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世のため、世直しは一種の私利私欲か。
世のため、世直しは一種の私利私欲ですか。 デスノートというマンガでは主人公「夜神月」が、事件の容疑者や犯罪者を片っ端から始末し、理想の世界を作ろうとします。 主人公は私利私欲でやっているわけでは無いと言います。 そこが引っかかるのですが、募金などの小さな善行も含め、世のため人の為は本当に私利私欲では無いのでしょうか。 良い行いというと、「良くなった世界に自分が住みたい」という自分のための思いは無いのでしょうか。 ※1 私利私欲だから駄目、良いという話ではありません。 ※2 「世のため」にという思いについて知りたいので、夜神月のとったテロの妥当性について知りたいのではありません。
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江戸時代は百姓一揆を起こした場合、その首謀者は刑死するのが普通でした。ですから、その時代では「良くなった世界に自分が住みたい」という自分のための思いは無い」というのが常識でしょう。 私利私欲ではじめてもそういう下種のひとには誰もついてきませんしね。 有名な大坂の大塩平八郎の乱でも首謀者は自分の富と地位をなげうって世直しをはじめたようです。結果、彼は死にました。
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- 雪中庵(@psytex)
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あなたの身の回りの物は、衣食住どれをとっても、 世界中からやってきており(原産地含め)、もはや 個人の生命は、世界中の人々の順調な営為の上 にしか成り立ち得ない。 それはつまり、社会性(分業化)が発達するにつれ 「利己」と「利他」が同一のものとなる事を意味する。 ただ、そうした自己の社会生命性を自覚せず、低認 識な思想による目先の物欲の充足(=社会の劣化) や、短絡的利己を他律的にコントロールする馬車馬 の目の前のニンジン(お金や出世)による拝金主義 といった短絡的なエセ「私利私欲」は、公益に反する。 環境における「社会性の充分な発達(相互依存)」と、 人の側の「その本質的な理解(社会生命的自覚)」の 2つがそろえば、その人物に限って私利私欲と公益は 一致する。
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- suzumenokox
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「世のため」というのは利他を突き詰めたものであり、利他というものは社会的動物として少なくとも文化遺伝子としてひょっとしたら遺伝子の中にまで組み込まれているかもしれない感覚だと私は考えます。利他は人間にとって自然な考え方の一つです。そして自己発現という利己の要素が利他と矛盾しない形で現れる一つの例が「世のため」という感覚だと言えるのかもしれません。 利他の集合体として暮らしやすくなった世の中が自分のためになる、というのは嫌悪すべき打算の私利私欲としての利己というよりは、人間としての素直な善意の素直な結果くらいの解釈でいいのではないでしょうか。 もちろん「世のため」というのが間違った正義の振りかざしにならないように気をつけながらというのは大事ですし、同時に実質的に何もできていないようなためらい一辺倒にならないようにも気をつける必要はあると思います。
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ありがとうございます。
- kamisenbon
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確かに!結局人は自分に何らかの見返りが無いと行動しないってのはありますよね。 募金だって、「こんな素敵なことができる自分でありたい」とか、「自分の行いが誰かのためになることで自己重要感を満たしたい」など、自分の欲求からきてるように感じます! 誰かの役に立ちたいって言ったって、役に立ちたいと思える相手とか内容はなんだかんだで選びますもんね。 ぱっと思いつく例で、仮に自分の信頼のおける男友達が 「風俗行きたくて死にそうなんだけど、どうしてもお金足りない。一週間後返すから5000円貸してくれ」 って言ったとして、いくら友人がそれを本気で困っていても断りますし、かと言って 「今月家族が病気になって医療費がかさんで今日の参加必須の飲み代払うとやばい。一週間後に返すから5000円貸してくれ」 って言ったら貸すかもしれません。 結局他人がどれだけ困っているかではなくて、自分がどれだけ納得できているかとか、どれだけ相手に共感できるかが判断基準になっていて、ということはつまり、どこか自分の気持ちを満たすためにやってるってことなんでしょうね。
お礼
ありがとうございます。
- kurinal
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「人のため」では、「ニーズ」という見方があり、 また、「本人の意思の尊重」ということがあります。 >「デスノートというマンガでは主人公「夜神月」が、事件の容疑者や犯罪者を片っ端から始末し、理想の世界を作ろうとします。 主人公は私利私欲でやっているわけでは無いと言います。」 オウム真理教の論理と変わらないのかな、と思います。
お礼
ありがとうございます。
NO.4 です。 ぬけていましたので付け加えます。一揆では「成功しても」その首謀者は死刑が決まっていました。 アラブ原理主義者の自爆テロでは、そうして死ねば極楽へいけると洗脳されていきますから動機は一種の私利私欲です。
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ありがとうございます。
私利私欲でもいいものと悪いものがあると思います。 その主人公が考える理想であれば、その人の考える何か硬い感じで何か目指すものを作っているユートピア的なものに見えます。 その漫画は現在に似てますね。パソコン、スマートフォンなどの普及と資本主義グローバルの進展による社会の変化と規範が追い付いてない状況。日本の刑法は罪刑法定主義で作られているので凶悪なものにおいつけなかったりする。 でもできれば現在は、IT化などにいつまでも慣れないのではなくてそろそろ慣れてきた状態でいろいろ再び見えてきてもっと確実にどうするかを考えてもいい時期だと思います。 個人とはいえ、集団を引っ張ればそれはリーダーシップで個人のパーソナリティが影響します。たとえば、大統領などは重要な判断や方向性をだします。この点、機械的なマネージメントとは違います。ボスは私利私欲でリーダーは集団のためとも言われます。 http://gori.me/humor/30145 (gori.me) この漫画は組織というよりあくまでも社会が解体して個が存在しているものを前提にしてますね。 各個が強すぎたら、フォロワーも存在せず、集団にすらなりません。 かといって、社会福祉ではないですが、切られてしまった側の個を立て直し、社会参加をうながせるようにすることは、再び人間社会を立て直して初めて、規範の解体した個の社会というのが終わるような気がします。 人間には利他心もあるとも言われます。 みんながお互いのことを考えることで、漫画に登場する規範の崩れた社会で隠れて善行をするヒーローが登場するような状況をなくせるのではないかと思います。 個の主張の強いままそれを束ねている状況って、第2次世界大戦前のような状況にも思えますので。 私利私欲がクローズアップして見えるのは、やはり社会が解体気味だから、成果主義ではないですがかつてないほど個に注目されていて、社会などが注目度が落ちている状況ではないかと。それでそういうイメージを持つのだと思います。 以上、持論ですが。
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- raiden787
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その通りです。世のため人のためだろうと自分がしたいと思って行う行為は全て私利私欲です。 ただ、慣習的な言葉の使い方として、自分の利益や欲望のために他人を犠牲にする行為を私利私欲という言葉で表現することがあります。 これは単純に言葉の使い方の問題ですね。
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ありがとうございます。
- kurinal
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stancia様、こんにちは。 「デスノート」が、「世のため」を全て体現する、というわけでもないと思います。 >「良い行いというと、「良くなった世界に自分が住みたい」という自分のための思いは無いのでしょうか。」 当然、あると思います。 「そりゃー、無いよ」という、のが、頻繁にあっては、大変です。 「私利私欲」、そうですね。 それを一概に否定するのは?、という意味は、確かに有ります。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。