足利義満の太政大臣就任と辞任の意義
年表をぼ~~と眺めていましたら、足利義満が、1394年12月に、「義持に将軍職を譲り、太政大臣に就任(翌年6月に辞任)」というのがありました。
将軍職を譲り、太政大臣も辞めて、しかし、その後も義満は、1408年に亡くなるまで、権力を維持し続けていたように理解しました。教えていただきたいのは2点です。
1 義満の、「わずか半年ばかりの太政大臣就任」には、何の意義、目的があったのでしょうか???辞任した理由は何だったのでしょうか???「義満は、天皇になりたかった」説もあるようですが、そのことと関係があるのでしょうか???
2 将軍職を譲り、太政大臣を辞めてからも権力を維持していた、あるいは維持できていた理由は何でしょうか???「義満と義持って、家康と秀忠みたいな関係だった」と理解してもよいのでしょうか???家康には、徳川家を安定させたいという目的があったようですが。
お礼
なるほど、ありがとうございました!