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桃太郎はなぜ鬼を退治しに行ったか
- 桃太郎という昔話は、ほとんどの日本人が子どものころに絵本で読んでいると思います。桃から生まれた子どもが桃太郎と名づけられ、成長した後犬・猿・雉をつれて鬼退治に行く話です。
- しかし、この話の中には、桃太郎が鬼を退治しに行った理由が書かれていません。成長したら突然言い出しています。それとも、子供向けの絵本には書かれていないだけで、原作には書かれているのでしょうか?
- もし鬼たちが悪事を働かず、鬼ヶ島でひっそりと暮らしていただけだったら、桃太郎はただの強盗です。なぜ桃太郎は鬼を倒しに行ったのでしょうか?
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もともと、鬼というのは両義的な存在です。 つまり、人にとって一方で恐怖すべき存在であると同時に、またある面では福徳や恩寵をもたらすこともある、という相反する存在として信じられていたのです。このように両義的であって、世俗的な感覚で単純に“白黒つけがたい”存在であることこそが、その力の源泉であったと言えます。 この鬼というのも、後代には世俗化してきます。鬼という概念がいわば消費されてしまって、「単純な悪者」としてのイメージが固定化してしまうにつれて、その力があまり信じられなくなってくるわけです。 鬼がカリカチュアライズされ、具体的な「悪者」になったことで、必ずしも恐ろしい存在ではなくなった、と言えるでしょう。結果、本来は語義矛盾であるはずの「弱い鬼」、「人間に負けて退散する鬼」といったものがやがて人々の意識のなかで一般化するわけです。 しかし一方で、「福徳を授けてくれる」という鬼のもうひとつの側面の記憶も厳然と存在しています。この古い記憶が、昔話という空間ではやがて、「鬼は(どこか遠くの棲家に)財宝を持っている」という風に読み代えられていったのです。 つまり、もともと両義的な存在として信じられていた鬼は、「財宝」という善を持つ「悪者」として描かれることで、かろうじて物語のなかに昔の両義性の痕跡をとどめている、ということになるわけです。 例えばこの『桃太郎』や『一寸法師』もそうですが、鬼が財宝や打ち出の小槌、隠れ蓑といった宝物を持っているように描かれる物語は沢山あります。また、「節分」や「宝の槌」といった狂言でも、鬼が島には財宝がある、という筋書きになっています。さらに、宝物を鬼が島から引いてくる、という伝承の祭儀を行う地方は今でも割と存在しています。鬼と財宝とは、不可分なのです。 (あるいはもっと広く、鬼を「来訪神」や「マレビト」といった概念の中で見れば、『大歳の客』など、年末の異人の来訪で財産や幸福がもたらされる、というストーリーの色々な昔話も同様の射程で論じることができます) 『桃太郎』という話の成立は恐らく室町時代、広まったのは江戸初頭、とするのが一般的なようですが、要するにこの話の骨格は、民衆の中における本来の鬼の両義性というものが、「悪者」と「財宝」に明快に分離してしまって以降できあがったもので、他のいろいろな物語と素地を共通している、ということができます。 従って、ご質問に帰って「なぜ鬼を征伐するのか」といえば、「当時の鬼は悪者として想定された存在であったから」ということになると思います。説話のなかで悪事を働いていないので未だ悪ではない、という見方は一見論理的ですが、鬼という存在が仮想されたコンテキストを全く考慮していないので、少し軽率な見方とも言えるのではないでしょうか(失礼)。 この物語の時代の「鬼」は、先に書いた経緯で抽象的な悪が目に見える形になった存在ですから、既に存在そのものが悪であるべきなのです。 現代の物語や童話では、このような経緯そのものへの視点も既に失われています。ですから、浜田広介の『泣いた赤鬼』を嚆矢として、鬼に人間性を投影して共感する見方も増えてきましたが、ここまで意識が相対化されるには、相当な時間がかかっていることを考えるべきでしょう。何より、怖がる必要のなくなった鬼は、裏返しに財宝を持っているとも信じられていないわけで、呼び名こそ「鬼」ですが、実際には物語になりようがない存在です。 なぜ桃太郎が鬼を倒しに行ったか、というのは柳田国男初め、いろいろな人が分析を試みています。