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東ローマ帝国の歴史的意義とは?
東ローマ帝国の歴史的意義とはなんでしょうか?
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まずはイスラム勢力に対する欧州の防波堤であったこと 無論、イスパニア、シチリアなどの例外はあるものの イスラム勢力とビザンチンは決定的対立していたわけではないですが ビザンチンの存在で大々的な欧州侵入は免れていたといえます ビザンチン滅亡後100年程度でオスマンがウィーン近くの欧州中心部まで侵入してきました 次いで西欧に対し古典ギリシア・ローマ文化をある程度までビザンチンが継承し伝えたこと 建築や絵画などはビザンチン時代になってから創成され西欧に影響しましたが 11世紀頃から西欧における農業革命による農業技術の発達、北イタリア諸都市の造船技術、海運技術の発達がビザンチンのそれより凌駕し発達しました ビザンチンの財政状況の悪化から海軍力、海運はヴェネツィア、ジェノヴァ等北イタリア都市に頼ざるを得なくなりました 北イタリア都市にとりビザンチンは莫大な利益を得られる東方交易の拠点としての存在意義に変質していきました ただ当時の西欧から見るとビザンチンは陰湿で不誠実、不審な行動をとる「ギリシア人」の帝国であったのは否定できません コムネノス朝のマヌエル1世が友好関係、準同盟関係にあった神聖ローマ帝国、ヴェネツィアを裏切り敵と結び付いたりして怒らせたり 突然、帝国内で商業活動していたヴェネツィア商人を一斉に逮捕したりしました その一斉逮捕事件時、ヴェネツィアの大使だったダンドロはこの事件で失明しました ダンドロはその後にヴェネツィアに帰還し総督となりました この事件が遠因になったかどうかわかりませんが ダンドロは第4回十字軍を起こすことになるのです
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- ssssan
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意義ねー欧州を全てキリスト教国にしてしまったが第一でしょうねーロシアも含めて、それまでは一神教じゃ有りませんでしたからーゾロアスター教*拝火教*から各地に土着信仰が当然有りましたからーで改宗ユダヤ教徒の様にローマ帝国が征服の版図広める=キリスト教広めながらのローマ帝国ですねー。 それが後の世界侵略.植民地.奴隷制ですねー。 ちなみにモンゴル世界帝国築いたジンギスハーンは征服地の宗教には干渉しませんでしたー征服地政策は殆ど税金の義務ですねーで逆らったら見せしめで殲滅作戦です、他に逆らう民族出さない為にもし逆らって抵抗したらモンゴル騎馬軍団が急派ですその為の軍用道路も網の目の様に張めぐらして停車場も完備してましたし、馬人間の休養餌場を全ての道はローマに通じると殆ど同じです、日本だったら戦国時代の武田軍用道路見たいに。
お礼
おもわず へぇ!といってしまいました。 興味深いお話、ありがとうございます^^
- cn94
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アホは残るという事
お礼
失礼ですけど、もうコメントしないでください。
お礼
とてもわかりやすい説明をありがとうございます^^ 参考にし、もっと勉強してみます!