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領地に飛び地がある理由
江戸時代の大名や旗本の領地にはしばしば飛び地があります。 内陸の藩が最寄の海沿いに飛び地を持つのは運輸・交通のためでしょうが、中にはずい分遠くに飛び地があることもあります。 私の住む岡山県内には古河藩(現・茨城県内)、挙母藩(愛知県内)、亀山藩(京都府内)などずい分遠くからの飛び地がありました。 また当地の浅尾藩は現・豊中市内や神戸市内などに、岡田藩は岐阜県内に飛び地を持っていました。 このように遠隔地に飛び地を持つのは特別な理由があったのでしょうか? 単に知行高を合わせるためですか、それとも戦などの時に補給地などとして使うといった目的があったのでしょうか?
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こんにちは。 藩側が様々な思惑で飛地を得るということも勿論ありますが、幕府によって意図的にそのようにされている面も大きかったようです。 一部の例外を除いて転封が頻繁に行われる大きな理由の一つに「地縁的な繋がりが強まるのを回避する」ということがあったように、領地が一所にまとまっているというのは非常に危険であると考えていたのでしょう。もう既に強固な地縁を築いていた旧族外様大名を動かすことは困難でしたが、小藩になればなるほど領地は各地に散らばっており、更に旗本領が集中していた房総などはまさに虫食い状態であったといいます。 幕府はそうした面からも各藩が飛地を持つことを積極的に受け入れ、転封などの際には一部を残して交換するようなこともしていたようです。
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- hazu01_01
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理由はいろいろあります。 1 京都守護職、京都守護代、大坂城代などになると京都での生活維持のため近畿地方に飛び地を貰うことがあったようです。 2 知行高あわせ 3 実高が少ないところを元々知行地に宛がっていた大名に対して一部実高が高いところと交換した。 4 縁故の地 5 その他
お礼
生活維持のために領地を貰ったというのはおもしろいですね。 ありがとうございました。
- tanuki4u
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親藩譜代の場合、石高のつじつま合わせというのもけっこうあります。 特に急激に石高が増えるような立身出世をした大名などは、増やそうにも、隣にあげられる、幕府直轄領が無ければ、他で与えることになります。 後使役に古河藩、挙母藩、亀山藩などは、典型的な親藩譜代となります。 そのほかに、外様の場合、参勤交代の補給連絡地として、給付されたケースがあります。 http://www.wdic.org/w/SCI/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E8%A3%BD%E4%BD%9C%E6%89%80 これは秀吉から島津家が播磨に飛び地をもらった謂われというか、今の島津製作所がなぜ 島津なのかというやつ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94%E6%94%BF%E5%AE%97 伊達政宗も、近江と常陸に飛び地をもらっています。
お礼
本拠地の近くに適当な地域がないと加増しようにもできませんね。 飛び地にならざるを得ないというわけですか ありがとうございました。
お礼
そういえば旗本など小藩に飛び地が多いように思います。私は小藩ほど地縁的な繋がりは強かったと思っていたのですが、意外でした。 ありがとうございました。