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能動態と受動態における「が」 と 「は」について
Many people love soccer.の受動態はSoccer is loved by many people.ですが、それに対応する日本語は.「 多くの人がサッカーを愛している。」、「サッカーは多くの人に愛されている。」なります。能動態の主語が「が」で、受動態の主語が「は」になるのはなぜでしょうか。
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能動態、受動態は関係ないでしょう。 下記のように並べてみます。 1)多くの人がサッカーを愛している 2)多くの人はサッカーを愛している 3)サッカーは多くの人に愛されている 4)サッカーが多くの人に愛されている 1)と2)はどちらもOKでしょう。微妙なニュアンスの違いはあるかもしれませんが、ほぼ同義です。 4)は少し不自然かもしれませんが、文脈にもよります。 たとえば、「日本で人気のあるスポーツはなんですか」という質問に対する答えなら、3)より4)のほうが自然に感じます。 【が】と【は】の問題は非常にむずかしく、専門家の意見もさまざまです。 ネットで閲覧できる論文なども多数あります。 下記のNo.7のコメントをご参照ください。 http://okwave.jp/qa/q8681908.html 個人的には、〈「否定文では〈は〉になりやすい」と言えそう〉と考えています。これは論文などでは読んだことのない新説(笑)です。 http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-592.html 以下は一部の抜粋(重言)。 ネット上で閲覧できる論文などを見ても、こういう考え方をしているものが見当たらない。論外なのかな。論文になると、当方の読解力を超えているという説もある。 下記は前に別のトピで紹介されていた例。 http://park21.wakwak.com/~attire/research/hatogayousi.htm http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/note.html 気になったのは下記の冒頭近くにある一文かな。 http://homepage2.nifty.com/arima-yty/misc/waga.html >新しい話題は<が>だとか、否定になると<は>だとか、一元的な説明をあきらめているふしもあるようである。 この場合「一元的な説明」がどういう意味かわからないが、「否定になると<は>」という考え方はあるらしい。 適確な説明はできないが、「否定文では〈は〉になりやすい」と言えそうな気がする。 そうとしか言えない例に遭遇した。 【チャレンジ日記──「ハ」と「ガ」〈2〉】に出てきた下記もそう。 ================================引用開始 1) この近くに駐車場( )あります。 2) この近くに駐車場( )ありますか。 1)は存在文(でいいのかな?)の基本形で、「ガ」が自然(「ハ」は不自然)。 これを2)の疑問文すると、なぜか「ハ」が自然になる(「ガ」はほんのちょっと不自然)。 理由を簡単に説明できるならするべきだけど、けっこう難問。だったらどっちも「ガ」で通したほうが学習者が理解しやすいのでは。 教科書制作サイドがそう考えたのだとすると、ホニャララ本なんて失礼なことは書けない。 ただし、存在文であっても下記の場合は「ハ」のほうが自然になる。5)あたりになると、「ガ」は不適切な気さえする。理由は不明。上記の教科書ではどう扱っているのでしょ。さすがにこれを全部「ガ」で押し切るのは無理だろう。 3) この近くに駐車場( )ありません。 4) この近くに駐車場( )ありませんか。 5) この近くに駐車場( )ありませんよね。 個人的には、3)は否定文だから、という仮説を根深くもっている。存在文の「ガ」より、否定文の「ハ」のほうが強いってこと(ホントか?)。4)や5)が「ガ」になりにくいのも、「ありません」の影響だと思う。 もしそうなら、〈存在文は基本的に「ガ」だけど、否定文は「ハ」になる傾向がある〉で済む。否定文ではない疑問文はどう扱うべきなのだろう。 ================================引用終了
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- fxq11011
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必ずしも、能動態、受動態による相違ではありません。 品詞 助詞 「が」=格助詞、「は」=係助詞、の相違です。 >「サッカーは多くの人に愛されている。」 「ブラジルでは、野球よりサッカーが、多くの人に愛されている >「 多くの人がサッカーを愛している。」 「多くの人は、サッカーを愛している」日本語では、この表現も十分ありです。 例 むしろ、多くの人はサッカーを愛している。 極簡単で個人的な感覚ですが「が」各助詞は主に主語。 「は」係助詞は、関係?、説明的な内容があとに続く。 (1)私はAです (2)私がAです (1)他にAはいるかもしれないが、少なくとも私(も)Aです。 (2)Aは私にほかなりません、私こそがAです(英語の定冠詞に似た感じ?)
