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ローマ帝国
ローマはなぜ、共和制から帝政(帝国)へと移行したのですか? これは民主主義の後退に当たるのですか? 自分は歴史は全く分かりませんがよろしくお願いします。
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時代の変化にシステムがついていけなかった為というのが私の意見です。民主主義の後退と言えないのではないのでしょうか? もっと言うと共和制が機能しなくったきたからとも言えるでしょう。簡単にローマの共和制は市民の選挙によって選ばれる執政官・選挙は無く役職等を勤めることで任命される元老院・ローマのみで開催される市民集会の三つのシステムで機能しています。 さて、中でも執政官等の高官の選挙や市民集会が全ローマ市民権所有者の意見が反映されにくくなってきた事がもっとも影響が大きいと思います。少し話が逸れますが貴方は観光や仕事(勉強)等では無く選挙の為だけに毎年東京(に住んでいれば沖縄や北海道)へ行けますか?私には無理な話です。これは純粋に物理的・時間的・金銭的に誰でも出来ることでは無いでしょう。ちなみに当時の交通手段は徒歩・馬・船しかありませんでしたし・・・ 当時のローマの版図は最大では無いとは言え、東西だけでも現在のスペイン~ギリシア位はありました。これは国政に関心が有るとか無いとか言える距離ではありません。こうなってくると首都ローマ在住の市民しか選挙権を行使できませんし当時の貴族はかなりの数の市民と親分・子分の関係にあり選挙では彼らを動員して投票させていた程です。つまりはローマの共和制と現在の民主主義とは相当に概念が異なると言えるでしょう。「だったら共和制は機能していない。」と考えた人が居ます。有名なユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)や後継者であり帝政の創始者のアウグストゥスです。帝政はNo.1の人が言う通りに緊急時の危機管理システムの側面があります。例えばどこかの地方で蛮族が攻め込んできたり、地震や飢饉。他にも経済危機が発生したら従来の共和制では元老院で長々と討議して軍隊を召集し編成して訓練してから出発したり、話し合いが延々と続いて結論が出なかったりすることもあったでしょう。しかし状況はそれらの時間を待つことは無く被害は拡大し続ける事になります。帝政では皇帝の独断や各地に駐留する常備軍で即座に応急処置が可能となります。恒久的に処置が必要であれば後から元老院で討議して法律を作って処理することも可能となっています。 余談ですが、ローマ皇帝は選挙がありません。後継者が決まるには親子間の相続・養子縁組・クーデターや内戦による交代等があります。私が知っている範囲で畳の上で死ねた皇帝の方が少ない事と(これらに加えて暗殺なんてことも・・・)畳の上で・・・の皇帝も激務の連続とも言えるので私には色々な意味で無理な職業ですね~
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- jigyakujii
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原始国家の成立は、元々各人の話し合いから始まって、有力な豪族発生し力を増し、王政に移行して行く訳で、原始共産制から王政というのは「逆コース」と言えるかも知れません。 個人的な考えでは歴史は直線的に進化して行くものではなく、スパイラル的に動いてくものの様な気がします。 また当時の「民主主義」は現在と異なり、限定者による話し合い程度のもので、奴隷制度など現在の民主主義とは相容れない部分を含んでいました。 その後のフランス革命の後ナポレオンが即位した様に、逆コースと言うのは珍しい事ではありません。 ローマの発展時の様に支配圏の膨張が起きると、従来の前例に沿った対応が難しくなり、内部抗争が拡大して行きます。勝ちつづける新興勢力(個人・英雄)と、既存権力の保持を図る旧勢力の妨害、クーデターによる新興勢力の覇権と言うのはお決まりのパターンでしょう。 但し、ローマの皇帝は武人系統であったため、鎌倉幕府の様にあまり世襲をして行かず、世論に気を配っていたのは、前身が「共和制」だった事にあるかも知れません。
- jk7
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共和制が機能しなくなったため、「内乱の一世紀」に至ったわけです。 混乱を収拾するには、絶対的な権力者の出現が必要不可欠だったのです。 民主主義を養護する立場で言えば、後退です。 しかしプラトンは、最も理想とする政治体制を哲人による独裁政治だと言っています。 この後、五賢帝の時代にかけて最盛期を迎えるわけですから、その意味ではローマにとって前進かもしれません。
- sudacyu
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日本の中学校の公民の教科書を鵜呑みにして、「民主主義」が非常にすばらしい政治システムだと思っておられるのではありませんか? 現代でもそうですが、「民主主義」はもともと非常に欠点の多い政治システムです。唯、他の政治システムに比べて、致命的な欠点がないことが多くの国で採用されている理由です。 その特徴を具体的にいいますと、 1.唯一ボトムアップを基本とする政治システムであること。 2.他の政治システムに比べて、経費が恐ろしく掛かること。 3.意思決定に時間が掛かりすぎること。 4.政治的リーダーの取替えが容易であること。 5.政治的決定の最終責任を、市民全体で取ること。 つまり民主主義は、みんなの意見を集約し政治決定をし、「政治的失敗」が起こるのは当たり前であることを前提として、その失敗の責任を全員で取ることによって成り立っています。 そして、政治決定の遅さと費用の多さに対しては、市民一人一人の活動と負担によって、致命的問題にならないように、常に気を配らなければなりません。 この日常的な努力がなければ、民主主義は衆愚政治に直結します。 このように、市民一人一人が費用と時間を負担することが前提となっているため、人口が多くなり、領土が広くなると、それに完全に比例して経費もかかるようになります。 人口・国土が増大し、単なる意思決定のためだけでも膨大な費用が掛かり、その経費が他の政治システムをとることによる損失より大きくなれば、「民主主義は有効ではない。」ことになります。 過去の歴史において、「民主主義が上手くいった」事例を考えると、次の2つのケースが考えられます。 1.その政治母体が、比較的小さな運命共同体であること。 2.その母体である共同体が、順調な経済成長をしていた。 特に、母体となる共同体が相当大きな共同体となった場合でも、経済成長を続けている場合は、民主主義を維持する負担に耐えられたのでしょう。(人間は、成功している間は、社会システムを変えようとしませんから。) No2の方の回答でも分かるように、当時のローマの領域は、古代としては最高度に組織された、道路・通信システムを使っても限界となるほど、広大となっていました。 つまり、民主主義の後退というより、民主主義の限界という考え方の方が妥当と思います。 参考:現代と民主主義 歴史的に見ると、人口減少社会で経済成長が止まると、民主主義が機能不全を起こし、民主主義の継続が難しくなっています。 さて、現代社会では、ヨーロッパ・日本が人口減少社会に突入しつつあります。 インターネット・携帯電話などの情報革新で民主主義の経費の相当の低減と質の確保が可能であれば、今後も民主主義の維持は可能であると考えているのですが、実際の所はどうなるでしょうか。(^^)
- Tacosan
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一応ローマ帝国では「元老院と市民集会の支持によって皇帝の地位が認められる」ことになっているので, 共和制から帝政への移行を「民主主義の後退」といっていいかどうかはよくわかりませんが.... もともと共和制も完璧なシステムではなく, 「緊急時に即応できない」という問題を持っています. これに対処するため, 共和制ローマでは必要に応じて独裁官 (dictator) を任命するという「共和制を守るために共和制とは相容れないもの」を準備していました. こちらから考えると「独裁官 ⇒ 終身独裁官 ⇒ 皇帝」と変化したと考えることもできるかと.