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浄土真宗での七七日の意味
昨年暮に転職したのですが、お葬式での宗派によって物の考え方の違いがあることを改めて知ったのですが、各宗派それぞれ【七七日】は 「仏になる為の審判をうけ、49日目で霊から仏になる」という教えのよう(?)です。 しかし、浄土真宗においては《即身成仏》という教えらしく 亡くなった時点で仏になったいるらしいのですが、【七七日】は何の為にあるのでしょうか? 宗教関係に詳しい方の回答をお待ちしています。
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- mdh57
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浄土真宗は、仏教の中でも爾前教(にぜんきょう) (現在の真言・浄土宗など法華経以外の仏教)なので 末法の現代において「邪宗」ですから、その宗派も儀式もやらなくてOKです。 (私の勉強した範囲内で恐縮ですが、ご参考になれば幸いです。) とりあえず、一度最後まで読んでみてください。 仏教の始まり(約3千年前)、釈迦が仮導の教えで「地獄」や「閻魔」などを説きましたが、それは実在する場所や人物ではなく、「方便(比喩)」です。 釈迦は説法50年間のうち、まず42年間かけて「爾前教(現在の真言・浄土宗など法華経以外の仏教)」を説き、後の8年間で、爾前教を仮の教えとして、釈迦自身が否定し、「法華経28品(後半14品が重要で、「法華経本門」といいます)」を説きます。 しかし、その「法華経本門」も、釈迦の死後2000年(正法・像法)で効力を失い、現在の「末法」という時代では、釈迦仏法を信仰しても効力はないと、釈迦自身が仏典の最後に記しています。 そして、釈迦が「文底秘沈」した(明らかにしなかった)「法華経文底独一本門」(無神論)が末法で信仰すべき仏法だと教えています。 仏法では、魂(命)は「有る」わけでもなく、「無い」わけでもない、「空(くう)」と表現されます。死後、命は、「霊魂」としてふわふわ存在するのではなく、死後は「冥伏」といい、生時は「顕現」といいます。肉体と魂は別々ではないのですが、「肉体」イコール「魂」でもないです。 簡単に言うと「起きている状態が生」、「寝ている状態が死」です。つまり「無始無終」といい「生命は永遠」ということです。 過去世の生命境涯や行いにより、現世の生命境涯(十界論をご参考になってください)がありますが、「定業」と「不定業」があり、自身の内の境涯変換(仏界涌現により)、定業(決定している宿業)でも「宿業(宿命)転換」が可能です。 また「成仏(仏)」とは「仏界をひらく」ということで、死んだ人のことではありません。(もし、死んで仏になれるのなら、早く死んだ方がいいということになってしまいます。) また、「地獄」という場所は、どこにも存在しませんが、例えば、戦地に生まれるなどの境涯を「地獄」に例えているのです。それと同様、「閻魔」という人物は存在しませんが、自分自身の中の悪い生命境涯や、自分の境涯を狂わす働きのことを「閻魔」に例えているのです。簡単に例えると、テロリストの子として生まれ、出生時から洗脳され、自分もテロリストになって、人殺しをしてしまう、等々が、これにあたります。 私事で恐縮ですが・・・ 私は、その「法華経文底独一本門(無神論)」を信仰をしています。 これは、10年間かけて勉強と経験を積み重ねて出した結論です。自身の生命の内側に全て備わっていて、それを引き出すというもので、どこかに、神様や仏様がいるというのを否定している、無神論の教えです。 (自身の仏界を引き出すことが重要で、外にはなく、生命に内在しています) 私は、前半は、外道(キリスト教や神道などの有神論)と、仏教「爾前教」(日本人が仏教だと思っている教え)を学び、後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。そして、邪宗や占い師など、(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。 10年かけて、しっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。 ここで詳しく説明したいのですが、理解するのに早い人でも2~3年かかる事なので、ここでは省略します。申し訳ございません
- showshow
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(A)七七日は亡き人を偲び、阿弥陀様のみ教えを聞かせていただく 聴聞の機会です。 インターネット上だけではなく貴方様が自身をお寺に運び聴聞(阿弥陀様のみ教えを聞かせて頂くこと)されることがとても大切です。 下記のURLは直接の答えにはなりませんがココから浄土真宗のみ教えに学んで下されば嬉しく思います。ちなみに《即身成仏》ではなくて往生即成仏です。
- 参考URL:
- http://www.terakoya.com/
- monosirihakase
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四十九日までの七日ごとを一節として七回繰り返すこの葬送儀礼は、十王経や十三仏事などのいわれから日本社会に定着したものといわれています。満中陰までの四十九日間に残された遺族は、七日ごとに追善の法要をつとめて故人の成仏を祈るという習俗がありますが、浄土真宗では阿弥陀如来のご本願のおすくいにより命終と同時に浄土に往生するという教えですから、追善や追福の供養ということではなく、故人の遺徳をしのび、人生の意義について考える良き仏縁として、深く念仏の教えに耳を傾け、仏法を味わうように心がけます。