お礼
ある英語の参考書からの質問だったのですが、確かに能動態、受動態には関係ないということが理解できました。参考書では、最初に能動態、次にその受動態の文という順番でしたので、日本語訳では「が」を最初に使い、次に「は」を使ったのではないかと思います。「は」は説明的な内容があとに続くというコメントはなるほどと納得できました。ありがとうございました。
「は」はその文の中心となる話題、その文の主題を表すのだそうです。つまりその文で何について語りたいかを表すということです。 とすると、これはどちらもサッカーについて語りたいのでしょうから、「サッカー」を主語にする場合は「サッカーは」でいいですね。 でも「多くの人」を主語にする場合「多くの人は」と表現するとこれは「多くの人」について主に語りたい文ということになります。もちろん「多くの人」について語りたいならそれで構いませんが、そうでなくサッカーについて語りたいならここは「多くの人は」ではなく「多くの人が」となるのです。
- hakobulu
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どちらの場合も、原文の意図が「サッカー」についての文であると考えるのが自然だからです。「多くの人」について述べようとする文と捉えるのは難しい、ということ。 1. 「 多くの人がサッカーを愛している」 : この場合の「が」は、下記辞書の、 1 動作・存在・状況の主体を表す。 という用法です。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/34931/m1u/%E3%81%8C/ 「主体を表す」ではなく「主体を特定する」と表現するほうが良いと個人的には思いますが、それはさておきましょう。 いずれにせよ、この文の意図は、「サッカーを愛しているのは誰か?」という点について見解を述べていることになります。それは「多くの人だ」と言っているわけです。 「多くの人が愛しているのは何か?」という点について述べたい場合には、「 多くの人はサッカーを愛している」となります。 この場合の「は」は、下記辞書の、 1 判断の主題を提示する意を表す。「犬―動物だ」「教育―国民の義務である」 という用法です。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/172815/m1u/%E3%81%AF/ つまり、「多くの人」について述べたい場合の構文になります。 ただ、多くの人について述べたい状況というのは想定しづらいため、「 多くの人がサッカーを愛している」と訳される場合がほとんどになるのでしょう。 むろん、前後の文脈次第では、「 多くの人はサッカーを愛している」と訳すべき場合も出てくるわけですが、この一文だけから、そこまで想定するのは難しい、と考えるのが自然だと思います。 2. 「サッカーは多くの人に愛されている」 1でも触れましたが、「は」は主題提示の用法です。 「サッカーというものについて言えば、それは多くの人に愛されている」というニュアンスの文。 「サッカーが多くの人に愛されている」の場合は、「多くの人に愛されているのはサッカーだ」という意図の文になります。 これは、1でお示しした用法とは若干、異なり、 2 希望・好悪・能力などの対象を示す。 という用法になるでしょう。 つまり、「多くの人に愛されているもの」の対象がサッカーだ、と言っているわけです。 この場合、主体はあくまで「多くの人に愛されているもの」ですから、サッカーについて述べたい、という意図ではありません。 しかし、「サッカー」よりも「多くの人に愛されているもの」ついて述べたい状況というものは、一般的に考えづらいでしょう。むろん、全く無いわけではありませんが、サッカーに重点を置いて表現すれば、「サッカーは多くの人に愛されている」となるのが自然だ、ということになります。 以上、ほとんどの場合、「が」と「は」は置き換えが可能です。 ただ、発話する際のシチュエーション次第で自然に思われるほうを(無意識的に)採用しているわけです。 能動態か受動態かということは、たぶん関係ないでしょう。
お礼
ご指摘の通り、態の問題ではないということが理解できました。参考文献、よく読ませていただきました。ありがとうございました。
- pepe-4ever
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何故って、、、訳し方の違いだけ。 「多くの人はサッカーを愛している」 「サッカーが多くの人に愛されている」
お礼
ありがとうございました。
お礼
具体的例文や参考文献をありがとうございました。ある英語の参考書の例文からの質問だったのですが、確かに能動態、受動態には関係ないということがわかりました。否定文では「は」になりやすいというご指摘、参考になりました。多くの文を考えて、検証している作業の大切さを教えていただきました。