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浄土真宗

浄土真宗ではお盆が必要ないと言う事は何度も聞いています。その中において私が良く知るお寺様のお考えにおいてはお盆をする事に批判的なご意見は特に御座いません。お盆は仏教的な考えに属さないとの見解で逆にお盆を理解してすすめている方もいます。しかしながらここの場に投稿されている方で、浄土真宗はお盆をしなくてよいと言うようなご意見を見かけます。そこで質問を致します。お盆のお経を頼むとはお盆を必要としている言葉に感じます。正しい表現で判りやすくお答えください。そして、宗教観と先祖供養の線引きをお答えください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • teinen
  • ベストアンサー率38% (824/2140)
回答No.2

 お盆には,精霊棚など特別なお飾りをし,迎え火を焚きます。この火の明かりを頼りに亡くなった方が家に帰ってこられます。また,お盆の間は特別な食事をお供えし,僧侶を迎えて読経してもらい,送り火を焚いて,また亡くなられた方をあの世にお送りするというのが,一般的なお盆の行事です。  浄土真宗では,亡くなられた方は阿弥陀様のおられる浄土に往生されているので,わざわざお盆に家へ帰って来られないのです。  ですので,迎え火や送り火,特別なお飾りやお供えをしなくても良いとされています。このことが「浄土真宗ではお盆が必要ない」と言われる所以です。    では,浄土真宗ではお盆に何もしないのかと言えば,それは違います。浄土真宗のお寺では,それぞれの門徒の家の仏壇(の御本尊)を拝みに回られる所もあれば,お寺で法要をされる所もあります。  親鸞聖人の墓所である大谷本廟や大谷真廟などは,お盆の期間中たくさんの門徒が参詣されます。    浄土真宗では,お盆を先祖供養・追善供養とは捉えておらず,亡き人を偲びつつ,自らも極楽浄土への道を歩ませていただくことに感謝し,仏法に接し,礼拝し,法を聞く機会であると捉えています。  ですので,浄土真宗に帰依されている方が,自宅に僧侶を招き,お経を上げてもらい,説法を聞くということは間違いではありません。ただ,僧侶が先祖供養のために読経しているのではないということです。    さて,先祖供養ですが,先祖供養や先祖崇拝というのは儒教の思想から生じたもので,これを仏教が取り込んだ結果,仏法と先祖供養が混沌となってしまっています。  それでなくとも日本に伝わった仏教は,ヒンズー教や道教や儒教などを取り込んだものです。

nakamurayutaka
質問者

お礼

有難う御座います。正直なご発言を賜りまして恐縮に存じます。このようなお答えを頂き見せ掛けでない理解できる御言葉ありがたく頂戴いたします。そして、ご無礼なご質問を致しました事深く陳謝いたします。

その他の回答 (1)

noname#113260
noname#113260
回答No.1

お盆には先祖や亡くなった人たちの精霊(しょうりょう)が灯かりを頼りに帰ってくるといわれ、それをお迎えする行事と言われております。 浄土真宗の解釈に依れば、こうした先祖様方は追善の必要など無い浄土に往生されて、仏として私たちを見守っていただいていると説きます。 その為お盆は「歓喜会」と呼ばれていたように、故人を追憶しつつ、共に阿弥陀如来の摂取不捨のはたらきを喜ばせていただく行事と理解してください。 故人に対する追悼ではありませんので、亡き方をご縁として、自分自身が仏法に帰依し、お念仏を称える身とならせていただき、阿弥陀如来のお力によって、お浄土へ救われていく自分自身の身の幸せを喜ぶことと考えてください。 ですから浄土真宗は楽と言いますが、常日頃からお盆の気持ちで仏に接し、お盆の期間だけが特別ではないので、忠実に考えればなかなか大変なことです。

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