詳細ははしょりますが、柳田は、この桃太郎や瓜子姫、一寸法師などの話を「小子(ちいさこ)譚」と分類していて、わけても桃太郎そのものを「海神少童」として、これが「妻を求めた」という意味のことを書いています。これは象徴的に言っているのですが、(水に関係してこの世に登場する)神童が、苦難を乗り越えることでこの世に福をもたらす、という物語構造が存在することを指摘しているわけです。 つまり、この指摘に従うと、鬼を退治するというイベント(?)は、「小子」である桃太郎が成長して富をもたらすために乗り越えざるを得ない、必然的な苦難として物語上要請されたものである、ということになります。つまり大団円をもたらすための心理的仕掛、ビルドゥングスロマンにおける苦難の冒険と同じである、ということです。 ところで、『桃太郎』の出自を具体的な歴史にあてはめた回答が多いのですが、私は少しそういう解釈には疑問を持っています。昔話というのは具体性を必要としないもので、むしろ「あるところである者が」という抽象性こそが、言葉にしにくい民衆の集団的感情(エートス)を表現するために必要だから、です。つまり具体的な歴史事象と、骨格が似ているけれども具体性を欠いた物語である昔話の間の溝は、一見浅いようでいて、実はとても深いのです。 重なる所は少ないのですが、以前鬼に関する質問に回答しています。宜しければご参照ください。 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=457436 「中国語で鬼の意味は」 (ちょっと頭が疲れていまして…読みにくい部分はご容赦下さい。補足があれば後ほど対応させて頂きます)
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- ghostbuster
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すでに民俗学的な方面から考察した良い回答も出ているし、これ以上回答を重ねることは、「屋上屋を架す」ことにもなりそうなのですが、物語構造という角度から「桃太郎はなぜ鬼退治に出かけたか」を考えてみたいと思います。 松岡正剛は『知の編集術 発想・思考を生み出す技法』(講談社現代新書)で、ジョージ・ルーカスが大学で『千の顔をもつ英雄』(人文書院)を書いたキャンベルの授業をうけて大いに感動し、その英雄伝説の基本構造(松岡はナラティブ・マザータイプと呼ぶ)を『スター・ウォーズ』にそっくり適用したことを紹介しています。 英雄伝説の基本構造というのは、このようなものです。 「(1)「原郷からの旅立ち」 主人公がある必要にせまられて故郷を離れる。ただし、まだその目的はわからない。このとき、その主人公に加わる者がいて、たいていは連れ立つチームになる(『西遊記』の孫悟空たちや桃太郎のキジたちのように)。 (2)「困難との遭遇」 旅はなかなか容易には進まない。艱難辛苦が待っていて、その都度クリアしなければならない。このとき意外な者(みすぼらしい姿、変な意味の言葉)が助言を与える(ヨーダのように) (3)「目的の察知」 自分が探していたものに気がつく。ひょんなきっかけで知らされる「失ったもの」や「知らなかったもの」である。探していたものはたいていは「父」であり、「母」であり、「宝物」であり、または「真の敵」である(桃太郎の宝物のように、スーパーマンのクリスタルのように、ダースベイダーの武器のように)。 (4)「彼方での闘争」 かくて敵地や遠方の土地での決戦が始まる。そしてきわどいところで勝利や成果をあげる。彼方での闘争は勝手がわからないという特性がある。それをクリアーしたとき、ついに求めていた目的と出会う。そして、それが意外な真実の打ち明けにつながる(ダースベイダーが実は父だったように)。 (5)「彼方からの帰還」 その地で勝利や成果をおさめた主人公は必ずその地にとどまるように勧められる。が、それをふりきって帰還する。これが『スター・ウォーズ』の「リターン」にあたる。オデュッセイアにもイザナギにも浦島太郎にも、この「リターン」がある。そして帰還を応援したために犠牲になる者も出る。」(『知の編集術』松岡正剛) 『スター・ウォーズ』がまさにぴったりこの構造にあてはまるばかりでなく、世界の英雄伝説(北欧のオーディーン、中東のギルガメッシュ、アラビア語圏のシンドバッド、中国の西遊記、日本の桃太郎など)がみな同じ構造をもっている。 つまり、ポイントはここです。 