>足利義満~足利義政の時代はインフレ?デフレ?
インフレとかデフレという言葉が該当するような経済機構が存在しない時代ですので、何とも申し上げようがありません。
>日明貿易しないと決めたのであれば、義満の生きていたころとは経済も変わるのでしょうか?
それともあまり変わらなかったのでしょうか?
なにも変わりません、多少、足利一族の収入が減った程度です。
国家経済などという考え方もシステムもなかった時代です。
日明貿易も足利一族が運営する幕府の収入増を目的としてやっただけのものです。
足利幕府というのは、鎌倉幕府や江戸幕府に比較して財政基盤が極めて貧弱で脆弱なものでした。
自領からの収入が乏しいことから、何だかんだと理由をつけて商人からお金を徴収していました。
(幕府というのは、現在の政府とは全く違うものです)
義満はこれでは満足せずに、明との交易で収入を増やそうとしました。
相手の明王朝は、家臣として献上品を差し出すのであれば、主人としてご褒美をくれてやろう、という、いわゆる朝貢貿易を強要しました。
義満は朝廷の家臣である以上、明朝からは、相手にされませんでした。
そこで引退して自由になった後に勝手に日本国王と名乗って朝貢を始めました。
これに対して息子である義持は、オレは親父のように、よその国の家臣ではない、と止めてしまいました。
(他にもいろいろ理由は推定されています)
当時、海外との交易で最も数量金額ともに多かったのは、朝鮮との交易と、倭寇と呼ばれる密貿易でした。
それに次いで多かったのが琉球王朝との交易でした。
これ等の交易は、大内氏、宗氏などの守護大名と呼ばれる人達や博多を根拠地とする商人たちが盛んにやっていました。
足利一族とは直接関係がありません。
義持が明との交易を止めても、これ等の人達にはさほどの影響は及びません。
それよりも、明との交易に旨みがあることから、義持がいなくなった後に、これらの人たちが中心となってすぐに再開しています。
以上相当に乱暴な説明ですが、現在の国家間の外交交渉と経済の関係をそのまま、室町時代に持ち込んでも、混乱されるばかりかと思います。
まずは、室町時代というのはどのような時代であったのか、という点を考えてみて下さい。
次に、室町時代の経済というのは、どのような仕組みであったのか、ということを考察してみて下さい。
下記のサイトが何かのお役にたつかと思います。
4.都市と貿易
kitaqare.d.dooo.jp/hist114.htm
蛇足
>検索しても下手なせいかわかりませんでした。
個々の具体的な用語だけで検索すると行き詰まります。
大分類→中分類→小分類という考え方で検索されることをお勧めします。
義持が足利氏の一族で室町時代の人であることが分かれば
室町時代、室町幕府、足利氏をまずスタートとされて、各項目毎に記載されている単語をキーワードとして絞り込んでみて下さい。
単語ごとに、同じように大分類から初めて小分類へと絞り込めば自ずからお知りになりたい情報は入手できるかと思います。
お礼
室町時代にインフレかデフレかという疑問の前提自体が おかしかったのですね。 自分の浅はかな見方がおかしいのがよくわかりました。 サイトも、とても勉強になりました。 お教え頂いた検索方法に気をつけて、 もっと調べてみたいと思います。 ありがとうございました。