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社会制度の違いと良い政治と悪い政治
- アリストテレスは、社会制度の違いについて君主制から始まり、僭主制、貴族制、寡頭制、民主制、衆愚制と変遷していったことを説明しています。
- アリストテレスは君主制から僭主制への変化で「ダメな政治」になり、それを改革して貴族制になり、さらに寡頭制、民主制と進んだ結果、衆愚制に至ったと述べています。
- 君主制や貴族制は一部の特権階級が権力を握り、悪い政治が行われる可能性があります。僭主制や寡頭制では少数の人々が権力を独占し、一般市民の権利や利益を軽視することがあるため、悪い政治とされています。
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人間は集団社会の生き物だから 責任を誰かに預けたがるんだ。 何かをやった時に 「僕が悪いんじゃないよ」って言える理由が欲しいんだな。 クラスでも争いが起こった時にクラス委員長が 「〇〇ちゃんが悪い (チェック)(チェック)ちゃんが正しい」って 2人だけでなくクラスみんなが納得できるように説明して判断してくれたら楽だよね。 これが君主制だ。 でも次の年度でクラス替えになったら 強く言う所だけは同じだけどまるで説得力のないわがままな委員長になっちゃった。 文句を言うと「俺の言う事に従わないのか」と切れる。 怖いからみんな言う事を聞く。 これが僭主制だ。 こんな人はイヤだってなってみんなで委員長を辞めさせたんだ。 でもみんなの希望を叶えるような 代わりをやってくれる素晴らしい人は誰もいなかった。 だからある程度頭が良い人達が何人かでクラス委員をやったんだ。 これが貴族制。 最初は仲良くやってたんだけど そのうち「〇〇ちゃんの方が優しい」とか 「(チェック)(チェック)ちゃんは怖い」とかみんなが言い始めたんだ。 口げんかが多くなって仲間が別れちゃった。 そして相手の事をいつも悪く言っている。 これが寡頭制。 いつも口げんかをしているのがイヤになったみんなは クラス全体で委員長制度を廃止したんだ。 みな同じになれば喧嘩もしないから。 決める時はみんなで会議で決める事にした。 これが民主制。 色々な事を決めるのにそのたび会議をしてたら みんなイヤになった。 良い意見もわかりにくいからと採り上げられなかったり 味方がいないと議題にもならなかったり。 いつの間にか仲間をいっぱい作っている人が大きな声で話すようになった。 これが衆愚制。 会議は結局大きな声の人が中心となった。 その中でもとても素晴らしい感性というか 判断力を持ってる(カリスマってやつだね)人が現れた。 どうせまとめるのがその人だし これからまた変な人が出てきてガタガタ言われるとイヤだと思ったクラスは その人にクラス委員長を頼んだ。 そしてまた歴史は繰り返したんだ。 誰かが悪いんじゃないんだけど 「これは駄目だ 良くするべきだ」って時は 自分の責任を投げちゃ駄目なんだ。 本当に大切な事から目をそらして楽な方に逃げない。 それが本当に大切なものを守る事になるんだよ。 自分の出来る事を精一杯やろうね。 ・・・長いね。
お礼
どうもありがとうございます。 「小学五年生にも」という言葉をここまでその通りに返答して頂いて、大変恐縮です。 ただ、やはり簡単な言葉にしすぎて、モノの本質がかなり割合されている気がして・・・。というかそれは私が「小学五年生にも」と言ってしまったからです。申し訳ありません。 日を改めて同じ質問をするかもしれませんが、「小学五年生にも」という意味ではベストアンサーです。