桃太郎がなぜ鬼退治に出かけたか、というのは、旅立ちの段階ではかならずしもあきらかにされてはいない、桃太郎自身にも明確にはわかっていない、ということです。 旅立ちが、主人公の自発的なものではないこと。 主人公の目的があきらかになるのは、旅立った後であり、しかもそれは偶然にもたらされること。 私自身、幼年期親しんだ福音館版『ももたろう』(松居直作 赤羽末吉絵)によると、カラスによって「災いの知らせ」がもたらされ、桃太郎は旅立ちを決意します。 けれども、その時点では鬼の持つ宝物や、さらわれたお姫様の救出が目的ではない(桃太郎がそれを知るのは鬼を退治した後です)。 >退治しに行く具体的な理由がないのです。 『スター・ウォーズ』でルーク・スカイウォーカーが旅立たざるを得ないような情況に追い込まれたように、桃太郎も本人の意思というより、外部からの要請によって旅立つのです。 このことは、個別『桃太郎』に限ったことではなく、世界中の英雄伝説に見られるアーキタイプ(元型)であると考えることができるようです。
- tanuki4u
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鉄資源説はかなり説明されているので、なぜ 桃で なぜ 猿鳥犬なのか? これは中国思想で 桃が長命のシンボルだったからです。そして 猿鳥犬=申酉戌 これが 方角で言うと 西方にあたります。つまり西方浄土を示します。 長寿を求めて西方浄土に行くというモチーフと、鉄資源を求めて・・・という歴史的事実(?)とが混ぜ合わさってできたのが 桃太郎伝説ということになります。
- runnext
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私が子供の頃の話ではお爺さんとお婆さんが夜遅くに 爺「また畑が鬼に荒らされたよ」 婆「今度は~さんの家の娘さんがさらわれたそうですよ・・・」 それを聞いた桃太郎が 「私が鬼退治に行きましょう!」 と言うような内容だったような気がします。 もしかすると教育上~と言う理由で削除でもされたんでしょうか? 「ちび黒サ○ボ」も人種蔑視という理由で一時廃刊になりましたね。 今は黒い犬の子供の話になっているそうですが・・・ 桃太郎伝説で皆さんがおっしゃる話より別な角度の説があるそうですよ。 鬼は漂流してきた外国船員で、ある島か土地のどこかに流れついたそうです。 その姿は外国人であるため大きい体格で船員ですので筋肉隆々の大男であった。 髪の毛は赤毛や金色のくしゃくしゃのクセ毛で肌の色は赤ら顔であったり青白いかおだったりした。 服はボロボロでほとんど裸同然であった。 食料を取る為に畑の物を盗んでいた。 見たことも無い大きな鉄製の武器を持っていた。 なるほどこの説を聞いて見ると特徴はウオッカの好きな国の人にそっくりですね。 船が難破・漂流・漂着と言う話もまんざら嘘っぽくないですよね。 私は歴史的なこじ付けよりこっちの方を信じていたりします。
- ujat
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桃太郎→朝廷の命を受けた吉備津彦命 鬼→百済から来た王子で、吉備に山城を築き住んでいた温羅(ウラ) 鬼ノ城縁起によると、温羅が山からおりてきて婦女子をさらったり、物品を強奪していたので、都に行って暴状を訴えた……ということになっており、この温羅伝説が「桃太郎」になったようなのです。 (鬼ノ城跡は実存しています) が、最近では、吉備の国で勢力を増していた温羅を全国を統一したかった大和朝廷が吉備津彦に成敗させて、それを正当化するために、温羅が悪い事をしていたという話を作って伝えてたのではないかという説も出てきています。 温羅は吉備津神社本殿の鬼門にある艮御崎宮に祀られており、実際は民衆から親しまれ、吉備国を守った地方の有力者だったのではないかと思うのですが……。 「温羅伝説」で検索すると、いろいろでてきますよ。
お礼
歴史的事実が元になっているという説を書いてくれた方が多いですね。 みなさん、回答ありがとうございます。 吉備津彦が温羅を討伐しに行ったことにはちゃんと理由があるのに(それは正義か?という問題は別にして)なぜ物語では理由を省略したのかという問題が残ります。 鉄を奪いにいったというのなら、それは吉備津彦のほうが悪者になると思います。 だとしたらそこから作られた物語ならなおさら桃太郎の行為を正当化する具体的な理由が必要なのではないでしょうか?
