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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:鬼ノ城をどう説明するか)

謎多き古代山城「鬼ノ城」の魅力完全ガイド

このQ&Aのポイント
  • 岡山県総社市の「鬼ノ城」は、日本書紀に記載がない謎の古代山城です。天智政権が対外防衛のために築いたという説と温羅が建てたという桃太郎伝説が絡む説が存在します。
  • 鬼ノ城は明智政権が建てた防衛拠点とされ、一部の伝承では桃太郎が討伐した鬼の城と結びつけられています。この二つの説が交錯し、理解が難しい状況です。
  • 1971年に発見された鬼ノ城は、桃太郎伝説の吉備津彦命による温羅退治と関連付けられています。その名前は次第に伝承と融合し、歴史的な謎が深まっています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.1

>天智政権が九州や四国に対外防衛上築いた城のうちの一つという説が有力。 日本書紀は、天智天皇(当時は、大王)を滅ぼした天武天皇(天皇と称した初代)が命令して誕生した歴史書(天武天皇の正当性確保)ですよね。 ですから、史実とは限りません。 地元の伝承や神社の記録では、白村江の戦い敗北に備えた城ではありません。 福岡からの狼煙は、対岸の香川県坂出市の城山城(記録にない)・高松市の屋島城の狼煙で都まで届きます。 また、香川県側には多くの兵を常駐させる施設も存在します。 >岡山の桃太郎伝説の鬼とされる温羅が建てた城とされている。 吉備津彦命の名は、日本書紀・古事記には記載はありません。 記録にあるのは、弟の稚武彦命です。 吉備津彦命は、岡山県観光課が広めてた説です。 ※黍団子を、吉備団子にした!? そもそも、桃太郎伝説は日本に約13か所も存在しますよね。 >鬼ノ城は発見されてから桃太郎伝説と無理やり結びつけて都合良く利用されている古代山城ということでしょうか? その通りです。 古くから存在する神社の記録では、「古代、朝鮮から日本に来た集団が拠点とした場所」らしいです。 吉備地方は、平安時代までは渡来人が多かった地域です。 古事記にも「稚武彦命は、播磨を拠点に吉備国(吉備一族)を制圧した」との記載があります。 ※出雲の地方には、吉備には異国人が住んでいたとの逸話が残っています。 吉備国は巨大で、日本で4番目に大きな作山古墳が存在しますよ。 この国の王は、新羅に滅ぼされた南朝鮮の加邪出身の「加陽(かや)一族」との事。 各地の神社の記録では、中国地方は「多くの新羅系ヒボコ族が侵攻」していた様です。 ※出石神社の祭神は、「天のヒボコ命」です。 まぁ、都合よく鬼ノ城を発見したので観光用に上手に桃太郎と結び付けたのでしよう。 ここに、吉備津彦神社ものっかった? 質問者さまもご存知のように、天皇に従わない集団は全て「鬼」と古事記・日本書紀には記載していますよね。 薩摩族なんか、鬼でもなく土蜘蛛扱いです。^^;

kutibeni22
質問者

お礼

お礼出来てなくてすみません。 ご回答ありがとうございます☆ やっぱり無理矢理のこじつけですよね。 「〜の説もある」と無難に説明するのが一番ですね。 歴史詳しくないのでとても難しい話ですが、歴史を知りたいと思う良いキッカケになりました。 ありがとうございました☆

その他の回答 (3)

  • head1192
  • ベストアンサー率20% (161/785)
回答No.4

「お前は現場に行ったか?行ってないだろう?現場を踏まずに記事書くような奴は記者やめちまえ!!」 電話と写真だけで記事を書いて編集長に見抜かれた、とある記者の若かりし頃の失態である。

kutibeni22
質問者

お礼

お礼出来てなくてすみません。 ご回答ありがとうございます☆ えっと、現場には行ってます(笑) 写真も自分で撮りました。 でも電話と写真だけで記事書いた方が楽ですよね(笑) 自分ルールなので、しませんが。 ありがとうございました☆

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1056/1648)
回答No.3

鬼ノ城が飛鳥時代の第38代天智天皇のときつくられた朝鮮式山城であるという学術調査の結果を事実とするなら、第7代孝霊天皇によって派遣された皇子の吉備津彦命が鬼ノ城の温羅(あるいは鬼)を討伐したという温羅伝説は、単なる伝説でありフィクションということになります。 温羅伝説を記した現存最古の史料は天正11年(1583年)成立の『備中吉備津宮勧進帳』で、室町時代末期までにはすでに伝説の骨格ができあがっていたと推定されています。逆にいえば温羅伝説が15世紀の室町時代中期やそれ以前からあったという証拠は存在しません。 鬼ノ城は築城後ごく短期間で廃城になったと推定されています。築城時期と推定される7世紀後半から室町時代のはじめまで600年以上経っており、百済の古語で城を意味する「キ」という呼び名が、朝鮮式山城の名残りをとどめるのみで、城跡らしきものはあるけど、いつ誰が何の目的で築いた城かは、もはや誰も知らないような状況になっていても不思議ではありません。そういう状況がさまざまな想像を呼び起こして温羅伝説を生んだのだと思います。 質問者さまは > 鬼ノ城の他にも「吉備津彦神社」など、桃太郎伝説に関する言い伝えの場所がたくさんあり、桃太郎伝説の内容は現実ではありえない内容なのに、さも本当にあったかのように色んな場所に色んな建物や物があるので、頭の中がまとまりません > とおっしゃいますが、そもそも伝説というものは、さも本当にあったかのように思わせるため、実在するものや人物を物語に結び付けて作られるのですから、伝説にゆかりの場所があちこちにあるというのは当たり前です。ゆかりの場所がどんなにたくさんあっても、伝説が事実であるという裏づけにはなりません。 鬼ノ城に関する記事はどれも文脈がおかしい、というのは私も同感です。学術調査の結果を肯定するなら「桃太郎伝説の舞台」という看板は単なるフィクションとして否定しなければならないのに、誰もそうしないからです。

kutibeni22
質問者

お礼

お礼出来てなくてすみません。 ご回答ありがとうございます☆ どう考えてもの「嘘」が当たり前に世の中に堂々と語り継がれるのが、改めて考えると不思議でたまりません。 真面目に説明しようとすれば頭が混乱してしまいました(笑) 勉強になりました。 ありがとうございました☆

  • 4500rpm
  • ベストアンサー率51% (3210/6285)
回答No.2

とりあえず。 鬼ノ城は昔から存在は知られていたが、正式な調査がされたのが、"71年"ということです。

kutibeni22
質問者

お礼

お礼出来てなくてすみません。 ご回答ありがとうございます☆ なるほどです。 以前テレビで「山火事をキッカケに発見された」と言っていましたが、集落がすぐ下にあるのに誰も登らないとは考えられないのに不思議だなとは思ってました。 存在自体は知られてても凄い場所だとは誰も思ってなかったということですね。 ありがとうございました☆