田氏だからこその発言です。 関東軍が日本国民を守らず撤退したというと、必ずやどこそこの部隊は頑張ったとか関東軍には十分な兵装がなかったとかの反論が出ますが、多くの部隊が逃げたことは事実であり、ソ連に対して十分な装備を整えられないの状況で開拓団に引上げ指示を出さなかったのは陸軍と国家の責任です。 半藤一利著の『ソ連が満州に侵攻した夏』によれば、8月11日午前1時40分に軍人家族をのせた列車が出発した。目的地は、平壌。新京―吉林―梅河口―通化―平壌コースであった。「軍人家族の集結・出発を守る形で、ところどころに憲兵が立った。自分らも、と駅に集まった市民は、なぜか憲兵に追い払われるようになった。こうして11日正午までに18列車が新京駅を離た。避難できたものは新京在住14万のうちの約38.000人。内訳は、軍関係家族20.310余人、大使館などの関係家族750人、満鉄関係家族16.700人。ほとんどないにひとしい残余が一般市民である」 国軍は国家という抽象的なものを守ろうとはするけど国民は守らないということが宝田氏には身に染みて理解できているのでしょう

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質問者

お礼

え~とですね・・・ 関東軍というか、メインの兵団はシナ戦線に派遣されたので、それは間違いです。 満洲守備兵力の舞台は、朝鮮将校などの部隊ですよ? 回答ど~も

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.3

>ソ連の満洲侵攻を、その身で体験しておいて、なぜに陵辱される恐怖や苦労を伝えないのでしょうか? だからこその結論なのでしょう。よく理解できます。 >>ややもすると、少し間違った方向に行きかねないのも今の日本の現状。戦争は絶対に起こしてはいけない」と語った。 言うまでもなくあべ政権の戦争志向を批判しておられるのですよ。 >守れないとはどういうことか、この人は死んでも理解不能な方ですか? この人とは宝田明さんのことですか?「守れない」とは? ここが理解不可能です。補足ください。

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質問者

お礼

え~とですね。 日本はソ連と”不可侵条約”という平和条約を締結していました。 これは、明治時代に日露戦争で勝利したからです。 国交を回復した際に、そういう条約を結んだわけです。 で、終戦時に突如”保護”にされて、攻め込まれました。 つまり、外交で平和などというものは、核も危ういものなのです。 この事案が分からないと大変な間違いを起しますね。 回答ど~も

noname#209756
noname#209756
回答No.1

BS日テレの番組で振り返ったのでは。 この文章からすると普通ですが。 番組ではこの文章とは違ったんでしょうか?

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質問者

お礼

回答ど~も

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