- toto_washlet
- ベストアンサー率14% (1/7)
関係ないですが、 古事記がギリシャ神話の話と似ていること、聖徳太子がイエスキリストを連想させることなど、古代日本には西洋人が来ていて、すんでいたと思います。 実際中国には古代からシルクロード経由できた西洋人が住んでいたらしいので日本にも着ていておかしくないと思います。 日本の伝説などでは鬼だとか天狗など言われているのがそうだと思います。
凄くきになり調べて見ました!! 桃太郎にはモデルがいて桃太郎のモデルは吉備津彦命という人だそうです。 吉備津彦命は鉄製法を手に入れるために大和朝廷から吉備地方に遣わされたそうです。 目的は鉄の棒ですね でもお話では『鬼が人を困らせているので鬼退治にいってくるのでキミダンゴください?』っていっていますね
- himeyuri
- ベストアンサー率41% (841/2038)
確かに言われてみればそうですね。 参考になるかどうかわかりませんが・・・。 昔は「鉄」が貴重だったらしいです。 温羅(うら)という人物がその鉄を独占していたらしく、温羅のもとに向かったのが吉備(きび)津彦(つひこ)命、つまりは桃太郎ですね。 岡山県では数年前から「うらじゃ」という催し物が毎年されているようです。 温羅に因んでつけた名前だと想像するのですが・・・? (「じゃ」は岡山弁ですね。そうなのです=そうなんじゃ) 参考URLには面白いことが記載されていました。 一度見てみてください。 でも、桃太郎が正義なの?鬼が本当に悪いの?という疑問は残ってしまいますね^^;;;
- yokayo
- ベストアンサー率10% (36/352)
書かれている本にもよって内容は違ってきますが、 鬼は都に出て悪さをしていたからです。 桃太郎に限らず、鬼のする悪さというのは、 女の人や幼い男の子をさらっていく 金品を奪う 乱暴を働くと言うものです。 鬼という物の概念はと問われるといくつかの答えが出てきますが、大体は落ちぶれた山伏、元貴族、または遭難して日本に流れ着いた外国人であるなど様々な説があります。 もっと詳しい人の話を聞くと判ると思いますが 桃太郎伝説には幾つも説があります。 桃から出てきたのは犬であったとか 途中で花咲爺の話と混同している物とかさるかに合戦と混じっている物など。 昔話はシュールな物が多く、そのままのないようでは とても子供には聞かせられません。
以前トリビアでみたけれど、桃から生まれたんじゃなくて、桃を食べて若返った老夫婦が桃太郎を産んだんですよね?だぶんお話は元とだいぶ違うのかもしれません
- debaress
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それは鉄を奪いに行ったという説が有力らしいです。 岡山の吉備には(桃太郎は吉備津彦とも言う) 出雲に近い事から砂鉄が豊富にあったらしく 大和朝廷が鉄を奪う為に其処に攻め入った。 それが時代が下って鬼退治になったらしいと なんかで呼んだ記憶があります。
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お礼
回答ありがとうございます。 鬼は存在そのものが悪なので、あえて理由を書く必要がないということでしょうか。 それでも具体的な理由を書いたほうが物語として完成すると思うのです。 「存在そのものが悪」というのでは理由が抽象的なように思うのです。 そう感じるのは現代人と話ができた当時の人との差からくるものなのでしょうか?