- 締切済み
浄土真宗の教えについて
御文章の「八万の法蔵章」の中に、後世をしらざる人を愚者とす、後世をしるを智者とす、という言葉が出てきます。ひょっとして、浄土真宗って「後世をしる智者」のための教えであって、「後世を知らざる愚者」は救われないという教えなのでしょうか? 「死んだらおしまい」くらいにしか思ってない私は、まさに「後世をしらざる愚者」であると思うのですが、私は、浄土真宗では救われないということなのでしょうか?
御文章の「八万の法蔵章」の中に、後世をしらざる人を愚者とす、後世をしるを智者とす、という言葉が出てきます。ひょっとして、浄土真宗って「後世をしる智者」のための教えであって、「後世を知らざる愚者」は救われないという教えなのでしょうか? 「死んだらおしまい」くらいにしか思ってない私は、まさに「後世をしらざる愚者」であると思うのですが、私は、浄土真宗では救われないということなのでしょうか?
補足
浄土真宗の教えを聞いて長くなりますが、ほとんど、心に響いてきません。 何か、教えを聞いていても教えから自分が遊離しているような… そんな感じがするのです。自分の問題として、聞けないという感じでしょうか。 最近は、無意識のうちに、私の聞法がうまくいかない理由探しを するようになってしまいました。 そんな中で、まず出会ったのが「唯除五逆誹正法」という言葉でした。 曇鸞大師は、正法を誹謗するとはどういうことかを次のように言われています。 もし仏なく、仏の法なし、菩薩なく、菩薩の法なしといはん。かくのごとき等の見、 もしは心にみづから解し、もしは他に従ひて受け、その心決定するをみな正法を 誹謗すと名づく。 仏なんて存在しない、菩薩なんて存在しない。自分で思ったにせよ、他人に言われて思ったにせよ、 そんな考えを持つことが正法を誹謗するということである。 私は、法を聞きながらも阿弥陀佛の実在を信じていませんでした。 正法を誹謗する者というのは、私のことではないのか。そして、正法を誹謗する者は 始めから除かれている。これが、私の聞法がうまくいかない理由なのではないのか。 そう思ったのです。 真宗には「逆謗摂取」という言葉もあります。謗法罪の者も救われると。 善導大師は「謗法・闡提、回心すればみな往く」と言われ、親鸞聖人も信巻に引用されて いますが、謗法の者がどのように回心するのかは詳しく述べられていないように思います。 正法を誹謗する者――これが浄土真宗の中で、私を表現する第一の言葉でした。 そして、「後世をしらざる愚者」。私を表現する第二の言葉です。 ですから、親鸞聖人の思想に当たっていないわけではないのです。